ミス・コンテストの政治主義

1.有名ミスコン 黒人が独占

12月17日付朝日新聞(夕刊)に次のような記事が掲載されました。見出しと本文は下記の通りです。

「有名ミスコン 黒人が独占  美の評価基準に変化か」

「世界的に有名な五つのミスコンテストで昨年から今年にかけ、いずれも黒人の女性がトップに輝いた。米メディアによると、全員が黒人女性となるのは史上初めて。女性の魅力を評価する基準が変わりつつあると指摘する声もある。
8月に米アトランタで開催された『ミス・ユニバース』に南アフリカ代表が選出されたのに続き、14日にロンドンで開かれた『ミス・ワールド』にジャマイカ代表が選ばれた。昨年9月の『ミス・アメリカ』、4月の『ミス・ティーンUSA』、5月の『ミス・USA』でも黒人女性が選出された。
CNNによると、こうしたミスコンは1920年代に開始。黒人女性は当初、参加することすら許されていなかった。
米紙ニューヨーク・タイムズではミスコンを『数十年にわたり、人種差別や人種的隔離、ジェンダー的ステレオタイプに悩まされてきた』と指摘。立て続けに黒人女性が選ばれた今年を『分水嶺』と評した。
コーネル大のノリウェ・ルックス教授(アフリカ研究)は朝日新聞の取材に『黒人であることが美しさの基準から外れていた業界に、広く影響を与えるかもしれない』と語った。
ミス・ワールドに輝いたトニーアン・シンさん(23)はインスタグラムに『世界中の少女たちへ。あなたには夢を成し遂げるだけの価値も能力もあると知って欲しい』と投稿した」

2.リベラル・イデオロギーのミスコンへの波及

テレビを見ない主義者ですし、最近はDVDとかで映画も見ないので疎いのですが、黒人の美人女優さんというのを、私は知りません。男優は、デンゼル・ワシントン氏のようなハンサムな人もいるので、美人の女優さんがいても不思議ではありません。
しかし、「世界的に有名な五つのミスコンテストで昨年から今年にかけ、いずれも黒人の女性がトップに輝いた」というのは、尋常ではありません。どうしたことでしょうか。新聞が言うように、「美の評価基準」が「変化」してしまったのでしょうか。

この記事が示すのは、ミスコンの世界に少数派尊重の、というよりも優先の、リベラル・イデオロギーが蔓延しているということ(黒人に偏見を持たない=黒人の美を認めることができるのが、進歩的人士の証である)、あるいは審査員たちに同調圧力がかかり、彼らがそれに抗しえなくなっているということでしょう。

3.美的評価の政治主義

真善美の内の、美の世界に政治主義が持ち込まれているのです。この点、今年8月1日に開幕し、9月14日に閉幕したあいちトリエンナーレ2019の「表現の不自由展・その後」と同じです。
私は、黒人がミスコンのトップを独占したこともですが、と同時に報道が黄色人種について、何らの言及がないのも気になります。政治主義者たちは、一つのことに囚われるとその他のことが目に入らなくなりますが、彼らは白人と黒人の他に黄色人種がいることさえ忘れてしまっているようです。あるいは、黄色人種は少数派だけれども、弱者ではないから無視しても良いということなのでしょうか。
それとも、純粋に美的評価をすると、白人や黄色人種よりも、黒人の方が美しいということなのでしょうか?

典型的な政治主義とは、次のようなものです。
スターリンとヒトラーの全盛時代、A氏がスターリンの、B氏がヒトラーの肖像画を描いたとしましょう。同じ美術展にその両方が出品されました。
二つの絵画としての、純粋な美的評価とは違って、左派の政治主義者はスターリンの肖像画を、右派はヒトラーの肖像画を絶賛します。

4.言論と表現の政治主義

現在の私たちの時代にも、そのような政治主義が公然と行われています。
あいちトリエンナーレ2019の「表現の不自由展・その後」とあいちトリカエナハーレ2019「表現の自由展」、「在日コリアンは半島へ帰れ」と「ヤンキーゴーホーム」、マルクスとエンゲルスの青年時代をテーマにした映画と、ヒトラーとヘスの親密な時代を扱った映画(そのような映画は一般劇場での公開はおろか、製作すらされるはずがありませんが)・・・・
一方は認められて良いけれども、他方は認められてはならないとするのが、政治主義です。

欧米日を問わず、現実政治の場は保守派が握っているにしても、言論や表現の空間は左派が牛耳っていて、彼らがそこをリード(ミスリードですが)しています。そして、

すべての言論・表現は自由である。
しかし、左派のそれは、右派のものよりももっと自由である、が左派のモットーです。

なので、左派的言論や表現は社会で認められているのに、右派的なそれは封じられるといったアンバランスが現出しています。

5.リベラルの美の評価基準

事情は、ミスコンにおいても同じです。

すべての女性は美しい。
しかし、少数派(欧米での)であり、なおかつ弱者の女性は、その他の女性よりももっと美しい、がリベラル派の「美の評価基準」です。

それは、リベラル的ステレオタイプであり、私たちは今それに悩まされているところです。