なぜ日本人慰安婦は問題にならないのか

1.慰安婦は朝鮮人よりも日本人の方が多かった

身近な人と喋っていて、たまたま話題が慰安婦に及んだ時、私が慰安婦は朝鮮人よりも日本人(1)の方が多かったと言ったら、相手は驚いていました。日本人よりも朝鮮人の方が多いと思っていたらしい。それを聞いて、私の方が驚きました。

身近な人は、テレビと新聞しか見ない、いわゆる情報弱者です。それで分かるのは、テレビや新聞がいかに正確な、あるいは肝腎な情報を伝えていないかということです。

2.なぜ日本人慰安婦は問題にならないのか

慰安婦は、朝鮮人よりも日本人の方が多かった(2)。それなのに、なぜ慰安婦で問題になるのは朝鮮人ばかりなのでしょうか。なぜ日本人は問題にならないのでしょうか。
慰安婦は女性の人権の問題である、のたぐいの言説がありますが、それが女性の人権の問題なら、なぜ日本人慰安婦のそれは無視されるのでしょうか。

朝鮮で、日本の軍人が慰安婦狩りを行い、朝鮮人女性を強制的に連れ去り、慰安婦にしたとの説は、嘘だというのが明らかになりました。
当時朝鮮は日本に併合されていたので、朝鮮人は日本人でした。本人か親が業者の募集に応じ、慰安婦になりました。その点、日本人も朝鮮人も同じです。つまり、彼女たちが慰安婦になったのは、強制ではなく任意でした。

それなのに、どうして朝鮮人慰安婦(の人権)のみが問題になり、日本人慰安婦は話題にもならないのでしょうか。
日本が朝鮮を併合していたから、慰安婦も朝鮮人は被害者で、日本人は加害者との論理なのでしょうか。
当時の朝鮮にはわずかながらも男娼がいて、仕事か旅行で現地を訪れた日本人男性が彼を買ったような事例もあったかもしれません。その論理に従うなら、その場合も、朝鮮人男娼は被害者であり、日本人男性は加害者ということになるでしょう。それなら、踏みにじられたはずの朝鮮人男娼の人権も、問題にすべきではありませんか?

3.真理に抗う人たち

第一、慰安婦は朝鮮人よりも日本人の方が、数が多かったということを知ること。
第二、多かった日本人慰安婦がなぜ問題にならないのかを疑問に思うこと。
この二つによって、慰安婦問題がフェイク・プロブレム=偽問題であることが分かります。

真理に抗う人たちは、この二点を隠しています。徐々にであれ、時が経つにつれて、慰安婦問題の嘘は覆るだろうと思います。
朝鮮人慰安婦しか問題にしない左派は、何れ沈む運命にある泥舟に乗っているようなものです。左派メディアの社員たちは、その時は自分は退職しているか、死んでいると割り切っているのでしょうか。

(1)当時朝鮮は日本に併合されており、朝鮮人も日本人だったので、専門的に慰安婦を論じた書物では、両者を区別するために、日本人を「内地人」と記述しています。
(2)秦郁彦著、『慰安婦と戦場の性』、新潮選書

立派な朝鮮人売春婦・立派でない朝鮮人売春婦

戦前日本の植民地下の朝鮮で、同じ朝鮮人男性に身を任せても、日本人その他には身を任せないのを貫いた娼婦がいたとしたら、彼女は立派な売春婦です。

一方、金のためなら、朝鮮人であろうが日本人であろうが支那人であろうが満州人であろうが、枕を交わしたのは、立派ではない売春婦です。

売春婦になったぐらいだから、経済的に困窮していて、職業あるいは人生の自主的な選択などできなかったのかもしれません。しかし、中には、荒稼ぎできるから、「相手は誰でも構わない」を選んだ女性も少なくなかったでしょう。そして、日本軍の慰安婦になった人たちは、そのような人たちでしょう。

1991年8月14日、金学順さんが慰安婦であったことを明らかにした日を記念して、韓国では日本軍慰安婦をたたえる日が制定され、一昨年施行されました。
けれども、たたえられるべきは、たとえ売春婦であったとしても、朝鮮人男性にしか身を任せなかった女性たちではないのでしょうか。

金のためなら、誰であろうと身を売った人たちは、「たたえ」られるに相応しいでしょうか。
それとも、当時の朝鮮には志操ある娼婦など全くいなかったのでしょうか。

【追記】
私は、慰安婦問題の被害者は日本国および日本国民だと考えるので、「日本軍慰安婦被害者をたたえる日」の、「被害者」の語は、敢えて省きました。

安倍前首相の靖国参拝に思う

当ブログには、唯一「よもぎねこです♪」をリンクに付けています。
よもぎねこさんの8月29日公開の記事「安倍総理辞任について 個人的感想」のコメント欄に、30日次のような短文を送りました。

「辞任後、一代議士となった安倍さんには、靖国神社の参拝を期待したいですね」

安倍晋三首相の任期は、正式には9月16日まででした。
そして、その三日後の19日、安倍前首相は靖国神社に参拝されました。
英霊に、首相を退任したことを報告したのだそうです。

わずか三日後の参拝ということで、安倍氏の信条と心情が理解できます。
2013年12月に一度参拝しましたが、韓支とアメリカの圧力によって、それ以降できず仕舞いでした。
任期中に随時参拝できなかったことは、さぞや悔しかったことでしょう。

8月2日公開の「なぜ私は宗教を信じないか」で述べましたが、私は無神論者です。
初詣は当然のこと、一年に一度も参詣しません。また、車のルームミラーにお守りを下げたり、車体に〇〇神社の安全祈願のシールを貼ったりもしません。

けれども、私的な信条と公的な立場とは別です。
キリスト教徒の政治家も首相になったらそうすべきであるように、もし私が首相になったとしても、靖国神社への参拝を目指すでしょう。

反省・謝罪と左翼

歴史認識に関する左翼の紋切型に、次のようなものがあります。

かつて西洋先進国はアジア・アフリカその他を侵略し、植民地支配を行ったけれども、それを謝らない。だからと言って、戦前日本がアジア、とりわけ韓国に対して行った植民地支配を謝らなくて良いということにはならない。たとえ西洋諸国が謝罪しなくても、日本はちゃんと謝罪すべきである

というのです。
一見もっともな主張ですが、ではそう言うご当人は、自己の過失について、相手に対してちゃんと謝っているのでしょうか?

冷戦時代、資本主義は何れ社会主義に取って代わられると多くの人たちが信じていました。その時代、社会・共産主義者は、未来は自分たちに味方していると、意気揚々でした。
彼らは、社会主義の旗を振り、いまだその旗の下に集まらない者、それを支持しない者に対し、社会主義体制の優位や必然性を説き、あるいは組織に誘い、組織を抜けたいと言えば、脅しまたは爪はじきにしました。
一方、社会・共産主義の反対者に対しては、右翼、反動、資本主義の走狗(手先)のレッテルを貼り、彼らの言論を左傾化した主流派メディアから閉め出しました。

しかし、その後社会主義の盟主ソ連は解体し、中共や北朝鮮の政治的・経済的行き詰まりも明らかになり、そして、冷戦は終了しました。

今日、冷戦の終結から三十年経ちましたが、冷戦時代社会・共産主義者だった人で、冷戦後その過ちを表明した人が何人いるでしょうか。社会主義に同調しないが故に他者を批判、心理的に傷つけ、あるいはたとえば、学生運動などで、機動隊員に石を投げ、彼らを身体的に傷つけた人たちのうち、誰がそれを謝罪したでしょうか。

西洋諸国がアジア・アフリカを侵略したことを謝らないからといって、日本がアジアに対する侵略を謝らなくても良いことにはならないという左翼の主張が正しいのなら、他の社会・共産主義者だった人たちが、冷戦後反省を表明しないからと言って、あなたが!謝らなくても良いということにはならないということになりませんか?

歴史問題で、政府や右派が反省や謝罪をしないと非難するよりも、自らがまず冷戦時代におかした過ちを反省し、謝罪の手本を示したら良いと思います。

ところが、左翼は殆んど誰も、反省も謝罪もしません。なぜでしょうか。
<他人の過失を責めるは易し、自分の過失を認めるは難し>だからです。
戦前日本の「侵略」は、左翼=反日派にとって他人事です。だから、容易に謝罪の要求ができるし、その態度が居丈高になるのです。一方、自分の過失は、自身のことだから反省も謝罪もできないのです。

ある左翼が個人的な問題で過失をおかしたとしましょう。彼は素直に、反省の姿勢を示すでしょうか。示さないでしょう。
なぜちゃんと反省や謝罪をしないのかと詰ったら、彼は何と言うでしょうか。
たぶん、次のように言うでしょう。
「お前(皆)だって、同じようなことをやっているじゃないか」

植民地支配は当時の主な先進国がやっていたことです。それはいわば、当時のグローバル・スタンダードでした。そのような行為を、私たちが現在の価値観で道徳的に断罪するのは無意味です。
そんな無意味なことをする暇があるのなら、現在進行形で行われていて、しかも今日の価値観から見ても不当な侵略を非難すべきです。

中共が行っているチベットやウイグルに対する植民地支配、東シナ海や南シナ海での侵略、台湾に対する威嚇、それらに対し、抗議をすべきです。
ドイツのヴァイツゼッカー大統領は、1985年の演説で述べました。
「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となる」
しかし、現実は逆です。現在の不正に気がつく者だって、過去の不正に気がつくとは限りません。が、現在の不正に気がつかない者が、過去の不正にだけは気がつくということなどありえません。
だから、むしろこう言うべきでしょう。
「現在に目を閉ざす者は、過去を語る(批判する)資格がない」

左翼は、戦前の先人たちの行為を云々するよりも、まず自分自身の過失を問題にすべきです。第一、冷戦時代に自分がおかした罪と、第二、現在の中共の侵略等を見て見ぬふりをしている罪とです。
戦前日本の過失を論うのはそれからにすべきです。

私自身は、戦前のわが国の行為を反省や謝罪するのは無意味だと思いますが、一歩譲って、西洋諸国が謝罪しなくても、日本は謝罪する必要があるとしましょう。
それなら、今後左翼が手本を見せてくれるであろう、二つの過失に対する見事な謝罪っぷりを見せて貰ってから、それを参考に戦前の行為の反省や謝罪を考えたら良いと思います。

もし、左翼が反省も謝罪もしなかったなら?
戦前の日本の行為に対して、反省も謝罪もする必要がないことを、彼らが身をもって示してくれたと解釈すれば良いのだと思います(笑)。

【追記】
左翼とは、20世紀の左翼=社会・共産主義者と21世紀の左翼=リベラルのことです。

ご先祖様を利用することなかれ

8月13日付朝日新聞「声」欄に、下記の投稿が掲載されました。

核禁条約の批准 被爆国日本こそ

地方公務員 H・M (千葉県 44)

「今年も広島、長崎の「原爆の日」を迎えた。日本の被爆から既に75年を経たが、いまだに核兵器が核兵器がなくなる気配は全くない。それどころか世界は、核兵器を保有する一部の国によって寡頭支配されている。
唯一の戦争被爆国である我々は、核兵器自体を禁止する条約を忘れていないだろうか。核兵器の製造や保有などを禁じる「核兵器禁止条約」。国連で3年前、122カ国の賛成で採択された。50カ国の批准という発効要件を満たすのは目前である。
この条約に日本の政権が調印しなかったのはもちろん残念だが、調印運動を盛り上げなかったメディアにも失望した。新型コロナでの自粛要請時のように、強調した報道を見せれば、日本も参加していたのではないかとさえ思う。
日本は戦争被爆国でありながら、核兵器を禁止する条約に参加していない。しかも冷戦後もなお、日本に原爆を落とした世界有数の核兵器保有国と、軍事的要素が強い日米安全保障条約を結び続け、「核の傘」に依存していると見える。
お盆に入り、戦争で亡くなった方の霊も戻ってくる。私たちは、ご先祖様に顔向けができるだろうか」

この人には、戦前のご先祖様は、現在の私たちとは全く異なるパラダイムの中にあったであろうという想像力が欠如しています。

ご先祖様は、戦争に勝って欲しかったのです。
アメリカよりも先に、日本が核兵器の開発に成功していたら良かったのに、と残念に思っていることでしょう。
そして、核兵器によって戦争に勝利していたら、今頃はきっと核兵器禁止条約に参加しろとは言わなかったはずです(笑)。

【追記】
お前の意見だって、ご先祖様の利用ではないかと言われたら、否定できませんが。

韓国の反日 原因は日本の善政

韓国併合における大日本帝国の統治は、韓国自身の政府によるそれよりも良かった。

その間産業も発展しましたし、人口も増えましたし、教育も普及しました。

そのような不都合な真実を、韓国民は薄々感じているのではないでしょうか。

そして、感じているけれども、表立って認めることができない。

格下の日本が、格上の韓国に善政を施したはずがない。

そのような心理的屈折が、韓国の反日=逆ギレとなって表れているのだと思います。

【追記1】
一方、台湾は自分たちの方が、日本よりも格上だとは考えていなかった。
旧植民地は旧宗主国に対して親しみの感情を持つ傾向がある、というのは不思議ではありますが、台湾の日本に対する意識も、そのようなものだろうと思われます。

【追記2】
<韓国の反日 もう一つの原因>については、「E・ルトワック氏の『韓国が反日の理由』」に書きました。

日韓どちらが加害者でどちらが被害者か

1.玉川徹氏の発言

日本と韓国の間には、歴史問題を巡って、認識の相違とそれを原因とする軋轢があるのは周知の事実です。
昨年9月11日に放送されたテレビ朝日系の番組で、コメンテーターの玉川徹氏は発言したそうです。

「加害と被害の関係があった場合には、被害者が納得するまで謝るしかないと思います。そういう態度をドイツは取っています」(1)

「被害者が納得するまで」と言いますが、どういう要件を満たせば、被害者たる韓国が「納得」したことになるのでしょうか。
韓国民の過半数が承認すれば良いのでしょうか、あるいは殆ど全ての同国人が承認しなければならないのでしょうか、それとも別の要件があるのでしょうか。

日本の謝罪に対して、韓国人のほほ全てが納得するようなことはあるでしょうか。そんなことはありえないでしょう。そして、そのような中で、同国人の殆どが納得するまで謝るしかないのだとしたら、日本は永久に韓国に謝罪する必要があるということになります。
永久に謝罪を要求する韓国と、謝罪を求められる日本と。そのような関係の二国が和解することは、永遠に不可能でしょう。

ではなぜ玉川氏は、「加害と被害の関係があった場合には、被害者が納得するまで謝るしかない」などと言うのでしょうか。
両国の和解を望んでいないから、と解釈するのが自然でしょう。
氏は、日韓の和解を妨害しているのです。

2.日韓のどちらが被害者か

国際関係で「加害と被害の関係があった場合には」、各々の国民の賛否の多寡に拘わらず、政府が承認すれば「納得」したことになります。

「国際法では戦争や支配など不幸な過去は条約や協定で清算し、その後は内政不干渉で歴史認識は外交に持ち出さないのが原則だ」(2)

日本と韓国の間で1965年日韓基本条約と日韓請求権協定が結ばれ、後者には日韓双方の請求権の問題は「完全かつ最終的に解決されたことを確認する」との文言があります。
ということは、被害者たる韓国は納得したということです。

1965年は、終戦から二十年後のことで、当時日本が韓国を併合していた訳ではありませんし、後者は独立国でした。そして、日韓基本条約はアメリカが公然と調停工作を行ったとのことですし、ということは米国の監視もあったということです。

むしろ基本条約や請求権協定が結ばれた後で、しかも何十年も経ってから問題が蒸し返された場合、蒸し返した側が加害者であり、蒸し返された側は被害者なのです。
いわゆる徴用工、そして慰安婦の問題は、韓国が加害者で、日本は被害者なのです。

玉川氏の論理に従うなら、被害者たる日本が納得するまで韓国は謝るしかない、ということになります。

(1)https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/news/1545180/
(2)西岡力、『Hanada』、2019年3月号、46-7頁

どうして韓国併合を反省しなければいけないの

1.先進国の植民地支配

古代ギリシアやローマには奴隷制度がありました。では、現在のギリシア国民やイタリア政府はそれを反省すべきでしょうか。
奴隷制は当時の常識であり、二千年あるいはそれ以上前のことを反省するのは無意味です。

さて、私たち日本人はかつての植民地支配、たとえば1910年からの韓国併合を反省すべきでしょうか。
ほんの百十年ほど前のことだとはいえ、その当時の先進国は皆植民地を持っていました。イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、オランダ、ベルギー、ポルトガル、ロシア、アメリカ然りです。
それが世界標準でした。

2.アジア・アフリカ諸国の独立はほんの数十年前のこと

大東亜戦争の結果、多くのアジア諸国は先進国の植民地支配を脱し、独立しました。
一方、アフリカ諸国が独立したのは、もう少し後でした。かの国々が競って独立した1960年は「アフリカの年」と呼ばれていますが、それはわずか六十年ほど前のことです。

3.無意味な反省

ほんの七十五年前や六十年前には、先進国による植民地支配は当たり前のことだったのです。その時代に当然とされていたことを、今日の私たちが道義的に非難することに何の意味があるでしょうか。

私たちが韓国併合を反省するのは無意味です。
そんな無意味なことをする暇があるのなら、現在の私たちがやっていて、しかも百年後、千年後の人たちから道徳的に責められるような、そのような行為を改めた方が良いと思います。
そうすれば、私たちは後世の人たちからきっと称賛されるに違いありません。

けれども、百年後、千年後の人たちが、どのような価値基準を持っているのか、私たちには知りえません。現在の私たちの行為のうち、どのようなそれが後世の人たちから道義的に指弾されるのかは分かりません。

だから、今の私たちが、千年前、百年前の人たちを倫理的に非難することだって無意味なのです。

道徳の不遡及の原則のすすめ

1.法の不遡及の原則とは

法の不遡及の原則というのがあります。
ウィキペディアから引用しましょう。

「法令は施行と同時にその効力を発揮するが、原則として将来に向かって適用され法令施行後の出来事に限り効力が及ぶのであり、過去の出来事には適用されない。これを法令不遡及の原則という」(1)

もっと分りやすい説明を引きます。

「新たに制定された法律(事後法)は、その制定以前にさかのぼって適用してはならない、という原則。法律不遡及(そきゅう)の原則ともいう」(2)

日本国憲法にも、当然その規定があります。

「第三九条 【刑罰法規の不遡及、二重刑罰の禁止】
何人も、実行の時に適法であった行為又は既に無罪とされた行為については、刑事上の責任は問われない、又、同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問われない」

この原則は、文明国であればあるほど厳格に実施され、非文明国であればあるほど、法的な規定がないか、あっても反故にされていることでしょう。

2.道徳の不遡及の原則とは

文明国では、法の不遡及の原則は確立されています。逆に言うなら、それが確立されていない国は文明国ではありません。
そして、文明国では、それに加えて、道徳(倫理)の不遡及の原則というものも確立される必要があるでしょう。

道徳の不遡及の原則とは、次のようなものです。
何人も、実行の時に倫理に反すると見做されなかった行為については、道義的な責任は問われない、言い換えるなら、社会通念上、その時代に非道徳的だとされていなかった行為または制度を、後の時代に生まれた価値観に基づいて道義的に非難してはならない、という原則です。
現在の価値観によって、過去を裁いてはなりません。

たとえば、それが不当だとは考えられていなかった時代の戦争や、大国の小国に対する侵略や吸収合併。それが当たり前だと考えられていた時代の奴隷制、大航海時代以来の西洋諸国による中南米、アフリカ、アジアに対する植民地支配。

たとえ今日から見て、過去に行われていたことが如何に非道徳的あるいは理不尽に思われるにしても、過去の問題はその時代の道徳観によってのみ評価すべきです。現代の私たちが、現在の倫理観に基づいて、過去を断罪してはなりません。

奴隷制が当然だった時代、ある偉大な思想家がそれを道徳的に非難する発言を行っていたとしても、それは彼に先見の明があったことを意味するだけで、世間の大勢は蒙昧主義の中にあった訳ですから、偉人の視点でもって、現在の私たちが過去の行為や制度を非難することはできません。

3.なぜ道徳の不遡及の原則が必要なのか

では、なぜ道徳の不遡及の原則が確立される必要があるのでしょうか。
この原則を無視することによって、国内的および国際的な紛争が、最悪の場合には流血の事態の発生が予想されるからです。

(1)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E3%81%AE%E4%B8%8D%E9%81%A1%E5%8F%8A
(2)https://kotobank.jp/word/%E4%BA%8B%E5%BE%8C%E6%B3%95%E3%81%AE%E7%A6%81%E6%AD%A2-73110

日韓和解のためには何が必要か

韓国併合について、わが国の反日派と韓国は、相変わらず反省せよ、謝罪せよと言い募っています。

2010年5月10日に行われたという「『韓国併合』100年日韓知識人共同声明」には、次のような文言があります。

「私たちは、韓国併合の過程がいかなるものであったか、『韓国併合条約』をどのように考えるべきかについて、日韓両国の政府と国民が共同の認識を確認することが重要であると考える。この問題こそが両民族の間の歴史問題の核心であり、われわれの和解と協力のための基本である」

上の記述で分かりますが、この共同声明に署名した知識人、のみならずわが国の反日派も、韓国もある前提に立っています。

第一。一つの正しい歴史認識というものがあると信じていること。
第二。その歴史認識を、日韓両国民に、とりわけ日本国民に強制するのは、日韓の「和解と協力のため」に必要であると信じていること、です。
彼らは、両国の歴史認識の共有は可能であるし、共有を実現しなければならないと考えています。

第一、「一つの正しい歴史認識」というものは、あるのでしょうか。
終戦直後にわが国で首相を務めた吉田茂にしろ、六十年安保の時に首相だった岸信介にしろ、在任中の評判は散々でした。が、その後評価は引っ繰り返りました。現在の安倍晋三首相だって、将来は不世出の総理大臣と評されることになるでしょう。

一方の韓国ではどうでしょうか。
ウィキペディアの「大統領(大韓民国)」の項には、次のような記述があります。

「韓国の歴代大統領は、在任中に糾弾を受けて亡命を余儀なくされるか暗殺されたり、退任後に自身や身内が刑事手続きによって逮捕・収監・起訴の上で有罪判決を受けたり、不正追及を苦に自殺をしたりして、不幸な末路を迎える例が極めて多い」

韓国で大統領制が始まったのは戦後です。もう古代や中世のような野蛮な時代ではないはずなのに、歴代大統領に関する評価が、在任初期と退任後で一変しています。現在の文在寅大統領より前の、向こう三代の大統領朴槿恵、李明博、盧武鉉の各氏でさえ、そうです。
このような国とわが国との間に、固定的な、歴史上の「共同の認識」を求めることができるのでしょうか。

甲申政変を主導した金玉均や韓国併合条約の時に韓国側総理大臣だった李完用に対する評価は、現在の韓国では一般的に芳しくないようですが、中には彼らを評価する人もありますし、伊藤博文を暗殺した安重根だって今後の評価は分かりません。

すなわち、日本のみならず韓国においても、ある人物なり事件なりの歴史認識及び評価は時代によって変動しえます。
一つの正しい歴史認識というものはありません。

第二、「一つの正しい歴史認識」という仮構を日本国民に強要するのは合理的な行為でしょうか。
「共同の認識」は、今現在の反日派等が正しいと信じている「事実」にすぎません。将来、新たな事実が発見されたり、新しい見方が生まれたりする可能性はあります。そうすると、それは「かつて正しいとされた歴史認識」ということになるでしょう。

ある時代に日韓両国が「共同の認識を確認」したとしましょう。すると次のようなことが起こりえます。
Aという時代にはaという歴史が正しいとされ、両国の間でそれに基づいて「共同の認識を確認」することが行われ、Bという時代にはbという歴史が正しいとされ、両国の間でそれに基づいて「共同の認識を確認」することが行われ、Cという時代にはcという・・・・。
正しい歴史認識というものを強制される日本国民からすれば、どれが本当に正しい歴史なのかと反問したくなるのは当然です。

この声明では「共通の歴史認識」という表現も使われていますが、そもそも、それを追求しようとするから、両国の認識の相違が明確になって、それが原因となって、両者の対立が発生、あるいは拡大するのです。最初からそれを求めなければ、つまり、所詮歴史の共有など無理だと悟れば、両者の間に対立は生じません。
日本にしろ韓国にしろ、自国内の歴史学者や国民の間でさえ歴史認識の共有ができないのです。だから、両国間でそれを行おうとすること自体が無理なのです。勿論日本にも韓国にも歴史教科書はありますが、それは現在正しいとされている学説に基づいて記述されているだけの、「一つの正しい、かのような歴史認識」にすぎません。

「一つの正しい宗教(宗派、神)」というものがあり、それを他者に強制するのは正当であると考えるから、宗教戦争が起こるのです。
「一つの正しい○」という観念を卒業することによって、他者の宗教に寛容になることによって、十七世紀のヨーロッパに平和がおとずれたのです。

日韓の間に、「一つの正しい歴史認識」というものがあり、それを、とりわけわが国民に強要するのは正しいと考える人たちは、ウェストファリア条約(1648年)以前の思考の中にあるのだと思います。

高坂正堯氏は『国際政治』(中公新書)の中で、「国際社会にはいくつもの正義がある」(19頁)と書きましたが、各々の国における歴史認識及び評価は時代によって変わりうるし、歴史にはいくつもの真実がある、と理解すべきです。それが平和への道です。

日本と韓国の和解のためには何が必要でしょうか。
第一。歴史の共有など求めないこと。

日韓基本条約及び同請求権協定が結ばれたのは戦後二十年が経過した1965年です。当然韓国は独立国でした。だから、
第二。独立国同士で結ばれた条約は遵守すべきこと。

この二つを守ることによってのみ、両国は友好関係を築きえます。この二つを認めない限り、日本と韓国の間の不仲は永遠に続くでしょう。