先攻の左派・後攻の右派

1.先に攻撃を開始するのは左派である

政治的関心のない人ならともかく、政治意識の高いはずの左派の人たちの殆んども、次のような政治の基本原理を理解していないようです。
福田恒存氏は書いています。

「普通、最初に保守主義といふものがあつて、それに對抗するものとして改革主義が生じたやうに思はれがちだが、それは間違つてゐる。(中略)最初の自己意識は、言ひかへれば自分を遮る障碍物の發見は、まづ現状不滿派に生じたのである。革新派の方が最初に仕来りや掟のうちに、そしてそれを守る人たちのうちに、自分の『敵』を發見した。
先に自己を意識し『敵』を發見した方が、自分と對象との關係を、世界や歴史の中で自分の果たす役割を、先んじて規定し説明しなければならない。社會から閉め出された自分を辯解し、眞理は自分の側にあることを證明して見せなければならない。かうして革新派の方が先にイデオロギーを必要とし、改革主義の發生を見るのである。保守派は眼前に改革主義の火の手があがるのを見て始めて自分が保守派であることに氣づく。『敵』に攻擊されて始めて自分を敵視する『敵』の存在を確認する。武器の仕入れにかかるのはそれからである。したがつて、保守主義はイデオロギーとして最初から遲れをとつてゐる。改革主義にたいしてつねに後手を引くやうに宿命づけられてゐる」(福田恒存著、「私の保守主義観觀」『福田恒存全集 第五巻』、文藝春秋、437頁)

先に攻撃を開始するのは、いつも左派です。左派の攻撃に対して防戦するのが右派なのです。
だから、以前「左派は先制攻撃派で、右派は専守防衛派だと言えるでしょう」と書きました。

2.誰が社会の秩序に石を投げているか

夫婦同姓、異性婚、国籍がある者だけに参政権がある、殆んどネイティブだけの移民がいない、性差がある・・・・のが当然の社会には少なからず不合理もあったでしょうが、それはそれなりに静かな社会でした。

ところが、そのような秩序ある社会に石を投げる人間が出現します。左派(進歩派)です。彼らは、社会に夫婦別姓、同性婚、外国人参政権、移民の受け入れ(アメリカなら、非合法移民の受け入れ)、性差の否定・・・・といった石を投げ入れます。
それによって、それまでは静かだった社会に波紋が生じます。

3.憲法は右派が先攻?

現在、憲法は右派が改憲を、左派が護憲を主張しています。だから、憲法に関しては、逆に右派が先に攻撃をしかけているように見えます。しかし、それは正しくありません。

もし大東亜戦争がなく、時代の変遷とともに帝国憲法が徐々に改正されていれば、今頃は右派が護憲を、左派が改憲を主張していることでしょう。

しかし、大戦とその結果としての敗戦があり、占領軍によって、しかもその中の進歩的な勢力主導による憲法(天皇=元首の否定や第九条=日本の生存権否定)が制定されました。

占領憲法の制定は、一種左派による先制攻撃です。そのゆえに、右派は後攻として憲法の改正を主張しているのです。

4.左派の解釈

もし社会の秩序に石を投げ、混乱を引き起こしているのが右派なら、左派が右派を嫌うのは当然だと言えるでしょう。しかし、石を投げているのは左派なのです。
彼らは、自分たちが、社会に混乱を引き起こしているという自覚がありません。
「先に攻撃を開始するのは左派である」という政治の基本原理を理解していないからです。

先に石を投げているのは左派なのに、なぜ左派は右派を毛嫌いするのでしょうか。
左派が指し示す方向に、右派が反対するからです。

左派によれば、旧い、間違った制度を否定することは、社会の秩序に対する攻撃ではない。進んだ、「正しい」制度に反対することこそが攻撃なのだということなのでしょう。
自分たちが正しいと訴える主張に、右派が反対するから社会が混乱するのだと考えている。本末が転倒しています。

5.左派は巨大な石を投げ込んだ

左派が目指さんとする社会は、本当に理想的な社会なのでしょうか。
左派は、前世紀、社会に巨大な石を投げ込みました。マルクス主義です。
彼らはそれによって、より良い社会ができると信じた。しかし、できたのは、政治敵の処刑、反革命分子の密告や粛清、思想や言論の統制、強制収容所や飢餓などが頻発する社会でした。

右派は、左派の言うより良き社会が信じられないのです。だから、どのようにすれば理想社会が実現するのか事前にかつ具体的に説明してくれたら良いのですが、左派にとってそんなことは自明らしく、説明もなく突然社会に石を投げ入れる。

自分たちの考えを疑わないのが、左派の最大の欠点です。

「小英雄」としてのグレタ・トゥンベリさん

1.小英雄

ジョージ・オーウェルは『1984年』(新庄哲夫訳、ハヤカワ文庫NV)に書いています。

「あのような子供たちを抱えていたのでは、あのみじめな婦人も恐怖の一生を送らなければなるまいと彼は思った。あと一年か二年、子供たちは昼夜の別なく母親に異端の徴候がないものかどうか監視を続けるに違いない。(中略)三十歳以上の人たちにとって、自分の子供たちにおびえるのはほとんど日常茶飯事になっていた。それもその筈でザ・タイムス紙が毎週ほとんど欠かさず、盗み聞きする小さな密告者が一一般的に”小英雄”という言葉で呼ばれていたわけだが一何か危険な話を立ち聞きして両親を思想警察に告発したという記事を掲載していたからである」(35頁)

オーウェルのは小説ですが、彼が偉大なのは、その後共産主義社会で起こったたことを的中させたからです。

全体主義社会では、政府を陰で批判する親を、その子供が告発するようなことが起こります。そして、そのような子供が社会で「小英雄」だとして賞賛されたりします。

2.16歳の環境活動家

自身の親は告発しないものの、親や祖父母世代に対する告発をしている、9月23日ニューヨークの国連本部で行われた気候行動サミットでのグレタ・トゥンベリさんの演説する姿を見れば(私はテレビを見ない主義者なので、新聞でしか見ていませんが)、小英雄という言葉が頭をよぎるのは自然でしょう。
若干16歳にして「環境活動家」だという(笑)。

3.あやつり人形

地球温暖化の問題は、大人の科学者でさえ見解が割れていると思います。彼女は16歳にして、この問題に通暁しているのでしょうか。

本来なら、この問題についてろくに知らない子供よりも、十分な知識を持った大人が静かに語るべきです。しかし、大人が語ってもインパクトがありませんし、この問題が注目されません。そこで、急進主義者の策士が子供をダシに、話題性を狙ったのでしょう。

4.二種類の人たち

トゥンベリさんの演説を見た人たちの反応は、二種類に分かれると思います。

第一の人たちは、いかなる思想的・政治的立場であろうと、あのように子供が演説する姿を見て、おぞましいと考える人たち。はっきり言えば、正気を保っている人たちです。
先に、「若干16歳にして『環境活動家』だという(笑)」と書きましたが、笑うべき、というよりも嗤うべきことだと考える人たちです。

第二の人たちは、自分とは違った思想的立場の場合であればおぞましいと考えるけれども、同じ立場なら素晴らしいと、拍手と喝采を送る人たちです。
彼らは、左右の全体主義者の素質がある人たちです。

戦前は戦意高揚記事を、戦後は一転社会主義寄りの記事を読者に強いた、全体主義に親和的な朝日新聞は、9月25日付の社説「気候サミット 若者の怒りを受け止めよ」に書いています。

「今回のサミットでスウェーデンの環境活動家グレタ・トゥンベリさん(16歳)は『若者はあなたたちの裏切りに気づき始めている。もし私たちを見捨てる道を選ぶなら、絶対に許さない』と各国代表に訴えた。
グレタさんら12カ国の少年少女16人は『気候危機は子どもたちの権利の危機だ』と、国連子どもの権利委員会に救済を申し立てた。サミット直前には160カ国以上で400万人を超す若者の一斉デモがあった。こうした若者たちの怒りを重く受け止めねばならない」

朝日新聞的な人たちは、ある時代にはヒトラー・ユーゲントたちの「怒りを重く受け止め」、別の時代には紅衛兵たちの「怒りを重く受け止め」てきた人たちです。

5.いつか来た道

とりわけ二十世紀は、小英雄に拍手・喝采を送るような人たちに、引き摺られた時代でした。

彼らを信用しない第一の人たちが社会の多数派なら心配ないのですが、第二のタイプの人たちは、マスメディアを中心に意外に影響力のあるところにいるので侮れません。

小英雄に拍手・喝采を送る第二の人たちの言うことを信じていると、山本夏彦氏ではありませんが、とんでもない所に案内されて、驚くことになります。

公立の部門に、左翼的表現の自由を!

1.「表現の不自由展・その後」

今月1日に開幕した国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」は、3日に企画展「表現の不自由展・その後」を中止したそうです。
慰安婦少女像などに対して、抗議の電話やメールが殺到して、平和裏に展示会を続けられなくなったためらしい。

2.表現の自由に反する?

それに対して、左派は、表現の自由を守れとの訴えています。
8月6日付朝日新聞は、社説「あいち企画展 中止招いた社会の病理」に書いています。

「人々が意見をぶつけ合い、社会をより良いものにしていく、その営みを根底で支える『表現の自由』が大きく傷つけられた。深刻な事態である」

3.表現の自由の問題か

東京の銀座であれ、大阪の御堂筋であれ、その他の都市の人通りの多い商業地であれ、しかるべき場所を借りて、「表現の不自由展」を開催する自由はあります。
もしそれが妨げられたのなら一大事で、表現の自由が危殆に瀕している、あるいは「深刻な事態」であると言えるでしょう。しかし、今回の事例は違います。

4.津田大介氏の意図

芸術監督津田大介氏は記者会見で、次のように述べたとのことです。

「物議を醸す企画を公立の部門でやることに意味があると考えた」(1)

津田氏だって分かっているのです。この度の騒動は表現の自由の問題ではないこと。「表現の不自由展・その後」は一種のゴリ押しであることを。

朝日新聞の編集委員大西若人氏は書いています。

「作品選択の基準は『過去の展示不許可』であって、トリエンナーレが『いい作品』と推したわけではない」(2)

この文言でも分かるように、「表現の不自由展」は、政治(イデオロギー)を芸術に持ち込んだ典型例です。

5.右派による「表現の不自由展」を認めるか

この度の表現の不自由展の出し物は、左派が喜びそうな展示品でした。
ではもし、左派が激怒するような作品を目玉に、右派が「表現の不自由展」を「公立の部門でや」ったのだとしたらどうだったでしょうか。
左派は、それでも表現の自由を守れと叫んだでしょうか。
左派の「前科」を見れば、反対したであろうことは疑いえません。

6.左翼的表現の自由を!

結局のところ、左派が求めているのは、<公立の部門における、左翼的表現の自由を特権的に認めよ!>ということです。

そして彼らは、実質的には左翼的表現の自由を求めていながら、一般的な表現の自由の問題にすり替えて論じているのです。
これは、左翼の常套戦術です。
「ああ、またこの手か」
この度の騒動を見ての感想です。

7.左翼的表現の自由の後退

「表現の不自由展」を3日で断念せざるをえなくなって、津田氏は次のように語ったとのことです。

「表現の自由が後退する悪しき事例を作ってしまったことに対する責任は重く受け止めている」(3)

これは次のように読み替えるべきででしょう。
「左翼的表現の自由が後退する悪しき事例を作ってしまったことに対する責任は重く受け止めています。(左翼)同志の皆様、ゴメンナサイ」

(1)朝日新聞2019年8月4日
(2)同上2019年8月6日 
(3)https://www2.ctv.co.jp/news/2019/08/04/60290/

左翼信仰

1.信仰の対象

キリスト教徒は唯一神Godを信仰の対象にしています。共産主義者は唯一のイデオロギー、マルクス主義を「信仰」の対象にしています。しかし、冷戦後、自他共に認めるという共産主義者は激減しました。彼らに代わって勢力を伸ばしているのが、リベラルという「多神教徒」です。

戦後のわが国の左翼が信仰の対象にしてきたのは、次のようなものです。
資本主義から社会主義への社会の発展、非武装中立、平和憲法、東京裁判史観、核兵器の廃絶、差別なき社会・・・・
共産主義者にとって、「資本主義から社会主義への社会の発展」が上位目的で、その他はそれに役立つ限りで支持しうる下位目的に過ぎません(実際に、非武装中立を主張したのは日本社会党で、日本共産党は武装中立ですが)。

一方、旧社会党的な、優柔不断な左翼は、それらを並立して目的としていました。彼らは一種の多神教徒です。優柔不断な左翼の正嫡たる現在のリベラル派は、平和憲法、東京裁判史観、核兵器の廃絶、差別なき社会をいまだに信仰の対象にしています。

2.理解というより信仰

それら政治目的に対するリベラルを含めた左翼の信じ方は、科学者の仮説に対する態度ではなく、信徒の「ご本尊」に対する態度と同じです。
信徒は信仰に都合が悪い事実が発覚しても、それを見ようとはしません。彼らは多くの宗教・宗派を比較研究した上で、一番正しいと思えるものを選んだわけではありません。にも拘らず、説得によって彼らに改宗もしくは棄教させることは不可能です。
左翼は、対象は宗教ではなく政治問題に過ぎないのに、理解ではなく、信仰しようとします。

3.説明・証明の不在

冷戦後、資本主義から社会主義への社会の発展及び非武装中立に対する信仰は薄れましたが、その他の論点への左翼の信仰はいまだ健在です。

・平和憲法について
1950年時点で韓国に平和憲法があったら、北朝鮮は南進しなかったでしょうか。2003年にイラクが平和憲法を持っていたら、アメリカは同国を攻撃しなかったでしょうか。2014年にウクライナが平和憲法を所有していたら、ロシアはクリミア・セヴァストポリを併合しなかったでしょうか。
現在支那はわが国の尖閣諸島に野心を持っているのは周知の通りですが、その野心を阻んでいるのは平和憲法でしょうか。
自衛隊と米軍=軍事力であるのは明らかでしょう。

・東京裁判史観について
そもそも戦争の勝敗と善悪は無関係です。どうして敗戦国のみ悪のレッテルを貼られなければならないのでしょうか。戦争犯罪は戦勝国も敗戦国もおかしています。前者の戦争犯罪は不問に付し、後者のそれだけを追及するのは二重基準でしょう。しかも、東京裁判では事後立法によって、そして「戦争犯罪」の拡大解釈によって日本を裁きました。それは、法の不遡及の原則に反しています。

戦前先進国は皆植民地を持っていました。戦勝国の植民地支配は非難されないのに、なぜ敗戦国の植民地支配のみが反省や謝罪の対象になるのでしょうか。

・核兵器の廃絶について
それでも核兵器は廃絶できない」をご覧下さい。

・差別なき社会について
差別的と見られる制度をいくら改めても、最後は人間の差別意識というどうしょうもないものに突き当たります。そして、それは人間が人間である限り永遠に無くすことはできないのです。

以上について、左翼は何ら納得できる説明なり証明なりを行っていません。
それにも拘らず、彼らは頑として自らの信仰を疑おうとはしません。そして、信仰を同じくする者たち同士で合言葉を交わしてメートルを上げる一方、信仰を同じくしない者の言論は封殺します。

4.神は死んだ

左翼教の信徒は、平和憲法、東京裁判史観、核兵器の廃絶、差別なき社会といった「神」が、もう既に死んでしまっていることに、気づいていないようです。

左翼的思考とそれが生みだす社会

保守主義者は存在(事実)から出発しますが、進歩主義者(左翼)は当為から出発します。
前者は「あること」から出発するのに対して、後者は「あるべきこと」から出発します。

たとえば、後者の場合は、次のような具合です。
・戦争はあってはならない、戦争は放棄しなければならない。
・武力はなくさなければならない、陸海空軍その他の戦力は、これを保持すべきではない。
・核兵器は廃絶しなければならない。
・人民は経済的に平等でなければならない。
・差別はなくさなければならない。
・外国人・移民と共生できる社会を作らなければならない、など。
「でなければならない」、からスタートするのが左翼の発想法です。

でなければならない、と言うためには、そもそもそれが可能でなければなりません。それが不可能なら、でなければならないと言うのは無意味です。
では、以上の事柄は、実現可能なのでしょうか。

・戦争はあってはならない、と言いますが、戦争をなくすことはできるのでしょうか。他国の侵略から自国・自国民を守るための戦争も、「あってはならない」(してはならない)のでしょうか。
・武力はなくさなければならない、と言いますが、国家は武力をなくすことができるのでしょうか。
現在の東アジアにおいて、日本が一方的に軍隊も武器も捨て去ることができるのでしょうか。そうすれば、日本も周辺各国も平和になるのでしょうか。
・核兵器は廃絶しなければならない、と言いますが、それをなくすことは可能なのでしょうか。
・人民は経済的に平等でなければならない、と言いますが、当の人民は平等な社会を望んでいるのでしょうか。
能力のある人、身を粉にして働く人は、能力のない人、ろくに働かない人と経済的に平等であることに満足できるのでしょうか。
・差別はなくさなければならない、と言いますが、差別をなくすことはできるのでしょうか。
制度としての差別はなくすことができるかもしれませんが、差別意識をなくすことはできるのでしょうか。
・外国人・移民と共生できる社会を作らなければならない、と言いますが、それは可能なのでしょうか。
ユーゴスラビア社会主義連邦共和国は、同じ国民なのに民族・宗教・言語の違いによって対立し、さらに殺し合い、国家が空中分解してしまいました。
欧米で移民(二世も含む)による犯罪、テロ、暴動が発生していますが、それは外国人・移民との、あるいは多文化共生というものがいかに困難であるかの証拠でしょう。

左翼は当為から出発します。が、そもそもそれは実現可能であるか否かということを問おうとはしません。その問いを素通りしています。それが可能なのを自明のこととしています。
彼らの主張の体系は、一階のない二階建ての構造物のようなものです。
そして、事実として、それが実現可能なのかを問わないから、現実に裏切られるのです。一階部分が安普請だから、理想の宮殿が倒壊するのです。
結果、彼らの予想とは違った世界が現出します。

「あること」を直視することができないのが、左翼の大きな欠点です。
左派は、右派は非合理だと一言で片付けますが、そして、レベルの低い右派は確かにそうかもしれませんが、「あること」をすっ飛ばして、「あるべきこと」を直接目指す左派も、相当に非合理的な思考の人たちだと思います。

左翼中の左翼、共産主義者たちは、かつて実現しようと試みました。
経済的に平等な社会、階級なき社会、人間疎外なき社会、資本家による搾取なき社会、公害なき社会・・・・
しかし、現実に生まれたのは、経済的に平等ということになっている社会(毛沢東にしろ、金正恩氏にしろ一般民衆のレベルとは隔絶した生活を送っています)、階級がないということになっている社会、人間疎外がないということになっている社会、資本家による搾取はないけれども赤い貴族による搾取はある、搾取がないということになっている社会、公害がないということになっている社会・・・・でした。
左翼の熱狂によって生まれたのは、「一である社会」ではなく、「一であるということになっている社会」でした。

今日の左翼たるリベラルが目的としているのは、差別なき社会、外国人・移民と共生できる社会等です。
しかし、彼らは進歩主義者であり、一階部分に対するおもんぱかりがありませんから、彼らの意図とは違った社会が生まれるのは必定です。

リベラルの熱狂によって出現するのは、差別がないということになっている社会、外国人と共生できているということになっている社会でしょう。
言っても無駄ですが、なぜ彼らはそれに気がつかないのでしょうか。

では、左翼はどのような方法によって、「一ということになっている社会」を作り上げるのでしょうか。
共産主義国では恐怖政治と思想・言論・報道の自由の封殺によってでしたが、リベラルはもっぱら後者の制限によってです。

リベラル派は、「差別的発言に、言論の自由はない」と平然と口にします。そして、差別的であるかどうかは、彼らが判定します。その言動を見れば分かりますが、彼らは自由主義者というより、進歩主義者なのです。

思想的敵に対してレッテルを貼り、左翼が牛耳るマスメディアで袋叩きにし、社会的に抹殺しようとします。LGBTに関する発言の際の、杉田水脈議員に対する迫害を見れば良く分かります。
そのようにして、社会にタブーや物言えぬ風潮を作り出し、思想敵を駆逐して行きます。

かくして、実際には差別はあるのに、皆吊し上げられるのを恐れてそれを口外することができない、差別がないということになっている社会が出き上がります。

なぜ左派に偉大な言論人・評論家がいないのか

二十代前半より保守派の評論家の文章に親しんできました。
1980年代前半に「発見」したのが、竹山道雄氏、清水幾太郎氏、福田恒存氏、山本夏彦氏、渡部昇一氏などです。彼らを斑(まだら)理解しかしていませんが、この歳まで各氏の著書等を読んできて、いまだに彼らのファンです。彼らの文章は余り古びていません。

私は右派ですが、私と同年輩の、青年時代から左派だった人で、ずっと読んできて今でも面白いと思えるような言論人なり評論家なりを持っている人はいるのでしょうか。たぶん殆んどいないのではないでしょうか。
なぜでしょうか。

左派は進歩主義者であり、今流行っているか、近いうちに流行るであろう思想・立場を追い求めます。その方が、世間から先見の明があるとか、良心的だと思われるからでしょう。また、そういうスタンスをとる方が実入りが良いからでしょう。

しかし、流行りものは廃りものです。現実は、彼らの予想とは違った方向に進みます。左派の評論家に先見の明があるわけではありません。彼らに時代の先を見通す能力などありません。たとえば冷戦時代、進歩主義者は片足もしくは両足をマルクス主義の足場の上に置いていました。が、冷戦後足場そのものが崩落してしまいました。すなわち、彼らは進歩主義者なのに、進歩に裏切られます。結果、彼らが愛する思想が破綻し、パラダイムが変わります。すると、彼らの書いたものが一挙に古びてしまう。戦前の言論が、戦後ひどく間抜けて見えたように(注)。
朝日新聞の論壇時評欄などは、その手の論や文の宝庫でしょう。そこで推奨されている論文を、数年後誰が読むでしょうか。
という訳で、左派には長期的に読むに耐えうる著者は少ないのだと思います。

もう一つ、左派の評論家の言論の息が短い理由は、彼らは可変的な制度ばかりを見て、不変的な人間性を見ないからでしょう。というよりも、彼らは人間性をも可変的だと誤解する。だから、現実に裏切られるのです。

右派の言論人・評論家は、文学者が多い。彼らは不変的な人間的自然を思考の基礎に据えている。だから、右派の評論家の文章の方が、息が長いのだと思います。

(注)
戦前、戦意高揚記事を書いたのは右派だと思われがちですが、書いた中の少なからぬ知識人たちが、あるいはその旗を振ったメディアが、戦後左派に転じたのでも分かるように、進歩主義者=勝ち馬主義者といったタイプの人たちは、以外に多いのです。つまり、「今流行っているか、近いうちに流行るであろう」立場に、ダボハゼのように飛びついて行くのが彼らの習性です。

女医の増加は無医地区の増加なり

1.医科大学の入試不正問題

東京医科大学での発覚を端緒に、入試不正問題がその他の医大へ波及していきました。
問題になったのは、女子受験生に対する点数操作です。女子は合否判定で不利な扱いを受けていたらしい。それが世の怒りを買い、騒動になりました。

それに対して、医大が男子学生を優先的に合格させていたことを、必要悪とする意見も一部で語られました。
たとえば、医師でタレントの西川史子氏は発言しています。
「女性ばかりを医者にしてしまうと眼科と皮膚科ばかりになってしまう。(中略)外科は女性だと大変です。人の太腿だけで20キロもある。女医だと持てないですね。私は持てません」云々。

その他、結婚や出産もあって女医は離職率が高いこと、休日出勤、夜勤、あるいは夜間の呼び出しに対応できないこと、そのために男性医師に負担がかかるなどの理由が指摘されました。
しかし、そのような主張がかき消されるほど、女性差別は許せないとの声が圧倒しました。

2.無医地区への赴任

次のような想定はどうでしょうか。
若い男性医師なら、単身で、あるいは妻子を伴って、無医村なり、無医地区なりへ赴任するということはありうるでしょう。
では、女性医師の場合はどうでしょうか。単身で、あるいは夫子を伴って無医地区へ赴任するということはありうるでしょうか?
夫も医師で、夫婦揃ってというのでない限り(その場合も女性が離職したり、補助役へ回ったりではないでしょうか)、女医が無医地区へ赴くということはないだろうと思います。たいていの女医は都市部に留まるでしょう。

すると、どうなるでしょうか。
都市部では医師不足は発生しませんが、田舎や僻地、過疎地では医師不足が発生することになります。
医大入試での、女性差別は不当だ!との「正論」が、数十年後には、無医地区の拡大をもたらすことになるのではないでしょうか。

3.「左派の正論」

朝日新聞は2018年8月3日付の社説、「東京医大入試 明らかな女性差別だ」で言っています。

「女性医師の休職や離職が多いのは事実だ。だがそれは、他の多くの職場と同じく、家庭や子どもを持ちながら仕事を続けられる環境が、医療現場に整っていないためだ。(中略)
その解決に向け先頭に立ち、意識改革も図るのが、医療、研究、教育を担う医大の大きな役割ではないか」

朝日新聞が属するメディアの世界では、「家庭や子供を持ちながら仕事を続けられる環境が」「整ってい」るのでしょうか?
東京医大の入試不正を盛大に批判するメディアこそ、そのような環境を作り、模範を示せば良いと思うのですが。

それはともかく、左派はいつも正義派ぶり、抽象的にしか「正論」を語りません。そして、実効性のある改善策は示されないまま、現実は進行します。女医は増えるでしょう。
かくして、女医の増加は無医地区の増加なり、ということになります。

【追記】
「都市部では医師不足は発生しませんが、田舎や僻地、過疎地では医師不足が発生することになります」と書きましたが、「左派の正論」によって、彼らの多くが住む都市部は困らない一方、地方がそのしわ寄せを受けることになる。
これは何かに似ていないでしょうか。
アメリカにおける社会の分断にそっくりです。
割りを食うのは、地方の人たちです。

【関連記事です】
社会の分断の原因

移民政策と極右

1.チャップリンの『キッド』

チャップリンの映画『キッド』は、母親に捨てられた子供を主人公(チャップリン)が育てるという内容です。
その中に、次のような印象的なシーンがあります。
その子が通りの窓ガラスを割って歩き、偶然通りかかったように見せかけたガラス屋チャップリンが、壊れた窓を修繕して、日銭を稼いでいる、けれども、ある日警察官にそれが見つかって、男児ともども追いかけられるというものです。
勿論、男の子とチャップリンはグルです。

2.移民推進派と極右

欧米における移民の大量受け入れと、それに反発する極右を見ていると、『キッド』の投石をする男の子とチャップリンの関係に似ています。
移民推進派=「人権」派と極右は敵対しているように見えますが、そして主観的には彼らはお互いを敵同士と見做していますが、客観的には両者はグルであるとしか思えません。
前者が移民の受け入れを積極的に行うから、後者の勢力は伸張しているのだからです。

3.犯罪者と刑務所

犯罪がこの世からなくなれば、刑務所も刑務官も必要なくなります。犯罪者がいるから、それらをなくすことができません。犯罪や犯罪者の数が増えれば増えるほど、刑務所や刑務官の数も増えます。
刑務所や刑務官の数を増やしているのは犯罪者です。
同様に、移民排斥を掲げる極右の数を増やしているのは、移民推進派です。

4.因果関係

暴力的に見えるということで、一見極右がガラスを割るキッドや犯罪者に相当し、移民推進派が窓を修繕するチャップリンや刑務官に相当するように感じられますが、時系列で考えるなら、明らかに逆です。
移民推進派が原因を作っている、つまり、社会の秩序に投石をしている、それが、移民受け入れ反対派の抵抗、とりわけ極右の台頭という結果となって現れているのでしょう。

5.受け入れの限度

移民反対派の出現は、自らの国家、社会、文化を破壊されることに対する民衆の、抵抗の叫び声、あるいは悲鳴のように聞こえます。
一国、一社会、一文化が軋轢を生まずに吸収しうる移民の数には限度があると思います。
その限度を超えると、社会は一種の消化不良を起こす。欧米における、近年の移民によるテロ(二世のそれも含む)、犯罪、暴動の発生は、そのような消化不良の表れではないでしょうか。
移民との共生は容易であるとの進歩派の幻想と、そしてそれに引き摺られている、あるいはそれと戦わない保守派の弱さが、移民によるテロや犯罪等、及び極右による暴力事件を生んでいるのだと思います。

【関連記事です】
社会の分断の原因」。

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社会の分断の原因

1.分断の発生

夫婦同姓が当たり前だった時代、この問題に関する限り、社会に分断はありませんでした。
ところが、同姓に不都合なり、疑問に感じたある人物が、別姓を唱え、それに同調する人たちの数がある程度に達し、彼らがその権利を公然と主張するようになってから、分断が始まりました。

外国人参政権、外国人労働者・移民の受け入れ、同性婚、男女平等原理主義その他もそうです。
国籍を有する者が参政権を有するのが当たり前だと考えられていた時代・・・・
移民の受け入れがわずかだった時代・・・・
異性婚が当たり前だった時代・・・・
男女に性差があるのは当たり前だと考えられていた時代(女性差別もあったでしょうが)・・・・
同じパターンです。

進歩派が新しい思想を提起することによって、社会の分断が発生します(注)。

かつて、資本主義が当然だった社会に、ある日社会・共産主義者が登場し、新しい政治経済体制案を提出することによって、社会に分断がうまれ、それがエスカレートして、朝鮮、ベトナム、ドイツはついに国家の分裂を招くに至りました。

もっとも、新しい思想が全て悪い思想だったわけではありません。善い思想もありました。たとえば、自由主義や民主主義は善い新思想でした。一方、共産主義は悪い新思想でした。そして、進歩派が提起するのは、後の時代に捨て去られるような、悪い新思想の方がずっと多い。

2.進歩派による解釈の転換

社会の分断は進歩派による新思想の発案、そして、その普及によって生じるのですが、彼らはそうは考えません。社会全体がすんなり別姓を受け入れさえすれば、分断は起こるはずがないのに、それを拒絶する同姓原理(保守)派が自説に固執するから、分断が発生すると考える。
進歩派にとって、分断の原因を作っているのは、進歩に抵抗する保守派ということになります。マスメディアは日米欧どこでも進歩派が多数派ですから、分断の責任は保守派にあるというのが常識化しているのでしょう。

3.トランプ大統領と米社会の分断

元々人種、民族、宗教の構成が複雑であるし、冷戦時代アメリカは日欧などとは違って国内に有力な社会主義勢力がいなかったから、今日社会の分断がなおさら気になるのかもしれません。

さて、進歩派が多数を占めるアメリカの大手メディアは、トランプ氏の大統領当選の予想を外しました。なぜでしょうか。
進歩派・インテリの意識が、保守派・大衆のそれと乖離しているからでしょう。
トランプ氏が大統領になって以来、米マスメディアは、かれが社会の分断をあおっていると批判しているようです。しかし、彼らは原因と結果を取り違えています。
進歩派が新思想を考案し、それを社会に強要するから(たとえば、ポリティカル・コレクトネスや移民の大量受け入れ)、それに馴染めない保守派・大衆との意識の差が大きくなり、社会の分断が昂じるのでしょう。
進歩派・インテリの速度に、保守派・大衆がついていけなくなっていること、前者が後者の不安や不満を理解しえなくなっていること、それらがトランプ大統領の当選という結果になって表れたのだと思います。

4.懐疑の欠如と性急さ

進歩派は自分たちの主張の正しいことを信じて疑いません。そして、その主張通りの社会が早期に実現することを求める。彼らの速度に合わせられない保守派・大衆に向かって、スピードが遅いと叱る(杉田水脈議員の、LGBTのカップルには生産性がないとの発言に対するバッシングもそれでしょう)。
しかし、進歩派が言う理想社会は、本当により良き社会なのでしょうか。それは、「反革命」を告発ないし密告し、吊し上げる社会ではありませんか?保守派・大衆は、彼らが指し示す目的地に対して、疑問と不安を抱いているのです。

世に謂われる社会の分断は、進歩派の懐疑の欠如と性急さとが合わさって生まれているのだと思います。

(注)
但し、憲法に関しては、占領下米国によって強要されたため、保守派が改憲という新しい立場を提起し、その「平和主義」の故に進歩派が護憲を主張するという具合にねじれが生じています。

追記
皇位継承問題における分断は、女系論の登場によって発生しました。女系論者は自らの正しさを確信しているようです。
しかし、少なくとも、彼らは新たな南北朝の種を蒔き、苗を育てているのは確かでしょう。

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杉田水脈発言とマイノリティ

『新潮45』8月号に掲載された杉田水脈議員の論文「『LGBT』支援の度が過ぎる」と、同誌10月号の特別企画「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」が物議を醸し、9月25日ついに『新潮45』は、「限りなく廃刊に近い休刊」になりました。
元々『新潮45』の売り上げは芳しくなかったようですし、問題を長引かせれば、会社全体の売り上げに響きますから、これ幸いと新潮社は休刊を決めたのでしょう。
以下、三つばかり。

第一。この度の騒動で明らかになったのは、何度も引用しますが、ヴォルテールの「私はあなたの意見には反対だ。だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」という言葉がこれだけ人口に膾炙していながら、実際に世に流通した言説は、「私はあなたの意見には反対だ。だからあなたがそれを主張する権利は認めない」ばかりだったことです。驚きです。この立場の人たちが多数派でした。
一方、ヴォルテールの言葉に忠実だった人たちは少数派でした。

第二。『新潮45』編集部が杉田論文を掲載したこと、さらに、その援護射撃のような特集を組んだことに対する批判が、新潮社内部からも起こりました。しかし、政党の機関紙ではあるまいし、出版社はどこも多様な意見を持つ社員たちが集まり仕事をしているはずです。
社内の一部の人たちが反対だからといって止めていたら、そのうちあらゆる出版が不可能になるでしょう。

ところで、出版界は左派が多数派、右派が少数派でしょう。ということは、社内の右派が反対する出版物は廃刊になりにくく、社内の左派が反対するそれは廃刊になりやすいということでしょうか。

第三。杉田氏の主張に反対の人たちの言説を見ると、さもLGBTの人たち全てが同氏の意見に反発しているような印象を受けます。しかし、そうでしょうか。その根拠は?自分が知っている二、三人の例だけで即断していませんか?
杉田氏の意見を何とも思わない、あるいは無関心なLGBTの人たちもいるだろうし、中には、杉田氏に拍手を送る人もあるかもしれません。
そう言うと、アンチ杉田派から怒りの声が聞こえてきそうです。
「そんなのは少数派だ!」

マイノリティを尊重しませう。

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