桐野夏生という病

1.表現の世界 今とこれから

7月11日付朝日新聞に、「表現の世界 今とこれから」と題する記事が掲載されました。朝日の口上は以下の通りです。

「今年5月に女性として初めて日本ペンクラブ会長に就任した桐野夏生さんと、昨年、やはり女性として初めて日本文芸家協会の理事長に就いた林真理子さん。表現の世界をいまどう考えるのか、2人の作家に語り合ってもらった」

2.左翼としての桐野夏生氏

そこで、桐野氏は言っています。

「ペンクラブは表現の自由を守るために、またあらゆる戦争に反対するために、ものを書く人間たちが自ら発信していこうという団体」

「あらゆる戦争に反対するために」、ということは、自国を守るための戦争にも反対するということなので、私は同意できません。
かつて林真理子さんや中野翠さんのエッセイを読んでいた時期もありましたが、彼女たちは頭の良い人たちなので、桐野氏のように「あらゆる戦争に反対するために」などといった、不用意かつ単純な発言をするようなことはしないはずです。

林氏は、桐野氏に問うています。

「こんなことをいうと怒られちゃうかもしれないけれど、ペンクラブというと、世間では『左っぽいところね』という反応が多い。それについてはどうですか?」

それに対して、桐野氏は、

「右、左という単純な二元論ではなくて、私たちのように言葉に携わる人間が、おかしいと思うことに抗議する、声明を発信していく、ということだと思っている」

と返しています。林氏の質問への答えになっていません。

はっきり言いますが、あらゆる戦争に反対する、と言うこと自体が、左翼である証拠です。彼らは、あらゆる戦争に反対すると言いながら、ある種の戦争には反対するけれども、ある種の戦争には反対しません。正確に言うなら、あらゆる戦争に反対すると聞いて、それが本当だと信じるのがロバ左翼で、そんなのは嘘だと承知していながら、建前としてそう言うのがキツネ左翼です。キツネ派は、いつもロバ派よりも一枚上手です。
そのような次第で、左翼は社会主義国の戦争、社会主義国の核兵器、社会主義国の人権侵害には、殆んど抗議をしません。

3.ソーシャリベラル

桐野氏は、ロバなのかキツネなのかは分かりませんが、左翼だとしか言いようがありません。次の発言によって、それが明確になります。

「香港だけでなく、ミャンマー、ベラルーシと世界中でいろんな弾圧が起きていて怖い。
だから、私たちのような団体は、これから、より必要になってくるのではないでしょうか」

「世界中でいろんな弾圧が起きてい」るのに、桐野氏はなぜミャンマーやベラルーシには言及するのに、中共や北朝鮮には言及しないのでしょうか。「いろんな弾圧が起きていて怖い」のは、ミャンマーやベラルーシだけではないでしょう。というよりも、中共や北朝鮮のそれのほうが、よっぽど怖い。最近は、ウイグルでの人権侵害が報じられていますし、米欧諸国はそれを批判しています。なのに、なぜそれには言及しないのでしょうか?

桐野氏は自らの信念に基づいて発言しているのでしょうか、それとも、自らが所属する団体の空気を読んで、発言しているのでしょうか。
なぜ日本のリベラルは社会主義国の人権侵害を批判しないのか」でも述べましたが、日本のリベラルはいまだ社会・共産主義が抜け切れていないために、社会主義国批判がタブーになっているのだと思います。
そして、マスメディアも日本ペンクラブも、そのような思想傾向の人たち(ソーシャリベラル)に牛耳られている。あるいは、そのような人たちが主流派を形成している。それが、桐野発言となって表れているのでしょう。

桐野氏の発言から、<日本ペンクラブは左翼的表現の自由を守るために、また資本主義国のあらゆる戦争(自衛のためのそれを含めて)に反対するために、一方、社会主義国の全ての戦争には必ずしも反対しないために、ものを書く人間たちが自ら発信していこうという団体>のように見えます。
そして、そのような思想性が鮮明だから、「ペンクラブというと、世間では『左っぽいところね』という反応が多い」と評されるのでしょう。

4.桐野夏生という病?

当記事は、桐野夏生という病、という題名にしました。
勿論、痛風という病や癌という病はありますが、桐野夏生という病はありません。
けれども、桐野氏の発言を読んで、「ものを書く人間」にしては、発言が杜撰なので、私もそれに付き合って、少々ふざけた題名にしました。

【折々の名言】
「日本の自由で開かれたインド太平洋戦略が米国の戦略となり、いまや欧州を含めて世界の戦略となっています」(45頁)
「軍事費は負担とだけ考える人々がいるのですが、米国はあれだけ軍事費を支出していて、圧倒的な経済成長をしています。そもそも軍事費も政府の支出ですから、GDPにはプラスになる。産業は育成され、そこで培われた技術は民生移転されていく。米国がまさにその典型です。軽武装によって経済成長したという人がいますが、神話なのではないかと思います」(48頁)

月刊『Hanada』2021年8月号に掲載された、櫻井よしこ氏との対談での、安倍晋三前総理の発言です。

反米の理由

当ブログサイトは、唯一「よもぎねこです♪」をリンクに付けています。
管理人のよもぎねこさんが、6月22日に公開した記事「反米・反ヨーロッパ・反イスラエルでも中国にはダンマリ イスラム教徒の不思議」に、下記のコメントを行いました。
主として、本文中の、「イスラム教徒によるテロや暴動など、暴力行為の本質って、実は信仰でも何でもなくて、欧米やイスラエルの豊かさへ嫉妬と怨嗟じゃないですか?」の文言に対してです。

「2001年の9・11テロの後、左派や自称保守派(西部邁氏や小林よしのり氏)は、テロリストの造反有理を擁護しました。
なぜ世界から嫌われるのか、アメリカは反省しなければならない、のたぐいの言説です。
彼らの発想は、テロリストが、あれだけ大それたことをやったからには、それなりに合理的な理由があるに違いない、ということでしょう。

しかし、首謀者ビン・ラディンの発言を見ても、パレスチナ問題や、湾岸戦争を契機にアメリカがサウジアラビアに軍隊を駐留させたことなどに言及しているものの、自分たちはこのために9・11テロを実行したのだ、という決定的な理由を語っていません。
『オサマ・ビン・ラディン 発言』(河出書房新社)を読みましたが、なぜ9・11テロを行ったのか、不明です。

そもそも、彼らの行動に合理的な理由を求めること自体が間違っているのかもしれません。
9・11テロの原因は、イスラム過激派による、アメリカに対する『嫉妬と怨嗟』ではな(い)かと思います」【( )内 原文脱字】

それに対して、よもぎねこさんから返答をいただきました。一部を引用します。

「右翼にも左翼にも反米は多いのですが、しかし右派、左派関係なく反米の理由って『アメリカがデカイ顔をするのが面白くない』だけじゃないでしょうか?」

これは、反米論者の心理を、的確に衝いていると思います!

後、若干補足をするなら、左派(社会・共産主義的左派)の場合は、アメリカが資本主義世界の牙城だからでしょう。
一方、自称保守=反米保守派の場合は、なぜでしょうか。
彼らはニッポン・ネオコン(転向保守)です。冷戦終了間際もしくは冷戦終了後保守=右派に転向した、元左翼です。左翼だった時代、彼らは当然反米でした。
社会主義を信じたのは間違いだったけれども、反米に関しては正しかった!
せめて、反米に関しては一貫していることを示したい(かった)のでしょう。

戦争をしない唯一の方法

ブログを始めた2018年3月23日当日に公開した投稿、「戦争と夫婦喧嘩」に書きました。

「なぜ夫婦喧嘩は起こるのでしょうか。
夫が妻の、妻が夫の言い分を全て受け入れることができるのなら、夫婦間に喧嘩などありえません。両者の主張が対立していて、お互いに譲歩できないから起こるのでしょう。国家間の喧嘩たる戦争も同じです。一方の国が、他方の国の要求を吞めないから起こるのです。(中略)他国と戦争をしない唯一の方法は、その国の要求を全て受け入れることです」

<他国と戦争をしない唯一の方法は、その国の要求を全て受け入れること>
これは、自分の小さな発見だと思っていました。
が、最近小室直樹著、『新戦争論』(光文社、1981年刊)をパラパラ捲っていて、次の箇所を見つけました。

「いかなる事態になろうとも戦争を回避するということは、他国のどんな不合理な要求でも、最終的には受諾するということである」(79頁)

しかも、赤のボールペンで傍線を引いてある!
なーんだ、小室氏の方がずっと前に言ってて、私も読んでたんだ。

なぜ日本のリベラルは社会主義国の人権侵害を批判しないのか

1.EUと米英加による対中制裁

中共が同国内のウイグル族の人権を侵害している(宗教の自由に対する厳しい制限、強制労働の断行、収容所での大量拘禁、強制不妊手術、ウイグル人の遺産に対する破壊他)として、3月22日にEU及び米英加が一斉に対中制裁を発動しました。

アメリカは1月20日、共和党のトランプ氏に代わって、民主党のバイデン氏が大統領に就任しました。共和党は保守であるのに対して、民主党はリベラルです。トランプ政権は1月19日に、中共のウイグル族らに対する迫害に対して、ジェノサイドの認定を行いましたが、この度の対中制裁の発動は、リベラル派の大統領によってなされました。

一方わが国では、EUや米英加による制裁に同調すべきだとの意見が、保守派から発せられましたが(たとえば、「対中人権制裁 日本の不在は恥ずかしい」)、リベラルからはそのような声は上がりません。

アメリカではリベラルの大統領が制裁を呼び掛けているのに、なぜわが国のリベラルからは中共の人権侵害に対する抗議が表明されないのでしょうか。

ジャーナリストの江川紹子氏は、ツイッターで次のように書いています。

「人権問題で中国を批判する人の中には、自国等の人権問題には冷淡で、中国を非難する問題だけに熱心という人がいる。関心があるのは中国批判であって、人権ではないんだろうなあ・・・」(注)

これは、わが国のリベラル派らしい発言です。

2.日本リベラルの「出自」

アメリカは、日本や欧州とは違って、冷戦時代も有力な社会主義政党、共産主義政党はありませんでした。当時から共和党は保守で、民主党はリベラルでした。すなわち、アメリカのリベラルは、冷戦中もリベラルでした。

一方、日本は冷戦時代、社会・共産主義政党(日本社会党、日本共産党)が国会で少なからぬ勢力を有していましたし、1955年以来社会党は野党第一党でした。当時は政界のみならず、一般社会でも社会・共産主義者は多かった。

ところが、冷戦終了後、多くの社会・共産主義者たちは、徐々にリベラルへ転向して行きました。日本社会党の消滅が、それを良く表しています。そして、冷戦中からリベラルだった人たち(旧リベラル)と、冷戦後リベラルへ転向した元社会・共産主義者たち(新リベラル)が合流して、リベラル政権が誕生しました。それが、民主党政権(2009-2012)です。

現在、左派の主流派にして多数派は、社会・共産主義者ではなくリベラルです(「左翼としてのリベラル」)。けれども、アメリカとは違って、日本は過去に社会・共産主義者だった履歴を持つリベラルが多い。

今日のリベラルに、あなたは社会・共産主義を信じているかと問えば、殆んどの人たちは否定するでしょう。しかし、彼らの頭の片隅には、どうも社会・共産主義的残滓がへばり付いているように思えてなりません。

なぜそう言えるのでしょうか。
彼らは、社会主義国を批判しないからです。もし彼らが、真っ当なリベラルなら、自由や民主主義や人権や法の支配を実施していない点で、中共や北朝鮮を批判しているはずです。しかし、日本のリベラルは、社会主義国を批判しません。なぜでしょうか。冷戦時代に社会・共産主義者だった、あるいはそのシンパだったという彼らの思想的「出自」がそのような言動を取らせるのだと思います。

3.社会主義者は社会主義国を批判しない

新左翼同士とか、講座派と労農派との、その後の日本共産党と日本社会党・社会主義協会との論争とか、各国の共産党と路線を巡っての相互批判とかはあったでしょうが、日本の社会・共産主義者は社会主義国の内政に関しては、殆んど批判していないと思います。
たとえば、冷戦時代に、ソ連や中共において、人権が蹂躙されていると非難したわが国の社会・共産主義者は、どれほどいたでしょうか。

では、なぜ彼らは社会主義国を批判しなかったのでしょうか。社会・共産主義者には、次のような共通認識があったからではないでしょうか。

第一。資本主義よりも社会・共産主義は勝れた体制である。

第二。社会主義国は誕生して間もないし、いまだ発展途上にある。しかし、遠からず発達した共産主義社会が実現するに違いない。だから、今は彼らを外部から安易に批判してはならない。

第三。むしろ批判すべきは、何れ没落する運命にある資本主義社会である。だから、同体制批判に集中せよ。

もし資本主義よりも社会主義体制の方が優れていれば、第一から第三の原則も間違っていなかったでしょう。しかし、現実は違っていました。というよりも、正反対でした。
戦後、西側自由主義国は政治的にも、経済的にも発展したのに対して、社会主義国は政治的にも経済的にも停滞して、自由、民主主義、人権、法の支配の点で、あるいは国民の豊かさの点で、資本主義国にはるかに及びませんでした。

ところが、社会・共産主義者たちには、資本主義よりも社会主義社会の方が勝れているはずだとの思い込みがありました。その結果、社会主義国よりもずっと増しなのに、資本主義国は散々批判する一方、資本主義国よりもはるかに酷いのに社会主義国は批判しないという滑稽かつグロテスクな言動を行うことになってしまったのです。
人民は、東から西へ、北から南へ逃げているのに、西や南の体制よりも、東や北の体制の方が優れているに違いない!と考えたのです。

4.日本のリベラルはソーシャリベラルである

日本のリベラルが社会主義国を批判しないのは、社会・共産主義の尻尾を引きずっているからです。あるいは、元社会・共産主義者が主導権を握っている、リベラル派の言論空間の中にあって、かつて社・共主義者であったことのない人たちも、そのような空気に圧されて、社会主義国を批判するのが禁忌となっているからでしょう。

日本のリベラルは、ソーシャリストではありません。かと言って、純粋なリベラルでもない。社会・共産主義が抜け切れていないがゆえに、社会主義国を批判しない、言わばソーシャリベラル(socialiberal=socialist+liberal)なのだと思います。

5.ソーシャリベラルも社会主義国を批判しない

ソーシャリズムを引きずっているリベラルは、社会主義国を批判しません。
社会主義国が、国内で人権侵害を行っても、日本人を拉致しても、核兵器を開発しても、日本に向けてミサイルを発射しても、東シナ海で領海や領空を侵犯しても、非難しません。沈黙=黙認です。

6月2日付朝日新聞に、「ミャンマーを支援 声を上げる作家ら」という記事が掲載されました。

「ミャンマーのクーデターで国軍が権力を掌握して4カ月となった1日、作家やミュージシャン、映画監督ら67人が共同声明を発表した。日本政府に、ミャンマー軍関係者などへの制裁を求めている。この日、東京都内で記者会見を開き、ミャンマーで1カ月近く拘束され、先月帰国したフリージャーナリストの北角祐樹さんや作家の落合恵子さん、音楽評論家の湯川れい子さんらが参加した。
声明では、日本政府に制裁を求めた上で、『民主主義への道を再び回復できるような支援策をただちに講じてください』などと訴えた。声明にはミュージシャンの坂本龍一さんや、作家の瀬戸内寂聴さん、作家・クリエーターのいとうせいこうさんらが名を連ねた」

この声明に参加した文化人たちは、ウイグルでの人権侵害に対しても、同様な共同声明を発表したでしょうか。していないでしょう。なぜしないのでしょうか。
ミャンマーは軍事政権の国であるのに対して、中共は社会主義国だからでしょう。あるいは、この度の制裁を求める声明は、中共の人権侵害から世間の目を逸らせるための、あるいはそれを相対化するための援護射撃なのかもしれません。
この共同声明に参加した人たちは、ソーシャリベラルな人たちなのだと思います。

先の、江川紹子氏の発言は、次のように言い換えることができます。

「人権問題で社会主義国を批判しない人たちの中には、自国等(=資本主義国・軍事政権の国)の人権問題には熱心で、社会主義国を非難する問題だけに冷淡だという人がいる。関心があるのは、資本主義国批判=社会主義国擁護であって、人権ではないんだろうなあ・・・」

自由も、民主主義も、法の支配も実現していないし、人権も保障していない社会主義国を批判しないソーシャリベラルな人たちは、自らの思考の異様さに、どうしていつまでたっても気がつかないんでしょうか?

(注)https://twitter.com/amneris84/status/1375091119013441537

朝日新聞の値上げの弁を読んで

1.値上げの弁

6月10日付朝日新聞第一面に、値上げの通告「読者のみなさまへ 購読料改定のお願い」が掲載されました。
記録しておいた方が良いと思うので、全文を引用します。内容は下記の通りです。

「朝日新聞社は7月1日から、本紙の朝夕刊月ぎめ購読料を、現在の4037円(消費税込み)から4400円(同)に改定いたします。ご負担をお願いするのは誠に心苦しい限りですが、一層みなさまのお役に立てるよう、紙面づくりに全力を尽くします。引き続きのご愛読をお願い申し上げます。

消費税を除く本体価格の改定は1993年12月以来、27年7カ月ぶりです。

当社は、記者が一つひとつ事実を確認しながら、くらしや仕事に役立ち、日々を豊かにする情報をお伝えしようと努めています。隠れた事実を掘り起こす調査報道に力を入れるとともに、週末別刷り「be」や「GLOBE」を発行するなど紙面の拡充にも取り組んでまいりました。質の高い新聞づくりのためにシステムの投資も続けています。

購読料を据え置きつつ、良質な紙面を変わらずお届けできるよう、新聞製作の合理化、人件費や経費の節減を進めてきました。しかし、インターネットの普及で新聞事業を取り巻く環境が厳しさを増し、販売・広告収入が減る一方、製作コストは高くなっています。深刻な人手不足などで戸別配達を維持することも難しくなってきました。

新聞業界全体が同じような状況で、全国の多くの新聞社が購読料をすでに見直しています。当社も長年の経営努力が限界に達し、ご負担をお願いせざるを得ないと判断しました。

ネット上にフェイクニュースが飛び交う今、新聞の役割は増していると考えています。事実を正確に報じるという報道機関の使命を肝に銘じ、新聞を広げるのを楽しみにお待ちいただけるよう、内容とサービスを一層充実させてまいります。ご理解をお願いいたします。

なお、朝刊の1部売りは160円(現行150円)、夕刊の1部売りは60円(現行50円)といたします。                     朝日新聞社

因みに、同紙は1993年12月には約820万部だったのが、昨年8月には500万部を割ったそうです。

2.論評

いくつか、論評します。

・「ネット上にフェイクニュースが飛び交う今、新聞の役割は増していると考えています」

新聞上にフェイクニュースが飛び交う今、ネットの役割は増していると考えています、と言い換えても、そのまま通用するのが悲しい。 

・「記者が一つひとつ事実を確認しながら・・・・事実を正確に報じるという報道機関の使命を肝に銘じ・・・・」

ネットで、「吉田清治 朝日新聞」「吉田調書 朝日新聞」をキーワード検索すれば分かりますが、「記者が一つひとつ事実を確認しな」かったから、誤報が生まれたんですね。そして、そんな報道を行ってきたから、なおさら「インターネットの普及で新聞事業を取り巻く環境が厳しさを増し」たのではないでしょうか。

「お願い」では語られていませんが、新聞には報道機関としての役割とは別に、言論機関としての役割があります。朝日新聞の場合は、たとえば戦後の平和主義、冷戦時代の社会主義信仰、同時代からの歴史認識問題、そして昨今のリベラル思想の風靡まで、いつも言論機関としてのイデオロギーが、報道機関としての事実を妨害してきたのだと思います。言っても無駄なのは分かっていますが、報道を歪めるイデオロギーを払拭すべきです。

「事実を正確に報じるという報道機関の使命」を、本気で「肝に銘じ」ないなら、同紙の転落は留まることがないでしょう。 

いい加減なグーグルのアルゴリズム

1.12月4日のコアアップデート

昨年12月4日から、投稿文の検索順位が下がり出したので、どうしてかなあと思っていました。暫くして、その原因は、グーグルがコアアルゴリズムをアップデートしたからだというのが分かりました。
数少ない!わが有力記事の検索順位のことごとくを下げられ、いまやキーワード検索でヒットする投稿は、風前の灯状態です。

たとえば、当サイト「BEST」の冒頭に挙げている「それでも核兵器は廃絶できない」は、毎日見ていた訳ではありませんが、一昨年7月から昨年12月3日まで、「核兵器廃絶 不可能」でのキーワード検索でずっと1位でした。ところが、今月7日現在、10ページ目辺りにいます。その振幅の大きさは不可解です。この急速な下落から考えると、今後同記事が検索の圏外に飛ばされるのは、時間の問題でしょう。

2.現在1位の記事

現在「核兵器廃絶 不可能」のキーワード検索でのトップの記事は、「核兵器をなくすことはできるの?わたしたちにできること」です。
ところどころピックアップして論評しましょう。

・「今私がいる長崎市は、被爆地として平和を願う気持ちが強いのですが、残念ながら平和を祈るだけではなかなか世界は変わりません。
祈りの先にするべきことは、核兵器廃絶を強く願う人や『核のない世界』をめざして活動する人たちに、どうやって進んで行けばいいのかという道筋をはっきり示すこと」

同記事は、その「道筋をはっきり示」している訳ではありません。因みに、画期的な新しい兵器の開発に従事している人も、「『核のない世界』をめざして活動する人たち」なのですが。

・「大切なことは核の数ではなく、核保有国の考え方が変わること。『核兵器はいらない』『核兵器がなくても大丈夫』と各国のトップが思うことです」

「各国のトップ」がそう思うのには、それなりの条件が必要です。その条件が整わないから、「核保有国の考え方が変わ」らないのです(「それでも一」の第四節で説明しています)。

・「核兵器廃絶に有効なのは『人道的アプローチ』です。『核兵器を持つことは恥』『核兵器では人の安全は守れない』というイメージを人々の中に作っていくこと」

別に「核兵器を持つことは恥」ではありませんし、前大戦の戦勝国から今日の北朝鮮まで、「核兵器で人(国民)の安全は守れる」と確信していることでしょう。

・「生物兵器や対人地雷、化学兵器など、以前使用していた兵器について禁止条約ができていることを考えれば、核兵器が使用禁止になるのも時間の問題ではないかと思います」

国家の存立にとって不可欠ではない種類の兵器の廃絶は可能です。しかし、不可欠な種類の兵器は、それが時代遅れにならない限り、廃絶は不可能です。
また、禁止条約ができたからといって、条約に参加しない国はありますし、生物兵器や対人地雷、化学兵器も地上から姿を消したわけではありません。また、状況次第で、必要となれば各国はそれらを造るでしょう。


それにしても、これが検索1位? 内容がないよう~。
「核兵器廃絶 不可能」というキーワードでは、「不可能である」と「不可能ではない」の両方の内容の記事がヒットしてもおかしくはありません。しかし、そのキーワードなら、本来は前者がメインであるべきでしょうが、どうも後者の記事に偏重しているようです。
因みに、「わたしたちにできること」は、「核兵器廃絶 可能」でも、1位です(笑)。

3.グーグルのアルゴリズムに適切な評価は可能か

12月4日から半年に過ぎません。その短い間に、記事の評価がそんなに変わるというのは異常ではないでしょうか。もし現在の評価が適切なら、昨年12月3日までのそれが不適切だったということになります。それに、次のコアアップデートがあって、現在上位の記事が、下落するかもしれません。すると、今の評価だって怪しいということになるでしょう。
グーグルのアルゴリズムは常に向上しているのでしょうか。いつもアップデートの前の評価よりも、後の評価の方が進化しているのでしょうか?
いくら精緻に見えようとも、アルゴリズムによる評価は、隔靴掻痒でしょう。そもそもAIに、記事の適切な評価を下すことなど不可能です。

グーグルがWebサイトをを評価する基準に、「E-A-T」というのがあるそうです。Eはexpertise(専門性)、Aはauthoritativeness(権威性)、Tはtrustworthiness(信頼性)であるらしい。
その内の一つ、「権威性」とは、

「Webサイトのコンテンツを『誰が発信しているか』という観点です。たとえば、医療の情報であれば医者、法律の情報であれば弁護士が発信しているWebサイトが、権威性があるとしてGoogleに高く評価されます。
権威性はコンテンツの内容で高めることはできません。権威性を高めるためには、そのコンテンツの発信者名や会社名を開示したり、既に権威性のあるWebサイトから被リンクとして紹介されることも必要です」(注)

という。
「権威性はコンテンツの内容で高めることはできません」! そんなバナナ。
それにしても、なぜ「権威性」なのでしょうか。グーグルが記事の優劣を自分で判断できないからでしょう。自らが記事を正当に評価できないがゆえに、他の基準に頼るしかない!
本来なら、ネット上の自由競争によって、優れた記事が生き残り、劣った記事は淘汰されるのが理想です。けれども、劣った記事がしぶとく生き残るから、何らかの人為的な手段を用いて排除したい、それがゆえのE-A-Tの導入だと考えられます。しかし、E-A-Tを導入したところで、記事の優劣は判定できません。

4.それは不可能である

ガリレオ・ガリレイは、彼の時代の権威である天動説に挑戦しました。当時もし権威性を振り回すグーグルのアルゴリズムがあったなら、天文学の分野で検索上位を占めるのは、天動説だったでしょう。また、その時代にSNSがあれば、差し詰めガリレオはトランプ前米大統領のように、アカウントの停止を喰らっていることでしょう(笑)。

グーグルのアルゴリズムに、記事の正確なもしくは適切な評価は不可能です。

(注)https://www.itra.co.jp/webmedia/core-update.html

【追記】
今回は、公憤半分、私憤半分の記事になりました。

差別と人間観察

1.人文・社会科学の基礎

一般的に言って、自然科学は自然が研究の対象であり、人文科学、社会科学は人間がその対象です。学問が細分化し、また技術的になっているためにあまり意識されませんが、人文・社会科学の基礎には人間観察があるべきでしょう。
当ブログでは、広義の政治を扱っていますが、政治もまた人間が行っていることなので、その研究(私は学者ではないので、研究というよりも観察に過ぎませんが)の基礎には、政治における人間性の探求があって当然でしょう。

人間観察とは、自己と他者の観察です、とりわけ自己観察です。自己観察とは、自己の心と行動の観察です。
私たちは他人の心を直接知ることはできません。なので、自己の心を覗いて、他者の心を推し量ります。

私の心はこうである。
私は人間である。
故に、人間の心は(他者の心も)こうであろう。

行動についても同じです。

私の行動はこうである。
私は人間である。
故に、人間の行動は(他者の行動も)こうであろう。

2.エドマンド・バークの名言

いわゆるモラリストと呼ばれる著述家たちがいます。モンテーニュ(1533-92)やラ・ロシュフコー(1613-1680)といった人たちが、それに相当します。彼らは、「人間の行動や振舞い全般を省察」しました。人間観察家と言って良いでしょう。
彼らの著書が今でも読み継がれているのは、読者が自らを省みて、彼らの述べていることに、思い当たる節があるからです。
モラリストたちが、

私の心はこうである。
私は人間である。
故に、人間の心は(他者の心も)こうであろう。

と考えなかったなら、彼らの作品は生まれていなかったでしょう。

さて、エドマンド・バークの名言に、次のようなものがあります。

「人はだれでも、他人の不幸や苦痛を見ると、小さからぬ喜びを感じるものである」

バークが自身を観察して、「他人の不幸や苦痛を見ると、小さからぬ喜びを感じ」たからこそ、他者も同じだろうと推量して、「人はだれでも・・・・」と書いたのでしょう。
他人の不幸は蜜の味、というバークの名言と同じ意味の言葉がありますが、自己観察を行えば、不本意ながらも、そのような心の動きがあるのを認めざるをえません。

ところが、それを認めないといったタイプの人たちがいます。
曰く、「他人の不幸を喜ぶのは不謹慎だし、自分はそんなことはしない」(「『他人の不幸は蜜の味』は科学的に証明済み」より)などと綺麗事を言う。
彼らは、自身の負の感情の存在を認めません。そのような人たちは、自らの内心を見る勇気を持たない人たちです。そして、そのために、彼らは、ある種の政治的な問題になると、途端に「正義派」になります。

3.反差別主義者

たとえば、差別が問題になると、彼らは直ちに反差別主義者に変貌します。

自己観察を行う人は、

私には差別意識がある。
私は人間である。
故に、人間には(他者にも)差別意識があるだろう。

あるいは、

私は時に差別的言動を行うことがある。
私は人間である。
故に、人間は(他者も)時に差別的言動を行うことがあるだろう。

と考えますが、自己観察を行わない人たちは違います。彼らの思考は、下記の通りです。

私には差別意識はない。
人間には差別意識がある人とない人がいる。
故に、後者は前者を矯めなければならない。

あるいは、

私は差別的言動を行わない。
人間には差別的言動を行う人と行わない人がいる。
故に、後者は前者を矯めなければならない。

「矯める」とは、差別的言動を行ったとされる人物を、メディアやSNS上で、反省を促し、反省の言葉を要求し、反省しなければ、するまで糾弾し、袋叩きにすることです。

反差別主義者は、差別をしない人たちなのでしょうか。勿論、違います。彼らだって差別はします。ただ、自己観察が足りなくて、自分の差別意識の存在に、自分の差別的言動に気づいていないだけです。要するに、自分が行っている差別に対して鈍感なだけです。その癖、他者の差別的言動には敏感に反応し、批判の叫び声を上げる。

2018年の『新潮45』8月号に掲載された杉田水脈議員の論文「『LGBT』支援の度が過ぎる」や、今年2月の東京五輪・パラリンピック大会組織委員会会長(当時)森喜朗氏による「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかります」とのいわゆる女性蔑視発言に対するバッシングは、それを良く表しています(もっとも、杉田氏や森氏の発言が、本当に「差別的言動」に当たるかは疑問ですが)。


自己観察が不十分で、自分は潔白だと信じているから、あんなに苛烈に他者を非難できるのです。自分も潔白ではないかもしれないと、多少なりとも疑いを持つなら、あんなに手酷く他者を非難できないでしょう。
反差別主義者は、常に自己を棚に上げて他者を批判する。

ラ・ロシュフコーは『箴言』に書いています。

「過ちを犯す人々をたしなめる場合、出しゃばるのは、親切よりはむしろ、高慢である。そしてわれわれが過ちを犯す人々を戒めるのは、彼らの過ちを矯めるためでもあるが、それよりは、われわれが過ちなど犯す人間ではないことを、彼らに信じさせるためだ」(『箴言と考察』、内藤濯訳、岩波文庫、24頁)

反差別主義者があんなにも激しく「被疑者」を非難するのは、自己の潔白証明のためなのでしょう。

しかし、いくら否定しようとも、反差別主義者だって差別意識はありますし、また差別的言動だって行います。だから、差別意識も、ひいては差別もなくなることはないでしょう。

中国の覇権国化は許さない

1.台湾の明記

4月17日、菅首相とバイデン大統領の会談がホワイトハウスで行われました。会談後、メディアのニュースで話題になったのは、「台湾の明記」です。
共同声明には、「日米両国は、台湾海峡の平和と安定の重要性を強調するとともに、両岸問題の平和的解決を促す」(4月17日付朝日新聞)との文言があります。
日米の共同文書に「台湾」が明記されたのは、1969年の「佐藤栄作首相とニクソン大統領の共同声明以来、52年ぶりとなる」(同前)とのことです。

中共が核心的利益だと見做す台湾を、しかも半世紀以上日米は公的に言及できなかったのに明記したこと、それも親台湾的な共和党ではなく、親中共的な民主党の大統領によってなされたのは意外でした。

2.「中国」の明記

台湾の明記が話題になりましたが、共同声明を読んで気づくのは、もう一つの明記です。すなわち、「中国」のそれです。

・「自由で開かれたルールに基づく国際秩序への挑戦」
・「経済的なもの及びその方法による威圧の行使を含む、ルールに基づく国際秩序に合致しない中国の行動について懸念を共有した」
・「日米両国は、東シナ海におけるあらゆる一方的な現状変更の試みに反対する。日米両国は、南シナ海における、中国の不法な海洋権益に関する主張及び活動への反対を改めて表明する」
・「日米両国は、台湾海峡の平和と安定の重要性を強調するとともに、両岸問題の平和的解決を促す。日米両国は、香港及び新疆ウイグル自治区における人権状況への深刻な懸念を共有する」

台湾よりも、むしろ中共の、しかもその負の側面に関する記述の方がずっと多い。

3.対中包囲

一方、共同声明には、次のような箇所もあります。

「日米両国は、皆が希求する、自由で、開かれ、アクセス可能で、多様で、繫栄するインド太平洋を構築するため、かつてなく強固な日米豪印(クアッド)を通じた豪州及びインドを含め、同盟国やパートナーと引き続き協働していく」

3月12日には初の日米豪印(テレビ)首脳会談が行われましたし、3月22日にはウイグル族に対する深刻な人権侵害が続いているとして、EU、米、英、加がそろって対中制裁を発動しました。

これらのことを考え合わせると、アメリカとファイブアイズ(米英加豪新)、EU、日韓(?)台、ASEAN、インドなどの、米国の「同盟国やパートナー」が、中共の覇権国化阻止という認識でおおよそ一致し、対中包囲網を形成しようとしているように見えます。
そのスローガンは、<中共の覇権国化は許さない>、ではないでしょうか。
私の希望的観測でしょうか。

4.朝日節

4月17日付朝日新聞の「素粒子」欄からの引用です。

「米中衝突は日本の悪夢だ。
集団的自衛権などに基づく対米支援を求められ、
中国の攻撃対象になる可能性がある。
      ◎
対話によって、緊張が危機に転じる前にその芽を摘む。それが日本の役割だ。単なる米国追従では国民は守れない」

相変わらずの、朝日節です。進歩しない進歩主義者の発想丸出しです。

「米中衝突」を避けるための、対米協調です。
中共の敵が多ければ多いほど、その力が強ければ強いほど、同国は事が起こせないわけですから。

ディープ・ステートという概念

ディープ・ステート(deep state)とは、ある人にとっては金融資本家であり、ある人にとってはアメリカの高級官僚であるらしい。

A氏にとってはaがディープ・ステートであり、B氏にとってはbがそれに相当し、C氏にとってはcが・・・・。
ということは、ディープ・ステートという言葉は同じでも、論者が語っているいるのは同一の概念・対象ではないということです。オカマという言葉で、A氏は「穀物や食料品を加熱調理する際に火を囲うための調理設備」(wiki)としてのかまど(竈)のことを語り、B氏は男性同性愛者のことを語っているようなものです。それは、論理学で言うところの、多義の虚偽(fallacy of equivocation)でしょう。
異なる概念を論じて、同一の認識に達しうるのでしょうか?

世界を陰で操る人たちがいて、それが誰なのかを論者が究明しようとしているのなら分かります。もしそうだとしたら、それが誰なのかを巡って、論者の間で激烈な論争が繰り広げられてもおかしくありません。しかし、妙に静かです。誰がディープ・ステートに該当するのかを明確にすることに、論者はあまり関心がないようです。
彼らは、その概念を曖昧にしたまま、あれこれ語っています。

幽霊を見たという人たちが集まって、しかし、自分たちが見たものが同一のものなのかという確認(検証)をしないまま、脚がなかったとか、首が長かったとか、一つ目しかなかったとか話して、盛り上がっているようなものでしょう。

ディープ・ステートについてある人は、某氏のブログのコメント欄で、発言しています。

「まあ、巷で言う『陰謀論』の悪役です。その存在を信じるか信じないかは、〇様のご判断にお任せします」

その存在を信じるか信じないかを、読者の判断に任せる?
ディープ・ステートというのは、(社会)「科学」が研究対象とすべき概念ではなく、何らかの信仰の領域に関する概念のようです(笑)。

私が、いわゆるディープ・ステート論者の言うことがナンセンスだと思う理由は、第一、その概念の内包と外延が不明確であること、そもそもそれを明確にしようという発想が彼らにはないこと、第二、彼らは、ディープ・ステートはこれにもそれにも、あんなことにも関わっている!と述べるけれども、その証拠を全く示さないことにあります。

【関連記事です】
「ディープ・ステートという陰謀論」
「暗殺の理由?」

自分のペースで

2018年3月にブログを始めてから、3年が経ちました。

途中何度か休止しましたし、止めてしまおうと考えたこともあります。

これまで、おおよそ週に1本公開を原則にしてきました。が、自分にとってハイ・ペースなのと、殆んど読まれていないブログで、はたしてそのような義務を自己に課すことに意味があるのか疑問に感じてもいました。
熟慮した結果、週1公開原則を放棄することにしました。

これからは、自分に適した、もっと緩やかなペースで書いて行こうと思います。
月に3つ、2つ、1つ、場合によっては公開なしの月もあるかもしれません。

宜しくお願い致します。