「男性脳は問題解決型、女性脳は共感型」と真理の探究

1.妻のトリセツ

前回公開の記事で、自称婚活中であるとカミングアウトしましたが、最近女性の気持ち、あるいは思考を理解するために、ベストセラーの黒川伊保子編著、『妻のトリセツ』(講談社+α新書)を買って、読んでみました。
結婚している男性にとっては、膝を叩きたくなる箇所が満載なのかもしれませんが、独身の私には、書かれていることが本当のことなのかどうか、どうも実感が湧きませんでした。

ただ、「『夫にひどく厳しく、子どもやペットにはべた甘い』が母性の正体であって、男たちがロマンティックに憧れる『果てしない優しさ』が母性なんかじゃないのである。(中略)男にとって結婚の継続とは、女性の母性ゆえの攻撃から、いかに身を守るかの戦略に尽きる。(中略)家庭を、のんびりくつろぐ癒しの場所だと思ったら大間違い。それは、母親の翼の下にいた時代の家庭のことだ」(5-6頁)の箇所には、ゾッとさせられました。

なるべく、婚歴はあっても子供(孫)がいない、またペットを飼っていない女性を探した方が賢明だろうなあ。参考になりました。

2.女性は問題解決ではなく、共感を求めている

今日男女の違いを、何でもジェンダー(社会的・文化的な性差)によって説明する進歩思想が、世を風靡しています。が、それは現代の迷信でしょう。何れ、反動が来るのは必至だと思います。

それはさておき、男性脳は問題解決型で、女性脳は共感型、との主張は、男女の性差が、ジェンダーよりももっと根深い所に由来することが暗示されていますし、それゆえに、この説はジェンダー派にとっては、面白くない、否定すべき言説であることでしょう。
その原因が、社会的・文化的なのか、生物学的なのかはともかく、男性は問題解決を求め、女性は共感を求めるという仮説は、どうも真実であるように思います。

昨年発売された雑誌『月刊 Hanada』2020年11月号に掲載された、「人間だもの 村西とおるの人生相談」への質問は下記のようなものでした。

「『意見はいらない!ただ聞いてろ!』と嫁が毎日のように怒鳴ります。仕事から帰宅するなり、小一時間は嫁の愚痴を聞くことに。それなのに、なんたる言い種(ぐさ)か。九割九分は『うんうん』うなずいて、一分で『反抗期だからねえ』とつぶやいて何が悪いのか。息子が反抗期で毎日つらいのはわかるが、あんたの“地”のほうがよっぽどつらいよ。『意見はいらない!』なら地蔵に向かって話せ、と思う私は甲斐性のなしの旦那でしょうか」(172頁)

「意見はいらない!」
これを読んだ同じ頃、職場にお客様の奥方が来社されました。女性同僚に娘さんとの軋轢のことを長々話し、解決策を求めていない、ただ共感が欲しいと訴えたのを横で聞いていて、印象的でした。後で、同僚に、女性はそうなん?と聞いたら、そうだと言う。
女性は問題解決よりも、共感を求める。既婚の、賢い男性にとっては自明なことなのかもしれませんが、私には初耳でした。

男性脳は問題解決型、女性脳は共感型、というのがもし本当ならば、女性の学者や物書きだって例外ではないのかもしれません。少なくとも、男性と比べて、その傾向が強いのではないか。これまでエッセイやコラムやブログを読んできた女流について改めて考えてみると、思い当たる節がない訳ではありません。
彼女たちは、真実や真理よりも、自分の文章への共感の方が優先なのかもしれません。

3.男女と真理探究

男性は問題解決を求め、女性は共感を求める。
これは、全く当たっていないのでしょうか、それとも、当たっているけれども、学問やエッセイやブログに関しては女流も問題解決を優先するのでしょうか、それとも、それは当たっていて、学問その他の分野でも、女性にとって共感が第一で、問題解決は二の次なのでしょうか。

『妻のトリセツ』の著者は真理を追究して、男性脳は問題解決型、女性脳は共感型、との結論に達したのでしょうが、著者の意図はともかく、その説は女性よりも男性の方が真理探究に適していることを、図らずも示してしまったように思います。

ポリコレ旋風によって、当分の間、学問の世界は女性学者の数が増えるでしょうが、たいていの分野で、真理の探究を担うのは、これまで同様、今後も男性の学者だろうと思います。

自分のペースで

2018年3月にブログを始めてから、3年が経ちました。

途中何度か休止しましたし、止めてしまおうと考えたこともあります。

これまで、おおよそ週に1本公開を原則にしてきました。が、自分にとってハイ・ペースなのと、殆んど読まれていないブログで、はたしてそのような義務を自己に課すことに意味があるのか疑問に感じてもいました。
熟慮した結果、週1公開原則を放棄することにしました。

これからは、自分に適した、もっと緩やかなペースで書いて行こうと思います。
月に3つ、2つ、1つ、場合によっては公開なしの月もあるかもしれません。

宜しくお願い致します。

森発言は女性蔑視か

1.森発言

東京五輪・パラリンピック大会組織委員会の森喜朗前会長は、2月3日日本オリンピック委員会(JOC)の臨時評議員会で、次のように述べたそうです。

「女性理事を選ぶっていうのは、4割、これは文科省がうるさくいうんですよね。
だけど、女性がたくさん入っている理事会は、理事会の会議は時間がかかります。(中略)
女性っていうのは競争意識が強い。誰か1人が手をあげて言われると、自分も言わなきゃいけないと思うんでしょうね。それでみんな発言されるんです。(中略)女性を必ずしも数を増やしていく場合は、発言の時間をある程度、規制して促していかないとなかなか終わらないで困ると言っておられた。誰が言ってとは言いませんけど」(1)

2.批判の嵐

森氏の発言に対して、蜂の巣をつついたように、各方面から批判の声が上がりました。
女性差別だ、女性蔑視だ、「このオリンピック憲章の定める権利及び自由は人種、肌の色、性別、性的指向、言語、宗教、政治的またはその他の意見、国あるいは社会的な出身、財産、出自やその他の身分などの理由による、いかなる種類の差別も受けることなく、確実に享受されなければならない」と謳っている五輪憲章に反している。

森氏の「政治的またはその他の意見」つまり、彼の発言を過剰に批判することだって、「いかなる種類の差別を受けることなく」という同憲章に違反していると思うのですが。

スポンサー企業からも、批判が相次ぎましたが(2)、それらの企業は森氏を非難できるほど、日頃から女性を尊重する姿勢を示しているのでしょうか。

3.事実はどうなのか

批判が激しい割に、森氏の発言が事実かどうかを冷静に検討した上での批評は、殆んどないように思います。
第一、「女性がたくさん入っている理事会の会議は、時間がかか」るというのは、事実なのか、事実ではないのか。
第二、事実だとして、それは女性の先天的な性質によるのか、後天的な性質によるのか。言い換えるなら、原因はセックス(生物的な性差)にあるのか、ジェンダー(文化的社会的な性差)にあるのか、です。

森発言を批判する人たちは、第一の「事実ではない」か、第二の後天説=ジェンダー原因説を前提としています。しかし、私は女性の先天的な性質に起因するのではないかと疑っています。

たとえば、大江麻理子というキャスターは、2月5日テレビ東京系の番組『ワールドビジネスサテライト』で発言したそうです。

「女性の話が長いかどうかというより、本当に個人の問題だと思う。それを性の違いから結論を導き出しているところに問題がある」(3)

しかし、大江氏が言うように、「本当に個人の問題」なのでしょうか。

男性と女性には、先天的な違いがあります。
女性は子供を産めますが(トランス女性には叱られるかもしれませんが)、男性は産めません。一般的に、男性は女性よりも体が大きく、筋肉も発達していて、運動能力に優れています。一方、女性は言語能力に優れています。
男女には各々長所もあれば短所もあるでしょう。

女性のピンク好き。これは良く指摘されます。これを否定したり、その原因はジェンダーにあると考える人たちは少なくないでしょう。
しかし、私が知っている女性でピンクの車に乗っている人は複数いますし(男性はいません)、私の仕事の同僚女性はピンクが好きです。一方、先日男性のお客さんで、ある商品を決めるのに、何色が良いですかと尋ねたら、ピンク以外で、と言われました。
女性のピンク好きだって、ジェンダーではなく、セックスに起因するのかもしれません。

男性脳は問題解決型、女性脳は共感型との説があります。
「女性脳は、何よりも共感を求めている。話を聞いてくれて、共感さえしてくれればOK。男に問題解決なんか期待してはいない」(4)そうです。この説は明らかに男女には先天的な差異があることを前提としていますが、これに対して男性差別だとか、女性差別だという批判の声が出ないのはなぜでしょうか。男女には先天的な性差があることを、皆薄々認めているからではないでしょうか。
もっとも、この説だって森氏が発言していれば、問題になっていたかもしれませんが。

大抵の子供は、お父さんよりもお母さんの方が好きです。なぜでしょうか。上記の記事の別の箇所にはこうにあります。「女性がパートナーに期待しているのは、中立の評価なんかじゃない。えこ贔屓して『よしよし』してくれることなんだから」。
女性が子供に好かれるのは、男性は自分の子供でも突き放して見る傾向があるのに対して、女性は「中立の評価なんかじゃない。えこ贔屓して『よしよし』してくれる」からではないでしょうか。それも、男性と女性の長所であり、短所でしょう。

以前土木に従事する同級生が言っていました。
仕事の打ち合わせは、相手が男性であれば一度で決まるのに、女性だと二度、三度しないと決まらないので大変だと。
特に仲が良いわけではないし、数年に一度くらいしか会わない同級生の発言でしたが、彼の話に嘘はないだろうし、妙に感慨を覚えました。

仕事の打ち合わせにしろ、(理事会の)会議にしろ、女性は時間がかかるというのは、本当のことだろうと思います。そして、それは男女に生得的な違いがあるからではないでしょうか。
「女性がたくさん入っている会議は、時間がかか」るのを事実として認めている人もあります。

「上野(千鶴子)さんによると、意思決定の場で女性の数が多くなると、森会長のいうように『会議は時間がかかる』のは事実だという。それは『出来レース』にせず、議論を活発にしている証」(5)

だそうです。女性に都合良く解釈していますが、会議については、丸谷才一氏の次のような発言もあります。

「文学賞の選考会で、こんなことがよくありますね。ある作品をめぐって、まずA氏とB氏が批評する。次に指名された三番目のC氏が、前の二人と同じようなことをもう一回、繰り返してしゃべる。そんなとき、僕がC氏だったら、『AB両氏のおっしゃったことにまったく同感で、付け加えることがありません』、と言って終わっちゃうんですよ。
言葉つきはいくらか違っても、結局同じことをもう一ぺん言って時間をとる、手間をかける、そういうのはハタ迷惑なことだと僕は思ってるんです」(6)

「結局同じことをもう一ぺん言って時間をとる、手間をかける、そういうのはハタ迷惑なことだ」と考えない人たちがいるのでしょう。そしてそのような人には女性が多い、その結果が、森発言ではないでしょうか。

森氏の発言に対して、その場にいた委員会のメンバーの数人が、笑い声を上げたと言って批判する向きもありますが、笑った人たちだって思い当たる節があるからでしょう。
森氏の発言には、次のような個所もあります。

「女性を必ずしも数を増やしていく場合は、発言の時間をある程度、規制して促していかないとなかなか終わらないで困ると言っておられた」

実際に困っている人がいるのは事実なのでしょう。また、森氏曰く、

「女性理事を選ぶっていうのは、4割、これは文科省がうるさくいうんですよね」

理事会に、女性4割枠を設けると、門外漢が含まれることになるので、「ハタ迷惑」な状況が一層拡大するでしょう。

現代の人たち、とりわけ左派は、男女の性差を、何でも後天的なそれだと解釈しようとする傾向があるように思います。だから、先天的な性差に起因するかもしれない言説が否定され、そのような主張が袋叩きにされる。そういうイデオロギーが社会に蔓延している。それは、自民党の女性代議士だって例外ではありません。そのようなイデオロギーに憑かれた人たちが、森発言を批判しているのです。

森発言は事実ではない、事実であるにしても先天的な性差に起因しないと言うのなら、厳密な証明はできないにしても、何らかの論証はすべきでしょう。
それをした上で、その根拠に基づいて森発言を批判すべきです。
しかし、ろくに根拠を示さないまま、森氏を吊し上げる。近年、反知性主義という言葉が流行りましたが、そのような態度こそ、反知性主義というべきではないでしょうか。

「日本スポーツとジェンダー学会執行部」による「森喜朗・公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長の発言に関する緊急声明」にあります。

「日本スポーツとジェンダー学会執行部は、森氏のこの発言が客観的な証拠に基づかず、女性の特性を恣意的に作り上げ貶めるものであること・・・・」(7)

では、「日本スポーツとジェンダー学会執行部」の、「森氏のこの発言が客観的な証拠に基づかず」との主張は、「客観的な証拠に基づ」いているのでしょうか。基づいているのなら、その証拠を示して欲しいと思います。もしその証拠を示しえないなら、森氏の発言と五十歩百歩だと言えるでしょう。
森氏は学者ではありませんが、「日本スポーツとジェンダー学会」は、学者の集まりでしょう。それなら、なおさら証拠を明示する必要があると思います。

4.<事実>と<事実はそうあって欲しいとの願望>

「すべてこれまでの社会の歴史は階級闘争の歴史である」とは、『共産党宣言』にある文言ですが、一面では、人類の歴史は<事実>主義者と、<事実はそうあって欲しいとの願望>主義者との闘争の歴史ではないでしょうか。

ガリレオ・ガリレイの時代は、殆んどの人たちは、太陽が地球の周りを回っているのが事実であって欲しいと願いました。だから、それに異を唱えたガリレイは吊し上げられました。
そして今日、左派を中心とする多く人たちは、男女の性差の殆んどは、ジェンダー=後天的であって欲しいし、そうであるはずだと信じています。

いわゆる女性差別に反対する左派の理想とする社会は実現するでしょうか。しないでしょう。なぜならば、先天的な性差を、後天的だと見做すことによって、何れ事実から復讐されることになるだろうからです。
原因はジェンダーだと思っていたけれど、セックスだった!

先天的な性差のことごとくを否定する意見の持ち主に反省を促すには、一度オリンピックの競技の全てから男女の区別をなくし、性別を問わず、強い者、早い者が勝つようにしたらどうでしょうか。

(1)2021年2月5日付朝日新聞【要旨】
(2)https://news.yahoo.co.jp/articles/653f761efb5566679f61e27a1b925c7bd0266c43
(3)https://news.yahoo.co.jp/articles/ffed202edbdc84ee8d13806f44d5f298f78e7c52
(4)https://www.gentosha.jp/article/14739/
(5)https://dot.asahi.com/dot/2021020400085.html
(6)丸谷才一著、『思考のレッスン』、文春文庫、11頁
(7)https://jssgs.org/archives/3363

三つの流行病(はやりやまい)

現在三つの流行病(はやりやまい)が世を席捲しています。

一つは言わずと知れたコロナですが、後の二つは、

政治的左派のリベラル真理教(差別主義者や暴動を煽る大統領に、言論や表現の自由はない!)

と、

政治的右派の陰謀論(トランプ大統領はディープ・ステートを一網打尽にするため、軍を動員するはずだった!)

です。

皆さん、感染に注意しませう。

祝 バイデン氏当選

11月3日の投票の結果、トランプ氏を破って、バイデン氏が第46代アメリカ大統領に就任することが決まりました。

日本では、2009年9月から「悪夢のような民主党政権」が始まりましたが、アメリカでは、来年1月から、悪夢のような民主党政権が始まるでしょう。

わが国では、民主党に対する積極的な支持というよりも、反自民の情念によって同政権が生まれましたが、米国ではバイデン氏に対する積極的な支持というよりも、反トランプの情念によって同政権が生まれました。反〇〇の感情によって生まれた政治は、危ういと思います。

日本の民主党政権を主導したのはルーピーでしたが、かの国ではチホーのようです。

わが国では鳩菅と続きましたが、バイデン氏が高齢なため、もし任期中に死亡するようなことがあれば、カマラ・ハリス氏が大統領になります。彼女は国内のゴタゴタを抑え、まとめることができるでしょうか。
また、彼女を極左と評する向きもあり、危惧されます。

トランプ時代は共和党と民主党の、右派と左派の外ゲバの時代でしたが、民主党は支持基盤が多様なので、内ゲバの時代になりそうです。

来年からの散々な民主党政権の後は、長期的な共和党政権の時代が期待できます。
次の米大統領は、現副大統領のペンス氏でしょうか。

めでたし、めでたし。

肝腎な数字を見ない人たち

1.武漢ウィルス

対ウィルス戦争の下、記者が、「危機的な状況下でリーダーはどうあるべきなのか」を、東京工業大学教授中島岳志氏に問うている記事が、5月20日付朝日新聞に掲載されました。そこで、中島氏は答えています。

「今回目立ったリーダーに共通するのは『弱さ』。ドイツのメルケル首相と米ニューヨーク州のクオモ知事です。メルケル氏がなぜあんなに共感を得たかというと、『私も心配。私も弱い』という視点から連帯を訴えたからです。演説でも、感染者や死者の数字について『これは数字じゃない。具体的なお父さんであり、お母さんであり、おじいちゃんの話である』と語る。クオモ氏も同様です。自分たちの痛みと同じところに立っていると思える、弱さが見えるリーダーが共感されているのです」

言うまでもありませんが、「共感されている」ことと、ウィルス対策が成功していることとは別です。
私たちは、「共感されている」リーダーよりも、成功しているリーダーこそを賞賛すべきです。そして、成功しているリーダーとは、人口比で死者数をより少なく抑えている政治家のことです。
中島氏はメルケル首相とクオモ知事を挙げていますが、彼らは賞賛に値するでしょうか。

6月20日の時点での数字ですが、ドイツの総人口8300万人に対して、同国の死者数は8960人で、百万人当たりの死者数は107人です。そして、ニューヨーク州は人口1950万人に対して、死者数は24661人で、百万人当たりの死者数は1264人です。
一方、日本は人口1億2650万人に対して、死者数は935人で、百万人当たりの死者数は7人です(1)(2)。
ドイツやニューヨーク州と比べて、わが国の死者数はずっと少ない。
とするなら、私たちが賞賛すべきは、クオモ氏やメルケル氏ではなく、安倍首相でしょう。

「具体的なお父さんであり、お母さんであり、おじいちゃんの話である」とメルケル氏は演説したそうですが、そうであるからこそ、国家レベルでの、死者の数字が肝要なのです。
そして、死者数の多い国・地方は、少ない国・地方のやり方を見習う、もしくは参考にすべきなのです。その逆ではありません。

クオモ氏やメルケル氏を賞賛するのであれば、安倍氏がニューヨーク州の知事やドイツの首相だったら、もっと死者が多かっただろうことを、あるいはクオモ氏やメルケル氏が日本の首相だったらもっと死者が少なかっただろうことを論証すべきです。しかし、中島氏はそれをしていません。主張の証明となる根拠が全く示されていません。

中島氏は判断を誤っていると思います。そして、氏を初め、ある種の人たちはなぜ判断を誤るのでしょうか。死者数という肝腎な数字を無視して、問題を論じているからでしょう。
では、なぜ肝腎な数字を見ないのでしょうか。
このように見なければならないとの教条のようなものがあって、それを通してしか眺めることができないからだと思います。
左派学者の「世間」には反安倍イデオロギーという教条が蔓延していて、氏もその影響下にあるからではないでしょうか。

2.冷戦時代

冷戦時代には、日本の主流派メディアにしろ、知識人世界にしろ、社会・共産主義=善、自由・資本主義=悪が当然のこととされていました。
今月五日横田めぐみさんの父親滋さんは亡くなられましたが、北朝鮮が拉致などするはずがないと言っていた人たちも、社会・共産主義=善という信仰の中にあった人たちです。

ドイツのベルリンでは、人々は東から西へ亡命しているのに、隣の朝鮮半島やベトナムでは人々は北から南へ逃げているのに、左派メディアや知識人は社会・共産主義体制は、自由・資本主義体制よりも優れていると信じていましたし、そのような報道や言論を行っていました。
彼らは、人々は東から西へ、北から南へ逃れているという肝腎な数字を見ませんでした。

3.大東亜戦争

私は、大東亜戦争は連合国=善、日本=悪という見方には与しません。連合国にしろ日本にしろ、自国の権益のために戦って、前者が強かったから勝ち、後者は弱かったから負けたにすぎないと考えます。

しかし一方、当時のわが国の指導者に対しては不思議に思わざるをえません。
どうして彼らは、日米の軍事力や経済力の差にも拘らず、戦争を開始したのでしょうか。彼らも、肝腎な数字を見ない人たちだったのでしょうか。

そうかもしれませんし、あるいは国内において、ある種の問題あるいはゴタゴタがあって、それが彼らの目を塞いで、肝腎な数字どころではなかったのかもしれません。

(1)https://www.worldometers.info/coronavirus/
(2)https://news.yahoo.co.jp/byline/abekasumi/20200620-00184177/

原因が分からなくても勝ちは勝ち 対ウィルス戦争

1.サンデー・ジャポン

4月26日のテレビ番組「サンデー・ジャポン」で、元衆議院議員の杉村太蔵氏が、この度の武漢ウイルスに関して、死者の数が少ないのを根拠に、「日本は圧倒的に勝(まさ)っている」と主張したのに対し、元経産省官僚の岸博幸氏は「全体を考えると死亡者だけじゃなくて感染者数の増加を抑えられているかどうかとか、いろんな要因を考える必要がありますので(中略)死亡者数が少ない本当の原因が分からない中では、日本が勝っているというのは正直言って訳が分かんない」と反論したそうです(1)(2)。

「死亡者数が少ない本当の原因が分からな」ければ、「勝っている」ことにはならないのでしょうか。私には岸氏の主張の方が「訳が分かんない」。

2.勝敗の結果と原因

大東亜戦争で日本がアメリカに敗れた「本当の原因」は何だったのでしょうか。それは分かっているのでしょうか。あるいは、ベトナム戦争でアメリカが北(共産)ベトナムに敗れた原因は何だったのでしょうか。それは分かっているのでしょうか。
それらに関しては、今もって論者あるいは識者によって解釈の違いがあるでしょう。

しかし、大東亜戦争で日本が、ベトナム戦争でアメリカが敗北したのは明らかです。敗北の根本因が説明できないからと言って、前者で日本が、後者でアメリカが負けていないことにはなりません。

戦争は、負けた原因が分からないからと言って、負けていないことにはなりませんし、勝った原因が明確ではないからと言って、勝っていないことにはなりません。

3.原因・条件が不明でも勝ちは勝ち

この点、対ウィルス戦争でも同じです。
この戦争の勝敗の指標は死者数です。そして、死者が多い国は負けている国であり、少ない国は勝っている国です。他国と比較して、人口比で日本の死者数は少ないのです(3)。

日本の死者数が少ない理由については、衛生観念が高いとか、靴を脱いで家に上がるとかの要因が指摘されますが、死者が少ない原因、あるいはどのような条件が幸いしてわが国の死者が少ないのかが明確ではないからといって、この戦争に勝っていないことにはなりません。勝ちは勝ちです。

大東亜戦争で、日本が敗れた原因が明らかではないとか、わが国のある種の文化的な諸条件が不利だった、あるいは災いしたからということで、戦争指導者の情状を酌量するような言説を見たことがありますか?殆どが、負けは負けと斬り捨てるような議論ばかりでしょう。

4.なぜ難癖をつけるのか

人口比で日本の死者数が少ないのは明らかなのに、安倍首相を過剰に批判する人たちは、結局のところ、対ウィルス戦争における政府・専門家会議の功績を、認めたくないのだと思います。

安倍氏を批判する、とりわけ、政治家や元政治家、官僚たちには、次の評言があてはまるでしょう。
「功績に対する態度は二とおりある。自分がなにがしかの功績をもつか、あるいはどういう功績も認めないか、どちらかなのだ。あとのほうがずっと楽だから、たいがいこの態度がえらばれる」(4)

(1)https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200426-04260037-sph-soci
(2)https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2020/04/26/kiji/20200426s00041000142000c.html
(3)https://www.worldometers.info/coronavirus/
(4)A・ショーペンハウアー著、秋山英夫訳、『随感録』、白水社、21頁

【追記】
5月6日付朝日新聞に、「対コロナ 『戦争』の例えは適切か」と題する社説が掲載されました。
武漢ウイルスの対処について、朝日は戦争に例えるのは適切ではないと言いたいらしい。
同紙が「適切ではない」と言えば言うほどますます戦争に例えたくなります(笑)。

新型コロナウィルスという名称は適切か

1.新型コロナウィルス

現在世界を席捲している病気の原因を、世間では新型コロナウィルスと呼んでいます。しかし、その名称は適切でしょうか。
数年後あるいは数十年後、新たなコロナウィルスを原因とする感染症が発生した場合、その時もまたその病原体を新型コロナウィルスと呼ぶのでしょうか。

新型コロナウィルスという名称は、そう遠くない将来に、別のコロナウィルスが発生するかもしれないという想像力を欠いているように思います。
SARS(重症急性呼吸器症候群)が発生したのは2002年であり、MERS(中東呼吸器症候群)は2012年で、その間十年です。また、MERSから新型コロナウィルスの発生まで七年です。

2.中国ウィルス

トランプ米大統領はこの度の新型コロナウィルスを「中国ウィルス」と呼びました。しかし、それは適切だとは言えません。
というのは、SARSも中国で発生しましたし、将来発生するかもしれないコロナウィルスも同国が発生源かもしれないからです。

そうすると、SARSのウィルスも、今回の新型コロナウィルスも、次回のも全部中国ウィルスと呼ばなければならなくなります。
各々のウィルスを区別するのが困難です。

3.習近平ウィルス

感染の拡大を防ぐために避けなければならない密閉、密集、密接(他人と近い距離で会話や発声をする)の三密と現在の中華人民共和国主席習近平氏の名前を掛けた、集近閉ウィルスという秀逸な名称が生まれましたが、この度のコロナウィルスを習近平ウィルスと呼ぶのは、あながち間違っているとは言えません。

習近平氏が今後いつまで国家主席にして、共産党総書記の地位にとどまっているかは分かりませんが、次の新型コロナウィルスが発生する頃は、習氏は政権を離れている可能性が高いでしょう。
もしその時の中国のリーダーの名前が蔡英文だったとしましょう。だとしたら、その時発生したコロナウィルスは蔡英文ウィルスと呼べばいい。
そうすれば、今回と次回のウィルスの区別が容易にできます。

4.武漢ウィルス

しかし、やはり武漢ウィルスと呼ぶのが適当だと思います。
次回に発生したのが武漢市以外の、中国のどこかであったとしても、〇〇ウィルスと呼べば、今回のと区別できるからです。

当然、以下のような反論も予想されます。
次の新型コロナウィルス感染症も武漢市で発生した場合はどうするのかと。
その場合は、仕方がないので、今回のと次回のとを区別するために、前者は第一次武漢事変、いやウィルス、後者は第二次武漢ウィルスと呼ぶのが良いだろうと思います。

5.ポリティカル・コレクトネス

「ヒトの新興感染症の名称に地名は使えないというルールがあるからです。今回の新型コロナ流行で決めたのではなく、2015年には決まっていました。その一因は、中東呼吸器症候群(MERS)という病名によって中東地域に差別や経済的な悪影響が生じたからです」(注)

上記はポリティカル・コレクトネスの影響のためだろうと思います。一方、スペイン風邪という言葉は氾濫しているのに。
先に述べたように、新型コロナウィルスという名称はどうかと思います。それを良しとする人の見識を疑わざるをえません。
それに、勝手が悪いから、誰もSARS-CoV-2は使いませんし。

新しい合理的な名称案が生まれるまでは、私は武漢ウィルスで行こうと思っています。

(注)https://www.asahi.com/articles/ASN367HMKN36UBQU007.html

【追記】
「ルールの不遡及の原則」というものが厳しく守られているようです。
「ヒトの新興感染症の名称に地名は使えないというルール」の設定以前の感染症には、それは適用されていません。スペイン風邪にしろ、中東呼吸器症候群にしろ平気で使用されています。
ルールの不遡及の原則派の人たちは、法の不遡及の原則に反して行われた東京裁判に関しても、疑義を表明して欲しいと思います(2020・5・17)

対ウィルス戦争に負けている国勝っている国

1.負けている国、勝っている国

新型コロナウィルス感染症による感染者及び死亡者は地球全体に拡がり、いまや世界大戦の様相を呈しています。

さて、現時点でこの戦争に負けている国、勝っている国はどこでしょうか。
感染者数と死亡者数の、とりわけ後者が多い国は負けている国であり、それが少ない国は勝っている国です。
4月12日付の、worldometers.info/coronavirus/の死亡者数の多い順から並べるなら、

アメリカ 20577人
イタリア 19468人
スペイン 16606人
フランス 13832人
イギリス 9875人
イラン 4357人
ベルギー 3346人
支那 3339人
ドイツ 2871人
オランダ 2643人
・・・・
韓国 214人
日本 108人
となっています。

もっとも、人口が多い国もあれば、少ない国もありますから、単純にその数を比較しても意味はありません。各々の国の、総人口に占める死亡者数の割合で、負けている国と勝っている国を判定すべきでしょう。人口比で死亡率が高い国が負けている国で、低い国が勝っている国です。因みに、worldometersーには、人口百万人当たりの死亡者数も表示されています。なので、それで各国の死亡率が判断できます。
先のリストを、負けている国の順番で並べるなら、

スペイン 355人
イタリア 322人
ベルギー 289人
フランス 212人
オランダ 154人 
イギリス 145人
アメリカ 62人
イラン 52人
ドイツ 34人
支那 2人
・・・・
韓国 4
日本 0.9人
です。

このリストの中で一番勝っている国は日本、二番目は支那、三番目は韓国ということになります。

2.勝っている、ということになっている国

支那は、新型コロナウィルス感染症の発生源でありながら、そして初期には爆発的に感染者と死亡者が増加した国でありながら、その後抑え込みに成功したということで、百万人当たりの死亡者数は、たったの二人です。韓国よりも少ない。

もしこの数字が信頼できるのなら、同国は明らかに勝っている国に相当します。しかし、前回の投稿文「全体主義国の対ウィルス戦争」にも書きましたが、全体主義国や独裁主義国の数字は額面通りには受け取れません。数字を誤魔化している可能性が高い。
だから支那は、対ウィルス戦に勝っている国、ではなく、勝っているということになっている国に分類すべきでしょう。

北朝鮮もそうですが、支那政府公表の数字を疑う根拠は何かそれを示せ、と言われたら、冷戦時代私たち自由主義国の人間は、共産主義国の政治宣伝に散々騙されてきた、と答えれば良いでしょう。

3.煽動家

通常の戦争では、弱かった国は弱かったがゆえに負け、強かった国は強かったがゆえに勝ちます。だから、戦争の勝敗と善悪とは無関係です。ところが、対ウィルス戦争に関しては、戦争の勝敗と善悪は一致します。勝った国の政府は善い政府であり、負けた国の政府は悪い政府です。

また、通常の戦争では戦死者が少ないからといって、勝っていることの証明にはなりません。が、対ウィルス戦争では「戦死者」が少ないのは明らかに勝っている証拠です。というか、この戦争では、戦死者=死亡者の数こそが勝敗の指標です。そして、死亡者数及び死亡率の両面から見ても、現時点の日本は対ウィルス戦に勝っている国であるのは明白です。

ところが、マスメディアやネットを見て気づくのは、負けている国のリーダーやその戦い方を称揚する一方、わが国の指導者や政府を不当にあるいは過剰に批判する、のたぐいの言説が飛び交っていることです。
完璧な政府などありません。政府に100%近くの対応を求めても仕方がありません。他国と比較して日本の死亡率が低いのなら、それなりに安倍首相及び日本国政府を評価すべきです。

他国よりも死亡率はずっと低いのです。安倍首相を批判する人たちの判断力を疑わざるをえません。
彼らは、冷戦時代に自由主義国の小さなマイナス面は散々批判する癖に、共産国のそれには目をつぶり、その体制を称賛した人たちと同じです。
反日であったり、安倍嫌いだったりで、その意識で凝り固まっているから、現実が見えなくなっているのだろうと思います。

【参考記事です】
http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-1743.html

追加です(2020・5・3)
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200502-00625938-shincho-soci&p=1