朝日新聞の値上げの弁を読んで

1.値上げの弁

6月10日付朝日新聞第一面に、値上げの通告「読者のみなさまへ 購読料改定のお願い」が掲載されました。
記録しておいた方が良いと思うので、全文を引用します。内容は下記の通りです。

「朝日新聞社は7月1日から、本紙の朝夕刊月ぎめ購読料を、現在の4037円(消費税込み)から4400円(同)に改定いたします。ご負担をお願いするのは誠に心苦しい限りですが、一層みなさまのお役に立てるよう、紙面づくりに全力を尽くします。引き続きのご愛読をお願い申し上げます。

消費税を除く本体価格の改定は1993年12月以来、27年7カ月ぶりです。

当社は、記者が一つひとつ事実を確認しながら、くらしや仕事に役立ち、日々を豊かにする情報をお伝えしようと努めています。隠れた事実を掘り起こす調査報道に力を入れるとともに、週末別刷り「be」や「GLOBE」を発行するなど紙面の拡充にも取り組んでまいりました。質の高い新聞づくりのためにシステムの投資も続けています。

購読料を据え置きつつ、良質な紙面を変わらずお届けできるよう、新聞製作の合理化、人件費や経費の節減を進めてきました。しかし、インターネットの普及で新聞事業を取り巻く環境が厳しさを増し、販売・広告収入が減る一方、製作コストは高くなっています。深刻な人手不足などで戸別配達を維持することも難しくなってきました。

新聞業界全体が同じような状況で、全国の多くの新聞社が購読料をすでに見直しています。当社も長年の経営努力が限界に達し、ご負担をお願いせざるを得ないと判断しました。

ネット上にフェイクニュースが飛び交う今、新聞の役割は増していると考えています。事実を正確に報じるという報道機関の使命を肝に銘じ、新聞を広げるのを楽しみにお待ちいただけるよう、内容とサービスを一層充実させてまいります。ご理解をお願いいたします。

なお、朝刊の1部売りは160円(現行150円)、夕刊の1部売りは60円(現行50円)といたします。                     朝日新聞社

因みに、同紙は1993年12月には約820万部だったのが、昨年8月には500万部を割ったそうです。

2.論評

いくつか、論評します。

・「ネット上にフェイクニュースが飛び交う今、新聞の役割は増していると考えています」

新聞上にフェイクニュースが飛び交う今、ネットの役割は増していると考えています、と言い換えても、そのまま通用するのが悲しい。 

・「記者が一つひとつ事実を確認しながら・・・・事実を正確に報じるという報道機関の使命を肝に銘じ・・・・」

ネットで、「吉田清治 朝日新聞」「吉田調書 朝日新聞」をキーワード検索すれば分かりますが、「記者が一つひとつ事実を確認しな」かったから、誤報が生まれたんですね。そして、そんな報道を行ってきたから、なおさら「インターネットの普及で新聞事業を取り巻く環境が厳しさを増し」たのではないでしょうか。

「お願い」では語られていませんが、新聞には報道機関としての役割とは別に、言論機関としての役割があります。朝日新聞の場合は、たとえば戦後の平和主義、冷戦時代の社会主義信仰、同時代からの歴史認識問題、そして昨今のリベラル思想の風靡まで、いつも言論機関としてのイデオロギーが、報道機関としての事実を妨害してきたのだと思います。言っても無駄なのは分かっていますが、報道を歪めるイデオロギーを払拭すべきです。

「事実を正確に報じるという報道機関の使命」を、本気で「肝に銘じ」ないなら、同紙の転落は留まることがないでしょう。 

いい加減なグーグルのアルゴリズム

1.12月4日のコアアップデート

昨年12月4日から、投稿文の検索順位が下がり出したので、どうしてかなあと思っていました。暫くして、その原因は、グーグルがコアアルゴリズムをアップデートしたからだというのが分かりました。
数少ない!わが有力記事の検索順位のことごとくを下げられ、いまやキーワード検索でヒットする投稿は、風前の灯状態です。

たとえば、当サイト「BEST」の冒頭に挙げている「それでも核兵器は廃絶できない」は、毎日見ていた訳ではありませんが、一昨年7月から昨年12月3日まで、「核兵器廃絶 不可能」でのキーワード検索でずっと1位でした。ところが、今月7日現在、10ページ目辺りにいます。その振幅の大きさは不可解です。この急速な下落から考えると、今後同記事が検索の圏外に飛ばされるのは、時間の問題でしょう。

2.現在1位の記事

現在「核兵器廃絶 不可能」のキーワード検索でのトップの記事は、「核兵器をなくすことはできるの?わたしたちにできること」です。
ところどころピックアップして論評しましょう。

・「今私がいる長崎市は、被爆地として平和を願う気持ちが強いのですが、残念ながら平和を祈るだけではなかなか世界は変わりません。
祈りの先にするべきことは、核兵器廃絶を強く願う人や『核のない世界』をめざして活動する人たちに、どうやって進んで行けばいいのかという道筋をはっきり示すこと」

同記事は、その「道筋をはっきり示」している訳ではありません。因みに、画期的な新しい兵器の開発に従事している人も、「『核のない世界』をめざして活動する人たち」なのですが。

・「大切なことは核の数ではなく、核保有国の考え方が変わること。『核兵器はいらない』『核兵器がなくても大丈夫』と各国のトップが思うことです」

「各国のトップ」がそう思うのには、それなりの条件が必要です。その条件が整わないから、「核保有国の考え方が変わ」らないのです(「それでも一」の第四節で説明しています)。

・「核兵器廃絶に有効なのは『人道的アプローチ』です。『核兵器を持つことは恥』『核兵器では人の安全は守れない』というイメージを人々の中に作っていくこと」

別に「核兵器を持つことは恥」ではありませんし、前大戦の戦勝国から今日の北朝鮮まで、「核兵器で人(国民)の安全は守れる」と確信していることでしょう。

・「生物兵器や対人地雷、化学兵器など、以前使用していた兵器について禁止条約ができていることを考えれば、核兵器が使用禁止になるのも時間の問題ではないかと思います」

国家の存立にとって不可欠ではない種類の兵器の廃絶は可能です。しかし、不可欠な種類の兵器は、それが時代遅れにならない限り、廃絶は不可能です。
また、禁止条約ができたからといって、条約に参加しない国はありますし、生物兵器や対人地雷、化学兵器も地上から姿を消したわけではありません。また、状況次第で、必要となれば各国はそれらを造るでしょう。


それにしても、これが検索1位? 内容がないよう~。
「核兵器廃絶 不可能」というキーワードでは、「不可能である」と「不可能ではない」の両方の内容の記事がヒットしてもおかしくはありません。しかし、そのキーワードなら、本来は前者がメインであるべきでしょうが、どうも後者の記事に偏重しているようです。
因みに、「わたしたちにできること」は、「核兵器廃絶 可能」でも、1位です(笑)。

3.グーグルのアルゴリズムに適切な評価は可能か

12月4日から半年に過ぎません。その短い間に、記事の評価がそんなに変わるというのは異常ではないでしょうか。もし現在の評価が適切なら、昨年12月3日までのそれが不適切だったということになります。それに、次のコアアップデートがあって、現在上位の記事が、下落するかもしれません。すると、今の評価だって怪しいということになるでしょう。
グーグルのアルゴリズムは常に向上しているのでしょうか。いつもアップデートの前の評価よりも、後の評価の方が進化しているのでしょうか?
いくら精緻に見えようとも、アルゴリズムによる評価は、隔靴掻痒でしょう。そもそもAIに、記事の適切な評価を下すことなど不可能です。

グーグルがWebサイトをを評価する基準に、「E-A-T」というのがあるそうです。Eはexpertise(専門性)、Aはauthoritativeness(権威性)、Tはtrustworthiness(信頼性)であるらしい。
その内の一つ、「権威性」とは、

「Webサイトのコンテンツを『誰が発信しているか』という観点です。たとえば、医療の情報であれば医者、法律の情報であれば弁護士が発信しているWebサイトが、権威性があるとしてGoogleに高く評価されます。
権威性はコンテンツの内容で高めることはできません。権威性を高めるためには、そのコンテンツの発信者名や会社名を開示したり、既に権威性のあるWebサイトから被リンクとして紹介されることも必要です」(注)

という。
「権威性はコンテンツの内容で高めることはできません」! そんなバナナ。
それにしても、なぜ「権威性」なのでしょうか。グーグルが記事の優劣を自分で判断できないからでしょう。自らが記事を正当に評価できないがゆえに、他の基準に頼るしかない!
本来なら、ネット上の自由競争によって、優れた記事が生き残り、劣った記事は淘汰されるのが理想です。けれども、劣った記事がしぶとく生き残るから、何らかの人為的な手段を用いて排除したい、それがゆえのE-A-Tの導入だと考えられます。しかし、E-A-Tを導入したところで、記事の優劣は判定できません。

4.それは不可能である

ガリレオ・ガリレイは、彼の時代の権威である天動説に挑戦しました。当時もし権威性を振り回すグーグルのアルゴリズムがあったなら、天文学の分野で検索上位を占めるのは、天動説だったでしょう。また、その時代にSNSがあれば、差し詰めガリレオはトランプ前米大統領のように、アカウントの停止を喰らっていることでしょう(笑)。

グーグルのアルゴリズムに、記事の正確なもしくは適切な評価は不可能です。

(注)https://www.itra.co.jp/webmedia/core-update.html

【追記】
今回は、公憤半分、私憤半分の記事になりました。

差別と人間観察

1.人文・社会科学の基礎

一般的に言って、自然科学は自然が研究の対象であり、人文科学、社会科学は人間がその対象です。学問が細分化し、また技術的になっているためにあまり意識されませんが、人文・社会科学の基礎には人間観察があるべきでしょう。
当ブログでは、広義の政治を扱っていますが、政治もまた人間が行っていることなので、その研究(私は学者ではないので、研究というよりも観察に過ぎませんが)の基礎には、政治における人間性の探求があって当然でしょう。

人間観察とは、自己と他者の観察です、とりわけ自己観察です。自己観察とは、自己の心と行動の観察です。
私たちは他人の心を直接知ることはできません。なので、自己の心を覗いて、他者の心を推し量ります。

私の心はこうである。
私は人間である。
故に、人間の心は(他者の心も)こうであろう。

行動についても同じです。

私の行動はこうである。
私は人間である。
故に、人間の行動は(他者の行動も)こうであろう。

2.エドマンド・バークの名言

いわゆるモラリストと呼ばれる著述家たちがいます。モンテーニュ(1533-92)やラ・ロシュフコー(1613-1680)といった人たちが、それに相当します。彼らは、「人間の行動や振舞い全般を省察」しました。人間観察家と言って良いでしょう。
彼らの著書が今でも読み継がれているのは、読者が自らを省みて、彼らの述べていることに、思い当たる節があるからです。
モラリストたちが、

私の心はこうである。
私は人間である。
故に、人間の心は(他者の心も)こうであろう。

と考えなかったなら、彼らの作品は生まれていなかったでしょう。

さて、エドマンド・バークの名言に、次のようなものがあります。

「人はだれでも、他人の不幸や苦痛を見ると、小さからぬ喜びを感じるものである」

バークが自身を観察して、「他人の不幸や苦痛を見ると、小さからぬ喜びを感じ」たからこそ、他者も同じだろうと推量して、「人はだれでも・・・・」と書いたのでしょう。
他人の不幸は蜜の味、というバークの名言と同じ意味の言葉がありますが、自己観察を行えば、不本意ながらも、そのような心の動きがあるのを認めざるをえません。

ところが、それを認めないといったタイプの人たちがいます。
曰く、「他人の不幸を喜ぶのは不謹慎だし、自分はそんなことはしない」(「『他人の不幸は蜜の味』は科学的に証明済み」より)などと綺麗事を言う。
彼らは、自身の負の感情の存在を認めません。そのような人たちは、自らの内心を見る勇気を持たない人たちです。そして、そのために、彼らは、ある種の政治的な問題になると、途端に「正義派」になります。

3.反差別主義者

たとえば、差別が問題になると、彼らは直ちに反差別主義者に変貌します。

自己観察を行う人は、

私には差別意識がある。
私は人間である。
故に、人間には(他者にも)差別意識があるだろう。

あるいは、

私は時に差別的言動を行うことがある。
私は人間である。
故に、人間は(他者も)時に差別的言動を行うことがあるだろう。

と考えますが、自己観察を行わない人たちは違います。彼らの思考は、下記の通りです。

私には差別意識はない。
人間には差別意識がある人とない人がいる。
故に、後者は前者を矯めなければならない。

あるいは、

私は差別的言動を行わない。
人間には差別的言動を行う人と行わない人がいる。
故に、後者は前者を矯めなければならない。

「矯める」とは、差別的言動を行ったとされる人物を、メディアやSNS上で、反省を促し、反省の言葉を要求し、反省しなければ、するまで糾弾し、袋叩きにすることです。

反差別主義者は、差別をしない人たちなのでしょうか。勿論、違います。彼らだって差別はします。ただ、自己観察が足りなくて、自分の差別意識の存在に、自分の差別的言動に気づいていないだけです。要するに、自分が行っている差別に対して鈍感なだけです。その癖、他者の差別的言動には敏感に反応し、批判の叫び声を上げる。

2018年の『新潮45』8月号に掲載された杉田水脈議員の論文「『LGBT』支援の度が過ぎる」や、今年2月の東京五輪・パラリンピック大会組織委員会会長(当時)森喜朗氏による「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかります」とのいわゆる女性蔑視発言に対するバッシングは、それを良く表しています(もっとも、杉田氏や森氏の発言が、本当に「差別的言動」に当たるかは疑問ですが)。


自己観察が不十分で、自分は潔白だと信じているから、あんなに苛烈に他者を非難できるのです。自分も潔白ではないかもしれないと、多少なりとも疑いを持つなら、あんなに手酷く他者を非難できないでしょう。
反差別主義者は、常に自己を棚に上げて他者を批判する。

ラ・ロシュフコーは『箴言』に書いています。

「過ちを犯す人々をたしなめる場合、出しゃばるのは、親切よりはむしろ、高慢である。そしてわれわれが過ちを犯す人々を戒めるのは、彼らの過ちを矯めるためでもあるが、それよりは、われわれが過ちなど犯す人間ではないことを、彼らに信じさせるためだ」(『箴言と考察』、内藤濯訳、岩波文庫、24頁)

反差別主義者があんなにも激しく「被疑者」を非難するのは、自己の潔白証明のためなのでしょう。

しかし、いくら否定しようとも、反差別主義者だって差別意識はありますし、また差別的言動だって行います。だから、差別意識も、ひいては差別もなくなることはないでしょう。

中国の覇権国化は許さない

1.台湾の明記

4月17日、菅首相とバイデン大統領の会談がホワイトハウスで行われました。会談後、メディアのニュースで話題になったのは、「台湾の明記」です。
共同声明には、「日米両国は、台湾海峡の平和と安定の重要性を強調するとともに、両岸問題の平和的解決を促す」(4月17日付朝日新聞)との文言があります。
日米の共同文書に「台湾」が明記されたのは、1969年の「佐藤栄作首相とニクソン大統領の共同声明以来、52年ぶりとなる」(同前)とのことです。

中共が核心的利益だと見做す台湾を、しかも半世紀以上日米は公的に言及できなかったのに明記したこと、それも親台湾的な共和党ではなく、親中共的な民主党の大統領によってなされたのは意外でした。

2.「中国」の明記

台湾の明記が話題になりましたが、共同声明を読んで気づくのは、もう一つの明記です。すなわち、「中国」のそれです。

・「自由で開かれたルールに基づく国際秩序への挑戦」
・「経済的なもの及びその方法による威圧の行使を含む、ルールに基づく国際秩序に合致しない中国の行動について懸念を共有した」
・「日米両国は、東シナ海におけるあらゆる一方的な現状変更の試みに反対する。日米両国は、南シナ海における、中国の不法な海洋権益に関する主張及び活動への反対を改めて表明する」
・「日米両国は、台湾海峡の平和と安定の重要性を強調するとともに、両岸問題の平和的解決を促す。日米両国は、香港及び新疆ウイグル自治区における人権状況への深刻な懸念を共有する」

台湾よりも、むしろ中共の、しかもその負の側面に関する記述の方がずっと多い。

3.対中包囲

一方、共同声明には、次のような箇所もあります。

「日米両国は、皆が希求する、自由で、開かれ、アクセス可能で、多様で、繫栄するインド太平洋を構築するため、かつてなく強固な日米豪印(クアッド)を通じた豪州及びインドを含め、同盟国やパートナーと引き続き協働していく」

3月12日には初の日米豪印(テレビ)首脳会談が行われましたし、3月22日にはウイグル族に対する深刻な人権侵害が続いているとして、EU、米、英、加がそろって対中制裁を発動しました。

これらのことを考え合わせると、アメリカとファイブアイズ(米英加豪新)、EU、日韓(?)台、ASEAN、インドなどの、米国の「同盟国やパートナー」が、中共の覇権国化阻止という認識でおおよそ一致し、対中包囲網を形成しようとしているように見えます。
そのスローガンは、<中共の覇権国化は許さない>、ではないでしょうか。
私の希望的観測でしょうか。

4.朝日節

4月17日付朝日新聞の「素粒子」欄からの引用です。

「米中衝突は日本の悪夢だ。
集団的自衛権などに基づく対米支援を求められ、
中国の攻撃対象になる可能性がある。
      ◎
対話によって、緊張が危機に転じる前にその芽を摘む。それが日本の役割だ。単なる米国追従では国民は守れない」

相変わらずの、朝日節です。進歩しない進歩主義者の発想丸出しです。

「米中衝突」を避けるための、対米協調です。
中共の敵が多ければ多いほど、その力が強ければ強いほど、同国は事が起こせないわけですから。

ディープ・ステートという概念

ディープ・ステート(deep state)とは、ある人にとっては金融資本家であり、ある人にとってはアメリカの高級官僚であるらしい。

A氏にとってはaがディープ・ステートであり、B氏にとってはbがそれに相当し、C氏にとってはcが・・・・。
ということは、ディープ・ステートという言葉は同じでも、論者が語っているいるのは同一の概念・対象ではないということです。オカマという言葉で、A氏は「穀物や食料品を加熱調理する際に火を囲うための調理設備」(wiki)としてのかまど(竈)のことを語り、B氏は男性同性愛者のことを語っているようなものです。それは、論理学で言うところの、多義の虚偽(fallacy of equivocation)でしょう。
異なる概念を論じて、同一の認識に達しうるのでしょうか?

世界を陰で操る人たちがいて、それが誰なのかを論者が究明しようとしているのなら分かります。もしそうだとしたら、それが誰なのかを巡って、論者の間で激烈な論争が繰り広げられてもおかしくありません。しかし、妙に静かです。誰がディープ・ステートに該当するのかを明確にすることに、論者はあまり関心がないようです。
彼らは、その概念を曖昧にしたまま、あれこれ語っています。

幽霊を見たという人たちが集まって、しかし、自分たちが見たものが同一のものなのかという確認(検証)をしないまま、脚がなかったとか、首が長かったとか、一つ目しかなかったとか話して、盛り上がっているようなものでしょう。

ディープ・ステートについてある人は、某氏のブログのコメント欄で、発言しています。

「まあ、巷で言う『陰謀論』の悪役です。その存在を信じるか信じないかは、〇様のご判断にお任せします」

その存在を信じるか信じないかを、読者の判断に任せる?
ディープ・ステートというのは、(社会)「科学」が研究対象とすべき概念ではなく、何らかの信仰の領域に関する概念のようです(笑)。

私が、いわゆるディープ・ステート論者の言うことがナンセンスだと思う理由は、第一、その概念の内包と外延が不明確であること、そもそもそれを明確にしようという発想が彼らにはないこと、第二、彼らは、ディープ・ステートはこれにもそれにも、あんなことにも関わっている!と述べるけれども、その証拠を全く示さないことにあります。

【関連記事です】
「ディープ・ステートという陰謀論」
「暗殺の理由?」

自分のペースで

2018年3月にブログを始めてから、3年が経ちました。

途中何度か休止しましたし、止めてしまおうと考えたこともあります。

これまで、おおよそ週に1本公開を原則にしてきました。が、自分にとってハイ・ペースなのと、殆んど読まれていないブログで、はたしてそのような義務を自己に課すことに意味があるのか疑問に感じてもいました。
熟慮した結果、週1公開原則を放棄することにしました。

これからは、自分に適した、もっと緩やかなペースで書いて行こうと思います。
月に3つ、2つ、1つ、場合によっては公開なしの月もあるかもしれません。

宜しくお願い致します。

なぜ今対中制裁なのか ウイグル族の人権が理由か

1.EUと米英加による対中制裁

3月23日付朝日新聞から引用します。

「欧州連合(EU)は22日、中国でウイグル族に対して深刻な人権侵害が続いているとして、中国当局者らへの制裁を発動した。中国政府や当局者の責任を問う制裁は1989年の天安門事件以来。米国も歩調を合わせる形で同日、当局者2人への制裁を発表した」

イギリスとカナダもそれに同調し、米英加3カ国は、「結束して、ウイグル族など少数民族への抑圧をすぐに停止するよう中国政府に要求する」(3月24日付朝日新聞)との共同声明を発表しました。さらに、23日オーストラリアとニュージーランドも、同様の声明を発したそうです。

2.少数民族への抑圧はこれまでにもあった

中共政府によるウイグルやチベットに対する抑圧は、今に始まったことではありません。前世紀からそれは行われてきました。
ダライ・ラマ14世が中共から亡命、インドに逃れたのは1959年のことです。そして、彼はいまだ亡命中の身です。ということは、中共のチベットやウイグルに対する抑圧は、それ以前から今日まで、ずっと続いているということです。

それなのに、EUや米英加が今頃になって!ウイグル族の人権に関して、中共に制裁を科したのはどうしてでしょうか。彼らに対して行われている「恣意的な施設収容や強制的な避妊・中絶、移動の制限、強制労働、信教の自由の侵害など」(3月31日朝日新聞夕刊)が最近になって強化されたからなのでしょうか。

アメリカは、冷戦時代はソ連に対抗するため、中共と手を結びましたし、2001年の9・11の後は、イスラム過激派との対テロ戦のため、やはり中共の協力を必要とし、同国内の人権には目を瞑りました。けれども、ロシアやイスラム過激派の脅威がそれほどでもなくなり、米欧等は中共の人権を問題にし始めたのでしょうか。

EUは米英加が参加しなくとも、制裁を発動したでしょうか。それとも、米英加と話をつけた上で制裁に踏み切ったのでしょうか。恐らく、後者でしょう。この度の制裁は、アメリカ主導ではないでしょうか。

3.なぜ今なのか

では、なぜ今になって中共に対して、制裁を行うのでしょうか。

「覇権国の論理」に書きました。

「18、19世紀の世界における覇権国イギリスと20、21世紀の覇権国アメリカの行動基準は、<自国の覇権を脅かすもの、自国に取って代わろうとするものは潰せ>、ではないでしょうか」

バイデン米大統領は、3月25日ホワイトハウスでの就任後初の記者会見で、米中関係について、「これは21世紀における民主主義国家と、専制主義国家の有用性をめぐる闘いだ」(3月27日付朝日新聞)と述べましたし、「バイデン氏は中国との競争に勝つためには、①米国の労働者や科学技術分野への投資を拡大②欧州や日米豪印(クアッド)など同盟国・友好国との関係強化③中国国内で起きている人権弾圧に対し、世界各国の注意を喚起一を実行して行く考えをしめした」(同前)そうです。

ウイグル族に対する人権侵害は許さない、というよりも、中共がアメリカの覇権に取って代わろうとするのは許さないという(暗黙の?)コンセンサスが、ファイブ・アイズ(米英加豪新)とEUの間にできたからではないでしょうか。

ウイグル族の人権を出汁に、中共の覇権国化を阻止しようというのが、米欧の真の狙いではないか、というのが私の仮説です。

戦争と核兵器と人類の滅亡

有史以前から人類はずっと戦争を続けてきました。

しかし、人類は滅亡していません。

世界終末時計というのがあって、ウィキペディアによれば、それは「核戦争などによる人類の絶滅を『午前0時』になぞらえ、その終末までの残り時間を【0時まであと何分(秒)】という形で象徴的に示す(中略)時計」のことです。
しかし、核戦争によって人類が絶滅するようなことがありうるでしょうか。

将来どこかの国で核兵器が使用されるかもしれません。けれども、たとえ使用されたとしても、その後戦争も核兵器もなくなることはないでしょう。すなわち、核兵器の実際の使用によって人類が全滅することはないでしょう。

その証拠に、これまで人類は絶え間なく戦争をしてきましたし、核兵器も使用されましたが、世界の人口は増加し続けています。

世界の人口の増加が止まった時までが人類の歴史の上り坂(前半)で、それ以降が下り坂(後半)かもしれません。

戦争や核兵器によっては、人類は滅亡しません。
滅亡するとしたら、それら以外の原因によってだろうと思います。

何が原因で人類が滅亡するかは分かりませんが、絶滅した時、終末時計の針は、きっと午前0時を指していないでしょう。

なぜならば、私たちは、自らの絶滅を予知できないだろうからです。

保守主義的経済学などない

戦前の右翼は、国家社会主義を掲げていました(注)。
二・二六事件は国家社会主義者北一輝の影響を受けていますし、ナチスは正式名称が国家社会主義ドイツ労働者党です。

因みに、コトバンクの国家社会主義の項目によれば、

「資本主義社会の矛盾を国家の手によって解決しようとする思想と運動。階級闘争によって社会問題を解決するという思想を否定し、国家の干渉によって社会主義的要求の一部を実現しようとするもの・・・・」【百科事典マイペディアの解説】
「国家の手によって社会主義(厳密には社会政策)の実現を図ろうとする思想ならびに運動を意味する」【日本大百科全書(ニッポニカ)の解説】

とあります。

では、現在の右翼は国家社会主義を標榜しているでしょうか。
中には、そういうズレた右翼もいるかもしれませんが、殆んどはそれを否定するでしょう。
なぜ戦前は肯定で、戦後は否定なのでしょうか。
元々右翼は固定的な経済思想を持っていません。たまたま国家あるいは国際(国家=右翼、国際=左翼)社会主義が当時の流行思想であり、それを用いればより良き社会が実現できると考えたからでしょう。
右翼はその時々によって、最も適当だと考える経済思想をプラグマティック(実利的)に選択しているだけです。右翼的経済学というようなものはありません。

実は、この点保守派も同じです。保守にだって、固定的な経済思想、保守主義的経済学などというものはありません。彼らもまた、その時代に即した経済思想をプラグマティックに選択するだけです。
ということは、同じ右翼、同じ保守派だからといって、経済思想に関する立場が同じだとは限らないということです。

では、左派はどうでしょうか。左翼的経済学というものはあるでしょうか。あるとも言えるし、ないとも言えます。
冷戦時代の左派の多数派にして主流派は、マルクス主義者でした。そして、周知の通り、マルクス主義経済学、社会主義経済学というものはあります。

しかし、冷戦後、時間が経過するにつれて、左派の多数派にして主流派は、社会・共産主義者からリベラル派へ移行しました。それでは、後者には、リベラル流経済学というものはあるでしょうか。ありません。
リベラルも、右翼や保守と同様、その時代に適切だと考えられる経済思想をプラグマティックに選択するだけです。

マルクス派には固定的な社会主義経済学というものはありますが(もっとも、解釈の違いによって様々な流派があるでしょうが)、右翼にしろ保守にしろリベラルにしろ、特定の経済思想はありませんし、ということは政治的立場が同じだからと言って、それに対する意見が一致するとは限らないということです。

新自由主義だとか、グローバリズムだとかの言葉を時々見かけます。そもそも各々の概念が多義的かつ曖昧ですが、それはともかく、新自由主義に賛成か反対か、グローバリズムに賛成か反対かということと、政治的立場の左右とは無関係です。

もし関係があるという人物がいるとすれば、彼の論法は次のようなものでしょう。

私は保守(リベラル)である。
私は、新自由主義(グローバリズム)に反対(賛成)である。
故に、新自由主義(グローバリズム)に賛成(反対)する者は、左派(右派)である。

福田恒存氏はあらゆることを論じたけれども、経済は語らなかったと誰かが書いていたのを読んだ記憶がありますが、経済思想には最新しかありません。ということは、時代が変われば古くなるということです。
次の時代になれば反故になってしまうようなことを論じなかった福田氏は、賢明だったと思います。

(注)
国家社会主義者は社会主義=統制経済を主張しているから、左翼だと言う人もあります。私が尊敬する渡部昇一氏もそのように主張しています。しかし、それは誤解です。右翼が、その時代にたまたまそのような経済思想的立場を選択しただけです。なので、国家社会主義は左右のどちらなのかと言えば、やはり右翼です。

都合の良い右派について

「都合の良い右派」といったタイプの論客がいます。
都合の良い、とは左派にとって都合が良いという意味で、左派にとって都合の良い右翼、左派にとって都合の良い保守といった種類の人たちのことです。

左派の論客が右派を批判するよりも、右派の論客に同じ右派を批判させる方が、インパクトがありますし、右派の内部に動揺を与えることができます。右派の間にクサビを打ち込むことができる。あるいは右派同士を対決させて、同士討ちを狙った方が、一挙両得だとの思惑もあるでしょう。
毒をもって毒を制す、ならぬ右派をもって右派を制すという左派の戦略です。

そのような左派の思惑を知ってか知らでか、出演や寄稿や出版のために左派メディアへのこのこ出かけて行く右派がいます。
左派であれ、右派であれ、多くの論客は世間で話題になりたい、もてたいとの欲求があります。だから、たとえば、「朝まで生テレビ」なんかに出演して頑張るのでしょうし、中には社会で黙殺されるよりも増しだということで、自らの政治的立場とは異なるメディアからお座敷がかかれば、進んで出かけて行くような論客もあるでしょう。

また、右派内部の対立があったりすとすると、右派雑誌で形勢不利となった側が、左派メディアへ走り、そこで相手を批判するようなこともあります。

その他、右派論客が、左派の読者に自身の主張を直接訴えようと、あるいは左派メディアの論調を変えてやろうとの意気込みで?同メディアに乗り込んでいく場合もあるでしょう。
しかし、変わるのは、当の右派論客の論調で、左派メディアのそれではありません。

左派メディアの誘いに乗った右派論客は、見事に左傾しています。
右派メディアよりも左派メディアの方が、出演料や原稿料が高いのかもしれません。左派メディアによるハニー(honey)・トラップならぬ、マニー(money)・トラップで転んだ、とは言いませんが、彼らが思想的に転んでいるのは事実です。

右派の真贋を見分ける重要な指標の一つは、右派は左派に嫌われてナンボ、だということです。左派に持ち上げられるような右派は、まがい物だと考えた方がいい。左派メディアに登場する右派論客は信用しない方がいい。
以前にも書きましたが、福田恒存氏は「私は朝日新聞に對して非『書く』三原則を守つてゐるんです。つまり、『取らず、讀まず、書かず』(笑)」と発言していますし、渡部昇一氏の文章が、同紙に掲載されることはありませんでした。

右派内部で対立があり、たとえ孤立するようなことがあろうとも、寂しさに耐えかねて、左派メディアに走ったりしない、それがまともな右派の矜持だと思います。