1.「リベラル保守」という矛盾
東京工業大学教授中島岳志氏は、2013年に『「リベラル保守」宣言』(新潮社)という著書を上梓しました。その書名を見て、少なからぬ人たちが、不可解に思ったことでしょう。私も、そのような一人です。
冷戦時代は、社会主義(東側)陣営と自由主義(西側)陣営が対立していました。
社会主義者(社会民主主義者)や共産主義者は前者を支持していました。一方、自由主義者は後者を支持していました。自由主義者は、リベラルと保守で構成されていました(民主社会主義者ー民社党の支持者ーといった人たちもいましたが)。社会主義体制に反対の立場から、両者は手を組んでいました。だから、その当時なら、リベラル保守という思想的立場もありえたかもしれません。
しかし、冷戦が終結し、ソ連邦は崩壊し、東欧諸国も社会主義体制を放棄しました。他方、自由主義体制の国々の社会・共産主義者たちは、なぜ宗旨替えをするのか説明しないまま、徐々にリベラルへ転向して行きました。その後、社会・共産主義者は、左派の内の少数派に転落し、今日左派の多数派はリベラルです。左派と右派の対立は、社会・共産主義者対自由主義者から、リベラル対保守に移行しました。すなわち、現代の政治イデオロギーは、左派=リベラルと右派=保守の対立になっています。
冷戦時代はリベラルと保守は協力関係にありましたが、冷戦後は両者は対立関係になりました。だから、中島氏の「リベラル保守」宣言というものに対して、多くの人たちが疑念を抱くのは当然です。それにしても、中島氏以外に、あるいは氏に同調して、リベラル保守という立場を支持する人はいるのでしょうか?
今日、リベラルと保守は、反対概念です。ですから、リベラル保守宣言というのは、左翼右翼宣言とか、資本主義共産主義宣言とか、護憲改憲宣言とか、売買春肯定否定宣言とかを表明しているようなものです。
大抵の人たちは、リベラル保守という立場が成立しえないことを、薄々承知していると思われます。それを、理解していないのは、主唱者当人くらいなのかもしれません。
2.中島氏の分裂思考
中島氏は保守を自認し、あるいは保守とは何かを語ります。しかし、一方、ウィキペディアを見れば分かりますが(1)、
・2009年1月-『週刊金曜日』編集委員に就任
・2011年4月-毎日新聞論壇時評担当(2013年3月まで)
・2013年4月-朝日新聞紙面審議委員(2016年3月まで)に就任
とあるように、専ら左翼誌紙に登場していて、保守言論誌に氏の名前を見ることはありません。
また、2018年10月10日に、日本共産党のインターネット番組「生放送! とことん共産党」に出演し、次のように語ったとのことです(2)。
「自公政権が親米・新自由主義へと傾斜する中、それに抵抗する『保守』と日本共産党の立ち位置が限りなく接近していると主張している中島さん。絶対平和という強い指標をもちながら、そこに近づくために軍縮などの具体的政策を一歩一歩進めようとする『保守』の考え方を説明して、憲法9条をめぐる日本共産党の姿勢を『保守の人間が考える理想像に近い』と評価」したそうです。
加えて、「中島氏は『(他の野党が)共産党の政策に呼応することで、保守的な要素が含まれ、政策的に極めてまっとうな保守に近づいていく』と強調」したそうです。
それにしても、「『保守』と日本共産党の立ち位置が限りなく接近している」とは!
中島氏は、元右翼の鈴木邦男氏との対談で述べています(3)。
「理想社会というのは過去にもなかったし永遠にこない、と考えるのが保守の立場です。(中略)
それに対して右翼というのは、理想社会が誕生しえると思っているのではないでしょうか。(中略)僕自身が保守に立つのは、(中略)やっぱり理想社会を過去にしろ未来にしろ措定することは、難しいんじゃないかと考えるわけです。(中略)不完全な人間は永遠に不完全な世界を生きざるを得ないという諦念を共有しています」
鈴木氏と、右翼について語った中での発言ですが、右翼を共産主義という言葉に置き換えても、そのまま通用するでしょう。
中島氏は、ネット記事で発言しています(4)。
「価値の問題で争っていると、血で血を洗う悲惨なことになる。だから、お互いに相手の価値観に寛容になろう、と。そして、自分自身の自由、とりわけ内面的な価値観については国家から干渉されない、という考え方。つまり、『リベラル』の基本は『寛容』と『自由』がセットなのです」
今日の、いわゆるリベラルは自分たちの思想的立場のみが正しいと考え、他の思想的立場には物凄く不寛容なのは周知の通りです(進歩主義者が、非進歩派や反進歩派に対して、寛容であったためしなどありません!)。
それはともかく、疑問に思うのは、共産党は寛容であったり、自由を尊重しているのかということです。党員は、自分自身の自由、とりわけ内面的な価値観について、党の上層部から干渉されることはないのでしょうか。
また、自民党の総裁は党内の選挙で決まりますし、昨年10月31日投開票の総選挙で敗北した責任をとって、立憲民主党の代表でさえ辞任、交代しましたが、共産党はどうでしょうか。
その総選挙の前後を比較して、最も議席を減らした比率が高い政党は共産党でしょう。なのに、党首は辞任していません。志位和夫氏は、2000年に共産党委員長に就任してから、ずっとその席に居座っています。党首選もなく、党首が代わらない政党に、寛容や自由などあるはずがありません。
「西部邁論」に書きましたが、雑誌『正論』2018年1月号に、(たぶん)潮匡人氏は、架空の人物に言わせています。
「(2017年)10月21日付朝日新聞を読んでいたら、共産党の全面広告があったのですが、『保守の私も野党共闘支持です』という中島岳志氏が載っていましたね。共産党のPRする保守なんてあるわけない。(笑)」
その通りだと思います。
中島氏の理念としての保守論と、左翼誌紙やネットに登場したり、そこでする氏の発言とは、思想的に一致していません。あるいは、前者と後者は分裂しています。どうしてそのような不一致、分裂が起こるのでしょうか。
両者が矛盾していることさえ、中島氏は理解できないのか、両者には余人には理解が及ばない、もっと高度な論理的なつながりがあるためか、それとも、何らかの政治的下心のためなのか。あるいは、左派から右派に転向した者の思想は往々にしてブレがちですが、氏は、西部氏のようなさよく(保守の仮面を被った左翼)から影響を受けたからでしょうか。
3.「リベラル」保守宣言?
保守を自認する中島氏が、リベラル保守を宣言するから、私たちは困惑するのです。むしろ左翼の氏が「リベラル」という思想的立場を「保守」すると宣言したのだと考えたら、合点がいきます。
すなわち、「リベラル」保守宣言、です。
元々リベラル=左翼だった人物が、保守を表明、そして、それを語りつつ、右派を分裂させ、その一部を自らの陣営に誘導する。
なーんだ。
左翼はいつも戦い方が巧妙です。言い換えるなら、ズル上手い。
また、左翼に一本取られました。
はっ、はっ、は。
(1)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B3%B6%E5%B2%B3%E5%BF%97
(2)https://www.jcp.or.jp/akahata/aik18/2018-10-11/2018101101_03_1.html
(3)http://www.magazine9.jp/taidan/007/index1.php
(4)https://news.yahoo.co.jp/byline/egawashoko/20171020-00077161