覇権国の論理

18、19世紀の世界における覇権国イギリスと20、21世紀の覇権国アメリカの行動原則は、<自国の覇権を脅かすもの、自国に取って代わろうとするものは潰せ>、ではないでしょうか。

イギリスは英蘭戦争でオランダを潰し、覇権を維持しました。
アメリカも、第二次世界大戦で独日を潰し、冷戦でソ連を潰し、冷戦後は経済的に脅威となった日本を潰し、そして今、中共を標的にしているのだと思います。

このように言うと、イギリスもアメリカもあくどい国のような印象を受けますが、必ずしもそうではありません。米英のような覇権国が、自由で民主的な体制の国であったのは幸いでした。
もっとも今後の世界で、自由や民主主義、人権や法の支配を保障しない国は、一時的に覇者になったとしても、各国から異議申し立てや反抗が起こり、長期的に覇権を維持するのは困難でしょう(だから、中共は長期的な覇権国にはなりえません)。

自国に取って代わろうとするものは許さない、という覇権国の原則の是非はともかく、というよりも、その是非を論じるのは無意味なので、事実は事実として認め、その時々の置かれた状況により、日本は自国の舵取りを考えれば良いのだと思います。
すなわち、現在はアメリカ側について、独裁主義国家中共の覇権国化を阻止すべきでしょう。

百年後か二百年後、アメリカがBLMやANTIFAのような極左に乗っ取られ、自由や人権等がない国になる一方、支那が共産党一党独裁の体制を脱し、自由で民主的な国になり、そのような米支が世界の覇権を争うことになったなら、その時は支那と同盟を結び、アメリカを潰すことを考えれば良いのだと思います。

【追記】
独裁主義国が長期的に覇権を保持するのは無理だとしても、一時的に覇権を握る可能性はあります。そして、それは国際社会の災厄です(10月9日)

戦後平和主義への痛撃

福田恒存氏は戦後十年目の昭和三十年、雑誌『文藝春秋』6月号に「戦争と平和と」と題する論文を寄せています。
世がいわゆる戦後平和主義の潮流にある中で、そして戦後七十五年経った今でも、そこに浸り続けている中で、福田氏はその風潮とは無縁でした。それは、以下の言説で明らかです。
ところどころ引用しましょう(『平和の理念』、新潮社、昭和四十年より)。

・「私が自分の人間觀、文化觀にもとづいて、戰爭と平和とをどう考へてゐるか、まづそのことを書いてみませう。
私はこの人間社會から戰争は永遠になくならないと信じてをります。ある雜誌のインターヴューで、さう答へましたら、あまりにショッキングであり、反動的だといふ理由で沒になりました。文字どほり、私は理解に苦しむ。私に關するかぎり、すでに言論の自由がおびやかされてゐるやうです」(75頁)

(笑)。
戦後平和主義に取り付かれた人たちは、このような主張を見るだけで、表情が強張ってしまうのでしょう。

・「進歩主義の歴史觀からいへば、シーザーだのアレクサンダーなどといふ英雄は、民衆の命など藁しべほどにもおもつてゐない、支配者は自分の野心のため、平氣で民衆を犧牲にするといふことになつてゐるらしい。そんなばかな話はないので、かれらも、またかれらに支配されてゐた民衆も、戰爭と平和との相關關係をよく呑みこんでゐたでせうし、平和の贈物を實らせるために戰爭をしたり、戰爭をしなかつたりしてきたのです」(76頁) 

わが国の、天下統一を目指した過去の武将たちだって、泰平の世を実現するために戦争をしたのでしょう。
反権力を掲げる左派メディアや文化人たちは、「進歩主義的歴史觀」に囚われているから、安倍晋三前首相のように、戦後平和主義という迷信の埒外にある政治家に対して、病的なまでに嫌悪し、批判的な言辞を弄するのだと思います。

・「原水爆であらうと惡魔であらうと、生まれてしまつたら、もうどうにもならないのです。あと私たち人間のできることは、さらにそれをおさへる強力なものの發明あるのみです」(78-79頁)

これも、戦後平和主義者あるいは核兵器廃絶論者には認めがたい主張でしょう。でも、認めがたかろうが、真実は真実です。

・「力の政治は力によつてしかおさへられません」(79頁)

有史以来、国際社会で繰り広げられているのは、「力の政治」です。話し合いによる平和とか外交による平和とかは、補助的な役割しか担っていません。主従を見誤っているのが、戦後平和主義者の特徴です。

・「ここ十年の平和を顧みて、じつさいそれが維持できたのは、ソ聯のためとも、平和論のためともいへない、アメリカの力もその大きな役割をなしてゐることは否めません。ソ聯とアメリカの武力が、原水爆が、平和を維持してきたのです」(85頁)

ここ七十五年の、日本の平和を顧みて、実際にそれが維持できたのは、憲法のためとも、戦後平和主義のためとも言えません。中共公船の尖閣侵入をみても明らかですが、自衛隊とアメリカの武力が平和を維持してきたのです。

・「戰争はかならず起るといふのは、過去に示された人間性の現實を見て、さう判斷するだけのことです」(87頁)

進歩主義者=左翼は、とにかく「過去に示された人間性」を、あるいは自分の内心を見ない人たちです。

・「私は元來、日本人を平和的な國民だとおもひます。(中略)たしかに日本人は神經が細かくて、我と我との摩擦をきらふのです。が、それが戰爭をきらふ氣もちにはならない。逆説めきますが、それがかへつて人々を戰爭に驅りやるのです。かう考へられないでせうか。一家の仲間うちの爭ひを嫌ふ日本人は、仲間そとにたいして、その逆に出る。仲間うちと仲間そとを極端にわけて考へるのは、封建制の名ごりといへさうですが、そればかりではなく仲間うちの、すなはち、國内のごたごたにたへられなくて、その結果、外に向ふといふこともありえませう」(92頁)

戦前日本は、経済力においても、軍事力においても、アメリカと比較して格段の差があったのに、なぜ無謀な戦いを挑んだのでしょうか。
東条英機氏以下の指導層は、カルトの信者でもなく、鳩山由紀夫氏のようなルーピーでもなかったはずです。陸軍と海軍の葛藤のような、「国内のごたごたにたへられなくて」、対米戦に突き進んだのではないでしょうか。

対米同盟強化のすすめ

下記は、よもぎねこさんのブログ記事「子供部屋オジサンの『自主独立』 護憲派」への、私のコメントです。
今年最後のブログ記事を、他者のブログへのコメント文で代用するのは心苦しいのですが。
〔〕内は、いけまこの補足です。

〔一つ目〕
>今こそアメリカともめずに、憲法を改正し、独立国として相応しい軍事力を持つ大チャンスなのです。〔よもぎねこさん〕

その通りですね。
ところが、左翼は、そして反米保守という人たちも、それを理解しないんですね。

後者の人たちは(たとえば、西部邁氏)、アメリカとの軍事同盟の強化は、対米従属にあたる。それよりも自主防衛を目指すべきだ、と言うんですが、ママ(アメリカ)と一緒におつかい(軍事行動)にいけない子が、一人で始めて〔初めて〕のおつかいに行けるわけがありません。

アメリカと軍事行動を共にし、練習をして、「戦える国」になることが、ひいては戦争や他国による侵略を抑止することになり、結果平和がもたらされる、が王道だと思うのですが。

〔二つ目〕
>日本が勝手に武装を増強できる、と勘違いされると困りますので、念のため書いておきます。〔中略〕
>つまり、アメリカに雁字搦めにされているといったほうが早い。〔書き人知らず〕

アメリカは、最初はインドの核武装に対して否定的でした。が、その後追認に変わりました。
同様に、米国の対日軍事意識も変動しえます。

>シナ自体が、野望を隠さなくなり、太平洋をハワイを基点としてアメリカ・シナで分割統治を持ちかけてしまった。〔書き人知らず〕
そのように、いまや中共は、アメリカに追いつき、そして追い落としを狙っているのは明らかです。
しかし、米国の力は相対的に落ちている。
そこで、アメリカはどこかの国に頼らざるをえません。だから
>今こそアメリカともめずに、憲法を改正し、独立国として相応しい軍事力を持つ大チャンスなのです。〔よもぎねこさん〕

過去、アメリカが軍事力増強を要求してきた時に、日本の側が拒否してきたことが問題だと思います。
少しでも、自国にとって都合の良い増強を考えれば良かった。

アメリカの対日軍事意識を、固定的に考えるべきではないと思います。

米中対決時代にロシアはいかに振舞うか

1.米中対決時代

中華人民共和国のGDPは2010年に日本を抜き、現在米国に次いでどうどうの世界第二位です。2030年か2050年には、米国を抜き去るとの予想もあります。
また、「世界の軍事力ランキング」では、米露に次ぐ第三位です。
経済的、軍事的に力をつけた中共が自信を持つのは当然でしょう。

中共が目指しているのは、世界における米中の二極化、そして、将来的には米国の追い落としだろうと思います。

そのような中共の台頭に対して、さすがに米国も危機感を抱くようになり、副大統領ペンス氏による昨年10月4日の演説以来、中共の覇権国化を阻止しようとの意図が明確になりました。

2.ロシアと中共の蜜月?

このような情勢下で、以下のようなことが起こっています。

2018年9月、ロシア軍は軍事演習「ボストーク2018」を実施しましたが、そこに初めて中共軍が参加しましたし、今年の6月6日、ロシアにとって大した脅威ではないのに、プーチン大統領は普天間飛行場の辺野古移設について、「地元住民や知事が反対しているのに建設が進んでいる」と発言し、中共の援護射撃をしましたし、7月23日日本海でロシアと中共の爆撃機四機が合同飛行を行いました。

これ以外にも、ロシアと中共の親密さを示す事例はあるでしょう。
近年ロシアは中共寄りの姿勢を見せていますが、これは露中が固い絆で結ばれていることを意味するでしょうか。

意味しません。
近隣国同士、表面的には仲良くしているように見えるものの、実際は仲が悪い、あるいは反りが合わないという例はままあります。
ベトナムと支那、支那とインド、インドとパキスタン、そして、日本と韓国、日本と支那など。それと同様、ロシアと支那も基本的には反りが合わない国同士であるのは否定しがたいでしょう。

一方の中共はロシアの核戦力を含めた軍事力を脅威に感じているでしょうし、他方のロシアは極東における同国の人口の希薄と中共の人口の膨大のため、後者による人口侵略を警戒しているでしょう。

3.ある仮定

ある極端な仮定をしてみると、ロシアと中共の「蜜月」の度合いが明確になると思います。

もし米国と中共の間で戦争になった場合、ロシアはどう対処するでしょうか。最近の連携通り中共の側に立って、米国とその同盟国・友好国と戦うでしょうか。

戦うわけがありません。
ロシアは負ける側につくような選択はしないでしょう。十中八、九以上の確率で、ロシアは米国側に寝返るだろうと思います。反りが合わない中共と心中するはずがありません。

第二次世界大戦の前、ドイツと不可侵条約を結び、同国とポーランド分割を行ったロシアのことです。あるいは、終戦間際の1945年8月9日、日ソ中立宣言を破って日本に攻め込んできたロシアのことです。
米中戦争が起これば、ちゃっかり米国側に寝返って、中共の領土のいくばくかを掠め取ると予想するのが自然でしょう。

逆に考えるなら、ロシアと中共が蜜月を演出している間は、米中戦争の可能性は低いだろうと思います。
なので、私は、ロシアと中共の連携はあまり心配しておりません。それはどこまでいっても、蜜月ではなく蜜月の演出にすぎないのですから。

もっとも、「十中八、九以上の確率」と書きましたが、わずかに露中が組めば米欧日他に勝てると考える冒険主義者が現れないとも限りません。
そこで、万全を期すために、トランプ氏も安倍氏もロシアを自分たちの陣営に引き寄せようとしているのではないでしょうか。

米欧日露対中なら、さすがに中共の首脳だって、勝てるかもしれないとは考えないでしょうから、戦争の可能性は限りなくゼロ%に近くなります。

4.もっと寄こせ

では、ロシアと中共はなぜ連携しているのでしょうか。
両者とも味方が少なくて孤独だからでしょう。
中共は覇権国化を目指して、米国の反発を買っていますし、ロシアはクリミア、セバストポリの併合で欧米から経済制裁を喰らっていて、いまだに解除されていません。
要するに、敵の敵は味方ということで、結びついているだけでしょう。彼らは強者グループ(米国及び同盟国・友好国)に対する弱者連合です。

ロシアが強者グループに対して暗に求めているのは、経済制裁の解除を含めて、「もっと寄こせば、そっちよりの姿勢を示すよ」ではないでしょうか。

そもそもウクライナも、クリミアも、セバストポリも、元来はロシアの勢力圏です。
そこを巡って、欧州はロシアと本気で事を構える勇気と能力があるのでしょうか。ただアメリカの威を借りて、強がっているだけではないでしょうか。ロシアに対する経済制裁もほどほどにすべきだと思います。

むしろ対中を意識して、ロシアを取り込もうとしているトランプ大統領や安倍首相の方が大局が見えているのではないでしょうか。
もっとも、欧州にとっては、中共の脅威よりも、ロシアの脅威の方が切実だから仕方がないのかもしれませんが。

【追記】
「中共」と「支那」を使い分けています。
共産化している支那が中共で、共産化していないのが支那です。中共が支那になれば、凶暴性がかなり和らぐと思うのですが。それは、希望的観測でしょうか。

左翼と日米安保条約

1.左翼は日米安保条約に反対だった

冷戦時代、日本社会党にしろ共産党にしろ、左翼は日米安保条約に反対でした。彼らにとって、社会主義は平和勢力であり、資本主義は戦争勢力でした。そして、日本もアメリカも資本主義国でした。だから、彼らは日米安保に反対でした。
もっとも、その間「社会主義は平和勢力」との認識を裏切る事態も、少なからず発生しました。

1989年のベルリンの壁崩壊、1991年のソ連邦解体により、体制選択における社会・共産主義の敗北が明らかになりました。
1994年7月、日本社会党委員長村山富一氏は、従来の党の主張をひっくり返し、日米安保条約の堅持、自衛隊合憲を表明しました。
その後、多くの社会主義者たちはリベラルへ転向して行きます(社会党のほぼ消滅)。その結果、今日左翼の多数派にして主流派はリベラルです。社会・共産主義者は左翼の少数派に転落しました。

2.リベラルは日米安保に賛成だけれど・・・・

社会・共産主義者とは違って、リベラルは一応日米安保条約には賛成の立場です。その点では一歩前進なのですが、その内実はどうでしょうか。
リベラルの安全保障観をもっとも的確に表しているのが、8月4日付朝日新聞の社説「日米安保を考える 9条との両立に価値がある」です。
題名を見て分かるように、リベラルは日米安保と憲法九条の両立を求めています。一方、保守は日米安保と同九条改正の両立を切望しています。要するに、リベラルは日米同盟現状維持の立場ですが、保守はその強化ないし深化の立場です。

3.片務的か双務的か

日米安保条約に関する左翼と保守の総論は以上の通りですが、各論はどうでしょうか。
同社説には、「『片務的』という誤解」という小見出しがあります。

「日本が攻撃されたら、我々は第3次世界大戦を戦う。しかし、我々が攻撃されても日本は我々を助ける必要はない。彼らができるのは攻撃をソニーのテレビで見ることだ」

とのトランプ大統領の発言に対して、

「氏の見方は一面的であり、受け入れがたい。日米安保は両国の利益だけでなく、地域と国際社会の安定に大きく寄与している。(中略)日米安保条約は、第5条で米国に日本防衛の義務を課し、第6条で日本に米軍への基地提供を義務づけた。(中略)米国だけが義務を負う片務的な条約という考え方は、まったくの誤解にほかならない」

トランプ大統領の主張は、「まったくの誤解」ではありません。
また、私だって「米国だけが義務を負う」から今批判しているわけではありません。日米の負う義務に懸隔があるから、片務的だと言っているのです。
もし日本有事の際に、米国が「日本防衛の義務を」はたす一方、自衛隊の犠牲が米軍よりはるかに少なかった場合、どうでしょうか。あるいは、アメリカ有事の際に、日本が米国を助けなかったら?
日米同盟は終わります。

日英同盟の破綻の原因は、第一次世界大戦における同盟国日本の貢献・犠牲の少なさにあります(「同盟国の義務、あるいは両大戦の教訓について」)。
日米同盟をより長期的に維持するためには、より双務的なものに改めて行く必要があります。

4.専守防衛に賛成か反対か

また、次のようにも書いています。

「日本が9条の下で専守防衛を堅持し、非対称であっても、米国と適切な役割分担を図っていくことには、大きな意味がある」

米国の大統領が「適切な役割分担」ではないと言っているのに・・・・
それはともかく、専守防衛というのは、安全保障政策として国際的に通用するものなのでしょうか。

「専守防衛とは、相手から武力攻撃を受けたときにはじめて防衛力を行使し、その態様も自衛のための必要最小限にとどめ、また、保持する防衛力も自衛のための必要最小限のものに限るなど、憲法の精神にのっとった受動的な防衛戦略の姿勢をいいます」(1)

ウィキペディアには、次のような記述があります。

「防衛上の必要があっても相手国に先制攻撃を行わず、侵攻してきた敵を自国の領域において軍事力(防衛力)を以って撃退する方針のこと。(中略)相手国の根拠地への攻撃(戦略攻勢)を行わないこと」(2)

敵がミサイルをわが国に向けて発射しても、その基地を叩けないということです。

「このため、有事において日本を防衛できない危険が指摘されている」(3)

当然でしょう。
要するに、専守防衛とは、「日本の政治状況から生み出された独特の防衛構想であり、軍事的な合理性よりも、憲法など内政上の要請をより強く反映いたものである」(4)。
ガラパゴスな国防戦略ということでしょう。

5.有志連合に不参加か参加か

同社説は言っています。

「トランプ政権はいま、中東で船舶の航行の安全を確保するための『有志連合』への参加を日本に求めている。(中略)
日本政府が、従来のような発想で米国を引き留めることを優先させ、誤った政策判断をくださないよう強く求める」

長期的には、日本は自国で自国を守る体制を作るべきでしょう。有志連合への参加はそのための練習になります。練習をし、自国で自国を守る体制を作らなければ、いつまで経っても「従来のような発想で米国を引き留めることを優先させ」ることになります。

5.支那問題

最後に支那について触れましょう。
社説は次のように言います。

「日米安保がいま直面するのは、急速な軍事力拡大と強引な海洋進出を続ける中国である。
そこで重要なのは、中国をことさら敵視し、緊張を高めることではない。軍事に偏重せず、日米安保と9条との両立を図りながら、地道な近隣外交のうえに地域の安定を築くことが日本の利益となるはずだ」

「地道な近隣外交のうえに地域の安定を築く」とは具体的にどのような策をとることなのでしょうか。あるいは、それを実施すれば、「急速な軍事力拡大と強引な海洋進出を続ける中国」を抑制することができるのでしょうか。
肝心なところになると、途端に曖昧になるのは朝日新聞社説の特徴です。論説委員氏の無策振りを良く表しています。
策もないのに、「日本の利益となるはずだ」は無責任でしょう。

7.何をなすべきか

日本は何をなすべきでしょうか。
朝日新聞の主張とは反対の政策を実施すれば大方間違いないと揶揄されますが(笑)、片務的である日米安保を双務的なものに改め、専守防衛というナンセンスを放棄し、中東での有志連合に参加等をなすべきでしょう。
要するに、日本は、憲法を改正して、戦争のできる(戦える)国になるべきです。戦争のできる国になることが、ひいては戦争自体や某国による侵略を抑止することにつながります。
それが、わが国の進むべき道だと思います。

【注】
(1)防衛省・自衛隊:防衛政策の基本
(2)ウィキペディア 専守防衛
(3)同上
(4)コトバンク 専守防衛

同盟国は何を基準に選定すべきか

1.平間洋一氏の問い

平間洋一氏は『日英同盟 同盟の選択と国家の盛衰』(角川ソフィア文庫)の第13章4を次の文章から書き出しています。

「同盟国は何を基準に選定すべきであろうか。如何なる国との同盟が国家に繁栄をもたらすであろうか」

それについて、「同盟国選定の基本は」「国益でありパワーポリディクスである」。そして、「同盟選択の第二の要件は」「世界の世論(情報)を支配する国家との同盟が望ましい」と述べています。

また、次のような歴史的観察も記しています。
「日本の安全保障を地政学と歴史から見ると、黒船の到来で始まった近代日本は、海洋国家と連携したときには繁栄の道を歩み、大陸国家と結んだときには苦難の道を歩まなければならなかった」

浅学ながら、私も考えてみました。

2.利・理・力・信

同盟国は何を基準に選定すべきでしょうか。
利と理と力と信の積によって決定すべきだと考えます。

利とは、国益(国家の権益)のことです。

理とは、理念や理想です。
自由や民主主義、法の支配や人権などのことです。

力とは、経済力や文化力もありますが、何よりも軍事力です。
国家は何にもまして生存を優先しなければなりません。

信とは、信用、信頼です。

<利について>
私たちは個人生活において、最低限自身や家族を養うために、できれば更により豊かな生活を求めて日々行動しています。同様に国家も、できうる限りの繁栄を目指します。すなわち、常に国益を追求します。
国益を損なう、あるいはそれが失われるような軍事同盟は避けなければなりません。

<理について>
たとえ経済交流が盛んで国益に適い、軍事的に強大であろうと、自由や民主主義、法の支配や人権といった価値が保証されていない国との同盟は、粗暴な事象を生み出します。そのような国が圧迫しているのが、自由や民主主義が保証されている国ならなおさらです。
理の欠如した国との同盟は野蛮です。

<力について>
たとえ欧州やアフリカや南米の小国と同盟を結んでも、近隣某国からの脅威に対して非力ですし、地理的に遠過ぎるので、役に立ちません。
力のない国との同盟は無力です。

<信について>
国際条約やルールを守らない国(これは、最近の韓国のことを言っているのだなと思う人がいたら、当っています)との同盟は紙屑同然です。
信のない国との同盟は実効性が期待できません。

3.四つの要件のバランス

利、理、力、信の積により同盟国を決定すべきですが、大きな数字に0を掛けても積は0にしかならないように、同盟国として必要な要件の何れかが根本的に欠けている国との同盟は、軽率にして無謀です。
各要件のバランスがとれた国との同盟が望ましいでしょう。

【追記】
安倍首相は8月6日の、広島市での記者会見で、「現在の日韓関係の最大の問題は、国家間の約束を守るかどうか、という信頼の問題だ。日韓請求権協定に違反する行為を韓国が一方的に行い、国交正常化の基盤となった国際条約を破っている」と述べたそうです(8月7日付朝日新聞)(8月12日)

片務から双務へ日米同盟の発展

以下は、よもぎねこさんのブログ記事「日米同盟の片務性はアメリカの有利」への私のコメントです。

一般的に言って、軍事同盟は双務的であるよりは、片務的である方が壊れやすいでしょう。

危機の時代において、同盟国間の被害の差が大きければ、多数・多量の犠牲を強いられた側の不満が爆発します。日英同盟の破綻の原因は、第一次大戦における日本の犠牲・負担の少なさにあります。

なので、日米同盟を長期的に維持するためには、より双務的なものに改めて行くべきだと思います。

同盟国の義務、あるいは両大戦の教訓について

1.七千倍も戦死者が多かった

ウィキペディアによれば、わが国の第一次世界大戦における戦死者数は415人です。それに対して、第二次世界大戦での戦没者は約3000000人です。前者よりも後者の方が七千倍も多い。これはどうしたことでしょうか。

第一次大戦は、参戦国及び戦場の中心が欧州であり、日本は主要な当事国ではなかったのに対し、第二次大戦では主要な当事国であったというのが最大の理由でしょう。

ではなぜ、後者では主な当事国になってしまったのでしょうか。
わが国が外交戦略あるいは政治選択を誤ったからで、もし第一次大戦(1914-1918)の後、日英同盟が解消されていなければ、その後対米英戦争は避けられたのではないか。つまり、主たる当事国にならずに済んだのではないか、との有力な説があります。

2.なぜ日英同盟は解消されたのか

なぜ日英同盟は解消されたのでしょうか。
第一。1917年11月にロシアで社会主義革命が発生し、また第一次大戦でドイツが敗北したため、実質的に対露対独同盟であった日英同盟の必要性が失われたこと。
第二。大陸権益の対立があり、また、日本を脅威だと感じていたから、米国が日英の同盟関係を断ち切りたいと考えていたこと、などが指摘されます。

しかし、一番大きな理由は、イギリスが存亡の危機に立たされた時、つまり、苦しい戦いを強いられた第一次大戦において、日本の貢献度が低かったからだろうと思います。言い換えるなら、わが国が軍事協力の出し惜しみをしたからでしょう。

イギリスは、あるいは他の連合国も、日本に対して何度も欧州戦線への派兵の要請をしました。が、わが国は陸軍の派兵を断り、結局派遣したのは小規模な海軍だけでした(もっとも、派遣された海軍艦艇が良く働いたのは、賞賛されてしかるべきでしょう)。

大戦の開始が1914年7月、日本が参戦したのは同年8月です。海軍の特務艦隊を欧州へ派遣したのは1917年2月(地中海到着は4月)です。
湾岸戦争(1991年1月17日~同2月18日)における日本の貢献は”Too little,too late”と蔑まれましたが、当時の英国から見ても、日本の支援はそのようなものだったでしょう。

「大戦中の四年間を駐日大使として過ごしたウイリアム・C・グリーン大使は友人に、『戦争が勃発しわれわれが手一杯の時に、わが同盟国(日本のこと)にいかに失望したかを語る必要はないであろう』、(中略)との手紙を書いていた」(括弧内いけまこ)(1)

当時日英は同盟関係にありました。一方、米英は同盟関係にありませんでした。しかし、1917年4月、遅れて参戦したアメリカの軍事的経済的援助によって、戦争の帰趨が決しました。
ちなみに、米国の戦死者数は116708人です。それに対し、先述したように、日本はわずか415人!です。
この二つの数字を見れば、日米の貢献の差は一目瞭然です。
その後、イギリスが日本よりアメリカを選んだのは当然です。

もし日米の戦死者数が逆だったなら?
たとえ米国より日本の戦死者が少ないにしても、一桁ぐらいの差だったなら?
戦後イギリスは日本との同盟関係を絶ちえなかったでしょう。
岡崎久彦氏は書いています。

「英国政府内の大勢は(日英)同盟継続であった。カーゾン外相、チャーチル植民地相、国際連盟担当のバルフォア枢密院議長、国璽尚書のチェンバレン、陸海軍大臣、参謀本部という対外政策に責任のある部署はことごとく同盟支持であったという」(括弧内いけまこ)(2)

3.そもそも軍事同盟とは

そもそも軍事同盟とは、自国が困った時、たとえば第三国から侵略されるなり、第三国と戦争になった場合に、同盟国に援けて貰うかわりに、同盟国が困った時には、同国を援けるというのが原則でしょう。勿論それ以前に、侵略や戦争を抑止するという目的があるのは言うまでもありません。
困った時に援けにならない国との軍事同盟など、意味がありません。

軍事同盟は保険と同じでしょう。
私たちが民間の医療保険に加入しているのは、いざ重大な病気に罹った時に、自己負担では医療費を全額支払うのは困難ですから、保険に加入し、他者に分担して貰う。その代わり、自らが病気でない時にも掛け金を納め、他者の医療費の支払いに供するというものでしょう。
当たり前ですが、保険に加入し、掛け金を払い込んでいなければ、入院・治療に際して保険金は得られません。掛け金を払っている保険の種類と金額に応じた分だけ、給付は受けられます。

軍事同盟も、自国が行った貢献に応じた分しか、同盟国による援けは期待できません。流した汗と血の分だけ、同盟国の協力が得られます。

4.義務の手抜きによる平和

ネットを見ていると、たとえば次のような意見がありました。

「日米軍事同盟を結んでいながら日本が自衛隊を派兵せずにすんだのは、憲法九条があったからです。第九条がなければ派兵要請を拒否することはできなかったでしょう。その後も、例えばカンボジア和平でも湾岸戦争時も再三にわたり自衛隊の派兵要請はありましたが、憲法があるため派兵せずにすみました。第九条がなく日米同盟だけなら、ベトナム戦争でも湾岸戦争でも、自衛隊の派兵は米国の要請により行われていたでしょう」

戦後日本が平和だったのは、憲法九条を盾にアメリカによる軍事支援の要請を断り続けたからだという。だから、憲法を改正すべきではないとの主張です。
これは、保険の掛け金を一部支払っていないため、手持ちの金が増えているのを自慢しているようなものでしょう。
一部の掛け金を滞納している分、いざという時に給付が受けられるかどうかは分かりません。「自国が行った貢献に応じた分しか、同盟国による援けは期待できません」から(注)。
引用部の筆者が推奨する意見は、第一次大戦の轍を再び踏む道でしょう。

勿論、同盟国のために闇雲に汗と血を流せというのではありません。ただ、目先の平和だけに固執していると、いつかツケを払わされることになるでしょう。
同盟国による軍事協力の要請を断り続けていると、何れ十倍百倍千倍の犠牲者が出るような事態に逢着することになる、というのが第一次大戦と第二次大戦の教訓ではないでしょうか。

(注)
同盟国が独裁主義国なら、一部の指導者・層の一存で同盟関係の存廃が決まるでしょうが、民主主義国の場合は、国民の流動的な総意によってそれは決まりますから、同盟国民への軍事貢献のアピールは、継続して行う必要があるでしょう。

5.情けは人のためならず

情けは人のためならず、という諺があります。
言うまでもなく、「なさけを人にかけておけば、めぐりめぐって自分によい報いが来る」(『広辞苑』)という意味です。
良き軍事同盟というものも、これに当てはまるでしょう。同盟国に対する情けは、同国のためならず、です。「めぐりめぐって」自国に悪い報いが来るのを避けることができます。そのための軍事同盟です。

第一次大戦当時と同様、第二次大戦後も自衛隊は日本国民及びその領土と領海を守るために存在するのであって、たとえ同盟国の支援のためであろうと、遠方へ派遣するのは以ての外との意見が自衛隊のOBからもなされたりもしますが、それは「情けは人のためならず」という道理を理解していないからではないでしょうか。

6.いつの日にか

いつの日か、アメリカが軍事的な困難に直面し、中共やロシアが、あるいはわが国に敵対的な某国が、日本以上に米国に貢献した時、それがわが国の真の危機です。
日本はそれらの諸国よりも、最低でも同程度、できればそれ以上に米国を援助すべきです。

欧州への派兵は日英同盟の適用外だったと言ったところで、アメリカはイギリスと同盟関係になかったのに、大陸へ派兵、大戦の勝利に貢献したわけですから、条約条文の絶対視は危険でしょう。
同盟国の危機の程度に応じて、柔軟に支援の度合いを決定すべきだと思います。

(1)平間洋一著、『日英同盟』、角川ソフィア文庫、150-151頁
(2)岡崎久彦著、『幣原喜重郎とその時代』、PHP文庫、255頁

【読書から】
「歴史を学ぶ時に留意すべきことは、『一つの尺度(正義)で歴史は書き得るものではない』ということと、『現在の価値観で当時の歴史を見てはならない』ということである。著者の史観を申し上げれば、『みんなが悪かった』という史観である。戦争も喧嘩と同じで片方だけが悪者で、片方が聖者などということはない。『先の戦争』に至ったのは日本もアメリカも、そして中国も悪かった。総てに、それぞれ責任があるという『複数の正義の歴史観』である」(平間洋一著、同前、259-260頁)

外交思想とは常識のこと

岡崎久彦氏は書いています。

「原敬の政治思想を知ることは容易ではない。
一つには原は、醒め切った現実主義者であり、思想や哲学に興奮したり振りまわされる性格の人間ではなかったからである。
外務次官、朝鮮公使を務め、大阪毎日新聞社社長となってから一九00年、立憲政友会創設に参加したころに発表した評論『外交思想』から引用してみる。
『外交思想なるものがなくてはならないというが、シナ保全論とか分割論とか、漠然たることをいってもしかたがない。外交思想とは常識のことである。
たとえば、条約は相手があるものであり日本の意思だけでは決められないとか、独立国の権利は平等といっても実際上は強弱の別はどうしようもないとか、戦争は相手が一国でもみだりにすべきものではないが、まして二国、三国を相手にすることなどいかなる国でもできないとか、そういう単純なことがわかる国民こそ、外交思想のわかる国民である』」(『幣原喜重郎とその時代』、PHP文庫、128-129頁)

言っても詮ないことですが、大東亜戦争開戦前の政治指導者たちに、原敬氏のこの「常識」が共有されていたならば、と思わずにはいられません。

追記
よもぎねこさんのブログ、「よもぎねこです♪」は凄い!です。
ただ、彼女のと比較すると自分のがみすぼらしく見えて、自信喪失するので要注意(笑)。

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戦後日本が平和だった理由

戦後日本が平和だったのは、平和憲法があったからとの主張は何度も目にしました。
では、次のような仮定をしましょう。
戦前ドイツの周辺諸国に平和憲法があったなら、ドイツは近隣諸国を侵略しなかったでしょうか。あるいは、戦前支那に「戦争の放棄」を明記した憲法があったなら、日本は大陸に出兵しなかったでしょうか。
戦前は野蛮な時代だったけれども、戦後は国際連合もでき、戦前とは違うという人もあるかもしれません。
それなら、別の例を挙げましょう。
1950年6月25日より前に、韓国に憲法九条があったなら、北朝鮮は南侵しなかったでしょうか。1991年の湾岸戦争(正確に言えば、その前年の8月2日)より前に、クウェートが平和憲法を持っていたなら、イラクは同国へ侵攻しなかったでしょうか。2003年3月20日に始まったイラク戦争より前に、イラクが戦争の放棄を謳う憲法を所有していたら、アメリカはイラクを攻撃しなかったでしょうか。
何れの事例においても、戦争ないし侵攻は止められなかったでしょう。平和憲法は、他国を侵略しない国になるには幾分役に立つでしょうが、他国から侵略されない国になるには、全く役に立ちません。

歴史を眺めれば、洋の東西を問わず、近隣諸国同士は侵略したりされたりしているのが分かります。ある国が攻める時代もあれば、攻められる時代もあります。たとえば、日本やイギリスが大陸へ進出した時もあれば、大陸勢力が日英へ押し寄せた時もあります。今日のわが国は、近隣諸国との力関係から見て、攻勢の時代にあるでしょうか、それとも守勢の時代にあるでしょうか。
もし攻勢の時代にあるのなら、平和憲法を堅持することによって、日本の暴走を阻むことができるでしょう。しかし、守勢の時代にあるのなら?それによって、野心を持つ国の来襲を防ぐことはできません。かえって、同国の侵入を誘うことになるでしょう。
ロシア、中共、北朝鮮の核保有、尖閣諸島への中共公船の闖入などを見れば、現在のわが国は守勢の時代にあるのは明らかです。

前に戻って、戦前のドイツの近隣諸国や支那、朝鮮戦争前の韓国、湾岸戦争前のクウェート、イラク戦争前のイラク、それら守勢の側にあった国が戦争を回避しうる方法があったでしょうか。あったとすれば、攻勢にある国が攻撃を躊躇するだけの軍事力の保持、でしょう。
中共は尖閣諸島を自国領だと主張していますが、同国の野望を挫いているのは憲法九条でしょうか?自衛隊と米軍です。
軍事力なくして平和は守れません。戦後わが国が平和だったのは、自衛隊と在日米軍があったからです。憲法だけでは平和は守れません。

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