『国民の歴史』の韓国観

1.韓国という国

1996年に発足した「新しい歴史教科書をつくる会」の初代会長西尾幹二氏は、1999年大部の『国民の歴史』(産經新聞社)を上梓しました。
西尾氏は書いています。

・「日韓問題を考えると、愉快になったことは一度もない」(705頁)

・「中国皇帝を中心に円周上に広がっている華夷秩序の内部に近いところがより文明的であり、外縁にいくにつれて野蛮だというひと昔もふた昔も前の序列意識が、他の国に例のないほど韓国には固定化している」(709頁)

・戦前、「中国と韓国は無力であったにもかかわらず、日本に理由なき優越感を示し、扱いにくい、面倒で、手に負えない存在であったことである。両国はともに古色蒼然たる東夷思想・中華思想に閉ざされていたために、『小癪な東夷・日本』という侮日感情を最初から抱いていた。彼らとの今日に及ぶ感情的もつれの原点である」(509頁)

・戦後の日本では、「もともと優越感を抱いていたのは日本人のほうだとされていないか」(510頁)

・「韓国人にいくら言っても伝わらないもどかしさ」(706頁)

・「私たちは類例のない悲劇の国に、うかつにも手をつっこんでしまったのである」(713頁)

・「昔も今も、私たち日本人はあまりにも変わっていないな、ずっと同じ勘違いをしつづけているんじゃないか、という思いである」(同前)。「善意をもって隣人のように接すればよいという、なにか自分の側に最初に思い込みと錯覚があって、それの延長線上に相手を考え、相手に異なる意識があるということに気がつかないある種の独善によって動いていた」(717頁)

『国民の歴史』は二十年前に出版されましたが、今日の日韓の軋轢の原因を的確に表現していると思います。

2.韓国併合について

西尾氏は、韓国併合についても記しています。

・「私は、悪いことをしたと日本人がまず考えるべきではないし、朝鮮の人と対話をするときにも、頭から当時の国際情勢を理解することを求め、国際社会の条理にかかわる歴史理解に道徳は介入できないことを説得すべきであろう。悪いことをした、しかし部分的に日本はいいこともしたというような姑息な言い方をやめよう。われわれはなにも悪いことはしていない」(720頁)

・「世界史の必然に対しわれわれは何も謝罪する必要はない」(721頁)

・「われわれは歴史の必然として起こった遠い過去の出来事に対して、罪の意識を抱く必要はまったくない。謝罪の必要もない」(722頁)

西尾氏は、次のようにも書いています。

・「不幸にして起こった一部の悪を、ありえない誇大なものに言い立てる韓国人の癖はよく知っているが、日本人は自分の名誉と政治的利害のために、起こってもいないことをも起こったこととする大きな嘘とはきちんと闘わなければならない」(723頁)

3.極東の国と極西の国

1980年代から90年代初めにかけて、経済的に世界を席捲している頃でしょうか、日本は極東ではなく極西の国であるというようなことが言われましたが、事実を事実として認め、国際条約を守るのが西方の国の特徴であるとし、事実を事実として認めない、もしくは自分にとって都合の良い事柄のみが事実だと考える、そして国際条約を守らないのが東方の国の特徴だとするなら、日韓は地理的には隣同士ながら、韓国は極東の国、日本は極西の国だと言えるでしょう。
極東と極西の境界線は、対馬海峡を通っています。

済州島での国際観艦式における参加艦艇への軍艦旗の掲揚自粛要請(実質的に、海自艦に対する旭日旗掲揚拒否)、日韓請求権協定に反する、韓国大法院によるいわゆる徴用工問題の不当判決、「和解・癒やし財団」の解散による、日韓慰安婦合意の一方的破棄、韓国海軍の駆逐艦による、海上自衛隊の哨戒機P-1に対する射撃用管制レーダーを照射した事件、キャッチオール規制の厳格化(優遇措置対象からの韓国の除外)に反発しての、日韓軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の破棄決定等を見て、私もそうですが、さすがに普通の日本人は韓国の異様さ、と言って悪ければ、同国の異質さを認識するようになりました。それ自体は大変喜ばしいことです。

ただわが国の左翼だけは、いまだに「善意をもって隣人のように接すればよいという、なにか自分の側に最初に思い込みと錯覚があって、それの延長線上に相手を考え、相手に異なる意識があるということに気がつかないある種の独善」の中に棲んでいるようです。

【追記】
11月23日午前零時に失効するはずだったGSOMIAが、韓国の翻意によって、22日一転、継続することになりました。アメリカの圧力のためであるらしい。
読まれないブログを書くのが私の特技ですが、大国に翻弄され、右往左往するのが韓国の特技のようです。

E・ルトワック氏の「韓国が反日の理由」

1.韓国・オランダ・スウェーデン

月刊『Hanada』12月号に、米戦略国際問題研究所上級顧問エドワード・ルトワック氏の「韓国よ、歴史の真実を学べ」という記事が掲載されています。
そこで、ルトワック氏は述べています。

「若いオランダ人たちは、自分の父親たちが臆病者であったからこそ、戦後に反ドイツ的な感情を持ち続けたのである」(37頁)
戦時中、「オランダは、まるでドイツの使用人のように振る舞っていた。だからこそ戦後、ドイツ人を長期にわたって憎しみ続けることになった」(38頁)

「戦後、たとえば一九五三年頃になると、ヨーロッパの多くの国ではドイツをすでに許していたが、スウェーデンはオランダと同じように、超がつくほどの反ドイツ感情を保持していた。
戦時中、彼らはオランダ人と同じように臆病者で、ナチスに協力していた」(40頁)
「戦時中にドイツに協力的だった国こそ、本当に反ドイツ的な態度をとるようになる」(40頁)

「一九四五年までの朝鮮半島で、実は抵抗運動(レジスタンス)と呼べるようなものはほとんど発生していない。朝鮮人たちは概して服従的だったのだ。
むしろ多くの人々は、服従以上の態度で自発的に日本に協力し、日本軍に積極的に志願したのである」(37頁)
故に、「韓国人はいまだに、自分たちの父親や祖父たちが臆病者で卑屈だったという心理的トラウマに悩まされている」(38頁)

一方、戦後「ユーゴの人々はドイツからの旅行者を大歓迎していた。
その理由は、ドイツ人がユーゴ人を殺し、ユーゴ側もドイツ人を大勢殺したからだ。彼らは決して臆病者ではなく、立ち上がり、戦ったのである。誰も自分たちの父を恥じることもなく、誇りを持てた。だからこそ戦後、ドイツ人に対して友好的になれたのである」(37頁)

ルトワック氏の主張を敷衍するなら、戦時中アメリカ人は日本人を殺し、日本側もアメリカ人を大勢殺したから、戦後日本人はアメリカに対して友好的になれたということでしょう。
米軍と良く戦った愛国的日本人が戦後親米になり(戦勝国史観には批判的でしたが)、反戦や社会主義思想のゆえに投獄され、そこで温温と過ごした「臆病者」が戦後反米反日的な左翼になったのでしょう。なるほど、平仄が合います。

ついでに述べるなら、戦後の保守派は親米になりましたが、「反米保守」などという人たちは、冷戦中左翼やノンポリだったりして、(意識の上であれ)左翼とちゃんと戦わなかったから、その後ろめたさのゆえに、左翼とたたかった親米保守派に烈しい対抗意識を持つのでしょう。
冷戦時代に左翼でもノンポリであった訳もなく、左翼と言論でたたかった人で、冷戦後親米保守を批判した人を、私は一人も知りません。
結局のところ、反米保守派はニッポン・ネオコン(転向保守)なのです。彼らは、社会・共産主義者、リベラルとは別の、左翼の一分派なのです。

2.北朝鮮と韓国

ルトワック氏は、現在の北朝鮮と韓国についても語っています。

「われわれが認めなければならないのは、北朝鮮の核兵器は、中国からの自立と存続を保証しているということだ。(中略)北朝鮮の核が中国からの自立と存続を保証している以上、北朝鮮がこれを手放す可能性は非常に低い」(34頁)

戦前の日本が日清、日露戦争をたたかわざるをえなかったのは、そして韓国を併合せざるをえなかったのは、安全保障の点から朝鮮半島を支那やロシアに渡すわけにはいかなかったからでしょう。

ところで、現在北朝鮮はどこの国の脅威のゆえに核兵器の開発と保有を進めているのでしょうか。
ルトワック氏が言うように、第一は支那でしょう。以下は私見ですが、第二は同じく陸続きのロシア、第三がアメリカで、第四、五が韓日ではないでしょうか。北朝鮮は核兵器を保有することによって、わが国の防波堤になってくれている面もあるのです。

一方、「韓国はもはや米国や日本と過去に結んでいた関係に戻らないことが明白になった。彼らに中国に抵抗する意思はなく、一方的に従属しつつある」(41頁)

北朝鮮の金正恩委員長は梯子をかけて、トランプ大統領の耳元で囁いたのかもしれません。「わが国の核は貴国に向けたものではなく、支那に向けたものである」とかなんとか。

「中国に抵抗する意思」がある北朝鮮と、ない韓国と。
トランプ氏が文在寅大統領よりも、金正恩氏をより信頼しているように見えるのは、そのせいもあるように思います。