肝腎な数字を見ない人たち

1.武漢ウィルス

対ウィルス戦争の下、記者が、「危機的な状況下でリーダーはどうあるべきなのか」を、東京工業大学教授中島岳志氏に問うている記事が、5月20日付朝日新聞に掲載されました。そこで、中島氏は答えています。

「今回目立ったリーダーに共通するのは『弱さ』。ドイツのメルケル首相と米ニューヨーク州のクオモ知事です。メルケル氏がなぜあんなに共感を得たかというと、『私も心配。私も弱い』という視点から連帯を訴えたからです。演説でも、感染者や死者の数字について『これは数字じゃない。具体的なお父さんであり、お母さんであり、おじいちゃんの話である』と語る。クオモ氏も同様です。自分たちの痛みと同じところに立っていると思える、弱さが見えるリーダーが共感されているのです」

言うまでもありませんが、「共感されている」ことと、ウィルス対策が成功していることとは別です。
私たちは、「共感されている」リーダーよりも、成功しているリーダーこそを賞賛すべきです。そして、成功しているリーダーとは、人口比で死者数をより少なく抑えている政治家のことです。
中島氏はメルケル首相とクオモ知事を挙げていますが、彼らは賞賛に値するでしょうか。

6月20日の時点での数字ですが、ドイツの総人口8300万人に対して、同国の死者数は8960人で、百万人当たりの死者数は107人です。そして、ニューヨーク州は人口1950万人に対して、死者数は24661人で、百万人当たりの死者数は1264人です。
一方、日本は人口1億2650万人に対して、死者数は935人で、百万人当たりの死者数は7人です(1)(2)。
ドイツやニューヨーク州と比べて、わが国の死者数はずっと少ない。
とするなら、私たちが賞賛すべきは、クオモ氏やメルケル氏ではなく、安倍首相でしょう。

「具体的なお父さんであり、お母さんであり、おじいちゃんの話である」とメルケル氏は演説したそうですが、そうであるからこそ、国家レベルでの、死者の数字が肝要なのです。
そして、死者数の多い国・地方は、少ない国・地方のやり方を見習う、もしくは参考にすべきなのです。その逆ではありません。

クオモ氏やメルケル氏を賞賛するのであれば、安倍氏がニューヨーク州の知事やドイツの首相だったら、もっと死者が多かっただろうことを、あるいはクオモ氏やメルケル氏が日本の首相だったらもっと死者が少なかっただろうことを論証すべきです。しかし、中島氏はそれをしていません。主張の証明となる根拠が全く示されていません。

中島氏は判断を誤っていると思います。そして、氏を初め、ある種の人たちはなぜ判断を誤るのでしょうか。死者数という肝腎な数字を無視して、問題を論じているからでしょう。
では、なぜ肝腎な数字を見ないのでしょうか。
このように見なければならないとの教条のようなものがあって、それを通してしか眺めることができないからだと思います。
左派学者の「世間」には反安倍イデオロギーという教条が蔓延していて、氏もその影響下にあるからではないでしょうか。

2.冷戦時代

冷戦時代には、日本の主流派メディアにしろ、知識人世界にしろ、社会・共産主義=善、自由・資本主義=悪が当然のこととされていました。
今月五日横田めぐみさんの父親滋さんは亡くなられましたが、北朝鮮が拉致などするはずがないと言っていた人たちも、社会・共産主義=善という信仰の中にあった人たちです。

ドイツのベルリンでは、人々は東から西へ亡命しているのに、隣の朝鮮半島やベトナムでは人々は北から南へ逃げているのに、左派メディアや知識人は社会・共産主義体制は、自由・資本主義体制よりも優れていると信じていましたし、そのような報道や言論を行っていました。
彼らは、人々は東から西へ、北から南へ逃れているという肝腎な数字を見ませんでした。

3.大東亜戦争

私は、大東亜戦争は連合国=善、日本=悪という見方には与しません。連合国にしろ日本にしろ、自国の権益のために戦って、前者が強かったから勝ち、後者は弱かったから負けたにすぎないと考えます。

しかし一方、当時のわが国の指導者に対しては不思議に思わざるをえません。
どうして彼らは、日米の軍事力や経済力の差にも拘らず、戦争を開始したのでしょうか。彼らも、肝腎な数字を見ない人たちだったのでしょうか。

そうかもしれませんし、あるいは国内において、ある種の問題あるいはゴタゴタがあって、それが彼らの目を塞いで、肝腎な数字どころではなかったのかもしれません。

(1)https://www.worldometers.info/coronavirus/
(2)https://news.yahoo.co.jp/byline/abekasumi/20200620-00184177/

原因が分からなくても勝ちは勝ち 対ウィルス戦争

1.サンデー・ジャポン

4月26日のテレビ番組「サンデー・ジャポン」で、元衆議院議員の杉村太蔵氏が、この度の武漢ウイルスに関して、死者の数が少ないのを根拠に、「日本は圧倒的に勝(まさ)っている」と主張したのに対し、元経産省官僚の岸博幸氏は「全体を考えると死亡者だけじゃなくて感染者数の増加を抑えられているかどうかとか、いろんな要因を考える必要がありますので(中略)死亡者数が少ない本当の原因が分からない中では、日本が勝っているというのは正直言って訳が分かんない」と反論したそうです(1)(2)。

「死亡者数が少ない本当の原因が分からな」ければ、「勝っている」ことにはならないのでしょうか。私には岸氏の主張の方が「訳が分かんない」。

2.勝敗の結果と原因

大東亜戦争で日本がアメリカに敗れた「本当の原因」は何だったのでしょうか。それは分かっているのでしょうか。あるいは、ベトナム戦争でアメリカが北(共産)ベトナムに敗れた原因は何だったのでしょうか。それは分かっているのでしょうか。
それらに関しては、今もって論者あるいは識者によって解釈の違いがあるでしょう。

しかし、大東亜戦争で日本が、ベトナム戦争でアメリカが敗北したのは明らかです。敗北の根本因が説明できないからと言って、前者で日本が、後者でアメリカが負けていないことにはなりません。

戦争は、負けた原因が分からないからと言って、負けていないことにはなりませんし、勝った原因が明確ではないからと言って、勝っていないことにはなりません。

3.原因・条件が不明でも勝ちは勝ち

この点、対ウィルス戦争でも同じです。
この戦争の勝敗の指標は死者数です。そして、死者が多い国は負けている国であり、少ない国は勝っている国です。他国と比較して、人口比で日本の死者数は少ないのです(3)。

日本の死者数が少ない理由については、衛生観念が高いとか、靴を脱いで家に上がるとかの要因が指摘されますが、死者が少ない原因、あるいはどのような条件が幸いしてわが国の死者が少ないのかが明確ではないからといって、この戦争に勝っていないことにはなりません。勝ちは勝ちです。

大東亜戦争で、日本が敗れた原因が明らかではないとか、わが国のある種の文化的な諸条件が不利だった、あるいは災いしたからということで、戦争指導者の情状を酌量するような言説を見たことがありますか?殆どが、負けは負けと斬り捨てるような議論ばかりでしょう。

4.なぜ難癖をつけるのか

人口比で日本の死者数が少ないのは明らかなのに、安倍首相を過剰に批判する人たちは、結局のところ、対ウィルス戦争における政府・専門家会議の功績を、認めたくないのだと思います。

安倍氏を批判する、とりわけ、政治家や元政治家、官僚たちには、次の評言があてはまるでしょう。
「功績に対する態度は二とおりある。自分がなにがしかの功績をもつか、あるいはどういう功績も認めないか、どちらかなのだ。あとのほうがずっと楽だから、たいがいこの態度がえらばれる」(4)

(1)https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200426-04260037-sph-soci
(2)https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2020/04/26/kiji/20200426s00041000142000c.html
(3)https://www.worldometers.info/coronavirus/
(4)A・ショーペンハウアー著、秋山英夫訳、『随感録』、白水社、21頁

【追記】
5月6日付朝日新聞に、「対コロナ 『戦争』の例えは適切か」と題する社説が掲載されました。
武漢ウイルスの対処について、朝日は戦争に例えるのは適切ではないと言いたいらしい。
同紙が「適切ではない」と言えば言うほどますます戦争に例えたくなります(笑)。

新型コロナウィルスという名称は適切か

1.新型コロナウィルス

現在世界を席捲している病気の原因を、世間では新型コロナウィルスと呼んでいます。しかし、その名称は適切でしょうか。
数年後あるいは数十年後、新たなコロナウィルスを原因とする感染症が発生した場合、その時もまたその病原体を新型コロナウィルスと呼ぶのでしょうか。

新型コロナウィルスという名称は、そう遠くない将来に、別のコロナウィルスが発生するかもしれないという想像力を欠いているように思います。
SARS(重症急性呼吸器症候群)が発生したのは2002年であり、MERS(中東呼吸器症候群)は2012年で、その間十年です。また、MERSから新型コロナウィルスの発生まで七年です。

2.中国ウィルス

トランプ米大統領はこの度の新型コロナウィルスを「中国ウィルス」と呼びました。しかし、それは適切だとは言えません。
というのは、SARSも中国で発生しましたし、将来発生するかもしれないコロナウィルスも同国が発生源かもしれないからです。

そうすると、SARSのウィルスも、今回の新型コロナウィルスも、次回のも全部中国ウィルスと呼ばなければならなくなります。
各々のウィルスを区別するのが困難です。

3.習近平ウィルス

感染の拡大を防ぐために避けなければならない密閉、密集、密接(他人と近い距離で会話や発声をする)の三密と現在の中華人民共和国主席習近平氏の名前を掛けた、集近閉ウィルスという秀逸な名称が生まれましたが、この度のコロナウィルスを習近平ウィルスと呼ぶのは、あながち間違っているとは言えません。

習近平氏が今後いつまで国家主席にして、共産党総書記の地位にとどまっているかは分かりませんが、次の新型コロナウィルスが発生する頃は、習氏は政権を離れている可能性が高いでしょう。
もしその時の中国のリーダーの名前が蔡英文だったとしましょう。だとしたら、その時発生したコロナウィルスは蔡英文ウィルスと呼べばいい。
そうすれば、今回と次回のウィルスの区別が容易にできます。

4.武漢ウィルス

しかし、やはり武漢ウィルスと呼ぶのが適当だと思います。
次回に発生したのが武漢市以外の、中国のどこかであったとしても、〇〇ウィルスと呼べば、今回のと区別できるからです。

当然、以下のような反論も予想されます。
次の新型コロナウィルス感染症も武漢市で発生した場合はどうするのかと。
その場合は、仕方がないので、今回のと次回のとを区別するために、前者は第一次武漢事変、いやウィルス、後者は第二次武漢ウィルスと呼ぶのが良いだろうと思います。

5.ポリティカル・コレクトネス

「ヒトの新興感染症の名称に地名は使えないというルールがあるからです。今回の新型コロナ流行で決めたのではなく、2015年には決まっていました。その一因は、中東呼吸器症候群(MERS)という病名によって中東地域に差別や経済的な悪影響が生じたからです」(注)

上記はポリティカル・コレクトネスの影響のためだろうと思います。一方、スペイン風邪という言葉は氾濫しているのに。
先に述べたように、新型コロナウィルスという名称はどうかと思います。それを良しとする人の見識を疑わざるをえません。
それに、勝手が悪いから、誰もSARS-CoV-2は使いませんし。

新しい合理的な名称案が生まれるまでは、私は武漢ウィルスで行こうと思っています。

(注)https://www.asahi.com/articles/ASN367HMKN36UBQU007.html

【追記】
「ルールの不遡及の原則」というものが厳しく守られているようです。
「ヒトの新興感染症の名称に地名は使えないというルール」の設定以前の感染症には、それは適用されていません。スペイン風邪にしろ、中東呼吸器症候群にしろ平気で使用されています。
ルールの不遡及の原則派の人たちは、法の不遡及の原則に反して行われた東京裁判に関しても、疑義を表明して欲しいと思います(2020・5・17)

対ウィルス戦争に負けている国勝っている国

1.負けている国、勝っている国

新型コロナウィルス感染症による感染者及び死亡者は地球全体に拡がり、いまや世界大戦の様相を呈しています。

さて、現時点でこの戦争に負けている国、勝っている国はどこでしょうか。
感染者数と死亡者数の、とりわけ後者が多い国は負けている国であり、それが少ない国は勝っている国です。
4月12日付の、worldometers.info/coronavirus/の死亡者数の多い順から並べるなら、

アメリカ 20577人
イタリア 19468人
スペイン 16606人
フランス 13832人
イギリス 9875人
イラン 4357人
ベルギー 3346人
支那 3339人
ドイツ 2871人
オランダ 2643人
・・・・
韓国 214人
日本 108人
となっています。

もっとも、人口が多い国もあれば、少ない国もありますから、単純にその数を比較しても意味はありません。各々の国の、総人口に占める死亡者数の割合で、負けている国と勝っている国を判定すべきでしょう。人口比で死亡率が高い国が負けている国で、低い国が勝っている国です。因みに、worldometersーには、人口百万人当たりの死亡者数も表示されています。なので、それで各国の死亡率が判断できます。
先のリストを、負けている国の順番で並べるなら、

スペイン 355人
イタリア 322人
ベルギー 289人
フランス 212人
オランダ 154人 
イギリス 145人
アメリカ 62人
イラン 52人
ドイツ 34人
支那 2人
・・・・
韓国 4
日本 0.9人
です。

このリストの中で一番勝っている国は日本、二番目は支那、三番目は韓国ということになります。

2.勝っている、ということになっている国

支那は、新型コロナウィルス感染症の発生源でありながら、そして初期には爆発的に感染者と死亡者が増加した国でありながら、その後抑え込みに成功したということで、百万人当たりの死亡者数は、たったの二人です。韓国よりも少ない。

もしこの数字が信頼できるのなら、同国は明らかに勝っている国に相当します。しかし、前回の投稿文「全体主義国の対ウィルス戦争」にも書きましたが、全体主義国や独裁主義国の数字は額面通りには受け取れません。数字を誤魔化している可能性が高い。
だから支那は、対ウィルス戦に勝っている国、ではなく、勝っているということになっている国に分類すべきでしょう。

北朝鮮もそうですが、支那政府公表の数字を疑う根拠は何かそれを示せ、と言われたら、冷戦時代私たち自由主義国の人間は、共産主義国の政治宣伝に散々騙されてきた、と答えれば良いでしょう。

3.煽動家

通常の戦争では、弱かった国は弱かったがゆえに負け、強かった国は強かったがゆえに勝ちます。だから、戦争の勝敗と善悪とは無関係です。ところが、対ウィルス戦争に関しては、戦争の勝敗と善悪は一致します。勝った国の政府は善い政府であり、負けた国の政府は悪い政府です。

また、通常の戦争では戦死者が少ないからといって、勝っていることの証明にはなりません。が、対ウィルス戦争では「戦死者」が少ないのは明らかに勝っている証拠です。というか、この戦争では、戦死者=死亡者の数こそが勝敗の指標です。そして、死亡者数及び死亡率の両面から見ても、現時点の日本は対ウィルス戦に勝っている国であるのは明白です。

ところが、マスメディアやネットを見て気づくのは、負けている国のリーダーやその戦い方を称揚する一方、わが国の指導者や政府を不当にあるいは過剰に批判する、のたぐいの言説が飛び交っていることです。
完璧な政府などありません。政府に100%近くの対応を求めても仕方がありません。他国と比較して日本の死亡率が低いのなら、それなりに安倍首相及び日本国政府を評価すべきです。

他国よりも死亡率はずっと低いのです。安倍首相を批判する人たちの判断力を疑わざるをえません。
彼らは、冷戦時代に自由主義国の小さなマイナス面は散々批判する癖に、共産国のそれには目をつぶり、その体制を称賛した人たちと同じです。
反日であったり、安倍嫌いだったりで、その意識で凝り固まっているから、現実が見えなくなっているのだろうと思います。

【参考記事です】
http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-1743.html

追加です(2020・5・3)
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200502-00625938-shincho-soci&p=1

二つの戦争

(これは3月13日公開の、よもぎねこさんのブログ記事「ヨーロッパは医療崩壊を阻止できるか? 習近平ウィルス」へのコメントです)

通常の戦争と対ウィルス戦争と。

新型コロナウィルスの、各国の感染者数と死亡者数を見ると、前者に強い国は後者にも強く、前者に弱い国は後者にも弱いような印象を受けます。

イタリアが戦争に弱いのは定評がありますし、スペイン、フランスのようなラテン系諸国もそうです。

イラン・イラク戦争は長期間続きましたが、両者とも強かったからではなく、弱かったからかもしれません。

李朝は東学党の乱の際は、清国に出兵を要請しました。
近代朝鮮は支那ロシア日本の間を、あっちについたり、こっちについたりしましたし、朝鮮戦争では米支に運命を委ねました。
いつも他力本願です。
この度の対ウィルス戦は、韓国は自力で戦いましたが、その「成果」が数字となって表れているのかもしれません。

第一次、第二次大戦を勝利に導いたアメリカは、感染者数、死亡者数とも比較的に多いですが、いつも遅れて参戦する同国は、まだルシタニア号事件や真珠湾を迎えていない=本気になっていないのかもしれません。

「かもしれません」、ばかりのコメントになってしまいました。

新型コロナウィルス感染症とデマ

オーストリアの哲学者ルートヴィッヒ・ヴィトゲンシュタイン(1889-1951)は、「論理哲学論考」の最後に書いています。

「語りえぬものについては、沈黙しなければならない」(1)

昨年末支那の湖北省武漢市で発生した新型コロナウィルスについて、第四の権力(マスメディア)や第五の権力(SNS)では、洪水のように様々語られています。

しかし、その中のどの情報が真であり、どれが偽なのか明確ではありません。人々はどれを信じてよいのか戸惑っています。
マスメディアにしろ、SNSにしろ、その分野の専門家や、知識あるいは見識ある人の言説を発信すれば良いのですが、問題なのは不確かな情報をタレ流しにしていることです。そのため、聞くべき人たちの発言が、かき消されています。

新型コロナウィルスのような特殊な分野の問題は、素人は安易に発言すべきではないでしょう。彼らは、専門家(中にはいい加減な人もいるようですが)の発言の邪魔をしているだけです。
そのような発言は、社会で不安を煽ることになるし、だから、商店の棚からトイレットペーパーやティッシュペーパーなどが姿を消すことになるのです。

知識や見識のない人が発言を止めれば、本当に聞くべき人の声が聞かれるようになるでしょう。
ウィトゲンシュタインの言葉ではありませんが、

「語りえぬ者は、沈黙しなければならない」

です。

そう言うと、知識も見識もないお前など、真っ先にブログを止めるべきだ、と言われそうですが(苦笑)。

【折々の見識】
当ブログにリンクをつけているよもぎねこさんは、「なぜ今中国からの渡航を拒否するのか? 習近平ウィルス」のコメント欄に書いています。

「習近平ウィルスの問題は、国際社会では完全な情報戦と政治利用の問題になっています。
 でも当のウィルスは政治も情報戦も全く関係なく、科学の法則に従って拡散するのです。

 だからそれを無視して情報戦や政治利用に走ると、結局痛い目に遭うのです」

【折々の名言】
「世界がいかにあるかが神秘なのではない。世界があるという、その事実が神秘なのだ」(太字、原文は〇傍点)(2)

(注)
(1)L・ウィトゲンシュタイン、藤本隆志・坂井秀寿訳、『論理哲学論考』、法政大学出版局、200頁
(2)同上、198頁

なぜ共産主義者は東側へ亡命しなかったのか

<以下はよもぎねさんのブログ記事「ベルリンの壁崩壊30周年記念に寄せて」への私のコメントです>

なぜ西(南)側の共産主義者たちは、東(北)側へ亡命しなかったのでしょうか。

1.ロシアも中国も人民自らが社会主義革命を成し遂げた。
2.我々も自らの手で、人民を解放しなければならない。
3.東からの亡命者は資本主義の文化・生活に憧れた反革命(裏切り者)である。
4.それでも、資本主義社会よりも、現存の社会主義社会の方が増しである。
5.西側で革命が起きれば、反革命分子は逃げ場を失う。
6.マルクス主義によれば、社会主義革命は先進国で起きるはずだった。しかし、実際は後進国で発生した。そのため、社会主義建設も難産だった(失敗も多かった)。
7.我々が行う革命は、ロシアや中国よりももっとより良き社会を作り上げることができるに違いない。

西側の共産主義者にとって、資本主義社会はそれほど居心地が悪くなかったのでしょう。そして、自分たちが天下を取ったら、さらにそれ以上の良き社会が実現できると信じていた、のではないかと。

左翼的表現の自由展・今後

1.総括

あいちトリエンナーレ2019は8月1日開幕し、10月14日閉幕しました。
とりわけ話題になったのは企画展の「表現の不自由展・その後」です。朝鮮人慰安婦美化像や昭和天皇の肖像を焼いた「作品」などが展示されました。
そのため、8月1日にスタートするや、たちまち抗議の電話やメールが殺到し、同月3日早くも中止になりました。その後、スッタモンダの挙句、入場者数を大幅に制限することによって、10月8日再開され、14日の閉幕に無事こぎ着けました。

このたびの「表現の不自由展・その後」を総括するなら、最初は左翼的表現の自由展で始まり、途中の大部分は左翼的表現の不自由展を余儀なくされ、最後は入場の不自由展で締め括ったと言えるでしょう。

左翼偏向全開の「表現の不自由展・その後」は、本来なら開催されるべきではありませんでした。しかし一方、開催されたら開催されたで、数多くの人たちがそれを見ることによって、その政治的偏向と異様さに気づくのも、日本にとって有意義なことだったでしょう。

ところが、再開後入場者の制限が行われたため、市井の人がその異常さに気づくことができないまま終了してしまいました。残念でした。
多くの抗議の電話やメールにも拘らず、曲がりなりにも閉幕までこぎ着けたことは、左翼の成功体験の一つになったに違いありません。

2.表現の自由の問題ではない

表現の不自由展は、東京でも大阪でもその他どこの都市でも、しかるべき場所を借りて、有志が自己資金で開催することはできます。また、それを国家権力なり右翼なりが中止させたわけでもありません。
なので、このたびの問題は、表現の自由の侵害にも、検閲にも当たりません。

むしろ、表現の不自由展の出し物の政治的偏りから判断するなら、主催者は右派の表現の自由を阻み、あるいは右派的作品を「検閲」によってパージしたと考えるのが自然でしょう。

3.公立の部門に、左翼的表現の自由を

今回の表現の不自由展の性格を最も的確に示しているのは、芸術監督津田大介氏の次の発言です。曰く、

「物議を醸す企画を公立の部門でやることに意味があると考えた」(8月4日付朝日新聞)

右派が「物議を醸す企画を公立の部門でやること」は許されてはならないが、左派の場合は許されるべきだ、ということでしょう。要するに、「公立の部門」において、左翼的表現の自由を特権的に認めよ!と要求しているのです。

4.今後

今回の表現の不自由展を契機として、芸術祭や美術館の左翼偏向的展示に対する、良識ある市民のチェック機能が働くようになるでしょうか。それとも、再び入場制限という措置をとることによって、左翼はごり押しを続けるのでしょうか。

不十分とはいえ、検定制度があるので、さすがに歴史教科書の口絵に、たとえば、朝鮮人慰安婦美化像の写真が採用されることはないでしょう。が、今後何らかの検定基準なり、検定制度なりを作り、左右にかかわらず政治的に偏向した作品を公的な芸術祭や美術館から排除するようにすべきではないでしょうか。

【津田大介氏はかく語りき】
トリエンナーレ閉幕後の記者会見で、津田大介氏は語ったそうです。

「大きくマイナスになっていたものをプラスマイナスゼロに戻すことを目指していた」(注)

左翼偏向の芸術祭を批判し、正道に戻そうと考えた右派こそ、「大きくマイナスになっていたものをプラスマイナスゼロに戻すことを目指してい」ましたが、残念ながらそれは叶いませんでした。
泣く子と左翼のズルさにはなかなか勝てません。

(注)
https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/20727

なぜ米民主党候補者は多いのか

1.史上最多の候補者

2020年のアメリカ大統領選挙における、民主党候補者指名のためのテレビ討論会が6月26,27日に行われたという。同党の候補者は史上最多の24人です。討論会に参加をしたのは、その内の20名です。

どうして民主党候補の数は多いのでしょうか。

2.救済の対象の多様性

米民主党はリベラル派の政党です。
「左翼は誰のために戦っているか」で書きましたが、リベラルが救済の対象にしているのは、労働者・勤労者層ではなく、社会的少数派・弱者です。彼らの権利拡大のためにリベラルは戦っています。
そして、社会的少数派・弱者は多様です。女性、少数民族、移民、黒人、LGBT・・・・。各々の少数派の利益代弁のために候補者が立てば、その数が増えるのは当然です。

実際に候補者の顔ぶれを見れば、本来の民主党の支持層である労働者やミドルクラスの利益代弁を掲げている人もいますが、その他女性が6名、ヒスパニック系、アフリカ系、移民二世三世、気候変動系、ゲイの候補者もいます。

3.意見の対立はないか

そのような各少数派が手を携えて、同じ方向へ進んで行けるのなら、大統領本選挙で共和党候補と互角に戦えるかもしれません。しかし、少数派同士うまく協調できるのでしょうか。

少数派間の、意見の対立はないのでしょうか。
ある少数派は、他の少数派の権利を、自分たち少数派の権利と同等に尊重しうるのでしょうか。
ある少数派が重視されたり、ある少数派が軽視されたり、少数派間の優先順位が生じたりしないでしょうか。
ある少数派の中に、別の少数派に対し嫌悪感を抱く者はいないでしょうか(当然いるでしょう)。

そのようなことを考えると、「全国のマイノリティ団結せよ!」は、かなり難しいだろうと思います。

4.民主党受難の時代

共和党は一応一方の多数派=右派層の支持を受けているのに対して、民主党は各少数派の集団の、バラバラな意見しか代弁していない点で、大統領選挙で勝利するには不利だろうと思います。

リベラル・イデオロギーという強(凶?)風が吹いている間は、思想的にはリベラルの攻勢が続きますが、選挙のように意見・票の集約が必要な場合は、守勢に立たされざるを得ないでしょう。

共和党候補になかなか勝てない、勝っても二期は務められない、今後そのような民主党受難の(自業自得ではありますが)時代が続くのではないでしょうか。

 

「安倍改憲に勝つ」に賛同

5月3日の憲法記念日、朝日新聞に丸々1ページをさいた意見広告が掲載されました。
題して、「安倍改憲に勝つ」。
「市民意見広告運動/市民の意見30の会・東京」の呼びかけで、賛同者の氏名もずらりと掲載されています。
その意見は、以下のようなものです。
所々引用して、それに対してコメントをします。

・「私たちの憲法はアジア太平洋戦争の反省に基づき、主権者が政府に課したものです」

「アジア太平洋戦争」なるものはありません。先の大戦の名称は大東亜戦争、太平洋戦争もしくは第二次世界大戦です。名称の変更は歴史修正主義の始まりです。

日本国憲法は連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)による占領中に、つまり、わが国(民)に主権がない時に、主権者=実質的にアメリカが日本に課したものです。

・「安倍政権は、(中略)憲法9条への自衛隊の存在明記に強い意欲を見せています」

ウィキペディアの「立憲主義」の項目によれば、「近代憲法は国家権力を制限し憲法の枠にはめ込むことによって権力の濫用を防ぎ国民の権利(とくに自由権)を保証することを目的としている」とあります。
とするなら、憲法に国家権力の暴力装置たる「自衛隊の存在を明記する」のは当然でしょう。「憲法の枠にはめ込」まなければ、「権力の濫用を防」ぐことができないのですから。

・「武力では平和も生活も守れません」

これは前大戦における敗戦国にのみ通用する教訓であって、戦勝国は別の教訓を得ています。それは、最終的には武力でしか平和は守れない、というものです。そして、それは正しい。
第二次大戦において、世界の大多数の国が戦勝国側です。だから、世界の大勢は、戦勝国の教訓に学び、従っています。

・「人びとや国ぐにを対立に追い込む武力ではなく、理解と信頼を構築する対話こそ最も確実、かつお金のかからない安全保障だからです」

「理解と信頼を構築する対話」とは具体的にどのようなものなのか不明ですが、それが「最も確実、かつお金のかからない安全保障」との主張に、歴史的裏付けはあるのでしょうか。
それで安全保障が実現できるのなら、どこの国(たとえば米朝)も苦労しないでしょう。

・「沖縄の人びとは、(中略)意思を本年2月の『辺野古米軍基地建設のための埋立ての賛否を問う県民投票』の結果で示しました。実に、投票した7割超の人びとが『新基地建設ノー』の意思を明らかにしたのです」

2月24日に投開票された県民投票の結果を見てみましょう。
投票資格総数は115万3591人であり、そのうち「反対」は43万4273人(37.65%)です。棄権は54万8206人(47.52%)で、一番多い。
投票資格総数100%一反対37.65%=反対じゃない(賛成)+必ずしも反対じゃない(どちらでもない、棄権)62%強、だと解釈できないこともありません。とすると、反対派の方が少数派です(選挙で自民党が勝った場合、得票率の少なさを強調する左派的解釈の真似です)。
「反対」に投票せよとの同調圧力があったことを考えるなら、沖縄県民は「普天間ノー」の強い意思と、「辺野古ノー」の弱い意思を示したのだろうと思います。

・「日本政府はそれ(この上の新たな基地の押しつけはごめんだという意思)を平然と無視し、工事強行を続けています。沖縄には民主主義がなくてもよい、というのでしょうか」

安倍氏は合法的かつ民主的に選ばれた首相です。そして、辺野古埋め立てはその政治運営の一つです。一方、県民投票は正式な民主的手続きではありません。
それをあたかも民主的手続きであるかのように扇動した政治家やメディアは、何が正当な手続きなのかということを県民や国民に分からなくさせ、県民に過大な期待を抱かせ、かえって失望させました(県民の不満の増大が、反権力メディアの狙い?)。

県民投票は、民主的に選ばれた政府の決定の代わりにはなりません。「反対」37.65%の意思が通るのなら、それこそ民主主義の否定です。日本には「民主主義がなくてもよい、というのでしょうか」

・「アベノミクスは大失敗」

アベノミクスは大成功だとは思いませんが、「大失敗」だというのは言い過ぎでしょう。他にどのような策があるのでしょうか。
安倍氏ではなく、この人が首相になっていた方が経済はずっと上向いていたはずだという、そのような政治家はいるのでしょうか。

・「12年前の2007年、主権者たちは年金問題や相次ぐ閣僚の不祥事が続いた第一次安倍政権に対して参院選挙でノーの意思を示しました。その結果が首相の退陣、その後の政権交代につながりました」

「その後の政権交代」の結果、悪夢のような民主党政権に「つながりました」。
安倍政権よりも民主党政権の方が良かったのでしょうか。

この会の人たちは、民衆は東から西へ、北から南へ逃げているのに、東や北の体制の方が優れていると言い張った人たちの思想的末裔なのかもしれません。

私は、「安倍改憲に勝つ」に賛同、はできません。