「男性脳は問題解決型、女性脳は共感型」と真理の探究

1.妻のトリセツ

前回公開の記事で、自称婚活中であるとカミングアウトしましたが、最近女性の気持ち、あるいは思考を理解するために、ベストセラーの黒川伊保子編著、『妻のトリセツ』(講談社+α新書)を買って、読んでみました。
結婚している男性にとっては、膝を叩きたくなる箇所が満載なのかもしれませんが、独身の私には、書かれていることが本当のことなのかどうか、どうも実感が湧きませんでした。

ただ、「『夫にひどく厳しく、子どもやペットにはべた甘い』が母性の正体であって、男たちがロマンティックに憧れる『果てしない優しさ』が母性なんかじゃないのである。(中略)男にとって結婚の継続とは、女性の母性ゆえの攻撃から、いかに身を守るかの戦略に尽きる。(中略)家庭を、のんびりくつろぐ癒しの場所だと思ったら大間違い。それは、母親の翼の下にいた時代の家庭のことだ」(5-6頁)の箇所には、ゾッとさせられました。

なるべく、婚歴はあっても子供(孫)がいない、またペットを飼っていない女性を探した方が賢明だろうなあ。参考になりました。

2.女性は問題解決ではなく、共感を求めている

今日男女の違いを、何でもジェンダー(社会的・文化的な性差)によって説明する進歩思想が、世を風靡しています。が、それは現代の迷信でしょう。何れ、反動が来るのは必至だと思います。

それはさておき、男性脳は問題解決型で、女性脳は共感型、との主張は、男女の性差が、ジェンダーよりももっと根深い所に由来することが暗示されていますし、それゆえに、この説はジェンダー派にとっては、面白くない、否定すべき言説であることでしょう。
その原因が、社会的・文化的なのか、生物学的なのかはともかく、男性は問題解決を求め、女性は共感を求めるという仮説は、どうも真実であるように思います。

昨年発売された雑誌『月刊 Hanada』2020年11月号に掲載された、「人間だもの 村西とおるの人生相談」への質問は下記のようなものでした。

「『意見はいらない!ただ聞いてろ!』と嫁が毎日のように怒鳴ります。仕事から帰宅するなり、小一時間は嫁の愚痴を聞くことに。それなのに、なんたる言い種(ぐさ)か。九割九分は『うんうん』うなずいて、一分で『反抗期だからねえ』とつぶやいて何が悪いのか。息子が反抗期で毎日つらいのはわかるが、あんたの“地”のほうがよっぽどつらいよ。『意見はいらない!』なら地蔵に向かって話せ、と思う私は甲斐性のなしの旦那でしょうか」(172頁)

「意見はいらない!」
これを読んだ同じ頃、職場にお客様の奥方が来社されました。女性同僚に娘さんとの軋轢のことを長々話し、解決策を求めていない、ただ共感が欲しいと訴えたのを横で聞いていて、印象的でした。後で、同僚に、女性はそうなん?と聞いたら、そうだと言う。
女性は問題解決よりも、共感を求める。既婚の、賢い男性にとっては自明なことなのかもしれませんが、私には初耳でした。

男性脳は問題解決型、女性脳は共感型、というのがもし本当ならば、女性の学者や物書きだって例外ではないのかもしれません。少なくとも、男性と比べて、その傾向が強いのではないか。これまでエッセイやコラムやブログを読んできた女流について改めて考えてみると、思い当たる節がない訳ではありません。
彼女たちは、真実や真理よりも、自分の文章への共感の方が優先なのかもしれません。

3.男女と真理探究

男性は問題解決を求め、女性は共感を求める。
これは、全く当たっていないのでしょうか、それとも、当たっているけれども、学問やエッセイやブログに関しては女流も問題解決を優先するのでしょうか、それとも、それは当たっていて、学問その他の分野でも、女性にとって共感が第一で、問題解決は二の次なのでしょうか。

『妻のトリセツ』の著者は真理を追究して、男性脳は問題解決型、女性脳は共感型、との結論に達したのでしょうが、著者の意図はともかく、その説は女性よりも男性の方が真理探究に適していることを、図らずも示してしまったように思います。

ポリコレ旋風によって、当分の間、学問の世界は女性学者の数が増えるでしょうが、たいていの分野で、真理の探究を担うのは、これまで同様、今後も男性の学者だろうと思います。

折々の婚活

1.年上のひと

超もてない男いけまこは、今年殆んど彼女いない歴61年を迎えました。
「殆んど」には、見えも含まれています。
結婚相談所に入会して活動をしている訳ではありません。が、自称婚活中です。

先月20日、仕事の関係先の、訪問した時は挨拶を交わしている女子社員と会話をしていて、彼女には婚歴がなく、独身なのが判明しました。少し年下かと思いましたが、話から年上のようでした。
ひょっとしたら、彼女になって貰えるかもしれないし、結婚もできるかもしれない!
狂喜しました。

彼女も私も、老母と二人で暮らしていますし、何れ同居できそうだし、その他の条件を考えても、相性が良いように思えました。
今月2日、自身の携帯番号を記し、また彼女の番号を尋ねる内容の紙片を手渡しました。近くで見る彼女は、優しそうな顔をしていました。この人に決めた!

その夜彼女から、ショート・メールが来ました。翌日も、彼女とメールを交わしました。でも、メールでは複雑な話はできないし、もどかしいので、翌々日彼女が帰宅する時間を見計らって、メールを送りました。

「電話をしたいのですが、何時頃可能ですか。ややこしい話ではありません」

彼女の方から、間もなく電話がかかってきました。
同年輩の、独身の女性が身近にいて、寂しくないし、結婚する意思はないとのことでした。彼女は三つ年上でした。

今年二敗目。
断られることに慣れてきたせいか、泣きませんでした。

生来ぐうたらですし、先月20日から、連休中もずっと彼女のことばかりを考えていたし、酒量は増えたし、まだ後遺症は残っています。
なので、本来のブログは全然進んでおりません。

2.歩くひと

いつ頃からか、朝近くのバス停で降りて、職場の前を歩いて通勤している女性に気づきました。姿からして、四十代後半くらいに思われます。

自称婚活中の身としては、彼女のことが気になっていました。
歩く姿は背筋が真っすぐでしたが、足取りが弾んだ感じではないので、少し生活に疲れているのだろうと勝手に解釈していました。バツイチかなにかで、夫も彼氏もいないかもしれない!
少し先の、病院か保育園に勤めているのかなあ。

ある日、バスが停留所を発車した後、歩道の辺りに用事がある振りをして、歩く彼女に声をかけてみました。

「お早うございます」
「お早うございます」

「どこまでですか」
「駅まで行きます」

病院や保育園が職場ではありませんでした。もう少し先の駅まで歩いて、電車に乗るらしい。

「職場はどこですか」
「〇〇です」

〇〇は遠いですし、さらに電車を乗り継いで行かなければなりません。

「それは大変ですね」
彼女は少し笑って、歩いて行きました。

その翌日から、彼女を見なくなりました。
出勤日は不定期らしくて、それまでにも見かけない日がありましたし、靴によっては音がしなくて、前を通るのに気がつかない日もあったので、あまり気にしませんでした。

翌週、発車した後、職場の前を通り過ぎるバスを遠くから眺めていて、中に彼女の姿があるのを発見しました。近くのバス停で降りるのを止めたんだ。通勤は、電車を止め、バスだけにしたようです。

通勤経路を変える予定の前日に、偶然私が声をかけたのか、それとも変なオジサンを避けたのか。

(歩くひとは、「二敗」には含まれておりません)

なぜ私は立花隆氏に興味がないか

1.立花隆氏に興味がない

今年4月30日、急性冠症候群のため、ジャーナリストでノンフィクション作家の立花隆氏は亡くなられたそうです。
立花氏は、ベストセラー作家であり、「三万冊を読み百冊書い」たという博識の人であり、知の巨人と称せられました。私も僅かですが、『中核VS革マル』、『日本共産党の研究』や『精神と物質』を読みました。
しかし、世間で持ち上げられるほど、引かれませんでした。

当ブログの最初の記事「はじめまして」に、「(後期)清水幾太郎氏、福田恒存氏、山本夏彦氏、渡部昇一氏を特に尊敬しております」と書きましたが、私にとって、立花氏は彼らに匹敵する著者だとは思えませんでした。
氏には、余り興味がありません。なぜでしょうか。
立花氏がノンフィクション作家で、私が評論家好みだからでしょうか、あるいは、氏と政治的立場が異なっているからでしょうか。
どうもそれだけではないように思います。

2.理系的・文系的

<過去に誰も知らなかった(言っていない)、新しい真理を発見した人物が、最も偉大な知性である>
これは、いわゆる理系でも、文系でも同じでしょう。ただ、理系と文系とでは、研究の対象が違うために、表出の形態も違ったものになります。

理系の対象は自然です。そして、自然を対象とする科学や技術は日進月歩なため、常に最新が追い求められます。民主党政権時代、スーパーコンピューター開発の予算を巡る攻防の際に、蓮舫議員が「世界一になる理由は何があるんでしょうか? 2位じゃダメなんでしょうか?」と言ったそうですが、世界中の研究者は真理に真っ先に到達することを目指して鎬を削っています。ノーベル賞を受賞するのも、真理を最初に発見した人のみです。

一方、<新しい真理を発見した人が、最も偉大な知性である>という点は、文系も変わりません。が、その対象は人間です。人生、友情、恋愛、親子関係、戦争、平和・・・・それは、人類が有史以来ずっとやってきたことです。日の下に新しきことなしということわざがありますが、それらの事柄に関する重要な真理を、過去の人が既に、しかも明確に述べているかもしれません。そして、現在の人間が付け加えることができるのは、わずかな事かもしれません。

だから、理系にとって最先端は現在にありますが、その性質上、文系にとって最先端は過去にあります。理系は最新を指向し、文系は最古を指向する。
理系の、たとえば100年、200年前の論文は、科学史家以外は読まないでしょうが、文系の優れた過去の著書・文章は、千年前、二千年前であろうと現在でも読むに値します。

文系の偉大な知性とは、再読、三読に値する本を書いた人です。この点、音楽と同じです。音楽も今現在に作られたもの、今流行っているものが最も優れたものという訳ではありません。過去の作曲家の作品の方がはるかに優れた曲があります。バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ショパンは、現代でも大勢の人たちによって、繰り返し聴かれていますし、彼らの生み出した傑作が音楽の最先端です。

3.最新しかない

立花氏が対象としたのは、その当時に世間で話題となったり、問題であったりした事柄です。中核派と革マル派、田中角栄、脳死・・・・。氏は、いわば、常に最新を追求しています。一種、理系的です。しかし、それが故に、書かれたものが対象とともに古くなる可能性が高い。
立花氏は理系の研究者でもないのに、なぜ最新を求めるのでしょうか。

なるべく流行語を使わないようにしなければならないとの準則が、小説家にはあるようですが、それは新語は往々にして時が移れば死語になるので、文章はそこから古くなるからであるらしい。
同様に、立花氏の著書の場合も、専らその時代に流行した対象を扱ったが故に、そこから古くなっているのではないでしょうか。公刊当時はベストセラーだった著書も、時の経過とともに世間の関心が薄れざるをえません。

なぜ私は立花氏に余り興味がないのでしょうか。氏の著書は、ジャーナリスティックであって、再読はともかくも、三読、四読に耐ええないからだと思います。
ノンフィクション作家を志している人なら、立花氏の著書を何度も読み返し、研究する必要があるかもしれません。しかし、私たち一般人はそんな必要がありません。要するに、書かれたものが、三読四読に値するかどうかです。

ドイツの哲学者ショーペンハウアーは書いています。

「文士は流星・遊星・惑星というふうに分類できる。第一の者は瞬間的場当たりを提供する。みんなが空を仰いで『ほら、あれだ!』と叫んだと思うと、それっきり永遠に姿を消してしまうのである。惑星・遊星にあたる第二の者は、はるかに長持ちする。これは恒星に近いおかげで、ときには恒星以上に明るく輝き、素人からは恒星とまちがえられる。しかしとかくするうちに場所を明け渡さざるをえなくなり、その光というのも借り物にすぎず、その影響する範囲は同じ軌道を走っている仲間(同時代人)に限られる。彼らは動き、変化する。二、三年にいのちで一まわりするのが彼らの仕事なのだ。第三の者だけが不変で、天空にしっかりと座を占めており、自分の光をもっている。そして一時代のみならず、他の時代にも影響を及ぼす」(『随感録』、秋山英夫訳、白水社、8頁)

立花氏は巨星なのかもしれませんが、恒星ではなく、惑星なのだと思います。

桐野夏生という病

1.表現の世界 今とこれから

7月11日付朝日新聞に、「表現の世界 今とこれから」と題する記事が掲載されました。朝日の口上は以下の通りです。

「今年5月に女性として初めて日本ペンクラブ会長に就任した桐野夏生さんと、昨年、やはり女性として初めて日本文芸家協会の理事長に就いた林真理子さん。表現の世界をいまどう考えるのか、2人の作家に語り合ってもらった」

2.左翼としての桐野夏生氏

そこで、桐野氏は言っています。

「ペンクラブは表現の自由を守るために、またあらゆる戦争に反対するために、ものを書く人間たちが自ら発信していこうという団体」

「あらゆる戦争に反対するために」、ということは、自国を守るための戦争にも反対するということなので、私は同意できません。
かつて林真理子さんや中野翠さんのエッセイを読んでいた時期もありましたが、彼女たちは頭の良い人たちなので、桐野氏のように「あらゆる戦争に反対するために」などといった、不用意かつ単純な発言をするようなことはしないはずです。

林氏は、桐野氏に問うています。

「こんなことをいうと怒られちゃうかもしれないけれど、ペンクラブというと、世間では『左っぽいところね』という反応が多い。それについてはどうですか?」

それに対して、桐野氏は、

「右、左という単純な二元論ではなくて、私たちのように言葉に携わる人間が、おかしいと思うことに抗議する、声明を発信していく、ということだと思っている」

と返しています。林氏の質問への答えになっていません。

はっきり言いますが、あらゆる戦争に反対する、と言うこと自体が、左翼である証拠です。彼らは、あらゆる戦争に反対すると言いながら、ある種の戦争には反対するけれども、ある種の戦争には反対しません。正確に言うなら、あらゆる戦争に反対すると聞いて、それが本当だと信じるのがロバ左翼で、そんなのは嘘だと承知していながら、建前としてそう言うのがキツネ左翼です。キツネ派は、いつもロバ派よりも一枚上手です。
そのような次第で、左翼は社会主義国の戦争、社会主義国の核兵器、社会主義国の人権侵害には、殆んど抗議をしません。

3.ソーシャリベラル

桐野氏は、ロバなのかキツネなのかは分かりませんが、左翼だとしか言いようがありません。次の発言によって、それが明確になります。

「香港だけでなく、ミャンマー、ベラルーシと世界中でいろんな弾圧が起きていて怖い。
だから、私たちのような団体は、これから、より必要になってくるのではないでしょうか」

「世界中でいろんな弾圧が起きてい」るのに、桐野氏はなぜミャンマーやベラルーシには言及するのに、中共や北朝鮮には言及しないのでしょうか。「いろんな弾圧が起きていて怖い」のは、ミャンマーやベラルーシだけではないでしょう。というよりも、中共や北朝鮮のそれのほうが、よっぽど怖い。最近は、ウイグルでの人権侵害が報じられていますし、米欧諸国はそれを批判しています。なのに、なぜそれには言及しないのでしょうか?

桐野氏は自らの信念に基づいて発言しているのでしょうか、それとも、自らが所属する団体の空気を読んで、発言しているのでしょうか。
なぜ日本のリベラルは社会主義国の人権侵害を批判しないのか」でも述べましたが、日本のリベラルはいまだ社会・共産主義が抜け切れていないために、社会主義国批判がタブーになっているのだと思います。
そして、マスメディアも日本ペンクラブも、そのような思想傾向の人たち(ソーシャリベラル)に牛耳られている。あるいは、そのような人たちが主流派を形成している。それが、桐野発言となって表れているのでしょう。

桐野氏の発言から、<日本ペンクラブは左翼的表現の自由を守るために、また資本主義国のあらゆる戦争(自衛のためのそれを含めて)に反対するために、一方、社会主義国の全ての戦争には必ずしも反対しないために、ものを書く人間たちが自ら発信していこうという団体>のように見えます。
そして、そのような思想性が鮮明だから、「ペンクラブというと、世間では『左っぽいところね』という反応が多い」と評されるのでしょう。

4.桐野夏生という病?

当記事は、桐野夏生という病、という題名にしました。
勿論、痛風という病や癌という病はありますが、桐野夏生という病はありません。
けれども、桐野氏の発言を読んで、「ものを書く人間」にしては、発言が杜撰なので、私もそれに付き合って、少々ふざけた題名にしました。

【折々の名言】
「日本の自由で開かれたインド太平洋戦略が米国の戦略となり、いまや欧州を含めて世界の戦略となっています」(45頁)
「軍事費は負担とだけ考える人々がいるのですが、米国はあれだけ軍事費を支出していて、圧倒的な経済成長をしています。そもそも軍事費も政府の支出ですから、GDPにはプラスになる。産業は育成され、そこで培われた技術は民生移転されていく。米国がまさにその典型です。軽武装によって経済成長したという人がいますが、神話なのではないかと思います」(48頁)

月刊『Hanada』2021年8月号に掲載された、櫻井よしこ氏との対談での、安倍晋三前総理の発言です。

反米の理由

当ブログサイトは、唯一「よもぎねこです♪」をリンクに付けています。
管理人のよもぎねこさんが、6月22日に公開した記事「反米・反ヨーロッパ・反イスラエルでも中国にはダンマリ イスラム教徒の不思議」に、下記のコメントを行いました。
主として、本文中の、「イスラム教徒によるテロや暴動など、暴力行為の本質って、実は信仰でも何でもなくて、欧米やイスラエルの豊かさへ嫉妬と怨嗟じゃないですか?」の文言に対してです。

「2001年の9・11テロの後、左派や自称保守派(西部邁氏や小林よしのり氏)は、テロリストの造反有理を擁護しました。
なぜ世界から嫌われるのか、アメリカは反省しなければならない、のたぐいの言説です。
彼らの発想は、テロリストが、あれだけ大それたことをやったからには、それなりに合理的な理由があるに違いない、ということでしょう。

しかし、首謀者ビン・ラディンの発言を見ても、パレスチナ問題や、湾岸戦争を契機にアメリカがサウジアラビアに軍隊を駐留させたことなどに言及しているものの、自分たちはこのために9・11テロを実行したのだ、という決定的な理由を語っていません。
『オサマ・ビン・ラディン 発言』(河出書房新社)を読みましたが、なぜ9・11テロを行ったのか、不明です。

そもそも、彼らの行動に合理的な理由を求めること自体が間違っているのかもしれません。
9・11テロの原因は、イスラム過激派による、アメリカに対する『嫉妬と怨嗟』ではな(い)かと思います」【( )内 原文脱字】

それに対して、よもぎねこさんから返答をいただきました。一部を引用します。

「右翼にも左翼にも反米は多いのですが、しかし右派、左派関係なく反米の理由って『アメリカがデカイ顔をするのが面白くない』だけじゃないでしょうか?」

これは、反米論者の心理を、的確に衝いていると思います!

後、若干補足をするなら、左派(社会・共産主義的左派)の場合は、アメリカが資本主義世界の牙城だからでしょう。
一方、自称保守=反米保守派の場合は、なぜでしょうか。
彼らはニッポン・ネオコン(転向保守)です。冷戦終了間際もしくは冷戦終了後保守=右派に転向した、元左翼です。左翼だった時代、彼らは当然反米でした。
社会主義を信じたのは間違いだったけれども、反米に関しては正しかった!
せめて、反米に関しては一貫していることを示したい(かった)のでしょう。

戦争をしない唯一の方法

ブログを始めた2018年3月23日当日に公開した投稿、「戦争と夫婦喧嘩」に書きました。

「なぜ夫婦喧嘩は起こるのでしょうか。
夫が妻の、妻が夫の言い分を全て受け入れることができるのなら、夫婦間に喧嘩などありえません。両者の主張が対立していて、お互いに譲歩できないから起こるのでしょう。国家間の喧嘩たる戦争も同じです。一方の国が、他方の国の要求を吞めないから起こるのです。(中略)他国と戦争をしない唯一の方法は、その国の要求を全て受け入れることです」

<他国と戦争をしない唯一の方法は、その国の要求を全て受け入れること>
これは、自分の小さな発見だと思っていました。
が、最近小室直樹著、『新戦争論』(光文社、1981年刊)をパラパラ捲っていて、次の箇所を見つけました。

「いかなる事態になろうとも戦争を回避するということは、他国のどんな不合理な要求でも、最終的には受諾するということである」(79頁)

しかも、赤のボールペンで傍線を引いてある!
なーんだ、小室氏の方がずっと前に言ってて、私も読んでたんだ。

なぜ日本のリベラルは社会主義国の人権侵害を批判しないのか

1.EUと米英加による対中制裁

中共が同国内のウイグル族の人権を侵害している(宗教の自由に対する厳しい制限、強制労働の断行、収容所での大量拘禁、強制不妊手術、ウイグル人の遺産に対する破壊他)として、3月22日にEU及び米英加が一斉に対中制裁を発動しました。

アメリカは1月20日、共和党のトランプ氏に代わって、民主党のバイデン氏が大統領に就任しました。共和党は保守であるのに対して、民主党はリベラルです。トランプ政権は1月19日に、中共のウイグル族らに対する迫害に対して、ジェノサイドの認定を行いましたが、この度の対中制裁の発動は、リベラル派の大統領によってなされました。

一方わが国では、EUや米英加による制裁に同調すべきだとの意見が、保守派から発せられましたが(たとえば、「対中人権制裁 日本の不在は恥ずかしい」)、リベラルからはそのような声は上がりません。

アメリカではリベラルの大統領が制裁を呼び掛けているのに、なぜわが国のリベラルからは中共の人権侵害に対する抗議が表明されないのでしょうか。

ジャーナリストの江川紹子氏は、ツイッターで次のように書いています。

「人権問題で中国を批判する人の中には、自国等の人権問題には冷淡で、中国を非難する問題だけに熱心という人がいる。関心があるのは中国批判であって、人権ではないんだろうなあ・・・」(注)

これは、わが国のリベラル派らしい発言です。

2.日本リベラルの「出自」

アメリカは、日本や欧州とは違って、冷戦時代も有力な社会主義政党、共産主義政党はありませんでした。当時から共和党は保守で、民主党はリベラルでした。すなわち、アメリカのリベラルは、冷戦中もリベラルでした。

一方、日本は冷戦時代、社会・共産主義政党(日本社会党、日本共産党)が国会で少なからぬ勢力を有していましたし、1955年以来社会党は野党第一党でした。当時は政界のみならず、一般社会でも社会・共産主義者は多かった。

ところが、冷戦終了後、多くの社会・共産主義者たちは、徐々にリベラルへ転向して行きました。日本社会党の消滅が、それを良く表しています。そして、冷戦中からリベラルだった人たち(旧リベラル)と、冷戦後リベラルへ転向した元社会・共産主義者たち(新リベラル)が合流して、リベラル政権が誕生しました。それが、民主党政権(2009-2012)です。

現在、左派の主流派にして多数派は、社会・共産主義者ではなくリベラルです(「左翼としてのリベラル」)。けれども、アメリカとは違って、日本は過去に社会・共産主義者だった履歴を持つリベラルが多い。

今日のリベラルに、あなたは社会・共産主義を信じているかと問えば、殆んどの人たちは否定するでしょう。しかし、彼らの頭の片隅には、どうも社会・共産主義的残滓がへばり付いているように思えてなりません。

なぜそう言えるのでしょうか。
彼らは、社会主義国を批判しないからです。もし彼らが、真っ当なリベラルなら、自由や民主主義や人権や法の支配を実施していない点で、中共や北朝鮮を批判しているはずです。しかし、日本のリベラルは、社会主義国を批判しません。なぜでしょうか。冷戦時代に社会・共産主義者だった、あるいはそのシンパだったという彼らの思想的「出自」がそのような言動を取らせるのだと思います。

3.社会主義者は社会主義国を批判しない

新左翼同士とか、講座派と労農派との、その後の日本共産党と日本社会党・社会主義協会との論争とか、各国の共産党と路線を巡っての相互批判とかはあったでしょうが、日本の社会・共産主義者は社会主義国の内政に関しては、殆んど批判していないと思います。
たとえば、冷戦時代に、ソ連や中共において、人権が蹂躙されていると非難したわが国の社会・共産主義者は、どれほどいたでしょうか。

では、なぜ彼らは社会主義国を批判しなかったのでしょうか。社会・共産主義者には、次のような共通認識があったからではないでしょうか。

第一。資本主義よりも社会・共産主義は勝れた体制である。

第二。社会主義国は誕生して間もないし、いまだ発展途上にある。しかし、遠からず発達した共産主義社会が実現するに違いない。だから、今は彼らを外部から安易に批判してはならない。

第三。むしろ批判すべきは、何れ没落する運命にある資本主義社会である。だから、同体制批判に集中せよ。

もし資本主義よりも社会主義体制の方が優れていれば、第一から第三の原則も間違っていなかったでしょう。しかし、現実は違っていました。というよりも、正反対でした。
戦後、西側自由主義国は政治的にも、経済的にも発展したのに対して、社会主義国は政治的にも経済的にも停滞して、自由、民主主義、人権、法の支配の点で、あるいは国民の豊かさの点で、資本主義国にはるかに及びませんでした。

ところが、社会・共産主義者たちには、資本主義よりも社会主義社会の方が勝れているはずだとの思い込みがありました。その結果、社会主義国よりもずっと増しなのに、資本主義国は散々批判する一方、資本主義国よりもはるかに酷いのに社会主義国は批判しないという滑稽かつグロテスクな言動を行うことになってしまったのです。
人民は、東から西へ、北から南へ逃げているのに、西や南の体制よりも、東や北の体制の方が優れているに違いない!と考えたのです。

4.日本のリベラルはソーシャリベラルである

日本のリベラルが社会主義国を批判しないのは、社会・共産主義の尻尾を引きずっているからです。あるいは、元社会・共産主義者が主導権を握っている、リベラル派の言論空間の中にあって、かつて社・共主義者であったことのない人たちも、そのような空気に圧されて、社会主義国を批判するのが禁忌となっているからでしょう。

日本のリベラルは、ソーシャリストではありません。かと言って、純粋なリベラルでもない。社会・共産主義が抜け切れていないがゆえに、社会主義国を批判しない、言わばソーシャリベラル(socialiberal=socialist+liberal)なのだと思います。

5.ソーシャリベラルも社会主義国を批判しない

ソーシャリズムを引きずっているリベラルは、社会主義国を批判しません。
社会主義国が、国内で人権侵害を行っても、日本人を拉致しても、核兵器を開発しても、日本に向けてミサイルを発射しても、東シナ海で領海や領空を侵犯しても、非難しません。沈黙=黙認です。

6月2日付朝日新聞に、「ミャンマーを支援 声を上げる作家ら」という記事が掲載されました。

「ミャンマーのクーデターで国軍が権力を掌握して4カ月となった1日、作家やミュージシャン、映画監督ら67人が共同声明を発表した。日本政府に、ミャンマー軍関係者などへの制裁を求めている。この日、東京都内で記者会見を開き、ミャンマーで1カ月近く拘束され、先月帰国したフリージャーナリストの北角祐樹さんや作家の落合恵子さん、音楽評論家の湯川れい子さんらが参加した。
声明では、日本政府に制裁を求めた上で、『民主主義への道を再び回復できるような支援策をただちに講じてください』などと訴えた。声明にはミュージシャンの坂本龍一さんや、作家の瀬戸内寂聴さん、作家・クリエーターのいとうせいこうさんらが名を連ねた」

この声明に参加した文化人たちは、ウイグルでの人権侵害に対しても、同様な共同声明を発表したでしょうか。していないでしょう。なぜしないのでしょうか。
ミャンマーは軍事政権の国であるのに対して、中共は社会主義国だからでしょう。あるいは、この度の制裁を求める声明は、中共の人権侵害から世間の目を逸らせるための、あるいはそれを相対化するための援護射撃なのかもしれません。
この共同声明に参加した人たちは、ソーシャリベラルな人たちなのだと思います。

先の、江川紹子氏の発言は、次のように言い換えることができます。

「人権問題で社会主義国を批判しない人たちの中には、自国等(=資本主義国・軍事政権の国)の人権問題には熱心で、社会主義国を非難する問題だけに冷淡だという人がいる。関心があるのは、資本主義国批判=社会主義国擁護であって、人権ではないんだろうなあ・・・」

自由も、民主主義も、法の支配も実現していないし、人権も保障していない社会主義国を批判しないソーシャリベラルな人たちは、自らの思考の異様さに、どうしていつまでたっても気がつかないんでしょうか?

(注)https://twitter.com/amneris84/status/1375091119013441537

朝日新聞の値上げの弁を読んで

1.値上げの弁

6月10日付朝日新聞第一面に、値上げの通告「読者のみなさまへ 購読料改定のお願い」が掲載されました。
記録しておいた方が良いと思うので、全文を引用します。内容は下記の通りです。

「朝日新聞社は7月1日から、本紙の朝夕刊月ぎめ購読料を、現在の4037円(消費税込み)から4400円(同)に改定いたします。ご負担をお願いするのは誠に心苦しい限りですが、一層みなさまのお役に立てるよう、紙面づくりに全力を尽くします。引き続きのご愛読をお願い申し上げます。

消費税を除く本体価格の改定は1993年12月以来、27年7カ月ぶりです。

当社は、記者が一つひとつ事実を確認しながら、くらしや仕事に役立ち、日々を豊かにする情報をお伝えしようと努めています。隠れた事実を掘り起こす調査報道に力を入れるとともに、週末別刷り「be」や「GLOBE」を発行するなど紙面の拡充にも取り組んでまいりました。質の高い新聞づくりのためにシステムの投資も続けています。

購読料を据え置きつつ、良質な紙面を変わらずお届けできるよう、新聞製作の合理化、人件費や経費の節減を進めてきました。しかし、インターネットの普及で新聞事業を取り巻く環境が厳しさを増し、販売・広告収入が減る一方、製作コストは高くなっています。深刻な人手不足などで戸別配達を維持することも難しくなってきました。

新聞業界全体が同じような状況で、全国の多くの新聞社が購読料をすでに見直しています。当社も長年の経営努力が限界に達し、ご負担をお願いせざるを得ないと判断しました。

ネット上にフェイクニュースが飛び交う今、新聞の役割は増していると考えています。事実を正確に報じるという報道機関の使命を肝に銘じ、新聞を広げるのを楽しみにお待ちいただけるよう、内容とサービスを一層充実させてまいります。ご理解をお願いいたします。

なお、朝刊の1部売りは160円(現行150円)、夕刊の1部売りは60円(現行50円)といたします。                     朝日新聞社

因みに、同紙は1993年12月には約820万部だったのが、昨年8月には500万部を割ったそうです。

2.論評

いくつか、論評します。

・「ネット上にフェイクニュースが飛び交う今、新聞の役割は増していると考えています」

新聞上にフェイクニュースが飛び交う今、ネットの役割は増していると考えています、と言い換えても、そのまま通用するのが悲しい。 

・「記者が一つひとつ事実を確認しながら・・・・事実を正確に報じるという報道機関の使命を肝に銘じ・・・・」

ネットで、「吉田清治 朝日新聞」「吉田調書 朝日新聞」をキーワード検索すれば分かりますが、「記者が一つひとつ事実を確認しな」かったから、誤報が生まれたんですね。そして、そんな報道を行ってきたから、なおさら「インターネットの普及で新聞事業を取り巻く環境が厳しさを増し」たのではないでしょうか。

「お願い」では語られていませんが、新聞には報道機関としての役割とは別に、言論機関としての役割があります。朝日新聞の場合は、たとえば戦後の平和主義、冷戦時代の社会主義信仰、同時代からの歴史認識問題、そして昨今のリベラル思想の風靡まで、いつも言論機関としてのイデオロギーが、報道機関としての事実を妨害してきたのだと思います。言っても無駄なのは分かっていますが、報道を歪めるイデオロギーを払拭すべきです。

「事実を正確に報じるという報道機関の使命」を、本気で「肝に銘じ」ないなら、同紙の転落は留まることがないでしょう。 

いい加減なグーグルのアルゴリズム

1.12月4日のコアアップデート

昨年12月4日から、投稿文の検索順位が下がり出したので、どうしてかなあと思っていました。暫くして、その原因は、グーグルがコアアルゴリズムをアップデートしたからだというのが分かりました。
数少ない!わが有力記事の検索順位のことごとくを下げられ、いまやキーワード検索でヒットする投稿は、風前の灯状態です。

たとえば、当サイト「BEST」の冒頭に挙げている「それでも核兵器は廃絶できない」は、毎日見ていた訳ではありませんが、一昨年7月から昨年12月3日まで、「核兵器廃絶 不可能」でのキーワード検索でずっと1位でした。ところが、今月7日現在、10ページ目辺りにいます。その振幅の大きさは不可解です。この急速な下落から考えると、今後同記事が検索の圏外に飛ばされるのは、時間の問題でしょう。

2.現在1位の記事

現在「核兵器廃絶 不可能」のキーワード検索でのトップの記事は、「核兵器をなくすことはできるの?わたしたちにできること」です。
ところどころピックアップして論評しましょう。

・「今私がいる長崎市は、被爆地として平和を願う気持ちが強いのですが、残念ながら平和を祈るだけではなかなか世界は変わりません。
祈りの先にするべきことは、核兵器廃絶を強く願う人や『核のない世界』をめざして活動する人たちに、どうやって進んで行けばいいのかという道筋をはっきり示すこと」

同記事は、その「道筋をはっきり示」している訳ではありません。因みに、画期的な新しい兵器の開発に従事している人も、「『核のない世界』をめざして活動する人たち」なのですが。

・「大切なことは核の数ではなく、核保有国の考え方が変わること。『核兵器はいらない』『核兵器がなくても大丈夫』と各国のトップが思うことです」

「各国のトップ」がそう思うのには、それなりの条件が必要です。その条件が整わないから、「核保有国の考え方が変わ」らないのです(「それでも一」の第四節で説明しています)。

・「核兵器廃絶に有効なのは『人道的アプローチ』です。『核兵器を持つことは恥』『核兵器では人の安全は守れない』というイメージを人々の中に作っていくこと」

別に「核兵器を持つことは恥」ではありませんし、前大戦の戦勝国から今日の北朝鮮まで、「核兵器で人(国民)の安全は守れる」と確信していることでしょう。

・「生物兵器や対人地雷、化学兵器など、以前使用していた兵器について禁止条約ができていることを考えれば、核兵器が使用禁止になるのも時間の問題ではないかと思います」

国家の存立にとって不可欠ではない種類の兵器の廃絶は可能です。しかし、不可欠な種類の兵器は、それが時代遅れにならない限り、廃絶は不可能です。
また、禁止条約ができたからといって、条約に参加しない国はありますし、生物兵器や対人地雷、化学兵器も地上から姿を消したわけではありません。また、状況次第で、必要となれば各国はそれらを造るでしょう。


それにしても、これが検索1位? 内容がないよう~。
「核兵器廃絶 不可能」というキーワードでは、「不可能である」と「不可能ではない」の両方の内容の記事がヒットしてもおかしくはありません。しかし、そのキーワードなら、本来は前者がメインであるべきでしょうが、どうも後者の記事に偏重しているようです。
因みに、「わたしたちにできること」は、「核兵器廃絶 可能」でも、1位です(笑)。

3.グーグルのアルゴリズムに適切な評価は可能か

12月4日から半年に過ぎません。その短い間に、記事の評価がそんなに変わるというのは異常ではないでしょうか。もし現在の評価が適切なら、昨年12月3日までのそれが不適切だったということになります。それに、次のコアアップデートがあって、現在上位の記事が、下落するかもしれません。すると、今の評価だって怪しいということになるでしょう。
グーグルのアルゴリズムは常に向上しているのでしょうか。いつもアップデートの前の評価よりも、後の評価の方が進化しているのでしょうか?
いくら精緻に見えようとも、アルゴリズムによる評価は、隔靴掻痒でしょう。そもそもAIに、記事の適切な評価を下すことなど不可能です。

グーグルがWebサイトをを評価する基準に、「E-A-T」というのがあるそうです。Eはexpertise(専門性)、Aはauthoritativeness(権威性)、Tはtrustworthiness(信頼性)であるらしい。
その内の一つ、「権威性」とは、

「Webサイトのコンテンツを『誰が発信しているか』という観点です。たとえば、医療の情報であれば医者、法律の情報であれば弁護士が発信しているWebサイトが、権威性があるとしてGoogleに高く評価されます。
権威性はコンテンツの内容で高めることはできません。権威性を高めるためには、そのコンテンツの発信者名や会社名を開示したり、既に権威性のあるWebサイトから被リンクとして紹介されることも必要です」(注)

という。
「権威性はコンテンツの内容で高めることはできません」! そんなバナナ。
それにしても、なぜ「権威性」なのでしょうか。グーグルが記事の優劣を自分で判断できないからでしょう。自らが記事を正当に評価できないがゆえに、他の基準に頼るしかない!
本来なら、ネット上の自由競争によって、優れた記事が生き残り、劣った記事は淘汰されるのが理想です。けれども、劣った記事がしぶとく生き残るから、何らかの人為的な手段を用いて排除したい、それがゆえのE-A-Tの導入だと考えられます。しかし、E-A-Tを導入したところで、記事の優劣は判定できません。

4.それは不可能である

ガリレオ・ガリレイは、彼の時代の権威である天動説に挑戦しました。当時もし権威性を振り回すグーグルのアルゴリズムがあったなら、天文学の分野で検索上位を占めるのは、天動説だったでしょう。また、その時代にSNSがあれば、差し詰めガリレオはトランプ前米大統領のように、アカウントの停止を喰らっていることでしょう(笑)。

グーグルのアルゴリズムに、記事の正確なもしくは適切な評価は不可能です。

(注)https://www.itra.co.jp/webmedia/core-update.html

【追記】
今回は、公憤半分、私憤半分の記事になりました。

【追記2】
6月と7月にグーグルのコア・アップデートがあり、7月12日より「一は廃絶できない」は、「核兵器廃絶 不可能」のキーワード検索で、4ページ目に浮上しました。
個人的には歓迎ですが、それもやはりグーグルのアルゴリズムが、いかにいい加減であるかの証拠でしょう。
私のような、とるに足りないブログ書きでさえそうなのですから、各々の分野において、グーグルの検索順位のいい加減さに憤慨されている方は、少なくないだろうと思います。
(2021・8・17)