リベラルは自由主義者ではない

1.リベラルは左翼ではない?

1989年のベルリンの壁崩落、そして1991年のソ連邦解体により、一応冷戦は終結しました。それから、早くも約三十年が経過しました。

左翼の多数派にして主流派は、いまや社会・共産主義者ではなくリベラルであると私は考えますが、一方でリベラルは左翼ではないという人たちもいます。
どちらが正しいのでしょうか。少なくともどちらの主張が現実の世界をうまく説明できているでしょうか。

リベラルは左翼ではないという人たちによれば、左翼とは社会・共産主義者のことであって、リベラルは自由主義者のことだから、後者は左翼ではないということであるらしい。
どうもリベラルというものを誤解しているようですし、左翼(左派)・右翼(右派)というものを、固定的に考えているようです。

2.そもそも左派・右派とは

左翼(左派)・右翼(右派)という言葉は、フランス革命期の議会において、議長席から見て左側に進歩派が、右側に保守派が席を占めたことに由来します。
それ以来、進歩主義的立場を左派・左翼、保守主義的立場を右派・右翼と呼んでいます。

3.左派・右派は時代・国によって異なる

左派・右派の区別は相対的・便宜的であって、時代・国によって異なります。

イギリスの二大政党制は、トーリー党対ホイッグ党で始まりました。各々がその後党名を変更して、保守党対自由党の時代になりました。
さらに時代が下がって、労働党が生まれ、同党が自由党の地盤・票を食って(自由党が退潮、労働党が伸長)、保守党対労働党の二大政党制になり、今日に至っています。

保守党対自由党の時代は、保守党が右派であり、自由党が左派でした。もっとも、ウィキペディアによれば、イギリスで「左翼・右翼」の用語が使用されたのは、労働党が第三勢力として登場した1906年の総選挙からとのことですが。
一方、保守党対労働党の時代は、相変わらず保守党は右派ですが、労働党が左派です。時代によって左派は変遷しました。
勿論、左派の変遷に応じて、右派も変化をします。右派が同じ保守党であっても、左派が自由党の時代と労働党の時代とでは、右派の主張内容も同じではありません。
そして、後者の時代にあっては、弱小化した自由党は中間派であっても、もはや左派ではありません。

同様に、フランス革命時代の左派と、冷戦時代の左派は同じではありません。後者の時代の左派の主流はマルクス主義者でした。
一方、フランス革命期(1789-1799)、まだマルクス(1818-1883)は生まれていません。だから、その時代の左派はマルクス主義者ではありません。要するに、左派も右派も時代・国によって変動します。
ということは、冷戦時代の左派と、冷戦後の、今日の左派が同じでなくても不思議ではないということです。

4.フランス革命期にも左派右派は変動した

先に述べたように、左派(左翼)・右派(右翼)という言葉が生まれたのはフランス革命期です。
一般的にフランス革命期とは、1789年7月14日のバスティーユ牢獄襲撃から(1787年との説もあり)、1799年11月9日のナポレオン・ボナパルトによるクー・デターまでを指します。その十年余りの短い期間にも左派、右派に相当する勢力は変化をしました。

【釈明】
フランス革命期の党派に関しては、著者や論者が曖昧な言葉を用いているため(たとえば、「王党派」や「民主派」)、理解が困難になっています。

フランス革命期の議会は、
A.国民議会<憲法制定国民議会も含む>(1789・6・17-1791・9・30)
B.立法議会(1791・10・1-1792・9・20)
そして、国民公会と推移しましたし(1792・9・20-1795・11・2)、
国民公会も三期に分けられます。
C.(1792・9・20-1793・6・2)
D.(1793・6・2-1794・7・27)
E.(1794・7・27-1795・11・2)
その後、
F.総裁政府(1795・11・2-1799・11・10)を経て、ナポレオンによるブリュメールのクー・デターに至ります。

各々の時期に、誰が左派で、誰が右派だったでしょうか。

A.最初の国民議会では、絶対王政派が右派でした。それより左にジャコバン右派(立憲君主派)が、さらに左に同左派がいました。

B.1791年9月に立憲君主制の憲法が制定されたので、絶対王政派がはじき出され、立法議会では、旧ジャコバンの立憲君主派であるフイヤン派が右派、ジャコバン共和派が左派になりました。

C.国王ルイ16世が国外脱出をはかったヴァレンヌ逃亡事件、そして外国との戦争における、国王の敵国との内通の発覚もあり、民衆の国王に対する信頼が失われました。国民公会は共和国宣言を行い、王制は廃止されます。
そのため、国民公会では、立憲君主派がいなくなり、皆共和派です。ここではジャコバン派の中のジロンド派が右派で、同モンターニュ派が左派です。

D.1793年6月2日、ジロンド派が追放され、モンターニュ派が独裁権を握り、恐怖政治が始まります。
同派のロベスピエールが左派のエベール派や右派のダントン派を粛清して、恐怖政治が強化されました。

E.1794年7月27日、ロベスピエールの恐怖政治を嫌う人たちの思惑が一致して、彼とその一派を逮捕・処刑し、国民公会の穏健派が実権を掌握し、恐怖政治が終わります(テルミドールのクー・デター)。
モンターニュ派の独裁の終わりによって、ジロンド派などの旧右派が復活しました。

F.国民公会が解散し、総裁政府が成立しました。総裁政府が行政を、五百人会と元老会が立法を担い、権力分立がなされたので、つまり、独裁ではないので、議会では右(王党派)から左(モンターニュ派)まで並存していました。

5.その時代・国の勢力分布をおおよそ真ん中で分ける

左派と右派の区分を考える上で、あまり指摘されませんが、その時代・国の勢力分布(中央・地方議会であれ、国民全体の思想的立場であれ)をおおよそ真ん中で分ける(=議長席から見て)、という点を外すことはできません。真ん中で分けるから、そこを中心としての左派、右派なのですから(二大政党制・党派でない場合は、左派、右派とは別に中間派がいたりします。実際、フランス革命期には左派と右派とは別に、常に中間派がいました)。

わが国で社会・共産主義に該当する政党といえば、日本共産党と社民党でしょう。両党の現在の支持率はどのくらいでしょうか。
時事通信社の「【図解・政治】政党支持率の推移」によれば、今年9月の時点で共産党は2.0%、社民党は0.5%です。合わせて2.5%ですが、少し多めに見積もって、わが国における社会・共産主義者は3%ということにしましょう。

さて、左翼とは社会・共産主義者のことであって、リベラルは左翼ではないという人たちの主張に従うなら、3%が左派で、残りの97%は右派だということになります。

なるほど97%が右派なのだから、左派と右派の区分は無意味になったという暢気な人が現れるのも無理はありません。

それなら、現在は左派が殆んどいない、右派だらけの時代なのでしょうか。3%の社会・共産主義者のみが左派で、保守のみならずリベラルも右派なのでしょうか。
確かに3%の人たちから見れば、そう思えるかもしれません。しかし、97%の内の、半分から右側の人たちから見れば、実感として違っています。3%のみならず、97%の内の、半分から左側の人たちだって十分左派に見えます。
実際今年7月の参議院議員選挙では、3%と左側半分の人たちとの間で野党共闘が行われました。彼らは32の一人区に統一候補を立てました。

その時代・国の勢力分布をおおよそ真ん中で分けるという点を見失ってはいけません。
<3%が左派、97%が右派>なのではありません。左右は常におおよそ50%対50%もしくは40%対60%(順不同)なのです(注)。3%は、左派50%の内の、最左派なのです。
では、左派のうち、3%は社会・共産主義者だとして、彼らを除いた47%の人たちは、どのような思想傾向の人たちなのでしょうか?

(注)
左派と右派の間には中間派がいたりしますが、「議長席から見て」なので、敢えて彼らを左派系と右派系に分けて考えます。

6.リベラルは進歩主義者である

一歩譲って、仮に3%の人たちのみが進歩主義者で、97%の人たちが保守主義者であるのなら、左翼とは社会・共産主義者のことで、リベラルは左翼ではないとの主張にも、いくらか説得力があるかもしれません。では、リベラルは保守主義者なのでしょうか。社会・共産主義者だけが進歩主義者なのでしょうか。

進歩主義者は永遠です。プロ野球の巨人軍よりも不滅です。進歩主義者が世の中からいなくなることはありません。彼らは社会に一定の割合でいます。進歩主義者は一つの新思想が破綻したら、次の新思想に乗り換えます。時々殻を替えるヤドカリのようなものです。

冷戦時代から今日へ。多くの進歩主義者は社会・共産主義からリベラルへ思想的衣替えをしました(日本社会党の消滅)。すんなりと。その屈託のなさが、衣替え前後の思想的振幅の小ささを表しています。
すなわち、社会・共産主義者のみならず、リベラルも進歩主義者なのです。

7.リベラルは自由主義者か

一般的にリベラリズムとは自由主義のことであり、リベラルとは自由主義者のことだと考えられています。しかし、いわゆるリベラルは自由主義者なのでしょうか。そもそも自由主義者とは、どのような思想的立場、態度をとる人たちなのでしょうか。

自由主義者であるか否かは、自分とは異なった意見を表明する権利を認めるか否かにあります。ヴォルテールの有名な言葉を引くなら、「私はあなたの意見には反対だ。だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」人たちのことです。

全体主義体制にも、スターリン、ヒトラー、毛沢東、金日成などの独裁者と同じことを言う自由はありました。では、そのような体制は自由主義体制なのでしょうか。勿論違います。
自分の主張とは違う意見の生存権を認めないのが、場合によっては異見を主張する人の生存さえ認めないのが、全体主義者であり、全体主義体制です。

ではリベラルは、自分たちとは違った意見を述べることに対して寛容でしょうか。
昨年廃刊になった『新潮45』8月号に掲載された杉田水脈議員の論文が世間で話題になりましたが、リベラルはそれに対して猛烈に批判を浴びせました。
彼ら曰く、「差別的な発言に言論の自由はない」。
杉田氏の発言に対して、すべての人が「差別的な発言」だと考えたのだったなら、その主張にも一理あるかもしれません。しかし、彼女の発言は差別に当たらないと主張する人もいました。実際、杉田氏の論文に対するバッシングに抗って、『新潮45』10月号は「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」という特別企画を行いました。

リベラル派が言っているのは、<私が「差別的発言」だと見做す意見には、言論の自由は認めない>ということです。そして、<ある発言が差別的であるかどうかは私が決める。そして、私の判断は絶対に正しい>と言っているに等しい。
他者の意見の表明に不寛容であるばかりか、自分の判断の無謬を前提にしています。

彼らが目指しているのは、「一人残らず同一の思想を持ち、同一のスローガンを叫びながら絶え間なく労働し、戦い、凱歌をあげ、異端者を迫害する国家」(ジョージ・オーウェル著、『1984年』、新庄哲夫訳、ハヤカワ文庫NV、95頁)なのではないでしょうか。。
このような思想傾向の人たちが、自由主義者でありうるでしょうか。

もう一つ例を挙げましょう。
台湾は自由で民主的な、人権や法の支配が守られている国です。一方、中共は自由でも民主的でもなく、人権も法の支配も守られていない、共産党一党支配の独裁国家です。
そして、中共は、台湾は自国の領土の不可分の一部であるとして、軍事的制圧の時機を窺っています。
もしリベラルが自由主義者なら、台湾に同情的であって当然です。しかし、彼らは、とりわけわが国のリベラルは、殆んどが中共派なのです!
ついでに述べるなら、もしわが国のリベラルが自由主義者なら、つまり、リベラルも保守も自由主義者で、全体主義者の要求を突っぱねるような硬骨漢だったなら、たとえばパソコンで「支那」と入力するのに、わざわざ「支」と「那」を別々に入力しなければならないようなことになっていないでしょう。

リベラルを字義通りに解すれば自由主義者ですが、異見に対する態度、中共と台湾に対する態度を見れば、彼らはとても自由主義者だとは言えません。

進歩主義者がリベラルを名乗っているため、自由主義者だと多くの人たちは誤解するのです。そして、そのような誤解があるから、「そもそもリベラルとは」などと論じたりして、現実のリベラルがそれと一致しないのを非難することになるのです。
名称と実体は別物です。たとえば支那軍は、正式名称は中国人民解放軍ですが、実体は支那人民抑圧軍もしくは支那周辺人民侵略軍です。
リベラルは、実質的には自由主義者ではありません。進歩主義者なのです。

自由主義者の中の<左派がリベラル、右派が保守>なのではありません。進歩主義者の中の<穏健派がリベラルで、急進派が社会・共産主義者>なのです。

8.現在はどのような勢力で半々か

中央・地方議会において、あるいは国民全体の政治思想において、現在はどのような勢力、思想的立場でおおよそ半々でしょうか。
リベラルと保守でしかありえないと思います(だから、保守二党論はナンセンスです)。
そして、進歩的な側を左派(左翼)と呼び、保守的な側を右派(保守)()と呼びます。
すなわち、リベラルは左派(左翼)です。

ジャコバン派もしくはモンターニュ派は左翼のフランス革命的形態であり、社会・共産主義は左翼の冷戦的形態であり、リベラルは左翼の今日的形態です。
リベラルは左翼ではないという人たちは、左派右派の区分を、超時代的な基準だと誤解しているのだと思います。

冷戦から今日へ。
左派右派は、イギリスの二大政党制が時代とは逆方向に進行したようなものだと考えれば分かり易いのではないでしょうか。保守党と労働党の対決の時代から、保守党対自由党の時代へ逆戻りしたようなものだと。

冷戦後、社会・共産主義政党が消滅あるいは衰退し、多くの社会主義者がリベラルへ転向して、左右の対立が社会・共産主義対自由主義から、自由主義左派(リベラル)対自由主義右派(保守)へ移行したのだと。
もっとも、前節で述べたように、リベラルは自由主義者モドキにすぎないのですが。

フランス革命期にギロチンで処刑されたロラン夫人(1754・5・17-1793・11・8)は嘆きました。「ああ自由よ、いったいお前の名でどれだけの罪が犯されたことか」。
私たちも嘆かざるをえません。
ああ自由を騙るリベラルよ、いったいお前たちの偽称でどれだけの罪が犯されていることか。

(注)
ここが「右翼」ではなく「保守」である理由は、「右派・保守・右翼・極右」を参照のこと。

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左翼としてのリベラル

中道とは何か

中道と呼ばれる、あるいはそれを自称する政党なり政治勢力があります。

わが国では、冷戦時代に公明党や民社党が中道政党と呼ばれていましたし(前者は現在でもそれを標榜していますが)、今でも欧州では中道左派とか中道右派に区分される政治勢力があります。
一体中道とは何なのでしょうか。

ネットで「中道政党」を検索すれば、「政策路線を一次元の分布で位置づける場合に,右派または左派にかたよらず,穏健で中間的な政党」(1)とありますし、「中道政治」では、「左右あるいは保守・革新のどちらにも偏らないことを旨とする政治」(2)と説明されています。

その方向性が正しいか間違っているかはともかく、左派も右派もそれなりに自派の信じる方向を目指しています。しかし、中道政党は独自の理念なり、政策なりを持っているのでしょうか。

かつての民社党は、一応民主社会主義という政治理念を持っていましたが、公明党は実質的には創価学会という宗教団体の政治部門です。同党は今は自民党と組んで与党を形成していますが、自民党とは別の、独自のビジョンを持っているのでしょうか。
悪夢のような政治を行った旧民主党とは違って、まともなリベラル政党が誕生して、あるいは、ある時政界にゴタゴタが生じたら、公明党は自民党を捨てて、その政党と組む可能性もなきにしもあらずでしょう。

もし中道が、左派右派とは別の、第三の道へ向けて邁進しているのなら、社会全体が左に傾こうが、右に傾こうが、その立場はブレないはずです。ところが、中道政党、中間派という勢力は、全体が左へ振れれば左へ、右に振れれば右へ、左派または右派と共振しているだけなのではないでしょうか。
すなわち、彼らは常に左右の真ん中派です。

左派と右派の対立があり、何らかの理由で右派が消滅した場合、中間派の人たちは自ら右派になり左派と対峙するでしょうか。たぶん、いつの間にか急進左派と穏健左派の中間におさまっているのではないでしょうか。

左右両派の位置を確認してから、そこからの距離で自らのポジションを決める、そのような人たちが中道なのではないでしょうか。

中道政党や中間派は、風見鶏とか日和見主義とかそのような評に相応しい勢力だといえば、言い過ぎでしょうか。

(1)https://kotobank.jp/word/%E4%B8%AD%E9%81%93%E6%94%BF%E5%85%9A-1367231
(2)https://www.weblio.jp/content/%E4%B8%AD%E9%81%93%E6%94%BF%E6%B2%BB

 

左翼は誰のために戦っているか

1.米民主党地方委員長の嘆き

2017年11月16日付朝日新聞に、「米民主党 苦悩の背景」と題するインタビュー記事が掲載されました。受けているのは「民主党敗北を警告していたラストベルトの党委員長」です。

インタビュアーである同紙のニューヨーク支局員氏は、記事の冒頭に書いています。
「トランプ米大統領の当選が突きつけたのは、労働者の支持をつなぎとめられない米民主党、リベラル派の姿だ」

その記事の中で、「オハイオ州マホニング郡の民主党委員長」デビッド・ベトラス氏は語っています。少々長いですが引用します。

「民主党はブルーカラー労働者の暮らしを以前ほど気に掛けなくなった。(中略)労働者の関心は、よい仕事があるか、きちんと家族を養えるか、子の誕生日にパイを用意できるか、教育を用意できるか、十分な休暇を取れるか、自分の仕事に誇りを持って引退できるかです」

それなのに、

「労働者たちに民主党は『労働者、庶民の党』と伝えてきたが、民主党や反トランプ派からはメディアを通じて(性的少数派の人々が)男性用、女性用どっちのトイレを使うべきか、そんな議論ばかりしているように見えた。私が選挙中に聞かされたのは『民主党は雇用より(性的少数者の人々の)便所の話ばかりしている』という不満だったのです。(中略)順番を間違えてはいけない。雇用や賃金などの労働問題は、万人にとって最大の関心事。これが中央にあるべきです。夕食の卓上を想像して下さい。人工妊娠中絶や性的少数者の権利擁護、『黒人の命も大切だ』運動など、今のリベラル派が重視する争点はどれも大切ですが、選挙ではメインではなく、サイドディシュです。卓上の中央は常に肉か魚で、労働者の雇用と賃金という経済問題であるべきです。トランプ氏が『今晩のメインは大きなステーキです』と売り込んでいるときに、民主党は『メインはブロッコリー。健康にいい』と言っているように聞こえてしまったのです」

実に面白い指摘です。

2.左翼の変容

冷戦時代に左翼といえば、社会主義者、共産主義者のことでした。

冷戦が終了してから、約三十年が経過しました。いつの間にか、社会・共産主義者は左翼の少数派に転落し、今日その多数派にして主流派はリベラルです(「左翼としてのリベラル」)。

左翼政党の主流派が社会・共産主義者からリベラルへ移行するうちに(元々有力な社会主義政党がなかったアメリカは、ずっと民主党でしたが)、左翼が共に戦うべき相手=彼らが救済すべき対象、も変質してしまったのです。

3.救済の対象

「万国のプロレタリア団結せよ!」

冷戦時代、社会・共産主義者が救済の対象にしたのは労働者階級でした。日本社会党も日本共産党も、労働組合を支持基盤にしていましたし、「ブルジョア政党」から政権を奪うことを目標にしていました。

ところが、マルクス主義者の予想に反して、第二次世界大戦後の先進資本主義国は経済的に発展し、労働者の生活水準も向上しました。
それは日本も同じです。
わが国では、いまや公務員や大手企業の正社員は特権層です。救済すべき対象が特権層化したので、左翼政党が戦意を喪失したのかもしれません。

もっとも、1990年代から非正規雇用の問題が新たに発生しました。
労働者階級の救済を目的とする左翼は、当然非正社員や中小企業の労働者のために、彼らと共に戦うものとばかり思っていました。
少子化の大きな原因の一つは、生活が安定しない非正社員が結婚に踏み切れないことにあるのは明らかですから。

ところが、実際はそうはなりませんでした。
冷戦後、社会・共産主義者、とりわけ社会主義者の多くが、リベラルへ転向して行きました。日本社会党の消滅がそれを良く表しています。
そして、リベラル派が救済の対象にしたのは労働者階級ではありません。社会的少数派・弱者です。
外国人参政権や夫婦別姓や同性婚を求める人たち、女性、LGBT、移民ないし外国人労働者・・・・アメリカなら黒人。

リベラルの主張の中心は、マイノリティの権利拡大なのです。

どうりで、問題が発生してからずいぶん時間が経つのに、非正規雇用の、つまり格差の問題が一向に改善されないはずです。
冷戦時代の左翼(社会・共産主義者)が社会のマジョリティ(多数派)を救済の対象にしていたのとは違って、現在の左翼(リベラル)が救済の対象にしているのは、マイノリティ(少数派)なのです。

4.なぜ政権に就けないのか

わが国のリベラル政党にしろ、米民主党にしろ、なぜ選挙に弱いのでしょうか。なぜ政権を握れないのでしょうか。
日本の場合は、鳩山由紀夫、菅直人民主党の政治が余りにも酷かったせいもありますが、マジョリティよりもマイノリティを優先、だからでしょう。少数派を支持基盤にしているのだから、選挙に勝てないはずです。外国人に選挙権はありませんし、女性を含めたマイノリティの人たちも、必ずしも政治的にリベラル派支持ではありませんから。
政権を狙うのなら、マジョリティを味方につけるのが王道です。政権選択選挙で勝とうと思うのなら、マジョリティの問題を「卓上の中央」に据えるべきです。

日米ともに労働組合の組織率が低下しているとのことですが、それは労働者の特権層が減少し、非特権層が増加しているということでしょう。
左翼は、後者を支持基盤の中心に据えることを考えるべきだと思います。

万国の左翼の皆さん、非特権労働者のために奮闘せよ!

(注)
因みに、右派が救済の対象にしているのは、社会・共産主義者によればブルジョア階級ということになっていますが、当の右派からすれば国民全体です。冷戦時代から、右派は階級政党ではなく国民政党を標榜しています。
すなわち、しっかりマジョリティを対象にしています。

5.政権に就いてはいるけれど

日米では、リベラル派は政権に就いてはいません。が、両国でも、あるいは欧州の先進諸国でも、彼らは敗北しているでしょうか。

進歩主義者は永遠です。そして、いつの時代でも進歩派によるイデオロギー攻勢は続いています。
社会主義思想が流行していた時代、学界、政界、官界、法曹界、経済界へ、無意識的であれそれが蔓延して行ったように、たとえ現在保守政党が政権を担っているにしても、リベラル・イデオロギーが浸透し、保守派の中にもそれに感染する者が現れます。

新思想・潮にかぶれ易いメディア界(戦時中は戦意高揚、戦後は平和主義、戦前戦後を通じて社会主義熱)は、とりわけリベラル派が牛耳っていて、保守的主張(夫婦別姓、同性婚、移民反対他)に対して攻撃を加えます。安倍首相にしろ、トランプ大統領にしろ、左派メディアから病的に嫌われているのがその証拠です。一方で、進歩的主張に対して疑義を呈する意見には、容赦がありません。

昨年LGBTに関する発言を行った杉田水脈議員に対するバッシングがありましたが、たとえその主張が正しいと思ってもメディアと世論による袋叩きに遭うのを恐れて、あるいは、差別的発言に言論の自由はないとの(「差別的」であるかどうかは彼らが決めます)リベラル派による反リベラリズム的攻撃も加わって、保守派も発言を自粛して行きます。

そのようにして、保守政党でありながら、進歩思想に感染した、あるいはそれに無抵抗な政党ができ上がり、その政党自らが進歩的政策を実施します。
その典型が、移民の大量受け入れを行ったドイツのメルケル政権です。

保守政党がリベラル思想に感染したまま政権に就き、政治を運営している、それは保守政治なのでしょうか。

6.左傾した保守政党が政権を担う国では

「左翼としてのリベラル」の第五節に書きました。

「近年欧米における二大政党制の揺らぎが指摘されたりするけれども、それは左派が左派としての役割(たとえば格差の是正)、右派が右派としての役割(たとえば外国移民の制限)をはたしていないからではないだろうか」

「右派が右派としての役割をはたしていない」保守政党が政権を担っている国では、政権党よりもさらに右の政党が出現します。
たとえば、ドイツの、ドイツにおける選択肢(AfD)であり、フランスの国民連合(FN)です。
一応右派が右派としての役割を果たしているから、日本では自民党よりも、アメリカでは共和党よりも右寄りの政党が生まれないのだと思います。

リベラルという妖怪

「一つの妖怪がヨーロッパにあらわれている、一共産主義の妖怪が」。

これは、『共産党宣言』の有名な書き出しです(国民文庫、大月書店)。
冷戦が一応終結してから約三十年が経過しました。「共産主義の妖怪」は、今や息絶え絶えです。それに代わって、世を席捲しているのが、リベラルという妖怪です(イスラム教徒の間では、もう一匹の妖怪、イスラム過激派が跋扈しています)。すなわち、進歩主義(左翼)の国の王位が、共産主義からリベラルに替わりました。

進歩主義者という人種は、この世からいなくなることはありません。彼らは永遠です。その時代(国)には、その時代に相応しい進歩主義思想・主義者が現れます。だから、人類が続く限り、政治的左派と右派もなくなることはありません。
ところが、進歩主義者=左翼というものを固定的にしか考えられない人たちは、その時代の左翼がいなくなれば、もうそれが死滅したと考えます。共産主義者がいなくなれば、左右対立がなくなったと早合点してしまう。
しかし、進歩主義者たちは、新しい時代になれば、旧い衣を脱ぎ捨てて、新しい衣に着替えます。彼らの多くが、リベラルという衣を羽織ったところです。
リベラルというのは、左翼の今日的形態です。

さて、リベラルは、自由尊重の立場でしょうか。
リベラルとは、辞書で引けば、自由主義者と示されます。しかし、一般的に保守は、自由で民主的な台湾派であるのに対し、リベラルは共産党独裁国家の中共派です。冷戦前後を通じて、リベラルは自由の敵と真剣に戦った(戦っている)とは言い難い。

リベラルは少数派・弱者の味方でしょうか。
国際的に見れば、中共は多数派・強者です。台湾は少数派・弱者です。もしリベラルが少数派・弱者の味方なら、台湾支持であって当然でしょう。しかし、リベラルは中共派なのです!

リベラルは多様な価値観を尊重しているでしょうか。
自らが認める価値観・主張には寛容ですが、認めない価値観・主張には全く不寛容です。自らの価値観に反する意見は徹底的に叩く(たとえば、杉田水脈議員の、LGBTのカップルは「『生産性』がない」発言に対する反応)か、無視をする(たとえば、吉田清治証言に異議を唱えた言論に対する反応)。

確かにリベラルは、外国人参政権、同性婚、夫婦別姓などに賛成しています。が、少数派・弱者の味方であったり、多様な価値観を尊重するからではなく、それらが時代の潮流、進歩の指し示す方向だと考えるからでしょう。要するに、進歩主義者が冷戦時代は共産主義に、今はリベラルに入れ揚げているのは、それが将来的に勝利すると信じているからです。結局、彼らは勝ち馬主義者なのです。

冷戦時代、進歩主義者たちの多くは、共産主義に賭けました。けれども、大外れでした。とするなら、今日流行のリベラルという進歩思想も、何れ共産主義の二の舞になるかもしれないと、一度は疑ってみた方がいいのではないでしょうか。

左派と右派

左翼(左派)・右翼(右派)という言葉は、周知の通り、フランス革命期の議会において、議長席から見て左側に急進派が、右側に保守派が席を占めたことに由来します。それ以来、進歩主義的立場を左派、保守主義的立場を右派と呼んでいます。だから、冷戦時代は社会・共産主義者が左派で、資本・自由主義者が右派でした。

当たり前ですが、フランス革命時代の左派と冷戦時代の左派の、フランス革命時代の右派と冷戦時代の右派の主張内容は同一ではありません。左派と右派というのは相対的、便宜的な分類で、それは時代(国)によって変わりますし、その時代にはその時代の左派・右派が存在します。だから、冷戦時代の左派・右派と、現在のそれが違っても不思議ではありません。

山口真由氏は『リベラルという病』(新潮新書)に、「リベラルの本質は人間理性への信頼、コンサバの本質は人間への不信となり、すべてはここに帰着する」と書いています(197ページ)。「人間理性への信頼」はリベラルのみならず、社会・共産主義者を含めた進歩主義者一般の特徴でしょう。

進歩主義者の本質は変わりません。次々と新思想を見つけては、それを帰依の対象にする。冷戦時代の社会主義信仰の持ち主たちは、冷戦後は歴史認識、外国人参政権、夫婦別姓、同性婚、反原発などの問題へ戦いの場を移しました。
冷戦後政治的左右の区別は無意味になったと主張する人もありますが、進歩主義者は永遠です。進歩主義者がいなくならない限り、左右の対立がなくなるはずがありません。

リベラルは左翼ではないという人もいますが、それはフランス革命時に事故で昏睡し、百数十年後の冷戦時代に蘇生したジャコバン党員が共産主義者を指して、彼らは左翼ではないと言っているようなものでしょう。

リベラルと保守

パソコンで検索すると、たとえば、リベラル(リベラリズム)について、論者があれこれ語っています。
A氏曰く、B氏曰く、C氏曰く・・・・講座派と労農派、平和革命派と暴力革命派、暴力革命派の中の核マル派、中核派・・・・どれが正しい共産主義理論なのかを議論していた時代のようです。
どのマルクス主義的立場が正しいのか同様、どれが正式なリベラルの定義なのかについて、私は余り興味がありません。
「あるべきリベラル」の立場から、「あるリベラル」を批判して、彼らは本物のリベラルではないとレッテルを貼ったところで、ではあのような思想傾向の方々は何と呼ぶべきなのか、という問題が残るからです。
差し当たり関心があるのは、冷戦時代が社会・共産主義対資本・自由主義の時代だったように、現在はどのようなイデオロギー対決の時代なのかということです。それとも、イデオロギー対立などなくなってしまったのでしょうか。
『文藝春秋』2018年5月号での、中西輝政氏との対談で、佐伯啓思氏は発言しています。
「現在の日本において『保守/リベラル』、『右翼/左翼』という構図で社会を論じることはほとんど無意味になっています」。
もし皇位継承、憲法、国防、歴史認識、外国人参政権、夫婦別姓、同性婚、外国移民の受け入れ、原発等について、左派も右派も意見が各々の立場にばらけているのなら、「無意味になってい」ると言えるでしょう。しかし、それらの問題について、両派は依然意見がおおよそ二分しています。冷戦が終わってからずいぶん経ちますが、やはり、進歩主義派と保守主義派とのイデオロギー的相違は、厳然として存在すると判断せざるをえません。
では、現在はどのようなイデオロギーが並立している時代なのでしょうか。「左翼としてのリベラル」でも述べましたが、冷戦時代から今日へ、イデオロギー対立は社会・共産主義対資本・自由主義から、リベラル(+社会・共産主義)対保守へ移行しているのだと思います。

左翼としてのリベラル

1.左翼の変容

冷戦時代に左翼と言えば、社会主義者、共産主義者のことだった。体制選択で、社会主義もしくは共産主義体制を目指す人たちが左派(左翼+極左)であり、資本主義あるいは自由主義体制を支持する人たちが右派(保守+右翼)だった。
1975年時点での議会政党で述べるなら、日本社会党、日本共産党が左翼政党であり、自由民主党が保守政党だった。民社党や公明党は中道と呼ばれていた。前者は民主社会主義を、後者は人間性社会主義を標榜していたけれども、実際には共産主義体制支持ではなかった。そもそも共産主義体制と自由主義体制との間に、中道などありえなかった。両党とも、とりわけ民社党は保守政党だった。経済的平等を実現するとされた共産主義に対するある種の道義的な後ろめたさが、両党に社会主義を掲げさせたということができるだろう。
左翼政党と保守政党を分かつ線は、社会党と民社党の中間を通っていた。もっとも、公明党は民社党より「右」ではなかったけれど。
別の解釈も可能だろう。社会党内の左派グループと右派グループの間を貫いていたのだと。ただ同党左派は社会主義体制支持を明確にしていたのに対して、右派は曖昧だった。後者は風向き次第でどちらにも転ぶつもりの、コウモリ派だったのかもしれない。
その他議会主義政党とは別に、それに否定的な勢力として、左派には極左=新左翼が、右派には右翼がいたし、今もいる。
1955年11月15日、統一した社会党に対抗するため、自由党と日本民主党が合併して自由民主党が成立した。保守合同である。
一般的には、前者が対米協調、経済重視的、後者が民族主義的だと評されるけれども、前者がリベラルで、後者が保守だとすっきり分かれていたわけではない。しかし、保守合同はイデオロギー的にはリベラルと保守との合同だった。すなわち、冷戦時代の保守とは、リベラルと保守との連合軍であった。
1989年11月のベルリンの壁崩壊及び1991年12月のソ連邦の解体により冷戦は一応終結した。
東欧諸国は共産主義体制を放棄し、中共は政治的には共産党の一党独裁を堅持しつつも、経済的には資本主義へ舵を切った。北朝鮮の政治的経済的行き詰まりも明らかになった。それらにより、マルクス主義のイデオロギー的権威、魅力が失われた。
社会・共産主義者であったこと、他人にその正しさを説教してきたことについて、反省を表明する者はいなかったけれども、少数の非転向の共産主義者以外、多くの社会主義者たちはリベラルへ転向していった。それを明示するのが、日本社会党の凋落であり、日本共産党の退潮である。
「冷戦保守」の一翼を担った旧リベラルは共産主義体制に反対だったけれども、保守よりも容共的だったし、もともと進歩主義的思想傾向の持ち主たちだった。
社会主義者からの転向組の新リベラルと旧リベラルの差異が次第になくなっていった。一方、冷戦時代共通の敵として社会・共産主義勢力がいたからまとまっていたけれども、冷戦保守の結合にゆるみが生じた。
その結果生起したのが冷戦保守分裂と新旧リベラル合同である。1993年6月武村正義氏他は自民党を離党、新党さきがけを結成した。また、同年同月小沢一郎氏や羽田孜氏らは、やはり自民党を脱党、新生党を結成した。そして彼らは、同年8月日本新党の細川護熙氏を首班とする八党派による非自民連立政権を成立させた。
翌94年6月、同連立政権の内紛に乗じて、自民党、社会党、さきがけは、社会党の村山富市氏を担いで、自社さ政権を樹立した。それ以降の政党の合従連衡により、自民党に所属した議員と社会党に所属した議員が、同一政党に所属するようになっていった。
冷戦保守分裂は、リベラルと保守がすっきり分かれた訳ではない。また、リベラル合同も、新旧リベラルが1つの政党に集結した訳ではない。
当の国会議員自身、誰が敵で、誰が味方なのかを明確に意識していないため、政界再編も理念的に支離滅裂で、今日もなお自民党とその他の泡沫政党の中で、リベラルと保守が呉越同舟の状態にある。とはいえ、イデオロギー的には、既にリベラルと保守対決の時代が到来しているのである。
冷戦終了直後、政治的立場を左右に分けて考えることの無意味が語られもした。けれども、相変わらず進歩主義派と保守主義派のイデオロギー上の戦いは続いている。要するに、左右対立の図式が無効になったわけではない。
左翼党派内での権力闘争でしばしば見られる光景であるが、まず進歩的グループと保守的グループが対立し、前者が後者を駆逐した後、前者の中の急進派と穏健派が対立し、前者が後者を粛清する、というのが常である。
そのような、政治的左派右派対立の共通した型から理解できることだけれども、冷戦後最も先鋭的な進歩思想たるマルクス主義が衰退することによって、つまり、最左派が存在感を喪失することによって、左右対立の本流が穏健左派対保守へ変わったのである。
すなわち、左右の対立軸は右へ移動した。今やイデオロギー的に左右を分かつ線は、社会・共産主義者と自由主義者の間を通っているのではなく、自由主義者の中の、リベラルと保守の中心を走っているのである。社会・共産主義者は左翼の少数派に転落してしまった。今日左翼の主流派にして多数派はリベラルである。そして、リベラルこそが保守の主敵である。

2.誰が「強兵」を妨げているか

リベラルと保守は、様々な問題で意見を異にしている。皇位継承、憲法、国防、歴史認識、外国人参政権、夫婦別姓、同性婚、外国移民の受け入れ、原発・・・・。本稿では、その内幾つかについてのみ言及する。
体制選択の問題と同様、冷戦時代から<社会・共産主義者vs.リベラル+保守>だったのは日米安保条約に関してである。
冷戦時代、日本社会党にしろ日本共産党にしろ、日米安保に反対だった。彼らにとって社会主義は平和勢力であり、資本主義は戦争勢力であった。資本主義国の雄アメリカと軍事同盟を結ぶことは、同国の侵略に加担することになるし、何よりも日本がその戦争に巻き込まれることによって自らが犠牲になる恐れがあった。だから、彼らは日米安保に反対したし、反米だった。社会党は非武装中立、共産党は武装中立の立場だった。
両者が中立を謳っていたのは、アメリカから離れるためだろう。社会党が非武装を高唱していたのは、それが政策的に実現可能だと本気で信じていたためだろうか、それとも、社会主義国による日本の「解放」を期待したからだろうか。
一方、右派はわが国の共産化を憂慮していたし、ソ連、中共、北朝鮮を脅威だと考えていたから、リベラルも保守も日米安保肯定であった。
冷戦後の1994年7月、村山富市社会党委員長による日米安保堅持、自衛隊合憲の表明があり、その後の社会主義者のリベラルへの転向があって、共産党は相変わらず反対であるものの、今日新旧リベラルも保守も日米安保肯定で一致している。
確かに一致はしている。が、問題はその中身である。
米国との軍事同盟において、血も汗も流したくない、しかし、アメリカには守って欲しい、がリベラルの本音だろう。そして、犠牲を払わなくても(基地は提供しているし、駐留経費も支払っている。何より沖縄は犠牲を払っている!と反論するだろうが)、アメリカは守ってくれると信じるのが彼らである。要するに、信米である。
一方、保守は、血も汗も流さない、では同盟はもたない、だから日米安保の強化もしくは深化を主張している。一口に言えば、リベラルは信米ハト派であり、保守は親米タカ派である。
尖閣諸島その他への中共の威嚇、北朝鮮の度重なるミサイル発射や核実験を目の当たりにしても、わが国が一向に軍事的に覚醒しないのは、リベラル勢力が強大だからだろう。彼らは、憲法九条の改正にも、核保有の論議にも反対である。
戦後70年以上経過してなお、わが国のリベラルは前大戦のトラウマを引き摺っていて、軍事的行動に対して頗る消極的である。
米民主党にしろ英労働党にしろ、「戦争ができる国」であることを否定することはない。国家は、場合によっては戦わざるをえないこともあることを知っているからだろう。だから政権政党になることができるのである。
たまたま鳩山由紀夫、菅直人民主党は、わずかの期間政権の座に着いたけれども、まともな独立国で、軍事的行動を忌避する政党が長く政権を保持することは危険である。
冷戦時代日本社会党が政権を担うことができなかったのは、非武装的平和主義から抜け出せなかったからである。国防問題で目覚めない限り、あるいは冷戦保守政党で保守に寄生しない限り、社会党同様リベラルも、万年野党に甘んじる他ないだろう。

3.自民党保守本流は保守だったか

現在の状況を先取りしているかのように、冷戦時代から<社会・共産主義者+リベラルvs.保守>の図式だったのが、憲法、歴史認識、対支那・台湾の問題である。
第一。冷戦時代、社会党にしろ共産党にしろ、憲法護持を主張していた。左翼にとって日本国憲法はブルジョア憲法であるから、本来改正すべきなのは当然である。しかし、政権を握るまでは、体制側が提起するその改悪を阻止しなければならない。幸いブルジョア憲法だとは言え、現憲法は武力の放棄を謳った第九条がある。彼らにとって憲法は日本の軍事大国化を防ぐための歯止めとして、利用価値があった。それゆえの護憲だった。
一方、右派のうち、ハト派のリベラルも護憲を主張していた。それに対して、保守のみ改憲(廃憲も含む)派だった。<社会・共産主義者+リベラルvs.保守>、この図式を見れば、憲法改正がいかに困難であるか一目瞭然であろう。
さて、自民党の中に保守本流と呼ばれる勢力があった。吉田茂氏の流れをくむ、池田勇人氏から大平正芳氏へと続く宏池会の系統と、佐藤栄作氏から田中角栄氏へ受け継がれた派閥の系統を指す。そして、保守本流が自民党の中核を形成していた。
2013年5月23日付朝日新聞で、ノンフィクション作家保阪正康氏はインタビューに答えて述べている。
「池田勇人も佐藤栄作も、田中角栄も改憲は公言しなかった。保守本流こそ『護憲』だったわけです」。
氏が言うように、自民党の保守本流は護憲派だったのだろうか。というよりも、そもそも彼らは保守だったのだろうか。
具体的に政治家の名前を挙げよう。宏池会系には麻生太郎氏のような人もいる一方、宮沢喜一氏、加藤紘一氏、河野洋平氏といった政治家がいたし、佐藤・田中氏の流れには、そこから政治家としてのキャリアをスタートさせた細川護熙氏、鳩山由紀夫氏、岡田克也氏がいる。細川、鳩山、岡田氏は思想的転向によって自民党を離れた訳ではない。6氏は、明らかにリベラルに属する政治家であり、自民党と泡沫新党において、枢要な地位を占めたのである。
「冷戦時代の保守とは、リベラルと保守との連合軍であった」と既に述べたけれども、自民党保守本流も例外ではなく、リベラルと保守の寄り合い所帯だったのであり(実際には、どちらにも分類できない有象無象も少なくなかっただろうが)、真の意味での保守、つまりノンリベラル保守(以下ノンリベ保守)の集団ではなかったのである。戦後自民党が長期政権を続けてきたにも拘らず、憲法改正が日程に上ることがなかったのは、保守本流を含めて自民党議員の少なからぬ部分をリベラルが占めていたからだろう。
近年改憲勢力が衆参両院で3分の2を上回っているとマスメディアは指摘するけれども、自民党の中にはリベラルがいるし、公明党もリベラル政党である。ノンリベ保守が望む形での憲法改正は容易ではないだろう。
ところで、昨年5月安倍首相は、憲法「九条1項、2項を残しつつ、自衛隊を明文で書き込むという考え方」を示した。それは、占領憲法改正の突破口になるかもしれない。
第二。冷戦時代、社会・共産主義者は帝国主義戦争史観を奉じていた(注)。一方、リベラルは東京裁判史観の占領下にあった。対して、保守はその何れにも反対だった。帝国主義戦争史観と東京裁判史観は、善玉は必ずしも一致しないけれども、悪玉は日本で一致する。要するに両者とも、日本悪玉史観である。だから冷戦後、社会主義者たちはリベラルへ転向したけれども、帝国主義戦争史観から東京裁判史観への跳躍は簡単だったろう。今日ほぼ、リベラルは東京裁判史観肯定、保守はその否定の立場である。
自民党保守本流のリベラル政治家が歴史問題で何をなしたか。宮沢喜一氏と河野洋平氏は、1982年と1993年に各々官房長官談話を発表した。前者は、教科書誤報事件をきっかけに、歴史教科書検定における外国の干渉を許し、後者は慰安婦の強制を認めた。周知の通り、何れの案件も基になる事実がなかったことが、その後明らかになっている。リベラル政治家の軽率かつ不手際な言動が、日支、日韓の関係をこじらせ、どの国民をも苦しめる結果になっている。
第三。一般的に言って、冷戦前後を通じて社会・共産主義者とリベラルは中華人民共和国(中共)派であり、保守のみ中華民国(台湾)派である。
1972年9月田中角栄首相、大平正芳外相という保守本流コンビにより、日支国交「正常」化が行われた。彼らがノンリベ保守であったなら、あれほど早期かつ屈託もなく「日中国交」=台湾切捨てはできなかっただろう。両氏はリベラルだったのだろうか、それとも鵺的保守だったのだろうか。
中共と台湾に対する態度を見ると、リベラルというものの実体がより鮮明になる。
今日も中共は共産党支配の独裁国家であるのに対して、台湾は民主的に政権交代を行う自由国家である。もしリベラルが字義通りの自由主義者なら台湾に幾らかでも同情的な姿勢を示しても不思議ではないだろう。しかし、彼らは同国に対して実に冷淡である(たとえば、河野洋平氏の来歴を見よ!)。
なぜか。リベラルにとって、自由よりも進歩の方が上位の価値だからではないだろうか。彼らは共産主義には一応反対だったけれども、別種の進歩主義者なのである。リベラルとは、共産主義が過激な進歩主義であるのに対して、穏健な進歩主義のことだと理解するのが適切だろう。
国防、憲法、歴史認識、対支那・台湾問題を見れば、戦後日本を主導してきたのはノンリベ保守というよりも、むしろリベラルだというののが分かるのである。

4.冷戦的思考

冷戦的思考について、少し触れよう。それは、保守とはリベラル+保守のことだと、いまだに信じている思考のことである。
第一。2013年奇妙な題名の本が出版された。『「リベラル保守」宣言』(中島岳志著、新潮社)である。著者は「リベラル保守」なる立場を提唱している。
確かに、対社会主義勢力のためにリベラルと保守が共闘していた時代なら、そのような立場もありえたかもしれない。しかし、今日リベラルと保守はイデオロギー的に真っ向から対立していて、両者は反対概念である。「リベラル保守」宣言というのは、左翼右翼宣言とか、共産主義資本主義宣言とか、東京裁判史観肯定否定宣言というようなものであろう。
第二。昨年10月22日に投開票が行われた第48回衆議院議員選挙の直前にブームとなった、小池百合子氏ひきいる希望の党の、一時スポークスマン的な役割を担った若狭勝氏は、保守二大政党政治を唱えた(『正論』2017年10月号)。
しかし、国民の間でも、国会議員の間でも、リベラルとノンリベ保守が拮抗しているのである。ノンリベ保守二党が政治の大勢を占めることなどありえない。氏の言う保守とは、冷戦保守のことだと考えざるをえない。
第三。民進党の代表をつとめた蓮舫参議院議員は、一昨年「私はバリバリの保守ですよ」と発言したとのことである。昨年立憲民主党に入党し、リベラルであることが判明した。誤解を生まないために、彼女は次のように言うべきだった。「私はバリバリの冷戦保守ですよ」。
最近明らかにリベラルな人物が保守を自称したりして、政治や言論の場に混乱をもたらしている。彼らの言う保守とはノンリベ保守のことではなく、冷戦保守のことであろう。

5.理念の喪失

冷戦後、次のような現象が生じた。名称からして何を目指しているのか不明な新党が続々と出現したことである。
名前を挙げるなら、日本新党、新党さきがけ、新生党、新進党、みんなの党、たちあがれ日本、太陽の党、維新の会、生活の党、日本のこころ、希望の党など。これらの政党は、次々と生まれてはたちまち雲散霧消したし、しつつある。なぜこのようなことが起こるのだろうか。政治家たちが、理念を見失っているからだろう。
1990年代の、いわゆる政治改革によって、つまり、小選挙区制を導入することによって、政権交代可能な二大政党を作ろうと政治家たちは考えた。しかし、実際にできたのは何れも自民党と同様、リベラルと保守が混在する呉越同舟政党である。
一方の自民党が冷戦保守政党なら、同党の長期政権化を阻もうと創立された諸党も冷戦保守政党である。両者の違いは、党内におけるリベラルと保守の比率だけである。冷戦保守同士の内ゲバだから理念は二の次で、だから新党は場当たり的な党名になるのだし、短命に終わるのである。勝敗はリーダーの力量とマスメディアの肩入れ次第で、だから他方の自民党も、安倍晋三総裁後は危ういだろう。
理念がほぼ同じ政党による二大政党制など、長続きするはずがない。それはまた、有権者にとっても選択肢がないことを意味する。二大政党制が実施されている国では、両党がおおよそ理念によって分かれている。左右社会党の統一と保守合同によって成立したわが国の五五年体制だってそうである。ただ前者がマルクス主義と空想的平和主義から脱皮できなかったため、政権政党になることができなかっただけである。
近年欧米における二大政党制の揺らぎが指摘されたりするけれども、それは左派が左派としての役割(たとえば格差の是正)、右派が右派としての役割(たとえば外国移民の制限)をはたしていないからではないだろうか。
現在の日本のイデオロギー的な状況からいって、ある程度理念によって分かれるなら、リベラル政党とノンリベ保守党の二大政党にならざるをえないだろう。
冷戦保守分裂も、新旧リベラル合同も、ノンリベ保守合同も中途半端に終わったままである。政治家が理念を見失っていること、そのことがひいては日本の混迷につながっているのではないだろうか。

(注)上山春平著、『大東亜戦争の遺産』、中公叢書

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