台湾と勢力均衡

ー勢力が均衡しているよりも、不均衡の方が平和な場合もありうるー

1.中共の台湾侵攻?

中共による台湾侵攻の可能性が、取り沙汰されています。

台湾クライシス 有事の可能性はどこまで高まっているのか?」というネット記事は、「2021年は中国軍が台湾に侵攻する可能性が現実味を持って論じられた年だった」と、書き始められています。
ただ、「中国軍は1979年の中越戦争以降、本格的な実戦を経験していない。空母や陸戦隊の運用経験も乏しい。中国の新兵器に関しては、多くの専門家が性能を疑っている」とのことで、「現時点では米軍の介入を排除して、台湾に大規模な上陸作戦を実行する能力を中国軍が持っているとは言いがたい」という結論です。

中共による台湾侵攻の可能性については、昨年三月に、デービッドソン米インド太平洋軍司令官(当時)が、上院の軍事委員会公聴会で、「6年以内に危機が明らかになる」と語ったそうですし(1)、十一月にはミリー統合参謀本部議長は、「1~2年以内は侵攻はないとの見方を示した」ものの、一方、「将来的に習指導部が武力統一を選択する可能性を示唆した」(2)そうです。
また、ブリンケン国務長官は、十二月に、「中国が台湾に侵攻すれば、『多くの人々にとって恐ろしい結果になる』」、また、「『中国の指導者が慎重に考え、危機を引き起こさないことを期待している』と語った」(3)そうです。

(1)https://www.jiji.com/jc/v4?id=20211231taiwancrisis0001
(2)https://www.sankei.com/article/20211104-5EQBHKZQUNNU5P266ZX6QVWZCU/
(3)https://www.asahi.com/articles/ASPD446Q1PD4UHBI00K.html

2.勢力均衡とは

勢力均衡(バランス・オブ・パワー)とは、「国際政治において1国また1国家群が優越的な地位を占めることを阻止し、各国が相互に均衡した力を有することによって相対的な国際平和を維持しようとする思想、原理」、あるいは、「国家間の勢力が釣り合った状態。また、それによって、国際間の平和を維持し、自国の安全を確保しようとする国際政治上の原理または政策」(コトバンク「勢力均衡」)とされます。

もっとも、高坂正堯氏(1934-1996)は、『国際政治』(中公新書、1966年刊)に書いています。

「勢力均衡というものは明確に定義することはできない。なぜなら、力というもの自体が捉えにくい漠然としたものだからである」(25頁)

それはさておき、勢力均衡が正しいのなら、中共による台湾への侵攻の可能性が語られる今、中共及びその同盟国と、台湾を含めたアメリカとその同盟国の勢力が釣り合っている方が、平和に資するということになります。
しかし、それは正しいでしょうか。そのような状態は、東アジアの平和を維持するのに、適切なのでしょうか。

3.米中の均衡は平和に資するか

高坂氏は、同著に書いています。

「実際の均衡が安定するのは、より有利な立場にあるものがその立場を濫用して有利さを優越に変えようとせず、不利な立場にあるものがあえて挑戦しないという場合にほほかぎられるのである」(28頁)

もし中共が、「より有利な立場にある」アメリカに挑戦しなければ、台湾を巡って、米中間に戦争は起こらないでしょう。しかし、中共がアメリカに挑戦したとしたら?台湾に関して、核心的利益だと考える中共が、アメリカに対して、今後も「あえて挑戦しない」と言い切れるかでしょうか。

先の記事(1)の中で、香田洋二元海将は、語っています。

「米国と事を構えたら、被害が大き過ぎる。しかし、習氏が明確に目標を示した以上、台湾統一を目指す動きがないと考えるのは間違いだ。(中略)米国が動かない状況であれば、中国は台湾を取れる。(中略)しかし、米国が本気で阻止に動けば、できない。(中略)『米国が出てこない、出てきても対応できる』と思ったときに中国軍による台湾侵攻はあり得る」

台湾を含めた米国とその同盟国(米プラス)の力が、中共とその同盟国の力(中プラス)よりも、はるかに優越していれば、中共は台湾に手が出せないでしょう。しかし、両者の力が均衡していたら?
当然のことながら、両者の力が均衡している方が、「米国が(中略)出てきても対応できる」と、中共が考える可能性が高くなります。ということは、均衡している方が、戦争の可能性も高まるということです。

4.不均衡平和論

それらのことを考え合わせると、米プラスの力<中プラスの力の場合が最も危険で、米プラスの力=中プラスの力の場合も余り安全とはいえません。米プラスの力>中プラスの力の場合が、一番台湾海峡の平和に資するということになります。

台湾海峡に限らず、国際社会は、勢力均衡の状態よりも、むしろ道徳諸国の力が、非道徳諸国の力を凌駕している時、平和で、安全なのではないでしょうか。
道徳諸国とは、自由、民主主義、人権、法の支配という価値を実現している国家のことです。一方、非道徳国家とは、それらの価値を実現していない国家のことです。要するに、道徳国家とは、自由諸国のことです。
そして、自由諸国の力が、非自由諸国の力よりも明確に優位にある時、一般的に言って、国際社会は安全なのではないでしょうか。

安倍晋三元総理は、雑誌『Hanada』2022年2月号の櫻井よしこさんとの対談で、「『戦域』と『戦略域』、二つに分けて考えることが重要です」と語っています(58頁)。前者は、「台湾や尖閣諸島があるこの戦域」、後者は「全世界的」な範囲という意味です。安倍氏は、「この戦域では中国が相当優勢になっていますが、地球すべてをカバーする戦略域において、つまり核弾頭の数において米国が圧倒していれば、たとえ戦域で優位に立ってもやめておこうということになる」(59頁)、と発言しています。
自由諸国は、対中共に関して、戦略域では圧倒、戦域でもせめて均衡を目指すべきでしょう。

自由諸国は結束すべきですし、日本はアメリカやその他の自由諸国と協調すべきです。
ファイブアイズ+クアッド+NATO諸国+台湾>中共となった方が、中共は台湾に手が出せないし、台湾近辺の平和を維持できるでしょう。

最近ロシアによるウクライナへの侵攻が憂慮されていますが、問題は、もしそのような事態が現実化した場合、アメリカは二正面に対処できませんし、自由諸国の東アジアにおける関心が希薄に、そして軍事的プレゼンスも手薄になって、中共が冒険的行動にでるかもしれません。そのような時が危ういでしょう。

ウクライナは元々ロシアの勢力圏であるし、NATOの東方拡大は、ロシアに脅威を与えます。また、自由諸国の力にも限りがあります。なので、力が及ばない地域の問題に関与するのは、ほどほどにすべきだと思います。

【折々の迷論】
冷戦時代に、次のような珍妙な勢力均衡的発言を行う人がいました。

「中国とアメリカの『友好関係』が回復したことは、中国もソ連封じ込め陣営の一員になったとも解釈されるから、ソ連にとっては非常に苦々しいことである。もしそうなら、このような事態に際しては、日本は逆にアメリカとの間の距離を少しひらくように心掛け、中立化の傾向を強化して、米ソ間の緊張度を下げるよう努力すべきでなかろうか。このようなことをすれば、もちろん表面的には、日米の仲は悪くなるだろう。しかしその結果、米ソ関係が改善されるのなら『日米離間』は日本の防衛に貢献し、真の意味の『日米友好』を推進する筈である。必要な場合には、アメリカを激怒させてでも、日本が米ソの関係を改善するのに主要な役割を演じるというのでなければ、日本は真の意味のアメリカのパートナーでありえない」(森嶋通夫著、『自分流に考える』、文藝春秋、1981刊、131ー132頁)

「このような事態に際しては、日本は逆にアメリカとの間の距離を少しひらくように心掛け」たら、「表面的」ではなく、本質的に「日米の仲が悪くなる」でしょう。
勿論、その時は、日ソ関係は改善されるかもしれませんが、米ソ関係は改善されません。

また、日本が「アメリカを激怒させ」たなら、後者は前者の言うことを信用しなくなるでしょうから、「日本が米ソの関係を改善するのに主要な役割を演じる」ことはできませんし、そうなれば、「日本は真の意味のアメリカのパートナーでありえ」ません。

『非武装中立論』を読む

1.総評

石橋政嗣著、『非武装中立論』(社会新書、1980年刊)を再読しました。
著者の石橋氏(1924ー2019)は、日本社会党の書記長、委員長を務めた政治家です。

まずは、総評から。
総評といっても、本書中に出てくる「社会党・総評ブロック」のそれ(日本労働組合総評議会)ではなく、「全体にわたっての批評」(広辞苑第五版)のことです。

本書の題名は、『非武装中立論』ですが、それをどのように実現するかに関する記述は極くわずかで、殆んどは憲法改正や国防力の整備または強化を阻止しなければならないということを、述べているだけです。

以下、所々引用しながら、論評しましょう。

2.安全保障に絶対はない

・「安全保障に絶対はない、あくまでも相対的なものにすぎない、われわれは、非武装中立の方が、武装同盟よりもベターだと考えるのだ」(64頁)
・「安全保障に絶対ということはないのです。こうしたら、日本は絶対に安全などというものはないのです」(76頁)
・「安全保障に絶対はないということであります」(192頁)

「安全保障に絶対はない」との記述が、いくつも出てきます。
書いた内容に、あるいは非武装中立論の正しさに自信がないのでしょうか。

それにしても、「安全保障に絶対はない」のだとしたら、非武装中立は絶対に正しいとは言えないということになりますし、武装同盟も絶対に間違っているとは言えないということになります。
非武装中立は絶対に正しいとは限らないという認識で、彼ら流の、平和への戦いを進めることができるのでしょうか。
それにしても、非武装中立論者や憲法九条教信者は、石橋氏のこのような文言に同意できるのでしょうか。

3.嘘その一

・「なぜ非武装中立なのか。(中略)まず第一の理由として、周囲を海に囲まれた日本は、自らが紛争の原因をつくらない限り、他国から侵略されるおそれはないという点を指摘したいと思います。これは歴史的にも明らかなことであり、日本の場合はほとんどすべてがこちら側の侵略によって、戦争がはじまっているのです。現在においても、わが国には、社会主義国を敵視し、米軍に基地を提供している安保条約の存在を除けば、他国の侵略を招くような要因はなにもないのであります」(64-65頁)

「日本の場合はほとんどすべてがこちら側の侵略によって、戦争がはじまっているのです」と言いますが、ほとんど=すべて、ではありません。
実際に、「自らが紛争の原因をつくらな」くても、「他国から侵略される」ことがあったのは、元寇を挙げれば良いでしょう。「これは歴史的にも明らかなことで」す。
また、「現在においても」、「自らが紛争の原因をつくらな」くても、「他国から侵略されるおそれ」があるのは、尖閣諸島における中共公船の動きを見れば、「明らかなことで」す。
その他、ロシアとの北方領土問題や韓国との竹島問題は、わが国が「自らが紛争の原因をつく」ったから起こったのでしょうか?

現在の東シナ海や南シナ海での中共の振舞いを見れば、「米軍に基地を提供している安保条約の存在を除」くことは、かえって「他国の侵略を招くような要因」となるのは明らかでしょう。

4.嘘その二

・「この三十五年間、少なくとも日本が戦争の当事国となることなくやってこれたのはいったい誰のお蔭なのか。(中略)日本社会党を中心とする護憲勢力の存在に負うところ大なのであります」(41頁)

日本社会党は、1996年1月に解散しました。しかし、それ以降も、「少なくとも日本が戦争の当事国になることなくやってこれ」ています。
とするならば、「日本が戦争の当事国になることなくやってこれたのは」、「護憲勢力の存在」はともかく、少なくとも、日本社会党とは何ら関係がなかったということになります。

それなら、「護憲勢力の存在」があれば、「日本が戦争の当事国となること」はないのでしょうか。
朝鮮戦争前韓国に、平和憲法と「護憲勢力の存在」があったなら、北朝鮮による南侵はなかったでしょうか。あるいは、イラク戦争前、同国に平和憲法と「護憲勢力の存在」があったなら、アメリカはイラクを攻撃しなかったでしょうか?

5.嘘その三

・「日本国憲法は決して一時的な感情の産物ではなかったはずです。長い、苦しい体験を経て、ようやく掴んだ日本国民の英知が生んだもの」(15頁)
・「憲法草案が誰の手によって書かれたものであろうと、生まれた憲法が、日本国民のものであることに一点の疑いもありません」(同前)
・「日本国憲法は、最初から国会で審議をし、圧倒的な多数の賛成を得て制定されているのですから」(16頁)

「憲法草案が誰の手によって書かれたものであろうと」とありますが、それが他国によって書かれたものであれば、「日本国民の英知が生んだもの」とは言えません。

「日本国憲法は、最初から国会で審議をし(以下略)」は、もし憲法制定時に日本に主権があったのなら、この文言は正しいでしょう。しかし、わが国(民)に主権がなかった時に制定された憲法です。なので、「生まれた憲法が、日本国民のもので」ない「ことには一点の疑いもありません」。

・「われわれは、(中略)この日本国憲法を、非武装・絶対平和の憲法を、世界の憲法たらしめんと野心に燃えているわけです」(77頁)

まったく夜郎自大な言説ですが、こういう発言を聞くと、戦後のいわゆる平和主義者こそ、戦前八紘一宇(全世界を一つの家にすること)を叫んだ人たちの正嫡だと思わざるをえません。

6.嘘その四

・「現実に社会主義国は増えることはあってもまだ減ったことはないのです。これからもますます増えていくことでしょう」(184頁)
・「中国が資本主義に戻るという道であります。(中略)果たしてそういうことが実際にあり得るかというと、私は絶対にないと思います」(184-185頁)
・「いつの日にか必ず中ソが手をとり合う時期が来るということになります。(中略)中ソが和解するということは、世界中の社会主義国が一つになるということです」(185頁)

これらの主張は、何れも現実によって、反証されました。
「世界中の社会主義国が一つになるということ」はありませんでしたし、わが国でも日本中の社会主義者が一つになるということもありませんでした。中ソならぬ、石橋氏が所属した社会党と共産党が、一つになるということもありませんでした。
いまや、世界に社会主義国は数か国です。この先、社会主義国は減ることはあっても、増えることはないでしょう。

三つ目の引用文の後は、次のように続きます。

「これが日本にとってどんな大きな意味をもっているか、何の説明もいらないのではないでしょうか。日本の支配階級がいちばん恐れているのはその時じゃないかと思います。できればそんな時が来ないようにしたい。来るとしても、できるだけ先に遠のかせるようにしたい、そう念じながら、手を変え品を変え手を尽くしているのじゃないかと私には思えます。また、そうなったときには、何としても権力を失わないですむように、ファッショ化の道を選ぼうとしているのではないかとも思えてならないのです」(185-186頁)

わが国の、いわゆる「支配階級」は、自らが支配階級に属しているとの自覚があるのでしょうか。中には、そのような自覚がある人もいるかもしれませんが、彼らだって世の中が自分たちの思い通りにならないと慷慨していることでしょう。そして、そのような支配階級が「ファッショ化の道を選ぼうとしている」! そのような兆候がありましたか?
全く社会認識がズレています。このような認識の人たちの集まりだったから、日本社会党は消滅せざるをえなかったのだと思います。

7.征服者に対する抵抗

・「もちろん、われわれとても、軍事力による抵抗をしないからといって、何をされても、すべてを国連に委ねて無抵抗でいるといっているわけではありません。相手の出方に応じ、軍事力によらない、種々の抵抗を試みるでろうことは必然であります。それは、デモ、ハンストから、種々のボイコット、非協力、ゼネストに至る広範なものとなるでありましょう」(70頁)

非武装中立政策を実施した結果、日本が征服国に併合された場合、「軍事力によらない、種々の抵抗」は、できるのでしょうか。「デモ、ハンストから、種々のボイコット、非協力、ゼネストに至る広範なもの」は起こるでしょうか。
それらは、できないし、起こらないでしょう。

国民の中には、侵略者に協力し、阿り、彼らの支配の下で出世しようとする者が必ず現れます。そして、協力者は非協力者の「種々の抵抗」を妨害しますし、非協力者を職場から追放し、彼らの糧道を断ちます。そのようにして、心情的に非協力者に惹かれる者も、次第に口を噤んで行きます。
なので、「デモ、ハンストから、種々のボイコット、非協力、ゼネストに至る広範なもの」は、殆んど起こりません。実際、大東亜戦争後の米占領下で、そのようなことが起こったでしょうか?起こりませんでした。

というよりも、同占領下、征服者に最も抵抗しなかった人たち、征服者に最も迎合した人たち、そして、その末裔こそ、占領憲法や東京裁判史観の信者たちでしょう。そのような者が、「相手の出方に応じ、軍事力によらない、種々の抵抗を試みるであろうことは必然であります」などと言う。笑止です。

8.「非武装中立」へのプロセス

同書「第二章 非武装中立と自衛隊」の中に、「『非武装中立』へのプロセス」との小見出しがあります。そこで、石橋氏は言っています。

「われわれの政権が、引き継いだ自衛隊と安保条約を、どのような<過程>を経て解消し、非武装と中立を実現しようとするのか、それを明らかにすることが、当面の問題としてはいちばん重要であるということを率直に認め、その道筋を明らかにしたいと思います」(80-81頁)

と述べつつ、

「自衛隊についていうならば、われわれは、最低つぎの四つの条件を勘案しながら、これを漸減したいと考えています」(81頁)

と。
その「四つの条件」とは、第一、「政権の安定度」、第二、「隊員の掌握度」、第三、「平和中立外交の進展度」、第四は、「国民世論の支持」であるという。
そして、

「縮小される自衛隊の規模や装備は、どのような段階を経るのか、最終目的としての非武装に達するのには、どの程度の期間を必要とするのかという問題ですが、それはいずれも明確ではありません。
四つの条件を勘案しながら縮減に努めるという以上、何年後にはどの程度、何年後にはゼロというように、機械的に進める案をつくるということは、明らかに矛盾することであるばかりか、それこそ現実的ではないのではないでしょうか。
重要なことは、どんなに困難であろうと、非武装を現実のものとする目標を見失うことなく、確実に前進を続ける努力だということです」(84頁)

しかし、四つの条件は、いつ整うのでしょうか。もし、それらが百年後、千年後、万年後も整わなければ、自衛隊の縮減はできないということです。
石橋氏は、ぬけぬけと書いています。「最終目的としての非武装に達するのには、どの程度の期間を必要とするのかという問題ですが、それはいずれも明確ではありません」!
いつ非武装が実現できるか不明だと言っている!
核兵器廃絶論者同様、非武装中立論者も、それがいつ実現できるのか示しえません。何れできるに違いないと言い張っているだけです。オレオレ詐欺ならぬイズレイズレ詐欺でしょう。
そして、四つの条件が整わない内に、非武装中立を掲げた日本社会党の方が、先に消滅してしまいました(笑)。
やっぱり、詐欺だったんですね。

9.専守防衛

専守防衛とは、「第二次世界大戦後の日本の防衛戦略の基本姿勢であり、防衛上の必要があっても相手国に先制攻撃を行わず、侵攻してきた敵を自国の領域において軍事力を以って撃退する方針のこと」であるらしい。

その専守防衛について、石橋氏は書いています。
「日本が本当に専守防衛に徹するというのであれば、これからの戦争は一〇〇パーセント、われわれの国土のなかで行われるのであり、(中略)だからこそ、私たちは軍事力を否定しているのです」(70-71頁)

専守防衛について、石橋氏と同じ認識に立ちながら、全く反対の結論を導き出すことは可能です。
「日本が本当に専守防衛に徹するというのであれば、これからの戦争は一〇〇パーセント、われわれの国土のなかで行われるのであ」るから、それを避けるために、専守防衛は放棄されなければならない。だからこそ、私たちは軍事力を肯定しているです、と。

石橋氏の言論の中には、このように、逆立ちさせると正論になるような主張が散見されます。

10.逆立ちさせたら正論

・「軍事力を必要だと認めれば、有事立法を認めるのは当然だということになるからです。軍隊を持ち、軍事力で対処するといいながら、有事立法の必要はないなどというのはおよそ馬鹿げた話です。有事に際して、軍隊が最も効果的に活動できるようにするために、法体系を整備すること、あるいは軍の活動を支える全国家的総動員態勢をとるために、法律を作ったり改正したりする必要があるというのは、軍備を認める限り当たり前のことなのです」(189頁)

・「軍事同盟は本来双務的なものですから、アメリカの来援を確実なものにするためには、日本もアメリカの戦争には参加するという態度を明確にしなければならないのではないかという問題」(61頁)

・「日本の軍事力だけでは国を守ることはできない。したがって、いざというときにはアメリカの来援に期待するという。それならば、日本もアメリカの戦争にたいして、日本は関係ないなどということを言うのは、絶対に許されないのだということを知らなければならないのです」(197頁)

最後の引用文の「絶対に許されない」かどうかはともかく、これらは正論でしょう。
もっとも、石橋氏は、だから軍事力の保持も、日米安保にも反対の立場なのですが。
石橋氏の、逆立ちさせたら正論な議論を読んでいると、この人は本音は武装同盟派だけれども、日本の軍事大国化?を抑制するために、自らは信じていない非武装中立論者を演じていたのではないかと、ふと思えたりするのですが。

11.暴挙?

・「一九八〇年八月一八日の、『わが国領空の警察行動を行っている航空自衛隊の迎撃戦闘機に、同日以降、空対空誘導ミサイルの実弾を装備することにした』という防衛庁の発表です。そして翌一九日には、引き続き矢田海上幕僚長も『有事即応態勢を強化するため、来月ごろから、海上自衛隊の艦艇や対潜哨戒機に実弾魚雷の積み込みを始める』と述べているのです。(中略)いままで何の不都合もなかったにも拘らず、なぜ急に実弾を装備しなければならないのでありましょう。(中略)実弾魚雷を常時搭載するという暴挙を敢て行なおうとしているということであります」(21-23頁)

普通のまともな国の軍隊なら、実弾を装備しているのは当然です。むしろ、していない方が「暴挙」ならぬ愚挙です。
日本の軍隊が実弾を装備していなかったということは、そして、「いままで何の不都合がなかった」ということは、それまではアメリカが日本を守っていたということです。つまり、実質的に、米占領下にあったということです。

非武装中立論及びその法的表現としての憲法九条は、米占領下という特殊的かつ期間限定的に、わが国で咲いた徒花です。
その支持者たちは、それを全く理解していません。

12.終わりに

・「軍事力によらず、いかなる国とも軍事同盟を締結せず、あらゆる国々と友好的な関係を確立するなかで、攻めるとか攻められるとかいうような心配のない環境をつくり出し、国の安全を確保しようという憲法の考え方を実践することこそ、まさに時代の先端を行くものであります」(40頁)

いわゆる、お花畑な主張です。
良い年をした大人の男が、真顔でこんなことを言ってるのが、信じられません。


日英同盟終焉とその教訓

1.総説

黒野耐氏は『戦うことを忘れた国家』(角川書店、<角川oneテーマ21>、2008年刊)に書いています。

「(一九)十七年七月に第一次世界大戦が勃発すると、日本は英仏露などの連合国側に立って参戦しましたが、彼らが求めた陸海軍主力の欧州派兵には応じることなく、大戦に忙殺されている間隙を突いて、極東における権益の拡大に奔走しました。一方、アメリカは総力戦の死命を制する兵站庫として連合国を支え、一七年一〇月になると陸軍を派遣して(最終的には二百万人の兵力を投入)、連合国の勝利に大きく貢献しました。
イギリスには、日本との同盟よりもアメリカとの提携がはるかに大きな利益となりました。そのアメリカから日本との二者択一を迫られたイギリスは、日本を切り捨てなければならなくなり、日英同盟は終焉したのです」(164頁)

なぜ日英同盟は終わったのか。黒野氏が指摘している通りでしょう。
ただ、この記述を読んで、同盟が終焉した理由を実感できない人も、少なくないのではないでしょうか。日米のある種の数字を比較することによって、それが納得できるようになると思われます。

2.投入兵力と戦死者数

上記には、アメリカの投入兵力は記述されていますが、日本のそれは書かれていません。

ウィキペディアの記述から、改めて、日米の投入兵力を見ましょう。
ウィキの「第一次世界大戦」によれば、参戦国アメリカの兵力は474万3826人に対して、日本は80万人です。日本はアメリカの六分の一ほどです。しかし、わが国の80万人の中身は、「極東における権益の拡大に奔走し」た、たとえば支那の青島や膠州湾を攻略し、あるいは南洋諸島をドイツから奪った戦いでの兵の数も含まれているでしょう。
重要なのは、極東の権益の拡大以外にどれだけ兵力を割いたかです。

一方、私は投入兵力ではなく、戦死者数に着目しました(「同盟国の義務、あるいは両大戦の教訓について」)。
それを見ると、日米の貢献の差が歴然とします。第一次世界大戦におけるアメリカの戦死者数は11万6708人であるのに対し、日本はわずかに415人です(注)!

投入兵力と戦死者数の、欧州地域と、それを含めた世界全体での内訳は不明ですが、投入兵力はともかく、戦死者数を比べれば、日米の貢献度は一目瞭然です。しかも、当時日英は同盟関係にあったのに対し、米英は同盟関係にありませんでした。その後、イギリスが日本よりもアメリカをとったのは、当然でしょう。

因みに、当時イギリス帝国に属していたとは言え、日本同様、主要な戦場となった欧州に位置しない諸国の戦死者数は、オーストラリア6万1966人、カナダ6万4976人、ニュージーランド1万8052人です。英国と同盟関係にあったわが国のそれと比べても、格段に多い。しかも、それらの国の人口は、日本よりもずっと少なかったのです。

第一次世界大戦で、日本が戦力の出し惜しみをしたのは明白です。
そのために、戦後イギリスとの同盟を断ち切られ、当時の世界のメイン・ストリームから外れました。

こういうと、中には、犠牲者をたくさん出せばよかったのかと反発する人もあるでしょう。しかし、その結果が、第二次世界大戦における戦没者三百万人!となって表れたのだと思います。

3.Too little, too late

同盟国の命運をかけた戦いにおいて、兵力および犠牲の出し惜しみしたから、同盟関係を断ち切られ、その後の戦争において、それをはるかに上回る犠牲者を出す羽目になった。それが、日英同盟終焉とその教訓だと思います。

ところが、そういう歴史の教訓がありながら、第二次大戦後の日本は相変わらず、それらの出し惜しみを続けています。
湾岸戦争(1991・1・17~2・28)において日本は、資金協力が小出しだった=遅かったこと、しかも資金協力ばかりで、人的貢献がわずかだったため、Too little, too lateと蔑まされました。また、湾岸戦争後クウェートが米紙に広告を出し、解放に貢献した国々に感謝の意を表明しましたが、その中に日本は含まれていませんでした。
要するに、第一次大戦でも日本の貢献は、Too little, too lateだったのです。

4.メイン・ストリーム

現在世界のメイン・ストリームはどこの国々なのでしょうか。
ファイブ・アイズ(米英加豪新)とEU・NATOでしょう。そして、メイン・ストリームの諸国は、今中共の人権侵害を批判していますし、その覇権国化を阻止しようとしています。
言うまでもなく、メイン・ストリームの中心はアメリカであり、そして、日米は同盟関係にあります。とするなら、わが国もメイン・ストリーム諸国と協調すべきでしょう。

第一次世界大戦と第二次世界大戦の結果、わが国が得た教訓は、
第一、世界のメイン・ストリームから外れてはならない。
第二、メイン・ストリーム諸国との協調においては、Too littleであっても、Too lateであっても、ましてや、 Too little, too late であってはならない、
だと思います。

(注)
日本の戦死者数については、300人とする説もあります。
・「戦争による国別犠牲者数-人間自然科学研究所
・衛藤瀋吉他著、『国際関係論 第二版』、東京大学出版会、1989年、7頁

戦争をしない唯一の方法

ブログを始めた2018年3月23日当日に公開した投稿、「戦争と夫婦喧嘩」に書きました。

「なぜ夫婦喧嘩は起こるのでしょうか。
夫が妻の、妻が夫の言い分を全て受け入れることができるのなら、夫婦間に喧嘩などありえません。両者の主張が対立していて、お互いに譲歩できないから起こるのでしょう。国家間の喧嘩たる戦争も同じです。一方の国が、他方の国の要求を吞めないから起こるのです。(中略)他国と戦争をしない唯一の方法は、その国の要求を全て受け入れることです」

<他国と戦争をしない唯一の方法は、その国の要求を全て受け入れること>
これは、自分の小さな発見だと思っていました。
が、最近小室直樹著、『新戦争論』(光文社、1981年刊)をパラパラ捲っていて、次の箇所を見つけました。

「いかなる事態になろうとも戦争を回避するということは、他国のどんな不合理な要求でも、最終的には受諾するということである」(79頁)

しかも、赤のボールペンで傍線を引いてある!
なーんだ、小室氏の方がずっと前に言ってて、私も読んでたんだ。

覇権国の論理

18、19世紀の世界における覇権国イギリスと20、21世紀の覇権国アメリカの行動原則は、<自国の覇権を脅かすもの、自国に取って代わろうとするものは潰せ>、ではないでしょうか。

イギリスは英蘭戦争でオランダを潰し、覇権を維持しました。
アメリカも、第二次世界大戦で独日を潰し、冷戦でソ連を潰し、冷戦後は経済的に脅威となった日本を潰し、そして今、中共を標的にしているのだと思います。

このように言うと、イギリスもアメリカもあくどい国のような印象を受けますが、必ずしもそうではありません。米英のような覇権国が、自由で民主的な体制の国であったのは幸いでした。
もっとも今後の世界で、自由や民主主義、人権や法の支配を保障しない国は、一時的に覇者になったとしても、各国から異議申し立てや反抗が起こり、長期的に覇権を維持するのは困難でしょう(だから、中共は長期的な覇権国にはなりえません)。

自国に取って代わろうとするものは許さない、という覇権国の原則の是非はともかく、というよりも、その是非を論じるのは無意味なので、事実は事実として認め、その時々の置かれた状況により、日本は自国の舵取りを考えれば良いのだと思います。
すなわち、現在はアメリカ側について、独裁主義国家中共の覇権国化を阻止すべきでしょう。

百年後か二百年後、アメリカがBLMやANTIFAのような極左に乗っ取られ、自由や人権等がない国になる一方、支那が共産党一党独裁の体制を脱し、自由で民主的な国になり、そのような米支が世界の覇権を争うことになったなら、その時は支那と同盟を結び、アメリカを潰すことを考えれば良いのだと思います。

【追記】
独裁主義国が長期的に覇権を保持するのは無理だとしても、一時的に覇権を握る可能性はあります。そして、それは国際社会の災厄です(10月9日)

戦後平和主義への痛撃

福田恒存氏は戦後十年目の昭和三十年、雑誌『文藝春秋』6月号に「戦争と平和と」と題する論文を寄せています。
世がいわゆる戦後平和主義の潮流にある中で、そして戦後七十五年経った今でも、そこに浸り続けている中で、福田氏はその風潮とは無縁でした。それは、以下の言説で明らかです。
ところどころ引用しましょう(『平和の理念』、新潮社、昭和四十年より)。

・「私が自分の人間觀、文化觀にもとづいて、戰爭と平和とをどう考へてゐるか、まづそのことを書いてみませう。
私はこの人間社會から戰争は永遠になくならないと信じてをります。ある雜誌のインターヴューで、さう答へましたら、あまりにショッキングであり、反動的だといふ理由で沒になりました。文字どほり、私は理解に苦しむ。私に關するかぎり、すでに言論の自由がおびやかされてゐるやうです」(75頁)

(笑)。
戦後平和主義に取り付かれた人たちは、このような主張を見るだけで、表情が強張ってしまうのでしょう。

・「進歩主義の歴史觀からいへば、シーザーだのアレクサンダーなどといふ英雄は、民衆の命など藁しべほどにもおもつてゐない、支配者は自分の野心のため、平氣で民衆を犧牲にするといふことになつてゐるらしい。そんなばかな話はないので、かれらも、またかれらに支配されてゐた民衆も、戰爭と平和との相關關係をよく呑みこんでゐたでせうし、平和の贈物を實らせるために戰爭をしたり、戰爭をしなかつたりしてきたのです」(76頁) 

わが国の、天下統一を目指した過去の武将たちだって、泰平の世を実現するために戦争をしたのでしょう。
反権力を掲げる左派メディアや文化人たちは、「進歩主義的歴史觀」に囚われているから、安倍晋三前首相のように、戦後平和主義という迷信の埒外にある政治家に対して、病的なまでに嫌悪し、批判的な言辞を弄するのだと思います。

・「原水爆であらうと惡魔であらうと、生まれてしまつたら、もうどうにもならないのです。あと私たち人間のできることは、さらにそれをおさへる強力なものの發明あるのみです」(78-79頁)

これも、戦後平和主義者あるいは核兵器廃絶論者には認めがたい主張でしょう。でも、認めがたかろうが、真実は真実です。

・「力の政治は力によつてしかおさへられません」(79頁)

有史以来、国際社会で繰り広げられているのは、「力の政治」です。話し合いによる平和とか外交による平和とかは、補助的な役割しか担っていません。主従を見誤っているのが、戦後平和主義者の特徴です。

・「ここ十年の平和を顧みて、じつさいそれが維持できたのは、ソ聯のためとも、平和論のためともいへない、アメリカの力もその大きな役割をなしてゐることは否めません。ソ聯とアメリカの武力が、原水爆が、平和を維持してきたのです」(85頁)

ここ七十五年の、日本の平和を顧みて、実際にそれが維持できたのは、憲法のためとも、戦後平和主義のためとも言えません。中共公船の尖閣侵入をみても明らかですが、自衛隊とアメリカの武力が平和を維持してきたのです。

・「戰争はかならず起るといふのは、過去に示された人間性の現實を見て、さう判斷するだけのことです」(87頁)

進歩主義者=左翼は、とにかく「過去に示された人間性」を、あるいは自分の内心を見ない人たちです。

・「私は元來、日本人を平和的な國民だとおもひます。(中略)たしかに日本人は神經が細かくて、我と我との摩擦をきらふのです。が、それが戰爭をきらふ氣もちにはならない。逆説めきますが、それがかへつて人々を戰爭に驅りやるのです。かう考へられないでせうか。一家の仲間うちの爭ひを嫌ふ日本人は、仲間そとにたいして、その逆に出る。仲間うちと仲間そとを極端にわけて考へるのは、封建制の名ごりといへさうですが、そればかりではなく仲間うちの、すなはち、國内のごたごたにたへられなくて、その結果、外に向ふといふこともありえませう」(92頁)

戦前日本は、経済力においても、軍事力においても、アメリカと比較して格段の差があったのに、なぜ無謀な戦いを挑んだのでしょうか。
東条英機氏以下の指導層は、カルトの信者でもなく、鳩山由紀夫氏のようなルーピーでもなかったはずです。陸軍と海軍の葛藤のような、「国内のごたごたにたへられなくて」、対米戦に突き進んだのではないでしょうか。

対米同盟強化のすすめ

下記は、よもぎねこさんのブログ記事「子供部屋オジサンの『自主独立』 護憲派」への、私のコメントです。
今年最後のブログ記事を、他者のブログへのコメント文で代用するのは心苦しいのですが。
〔〕内は、いけまこの補足です。

〔一つ目〕
>今こそアメリカともめずに、憲法を改正し、独立国として相応しい軍事力を持つ大チャンスなのです。〔よもぎねこさん〕

その通りですね。
ところが、左翼は、そして反米保守という人たちも、それを理解しないんですね。

後者の人たちは(たとえば、西部邁氏)、アメリカとの軍事同盟の強化は、対米従属にあたる。それよりも自主防衛を目指すべきだ、と言うんですが、ママ(アメリカ)と一緒におつかい(軍事行動)にいけない子が、一人で始めて〔初めて〕のおつかいに行けるわけがありません。

アメリカと軍事行動を共にし、練習をして、「戦える国」になることが、ひいては戦争や他国による侵略を抑止することになり、結果平和がもたらされる、が王道だと思うのですが。

〔二つ目〕
>日本が勝手に武装を増強できる、と勘違いされると困りますので、念のため書いておきます。〔中略〕
>つまり、アメリカに雁字搦めにされているといったほうが早い。〔書き人知らず〕

アメリカは、最初はインドの核武装に対して否定的でした。が、その後追認に変わりました。
同様に、米国の対日軍事意識も変動しえます。

>シナ自体が、野望を隠さなくなり、太平洋をハワイを基点としてアメリカ・シナで分割統治を持ちかけてしまった。〔書き人知らず〕
そのように、いまや中共は、アメリカに追いつき、そして追い落としを狙っているのは明らかです。
しかし、米国の力は相対的に落ちている。
そこで、アメリカはどこかの国に頼らざるをえません。だから
>今こそアメリカともめずに、憲法を改正し、独立国として相応しい軍事力を持つ大チャンスなのです。〔よもぎねこさん〕

過去、アメリカが軍事力増強を要求してきた時に、日本の側が拒否してきたことが問題だと思います。
少しでも、自国にとって都合の良い増強を考えれば良かった。

アメリカの対日軍事意識を、固定的に考えるべきではないと思います。

米中対決時代にロシアはいかに振舞うか

1.米中対決時代

中華人民共和国のGDPは2010年に日本を抜き、現在米国に次いでどうどうの世界第二位です。2030年か2050年には、米国を抜き去るとの予想もあります。
また、「世界の軍事力ランキング」では、米露に次ぐ第三位です。
経済的、軍事的に力をつけた中共が自信を持つのは当然でしょう。

中共が目指しているのは、世界における米中の二極化、そして、将来的には米国の追い落としだろうと思います。

そのような中共の台頭に対して、さすがに米国も危機感を抱くようになり、副大統領ペンス氏による昨年10月4日の演説以来、中共の覇権国化を阻止しようとの意図が明確になりました。

2.ロシアと中共の蜜月?

このような情勢下で、以下のようなことが起こっています。

2018年9月、ロシア軍は軍事演習「ボストーク2018」を実施しましたが、そこに初めて中共軍が参加しましたし、今年の6月6日、ロシアにとって大した脅威ではないのに、プーチン大統領は普天間飛行場の辺野古移設について、「地元住民や知事が反対しているのに建設が進んでいる」と発言し、中共の援護射撃をしましたし、7月23日日本海でロシアと中共の爆撃機四機が合同飛行を行いました。

これ以外にも、ロシアと中共の親密さを示す事例はあるでしょう。
近年ロシアは中共寄りの姿勢を見せていますが、これは露中が固い絆で結ばれていることを意味するでしょうか。

意味しません。
近隣国同士、表面的には仲良くしているように見えるものの、実際は仲が悪い、あるいは反りが合わないという例はままあります。
ベトナムと支那、支那とインド、インドとパキスタン、そして、日本と韓国、日本と支那など。それと同様、ロシアと支那も基本的には反りが合わない国同士であるのは否定しがたいでしょう。

一方の中共はロシアの核戦力を含めた軍事力を脅威に感じているでしょうし、他方のロシアは極東における同国の人口の希薄と中共の人口の膨大のため、後者による人口侵略を警戒しているでしょう。

3.ある仮定

ある極端な仮定をしてみると、ロシアと中共の「蜜月」の度合いが明確になると思います。

もし米国と中共の間で戦争になった場合、ロシアはどう対処するでしょうか。最近の連携通り中共の側に立って、米国とその同盟国・友好国と戦うでしょうか。

戦うわけがありません。
ロシアは負ける側につくような選択はしないでしょう。十中八、九以上の確率で、ロシアは米国側に寝返るだろうと思います。反りが合わない中共と心中するはずがありません。

第二次世界大戦の前、ドイツと不可侵条約を結び、同国とポーランド分割を行ったロシアのことです。あるいは、終戦間際の1945年8月9日、日ソ中立宣言を破って日本に攻め込んできたロシアのことです。
米中戦争が起これば、ちゃっかり米国側に寝返って、中共の領土のいくばくかを掠め取ると予想するのが自然でしょう。

逆に考えるなら、ロシアと中共が蜜月を演出している間は、米中戦争の可能性は低いだろうと思います。
なので、私は、ロシアと中共の連携はあまり心配しておりません。それはどこまでいっても、蜜月ではなく蜜月の演出にすぎないのですから。

もっとも、「十中八、九以上の確率」と書きましたが、わずかに露中が組めば米欧日他に勝てると考える冒険主義者が現れないとも限りません。
そこで、万全を期すために、トランプ氏も安倍氏もロシアを自分たちの陣営に引き寄せようとしているのではないでしょうか。

米欧日露対中なら、さすがに中共の首脳だって、勝てるかもしれないとは考えないでしょうから、戦争の可能性は限りなくゼロ%に近くなります。

4.もっと寄こせ

では、ロシアと中共はなぜ連携しているのでしょうか。
両者とも味方が少なくて孤独だからでしょう。
中共は覇権国化を目指して、米国の反発を買っていますし、ロシアはクリミア、セバストポリの併合で欧米から経済制裁を喰らっていて、いまだに解除されていません。
要するに、敵の敵は味方ということで、結びついているだけでしょう。彼らは強者グループ(米国及び同盟国・友好国)に対する弱者連合です。

ロシアが強者グループに対して暗に求めているのは、経済制裁の解除を含めて、「もっと寄こせば、そっちよりの姿勢を示すよ」ではないでしょうか。

そもそもウクライナも、クリミアも、セバストポリも、元来はロシアの勢力圏です。
そこを巡って、欧州はロシアと本気で事を構える勇気と能力があるのでしょうか。ただアメリカの威を借りて、強がっているだけではないでしょうか。ロシアに対する経済制裁もほどほどにすべきだと思います。

むしろ対中を意識して、ロシアを取り込もうとしているトランプ大統領や安倍首相の方が大局が見えているのではないでしょうか。
もっとも、欧州にとっては、中共の脅威よりも、ロシアの脅威の方が切実だから仕方がないのかもしれませんが。

【追記】
「中共」と「支那」を使い分けています。
共産化している支那が中共で、共産化していないのが支那です。中共が支那になれば、凶暴性がかなり和らぐと思うのですが。それは、希望的観測でしょうか。

左翼と日米安保条約

1.左翼は日米安保条約に反対だった

冷戦時代、日本社会党にしろ共産党にしろ、左翼は日米安保条約に反対でした。彼らにとって、社会主義は平和勢力であり、資本主義は戦争勢力でした。そして、日本もアメリカも資本主義国でした。だから、彼らは日米安保に反対でした。
もっとも、その間「社会主義は平和勢力」との認識を裏切る事態も、少なからず発生しました。

1989年のベルリンの壁崩壊、1991年のソ連邦解体により、体制選択における社会・共産主義の敗北が明らかになりました。
1994年7月、日本社会党委員長村山富一氏は、従来の党の主張をひっくり返し、日米安保条約の堅持、自衛隊合憲を表明しました。
その後、多くの社会主義者たちはリベラルへ転向して行きます(社会党のほぼ消滅)。その結果、今日左翼の多数派にして主流派はリベラルです。社会・共産主義者は左翼の少数派に転落しました。

2.リベラルは日米安保に賛成だけれど・・・・

社会・共産主義者とは違って、リベラルは一応日米安保条約には賛成の立場です。その点では一歩前進なのですが、その内実はどうでしょうか。
リベラルの安全保障観をもっとも的確に表しているのが、8月4日付朝日新聞の社説「日米安保を考える 9条との両立に価値がある」です。
題名を見て分かるように、リベラルは日米安保と憲法九条の両立を求めています。一方、保守は日米安保と同九条改正の両立を切望しています。要するに、リベラルは日米同盟現状維持の立場ですが、保守はその強化ないし深化の立場です。

3.片務的か双務的か

日米安保条約に関する左翼と保守の総論は以上の通りですが、各論はどうでしょうか。
同社説には、「『片務的』という誤解」という小見出しがあります。

「日本が攻撃されたら、我々は第3次世界大戦を戦う。しかし、我々が攻撃されても日本は我々を助ける必要はない。彼らができるのは攻撃をソニーのテレビで見ることだ」

とのトランプ大統領の発言に対して、

「氏の見方は一面的であり、受け入れがたい。日米安保は両国の利益だけでなく、地域と国際社会の安定に大きく寄与している。(中略)日米安保条約は、第5条で米国に日本防衛の義務を課し、第6条で日本に米軍への基地提供を義務づけた。(中略)米国だけが義務を負う片務的な条約という考え方は、まったくの誤解にほかならない」

トランプ大統領の主張は、「まったくの誤解」ではありません。
また、私だって「米国だけが義務を負う」から今批判しているわけではありません。日米の負う義務に懸隔があるから、片務的だと言っているのです。
もし日本有事の際に、米国が「日本防衛の義務を」はたす一方、自衛隊の犠牲が米軍よりはるかに少なかった場合、どうでしょうか。あるいは、アメリカ有事の際に、日本が米国を助けなかったら?
日米同盟は終わります。

日英同盟の破綻の原因は、第一次世界大戦における同盟国日本の貢献・犠牲の少なさにあります(「同盟国の義務、あるいは両大戦の教訓について」)。
日米同盟をより長期的に維持するためには、より双務的なものに改めて行く必要があります。

4.専守防衛に賛成か反対か

また、次のようにも書いています。

「日本が9条の下で専守防衛を堅持し、非対称であっても、米国と適切な役割分担を図っていくことには、大きな意味がある」

米国の大統領が「適切な役割分担」ではないと言っているのに・・・・
それはともかく、専守防衛というのは、安全保障政策として国際的に通用するものなのでしょうか。

「専守防衛とは、相手から武力攻撃を受けたときにはじめて防衛力を行使し、その態様も自衛のための必要最小限にとどめ、また、保持する防衛力も自衛のための必要最小限のものに限るなど、憲法の精神にのっとった受動的な防衛戦略の姿勢をいいます」(1)

ウィキペディアには、次のような記述があります。

「防衛上の必要があっても相手国に先制攻撃を行わず、侵攻してきた敵を自国の領域において軍事力(防衛力)を以って撃退する方針のこと。(中略)相手国の根拠地への攻撃(戦略攻勢)を行わないこと」(2)

敵がミサイルをわが国に向けて発射しても、その基地を叩けないということです。

「このため、有事において日本を防衛できない危険が指摘されている」(3)

当然でしょう。
要するに、専守防衛とは、「日本の政治状況から生み出された独特の防衛構想であり、軍事的な合理性よりも、憲法など内政上の要請をより強く反映いたものである」(4)。
ガラパゴスな国防戦略ということでしょう。

5.有志連合に不参加か参加か

同社説は言っています。

「トランプ政権はいま、中東で船舶の航行の安全を確保するための『有志連合』への参加を日本に求めている。(中略)
日本政府が、従来のような発想で米国を引き留めることを優先させ、誤った政策判断をくださないよう強く求める」

長期的には、日本は自国で自国を守る体制を作るべきでしょう。有志連合への参加はそのための練習になります。練習をし、自国で自国を守る体制を作らなければ、いつまで経っても「従来のような発想で米国を引き留めることを優先させ」ることになります。

5.支那問題

最後に支那について触れましょう。
社説は次のように言います。

「日米安保がいま直面するのは、急速な軍事力拡大と強引な海洋進出を続ける中国である。
そこで重要なのは、中国をことさら敵視し、緊張を高めることではない。軍事に偏重せず、日米安保と9条との両立を図りながら、地道な近隣外交のうえに地域の安定を築くことが日本の利益となるはずだ」

「地道な近隣外交のうえに地域の安定を築く」とは具体的にどのような策をとることなのでしょうか。あるいは、それを実施すれば、「急速な軍事力拡大と強引な海洋進出を続ける中国」を抑制することができるのでしょうか。
肝心なところになると、途端に曖昧になるのは朝日新聞社説の特徴です。論説委員氏の無策振りを良く表しています。
策もないのに、「日本の利益となるはずだ」は無責任でしょう。

7.何をなすべきか

日本は何をなすべきでしょうか。
朝日新聞の主張とは反対の政策を実施すれば大方間違いないと揶揄されますが(笑)、片務的である日米安保を双務的なものに改め、専守防衛というナンセンスを放棄し、中東での有志連合に参加等をなすべきでしょう。
要するに、日本は、憲法を改正して、戦争のできる(戦える)国になるべきです。戦争のできる国になることが、ひいては戦争自体や某国による侵略を抑止することにつながります。
それが、わが国の進むべき道だと思います。

【注】
(1)防衛省・自衛隊:防衛政策の基本
(2)ウィキペディア 専守防衛
(3)同上
(4)コトバンク 専守防衛

同盟国は何を基準に選定すべきか

1.平間洋一氏の問い

平間洋一氏は『日英同盟 同盟の選択と国家の盛衰』(角川ソフィア文庫)の第13章4を次の文章から書き出しています。

「同盟国は何を基準に選定すべきであろうか。如何なる国との同盟が国家に繁栄をもたらすであろうか」

それについて、「同盟国選定の基本は」「国益でありパワーポリディクスである」。そして、「同盟選択の第二の要件は」「世界の世論(情報)を支配する国家との同盟が望ましい」と述べています。

また、次のような歴史的観察も記しています。
「日本の安全保障を地政学と歴史から見ると、黒船の到来で始まった近代日本は、海洋国家と連携したときには繁栄の道を歩み、大陸国家と結んだときには苦難の道を歩まなければならなかった」

浅学ながら、私も考えてみました。

2.利・理・力・信

同盟国は何を基準に選定すべきでしょうか。
利と理と力と信の積によって決定すべきだと考えます。

利とは、国益(国家の権益)のことです。

理とは、理念や理想です。
自由や民主主義、法の支配や人権などのことです。

力とは、経済力や文化力もありますが、何よりも軍事力です。
国家は何にもまして生存を優先しなければなりません。

信とは、信用、信頼です。

<利について>
私たちは個人生活において、最低限自身や家族を養うために、できれば更により豊かな生活を求めて日々行動しています。同様に国家も、できうる限りの繁栄を目指します。すなわち、常に国益を追求します。
国益を損なう、あるいはそれが失われるような軍事同盟は避けなければなりません。

<理について>
たとえ経済交流が盛んで国益に適い、軍事的に強大であろうと、自由や民主主義、法の支配や人権といった価値が保証されていない国との同盟は、粗暴な事象を生み出します。そのような国が圧迫しているのが、自由や民主主義が保証されている国ならなおさらです。
理の欠如した国との同盟は野蛮です。

<力について>
たとえ欧州やアフリカや南米の小国と同盟を結んでも、近隣某国からの脅威に対して非力ですし、地理的に遠過ぎるので、役に立ちません。
力のない国との同盟は無力です。

<信について>
国際条約やルールを守らない国(これは、最近の韓国のことを言っているのだなと思う人がいたら、当っています)との同盟は紙屑同然です。
信のない国との同盟は実効性が期待できません。

3.四つの要件のバランス

利、理、力、信の積により同盟国を決定すべきですが、大きな数字に0を掛けても積は0にしかならないように、同盟国として必要な要件の何れかが根本的に欠けている国との同盟は、軽率にして無謀です。
各要件のバランスがとれた国との同盟が望ましいでしょう。

【追記】
安倍首相は8月6日の、広島市での記者会見で、「現在の日韓関係の最大の問題は、国家間の約束を守るかどうか、という信頼の問題だ。日韓請求権協定に違反する行為を韓国が一方的に行い、国交正常化の基盤となった国際条約を破っている」と述べたそうです(8月7日付朝日新聞)(8月12日)