BLMは極左である

1.右派か左派か

ブラック・ライブズ・マター(BLM)という社会運動がアメリカで発生し、それが世界へ波及し、日本でもそのデモが行われたということが、マスメディアで報じられました。

ウィキペディアによれば、BLMとは「アフリカ系アメリカ人のコミュニティに端を発した、黒人に対する暴力や構造的な人種差別の撤廃を訴える、国際的な積極的行動主義の運動である」という。

ところで、BLMは、政治的には保守派ということになるのでしょうか、それとも進歩派に色分けされるべきなのでしょうか。
旧い秩序に挑戦しているという意味で、新たな左翼運動であると考えて良いでしょう。

2.左翼か極左か

マスメディアだけではなく、ネットの世界を眺めてみれば、そこでは、BLMは大方左翼だとされていますが、中には極左だと言う人もいます。彼らは、穏健な左翼なのでしょうか、それとも極端な左翼なのでしょうか。

社会・共産主義者が左翼の主流派にして、多数派だった冷戦時代、彼らは資本主義社会を変革して、社会・共産主義社会の実現を目指しました。それを平和的に、つまり民主的手続きに従って=議会で多数を占め、政権を担うことによって実現しようとしたのが穏健な左翼だったのに対し、ソ連や中共の経験から、暴力革命によって権力を掌握し、理想社会を実現しようと考えたのが極左でした。
すなわち、暴力否定なのが左翼であり、暴力肯定なのが極左です。

では、BLMは穏健な左翼なのでしょうか、それとも極左なのでしょうか。もし彼らの運動が暴力的な行動を伴っていないのであれば、穏健な左翼ですが、伴っているのなら極左です。

ネットを見れば明らかですが、彼らは暴動や破壊や略奪を行っています。勿論、すべての集会がそうであるわけではないでしょう。だから、「平和的なデモが大多数」だとして、BLMを擁護する向きもあります。しかし、共産主義的な極左だって非公然活動を行うのは、組織の一部の者たちで、その他は平和的な活動を行っています。それは右翼だって同じです。行動右翼だって、テロに走るものは極く少数です。通常の活動は平和的です。

問題なのは、少数であろうと、暴力的行動をおこなったかどうかです。そして、それを指導部なり仲間なりが制止したか、過剰な行動をした者を処罰したかどうかです。もし集会で、党員が暴動や略奪を行えば、日本共産党だって除名処分にするでしょう。
BLMは、わが国の新左翼、革マル派や中核派と同じような、というよりも、それ以上に荒っぽい極左だと断じるべきでしょう。

3.極左の応援団

暴力を否定しない運動にも拘らず、日本でもそれに共鳴する人たちがいます。
2020年10月20日付朝日新聞によれば、わが国の学校でも、

「黒人差別に抗議する『ブラック・ライブズ・マター(BLM)』運動を授業で扱う学校が出てきている。『肌の色による人種差別は米国だけの問題ではない』との問題意識からだ」
「米ケンタッキー州出身の黒人の英語教師エマニュエル・ターさん(30)が、(中略)『BLMは米国だけの問題ではない。異なる人種や性的少数者らへの差別、いじめ問題が日本にもあることを考えてほしい』と話す」

「異なる人種や性的少数者らへの差別、いじめ問題」を改善するためなら、暴力を用いることも肯定すべきなのでしょうか。

2020年8月11日付朝日新聞の「天声人語」を一部引用します。

「なお燃えさかる米国の抗議運動『ブラック・ライブズ・マター』。怒りの波がいつまでも引かないのはなぜですか。会ってそう尋ねてみたい人がいた。昨年8月に亡くなった米作家トニ・モリスンである。▼『彼女ならきっと全幅の賛意を示し、抗議に立ち上がった人たちを勇気づけたはずです』。そう語るのは、東京外大名誉教授の荒このみさん(74)。黒人文学に詳しく本人とも面識がある。『ただその手段はあくまで文章。街頭で演説するようなふるまいは好まない人でした』」

「ただその手段はあくまで文章。街頭で演説するようなふるまいは好まない人」が、たとえ「黒人に対する暴力や構造的人種差別の撤廃を訴える」ためだとはいえ、暴力を肯定したでしょうか。「彼女ならきっと全幅の賛意を示し」たと考えるのは、牽強付会ではないでしょうか。
私は、天国のモリスン氏はBLMの暴力的行動を見て、涙していると思わざるをえません。

BLMに賛同する人たちは、極左を支持しているのだとの自覚があるのでしょうか。

4.自己の内心を見ない人たち

9月30日付朝日新聞に、「根深い黒人差別 自身の中にも」という記事が掲載されました。そこでは、吉田ルイ子さん(86)の著書『ハーレムの暑い日々』(講談社文庫)が取り上げられています。

「民放アナウンサーなどを経て61年に渡米、コロンビア大学大学院に学んだ吉田は、活動家の白人学生と結婚し、(中略)正義感の強い優しい夫が、ハーレムの暴動で車を壊され、『ニガー』と口走ったときの苦しさ。日本政府を非難して『イエローモンキー』と言ったときの寂しさ。理念と本音が分離した『リベラル白人の始末の悪さ』が許せず、夫婦は破局を迎える」

夫婦が「破局を迎える」原因は様々でしょうし、それが「理念と本音が分離した『リベラル白人の始末の悪さ』」だけだとは思えませんが、それはともかく、「理念と本音が分離」するのは「リベラル白人」のみならず、黒人だって同じでしょう。黒人だって、白人は自分たちを蔑んでいると言いつつ、彼らの中では、知的で、教養があり、年収も高い人たちは、そうでない人、あるいは犯罪に手を染めるような人たちを蔑んでいるだろうと思います。

テニス選手の大坂なおみさんは、「『人種差別主義者ではない』だけでは十分ではないのです。私たちは『反人種差別主義者』でなくてはならないのです」と発言したそうです。

大阪さんはまだ23歳で、思慮が浅いのは無理もありませんが、それだけでは不十分なのです。私たちは、何人も人種差別から自由ではない(米国黒人には黄色人種に対する差別意識はありませんか?)ことを認識する必要があります。

反人種差別主義者は、自分の内なる差別意識を棚に上げて、他者を批判します。しかし、他者を批判するよりも、まず自分の差別意識を問題にすべきなのです。自分の差別意識さえ直視できない者に、差別なき社会を造ることでなどできる訳がありません。

5.BLMの真価

BLMによる暴動は、米大統領選挙の前に燃え上がりました。
それに関しては、トランプ氏を差別主義者に見せかけ、彼を落選させる思惑があったことが指摘されています。それは、陰謀論でしょうか。
BLMの運動が、もし大統領選挙とは無関係なら、そして、「リベラル白人の始末の悪さ」は、民主党政権になっても変わらないでしょうから、今後も活動は収束しないはずです。もし収束したのなら?

彼らの活動を注視したいと思います。

左翼の国際主義について

国家の成立以前、まだ人類が少人数の集団に分かれて暮らしていた時代、狩りや漁場の取り合いなどの理由で、隣の集団との間で軋轢が、場合によっては、殺し合いもあったでしょう。その時分、自分の集団は味方であり、相手の集団は敵であったでしょう。

国家の成立後も、領土や国益を巡って、近隣国同士の間で対立が、あるいは戦争もありました。その時は、自国(民)は味方であり、隣の国(民)は敵でした。

ところが、近代になって、進歩思想が生まれました。
マルクス主義によれば、資本主義社会では、人々は資本家(ブルジョア)階級と労働者(プロレタリア)階級に分かれます。そして、何れ資本主義社会は倒れ、労働者階級が主導する、というよりも、皆が労働者階級になった階級なき社会が生まれるはずでした。

資本家階級の利益代弁機関としてのブルジョア政府あるいは国家を打倒するのがプロレタリアの目標になりました。そして、自国であれ他国であれ、労働者階級同士は味方であり、一方、ブルジョア階級は敵でした。ブルジョア国家を打ち倒すために、労働者階級は国境を越えて手を結ぶべきものとされました。
「万国のプロレタリア団結せよ!」
左翼にとって、主敵は国内の敵(ブルジョア)であり、国外の敵は二次的でした。

ブルジョア政府を革命によって覆した社会主義国は、次は他の資本主義国を撃破するために、あるいは同国の虐げられたプロレタリアを解放するために、あるいは資本主義国から自国を守るために、革命の輸出を行いました。
資本主義国に社会主義イデオロギーを浸透させ、時にスパイを放ち、時に同国の協力者をピックアップし、彼らに援助を与えたりしました。

一方、資本主義国の左翼は、自国のブルジョア政府を倒すのを容易にするために、あるいは、あわよくば社会主義国家から自国を解放して貰うために、国内で戦争や武力の放棄を訴えました。

労働者階級は国境を越えて手を結びあうはずでした。けれども、第一次世界大戦では、資本家も労働者も自国のために協力して、他国と戦いました。労働者の国境を越えた団結は、実現しませんでした。

政治学者の矢部貞治氏は階級と民族について書いています。民族を国家に替えても、当てはまるでしょう。

「歴史の現段階では、何といっても民族が基本的で、階級は民族の基盤の上での分化にすぎないことを、否定することはできない。(中略)階級は民族から完全に抜け出ることはできない。労働者が資本家になったり、資本家が労働者がになったりすることはできるが、日本人がスラブ人やゲルマン人になることはできない。(中略)事実において階級意識よりも民族意識の方が圧倒的に強大なことは、過去の大戦争などで如実に示されている。民族存亡の危機に直面すれば、階級意識は容易に後退する」(『政治学入門』、講談社学術文庫、76-77頁)

冷戦が終了し、社会主義思想の影響力も随分衰えました。左翼も主流派が、社会・共産主義者からリベラルへ移り変わりました。
しかし、現在の日本のリベラルは、社会主義者からリベラルへの転向の過渡期にあるためか、あるいは社会・共産主義思想を払拭できていないせいか、いまだに国際主義的です。

リベラル派が異常に敵意を燃やすのは、国内のイデオロギー敵、自民党や同党所属の首相とか、安倍前首相や杉田水脈議員や石原慎太郎氏などの右派タカ派の人物とかで、国外の敵、たとえば公船を尖閣海域に送り込む中共とか、日本人拉致や核兵器の開発やミサイル発射を行ったりの北朝鮮に対してではありません。両国に対しては、実に寛容です。

国内の敵には厳しく、国外の敵には優しい。左翼の、変わらない特徴です。

祝 バイデン氏当選

11月3日の投票の結果、トランプ氏を破って、バイデン氏が第46代アメリカ大統領に就任することが決まりました。

日本では、2009年9月から「悪夢のような民主党政権」が始まりましたが、アメリカでは、来年1月から、悪夢のような民主党政権が始まるでしょう。

わが国では、民主党に対する積極的な支持というよりも、反自民の情念によって同政権が生まれましたが、米国ではバイデン氏に対する積極的な支持というよりも、反トランプの情念によって同政権が生まれました。反〇〇の感情によって生まれた政治は、危ういと思います。

日本の民主党政権を主導したのはルーピーでしたが、かの国ではチホーのようです。

わが国では鳩菅と続きましたが、バイデン氏が高齢なため、もし任期中に死亡するようなことがあれば、カマラ・ハリス氏が大統領になります。彼女は国内のゴタゴタを抑え、まとめることができるでしょうか。
また、彼女を極左と評する向きもあり、危惧されます。

トランプ時代は共和党と民主党の、右派と左派の外ゲバの時代でしたが、民主党は支持基盤が多様なので、内ゲバの時代になりそうです。

来年からの散々な民主党政権の後は、長期的な共和党政権の時代が期待できます。
次の米大統領は、現副大統領のペンス氏でしょうか。

めでたし、めでたし。

左派とその敵・右派とその敵

1.右派は支配階級の利益を代弁する党派か

ウィキペディアの「左翼・右翼」の項目に、次のような記述があります。

「社会学者のRobert M.MacIverは1947年の著作『The Web of Government』で以下のように記している。
右翼は上流または支配階級の利益に関連した党派で、左翼は経済的または政治的な下層階級を代表した党派で、中道とは中産階級を代表した党派ある。この基準は歴史的には妥当である。保守的な右翼は固定化された特権や権力を防衛し、左翼はそれらを攻撃する。右翼は出生や富によって階層を形成する、より貴族的な立場を好み、左翼は利益の平等または機会の平等を求めて闘う。民主的な制度の下で両者が衝突する場合、それぞれの階級の名称ではなく、それぞれの原則の名称が主張されるが、しかし対立する原則は実際にはそれぞれの階級の利益と広く関連している」

同「極右」の項目にも次のような文言があります。

「極右とは、左翼・右翼の分類を前提とした用語で、特権階級の特権を極端に維持しようとする個人や集団を指す」

これらの説明は妥当でしょうか。

2.身長と体重

左派と右派の発想の違いを、身長と体重のたとえによって、説明しましょう。

左派は国民全体を、身長の高い者と低い者に分け、前者は敵、後者は味方だと考えます。そして、前者の代弁者が右派であり、後者の代弁者が左派であると。自分たちは低い者の味方であり、自分たちに敵対しているのだから、右派は高い者の味方に違いない!

では、右派の認識は左派と同じでしょうか。違います。
右派は国民全体を、身長ではなく体重の重い者と軽い者に分け、前者は味方、後者は敵だと考えます。そして、前者の代弁者が右派であり、後者の代弁者が左派だと考えます。
すなわち、左派と右派は全く別の基準を用いて、敵と味方を峻別しているのです。

3.階級と国家

冷戦時代の左派=社会・共産主義者にとって、資本家階級は敵で、労働者階級が味方でした。そして、右派は前者の代弁者で、左派は後者の代弁者だと考えていました。
自分たちは労働者階級の味方である、そして、自分たちに反対するのだから、右派は資本家階級の味方に違いない!が、左派の論理です。

一方、右派による敵味方の判定基準は、資本家階級であるか労働者階級であるかではなく、愛国派であるか否か(当人の主観によりますが)です。
資本家の中には愛国派もいるし、反愛国派もいる。一方の労働者の中にも愛国派もいれば反愛国派もいる。要するに、右派にとって、資本家階級であるか労働者階級であるかではなく、愛国派か反愛国派かが(勿論、保守派か進歩派かもですが)問題なのです。
「自分たちに反対するのだから、右派は資本家階級の味方に違いない!」は、左派特有の誤解です。

4.右派は支配階級の利益を代弁する党派ではない

「右翼が上流階級または支配階級の利益に関連した党派で、左翼は経済的または政治的な下層階級を代表した党派」だと政治学者であり、社会学者であったマッキーバーは述べています。しかし、現実には日米欧共に、インテリは左派に傾き、大衆は右派に傾きます。そして、インテリは大衆よりも上流または支配階級に近く、大衆はインテリに比べると経済的または政治的な下層階級に近いのです。
また、「中道とは中産階級を代表した党派である」とありますが、わが国で長年中道を標榜しているのは公明党です。かの党は、「中産階級を代表した党派」なのでしょうか。
極右はどうでしょうか。「特権階級の特権を極端に維持しようとする個人や集団」でしょうか。しかし、彼らは、社会からドロップアウトした者が少なくありません。戦前、五・一五事件や二・二六事件を初め、戦前戦後の右翼テロを見れば分かりますが、彼らはもっぱら支配層を狙いました。
右派は、とても「支配階級の利益に関連した党派」だとは言えません。

マッキーバーの記述は、現実の社会を正確に表していません。 彼が左派であったかどうかは知りませんし、左派でなかったとしても、1947年の時点では、時代の影響を、攻勢極限点の前の、上り坂にある左派の影響を、大いに受けていたのかも知れません。けれども、今から見れば、典型的な左派の主張になってしまっています。だから、それは左派の意見だと見做して良いし、大方の左派も同意見だったでしょう。

自己の見方を絶対視するのと、右派の発想が理解できないのが、左派の欠点です。

【追記】
上記の「左翼・右翼」と「極右」からの引用箇所は、冷戦時代の左派による右派を解釈した記述になっています。
冷戦後、社会・共産主義勢力の退潮により、左派の主流はリベラルに取って代わられました。彼らの信仰箇条の一つは、<あらゆる差別はなくせるはずである>です。
リベラル派の論理はこうです。
我々は差別に反対である。そして、右派は我々に反対する。故に、右派は差別に賛成の立場に違いない!左派が得意とする痴の三段論法です。
その結果、トランプ米大統領は差別主義者のレッテルを貼られることになりました。

なぜ日本人慰安婦は問題にならないのか

1.慰安婦は朝鮮人よりも日本人の方が多かった

身近な人と喋っていて、たまたま話題が慰安婦に及んだ時、私が慰安婦は朝鮮人よりも日本人(1)の方が多かったと言ったら、相手は驚いていました。日本人よりも朝鮮人の方が多いと思っていたらしい。それを聞いて、私の方が驚きました。

身近な人は、テレビと新聞しか見ない、いわゆる情報弱者です。それで分かるのは、テレビや新聞がいかに正確な、あるいは肝腎な情報を伝えていないかということです。

2.なぜ日本人慰安婦は問題にならないのか

慰安婦は、朝鮮人よりも日本人の方が多かった(2)。それなのに、なぜ慰安婦で問題になるのは朝鮮人ばかりなのでしょうか。なぜ日本人は問題にならないのでしょうか。
慰安婦は女性の人権の問題である、のたぐいの言説がありますが、それが女性の人権の問題なら、なぜ日本人慰安婦のそれは無視されるのでしょうか。

朝鮮で、日本の軍人が慰安婦狩りを行い、朝鮮人女性を強制的に連れ去り、慰安婦にしたとの説は、嘘だというのが明らかになりました。
当時朝鮮は日本に併合されていたので、朝鮮人は日本人でした。本人か親が業者の募集に応じ、慰安婦になりました。その点、日本人も朝鮮人も同じです。つまり、彼女たちが慰安婦になったのは、強制ではなく任意でした。

それなのに、どうして朝鮮人慰安婦(の人権)のみが問題になり、日本人慰安婦は話題にもならないのでしょうか。
日本が朝鮮を併合していたから、慰安婦も朝鮮人は被害者で、日本人は加害者との論理なのでしょうか。
当時の朝鮮にはわずかながらも男娼がいて、仕事か旅行で現地を訪れた日本人男性が彼を買ったような事例もあったかもしれません。その論理に従うなら、その場合も、朝鮮人男娼は被害者であり、日本人男性は加害者ということになるでしょう。それなら、踏みにじられたはずの朝鮮人男娼の人権も、問題にすべきではありませんか?

3.真理に抗う人たち

第一、慰安婦は朝鮮人よりも日本人の方が、数が多かったということを知ること。
第二、多かった日本人慰安婦がなぜ問題にならないのかを疑問に思うこと。
この二つによって、慰安婦問題がフェイク・プロブレム=偽問題であることが分かります。

真理に抗う人たちは、この二点を隠しています。徐々にであれ、時が経つにつれて、慰安婦問題の嘘は覆るだろうと思います。
朝鮮人慰安婦しか問題にしない左派は、何れ沈む運命にある泥舟に乗っているようなものです。左派メディアの社員たちは、その時は自分は退職しているか、死んでいると割り切っているのでしょうか。

(1)当時朝鮮は日本に併合されており、朝鮮人も日本人だったので、専門的に慰安婦を論じた書物では、両者を区別するために、日本人を「内地人」と記述しています。
(2)秦郁彦著、『慰安婦と戦場の性』、新潮選書

立派な朝鮮人売春婦・立派でない朝鮮人売春婦

戦前日本の植民地下の朝鮮で、同じ朝鮮人男性に身を任せても、日本人その他には身を任せないのを貫いた娼婦がいたとしたら、彼女は立派な売春婦です。

一方、金のためなら、朝鮮人であろうが日本人であろうが支那人であろうが満州人であろうが、枕を交わしたのは、立派ではない売春婦です。

売春婦になったぐらいだから、経済的に困窮していて、職業あるいは人生の自主的な選択などできなかったのかもしれません。しかし、中には、荒稼ぎできるから、「相手は誰でも構わない」を選んだ女性も少なくなかったでしょう。そして、日本軍の慰安婦になった人たちは、そのような人たちでしょう。

1991年8月14日、金学順さんが慰安婦であったことを明らかにした日を記念して、韓国では日本軍慰安婦をたたえる日が制定され、一昨年施行されました。
けれども、たたえられるべきは、たとえ売春婦であったとしても、朝鮮人男性にしか身を任せなかった女性たちではないのでしょうか。

金のためなら、誰であろうと身を売った人たちは、「たたえ」られるに相応しいでしょうか。
それとも、当時の朝鮮には志操ある娼婦など全くいなかったのでしょうか。

【追記】
私は、慰安婦問題の被害者は日本国および日本国民だと考えるので、「日本軍慰安婦被害者をたたえる日」の、「被害者」の語は、敢えて省きました。

左翼にとって法の原則と真理とは

(下記は、よもぎねこさんのブログ記事、「女性はいくらでも嘘をつけますから 性暴力」への、一回目と二回目のコメントです。)

【一回目】(9月30日)
普通の民主的で、人権の保障された社会では、疑わしきは被告人に有利に、あるいは無罪推定が原則なのですが、左翼は自分たちが敵だと見做す人物、嫌悪する事柄、イデオロギー的に相反する立場に対しては、たとえば安倍前首相のモリ・カケ・サクラ、戦前日本の南京事件や慰安婦問題、弱者(女性)救済イデオロギーに都合の良い伊藤詩織事件などに対しては、途端に有罪推定を適用するんですね。

左派(の主張)には無罪推定。
右派には有罪推定。
が、彼らのモットーでしょうか。

【二回目】(10月4日)
「あること」と「あるべきこと」、事実と価値、存在と当為を区別するのは、今日常識でしょう。

ところが、マルクス主義者はその区別を、ブルジョア的分裂思考と言って否定してきました。
マルクス主義者にとって、真理とは共産主義社会の実現に資する事実のみが真実であって、それに反する事実は真理ではありません。

左翼の目標は社会・共産主義社会の実現から、いわゆる弱者(女性、在日、黒人、LGBT他)に対する差別なき社会の実現に移行したようです。

けれども、目標は変わっても、左翼の真理観は変わっていません。弱者救済に役立つ事実のみが真実であり、そうでない事実は彼らにとって真実ではありません。
左翼にとって真理は、政治の手段であり、下僕にすぎません。

真理だけではありません。よもさんが言うところの、疑わしきは被告人の有利にや証拠主義などの法の原則も、自分たちのイデオロギーに資するものだけか、それに役立つ場合に限り尊重して、そうでない場合は尊重しません。

真理や法の原則に関するそのような思考や行動は異様なのだ、ということを少しも疑問に思わないし、それを指摘しても聞く耳を持ちません。

目の両側を遮蔽され、正面に人参をぶら下げられた馬のように、左翼はイデオロギーという人参しか見えなくなっているのかもしれません。

覇権国の論理

18、19世紀の世界における覇権国イギリスと20、21世紀の覇権国アメリカの行動原則は、<自国の覇権を脅かすもの、自国に取って代わろうとするものは潰せ>、ではないでしょうか。

イギリスは英蘭戦争でオランダを潰し、覇権を維持しました。
アメリカも、第二次世界大戦で独日を潰し、冷戦でソ連を潰し、冷戦後は経済的に脅威となった日本を潰し、そして今、中共を標的にしているのだと思います。

このように言うと、イギリスもアメリカもあくどい国のような印象を受けますが、必ずしもそうではありません。米英のような覇権国が、自由で民主的な体制の国であったのは幸いでした。
もっとも今後の世界で、自由や民主主義、人権や法の支配を保障しない国は、一時的に覇者になったとしても、各国から異議申し立てや反抗が起こり、長期的に覇権を維持するのは困難でしょう(だから、中共は長期的な覇権国にはなりえません)。

自国に取って代わろうとするものは許さない、という覇権国の原則の是非はともかく、というよりも、その是非を論じるのは無意味なので、事実は事実として認め、その時々の置かれた状況により、日本は自国の舵取りを考えれば良いのだと思います。
すなわち、現在はアメリカ側について、独裁主義国家中共の覇権国化を阻止すべきでしょう。

百年後か二百年後、アメリカがBLMやANTIFAのような極左に乗っ取られ、自由や人権等がない国になる一方、支那が共産党一党独裁の体制を脱し、自由で民主的な国になり、そのような米支が世界の覇権を争うことになったなら、その時は支那と同盟を結び、アメリカを潰すことを考えれば良いのだと思います。

【追記】
独裁主義国が長期的に覇権を保持するのは無理だとしても、一時的に覇権を握る可能性はあります。そして、それは国際社会の災厄です(10月9日)

戦後平和主義への痛撃

福田恒存氏は戦後十年目の昭和三十年、雑誌『文藝春秋』6月号に「戦争と平和と」と題する論文を寄せています。
世がいわゆる戦後平和主義の潮流にある中で、そして戦後七十五年経った今でも、そこに浸り続けている中で、福田氏はその風潮とは無縁でした。それは、以下の言説で明らかです。
ところどころ引用しましょう(『平和の理念』、新潮社、昭和四十年より)。

・「私が自分の人間觀、文化觀にもとづいて、戰爭と平和とをどう考へてゐるか、まづそのことを書いてみませう。
私はこの人間社會から戰争は永遠になくならないと信じてをります。ある雜誌のインターヴューで、さう答へましたら、あまりにショッキングであり、反動的だといふ理由で沒になりました。文字どほり、私は理解に苦しむ。私に關するかぎり、すでに言論の自由がおびやかされてゐるやうです」(75頁)

(笑)。
戦後平和主義に取り付かれた人たちは、このような主張を見るだけで、表情が強張ってしまうのでしょう。

・「進歩主義の歴史觀からいへば、シーザーだのアレクサンダーなどといふ英雄は、民衆の命など藁しべほどにもおもつてゐない、支配者は自分の野心のため、平氣で民衆を犧牲にするといふことになつてゐるらしい。そんなばかな話はないので、かれらも、またかれらに支配されてゐた民衆も、戰爭と平和との相關關係をよく呑みこんでゐたでせうし、平和の贈物を實らせるために戰爭をしたり、戰爭をしなかつたりしてきたのです」(76頁) 

わが国の、天下統一を目指した過去の武将たちだって、泰平の世を実現するために戦争をしたのでしょう。
反権力を掲げる左派メディアや文化人たちは、「進歩主義的歴史觀」に囚われているから、安倍晋三前首相のように、戦後平和主義という迷信の埒外にある政治家に対して、病的なまでに嫌悪し、批判的な言辞を弄するのだと思います。

・「原水爆であらうと惡魔であらうと、生まれてしまつたら、もうどうにもならないのです。あと私たち人間のできることは、さらにそれをおさへる強力なものの發明あるのみです」(78-79頁)

これも、戦後平和主義者あるいは核兵器廃絶論者には認めがたい主張でしょう。でも、認めがたかろうが、真実は真実です。

・「力の政治は力によつてしかおさへられません」(79頁)

有史以来、国際社会で繰り広げられているのは、「力の政治」です。話し合いによる平和とか外交による平和とかは、補助的な役割しか担っていません。主従を見誤っているのが、戦後平和主義者の特徴です。

・「ここ十年の平和を顧みて、じつさいそれが維持できたのは、ソ聯のためとも、平和論のためともいへない、アメリカの力もその大きな役割をなしてゐることは否めません。ソ聯とアメリカの武力が、原水爆が、平和を維持してきたのです」(85頁)

ここ七十五年の、日本の平和を顧みて、実際にそれが維持できたのは、憲法のためとも、戦後平和主義のためとも言えません。中共公船の尖閣侵入をみても明らかですが、自衛隊とアメリカの武力が平和を維持してきたのです。

・「戰争はかならず起るといふのは、過去に示された人間性の現實を見て、さう判斷するだけのことです」(87頁)

進歩主義者=左翼は、とにかく「過去に示された人間性」を、あるいは自分の内心を見ない人たちです。

・「私は元來、日本人を平和的な國民だとおもひます。(中略)たしかに日本人は神經が細かくて、我と我との摩擦をきらふのです。が、それが戰爭をきらふ氣もちにはならない。逆説めきますが、それがかへつて人々を戰爭に驅りやるのです。かう考へられないでせうか。一家の仲間うちの爭ひを嫌ふ日本人は、仲間そとにたいして、その逆に出る。仲間うちと仲間そとを極端にわけて考へるのは、封建制の名ごりといへさうですが、そればかりではなく仲間うちの、すなはち、國内のごたごたにたへられなくて、その結果、外に向ふといふこともありえませう」(92頁)

戦前日本は、経済力においても、軍事力においても、アメリカと比較して格段の差があったのに、なぜ無謀な戦いを挑んだのでしょうか。
東条英機氏以下の指導層は、カルトの信者でもなく、鳩山由紀夫氏のようなルーピーでもなかったはずです。陸軍と海軍の葛藤のような、「国内のごたごたにたへられなくて」、対米戦に突き進んだのではないでしょうか。

安倍前首相の靖国参拝に思う

当ブログには、唯一「よもぎねこです♪」をリンクに付けています。
よもぎねこさんの8月29日公開の記事「安倍総理辞任について 個人的感想」のコメント欄に、30日次のような短文を送りました。

「辞任後、一代議士となった安倍さんには、靖国神社の参拝を期待したいですね」

安倍晋三首相の任期は、正式には9月16日まででした。
そして、その三日後の19日、安倍前首相は靖国神社に参拝されました。
英霊に、首相を退任したことを報告したのだそうです。

わずか三日後の参拝ということで、安倍氏の信条と心情が理解できます。
2013年12月に一度参拝しましたが、韓支とアメリカの圧力によって、それ以降できず仕舞いでした。
任期中に随時参拝できなかったことは、さぞや悔しかったことでしょう。

8月2日公開の「なぜ私は宗教を信じないか」で述べましたが、私は無神論者です。
初詣は当然のこと、一年に一度も参詣しません。また、車のルームミラーにお守りを下げたり、車体に〇〇神社の安全祈願のシールを貼ったりもしません。

けれども、私的な信条と公的な立場とは別です。
キリスト教徒の政治家も首相になったらそうすべきであるように、もし私が首相になったとしても、靖国神社への参拝を目指すでしょう。