1.取った者勝ちを非難する意見
以下は、いくつかのヤフー記事のコメント欄からの引用です。既に削除されている記事もありますが、同欄には同じような意見が何度も現れるので、何れ似たような主張を見ることもあるでしょう。
・「この戦争の出発点はロシアの一方的な武力侵略であり、ウクライナの領土を僅かでも与える形で終結させた場合、『力のある国のやった者勝ち』の実績が増え、ロシアだけでなく中国や北朝鮮も今より悪質な方向に向かうのは確実。なのでロシアに、少なくともプーチンに、何らかのメリットを与える形で終結させてはいけない。
むしろ戦争を仕掛けた責任はしっかり追求して、ここで『たとえ大国であろうと戦争を仕掛けると大損をする』と世界中に見せつけ、戦争抑止力の一つとするべき」
・「当然クリミアからもロシアの撤退が条件だ。侵略して取ったもの勝ちと言うのは近代国家ではありえない」
ここから先は、「ウクライナ、ロシア全軍撤退するまで交渉認めず=大統領顧問」(削除されています)という記事のコメント欄からの引用です。
・「当然でしょう。自国の主権、領土、領海が侵され、自国の国民だった人たちが殺され、ひどい目にあい、ウクライナ人ではなく、ロシア人として教育を受ける。。。こんなことを許せるとは思えない。おそらくすべて追い出すまでやり続けるでしょうね」
・「当然だ。
プーチンに一ミリの領土も渡してはならない。
屁理屈をつけてウクライナに侵攻したプーチンに譲歩してはならない。
国際法無視のロシアとプーチンに利を与えてはならない」
・「ウクライナの言い分は当然です。此処で交渉を始めれば『ロシアのやったもん勝ち』になります。ウクライナへの賠償も必要です。『やり逃げ』は許されません!」
・「盗んだ物を返す。
国際秩序に従って、破壊したウクライナの国土を弁償する。(以下略)」
上のような主張を見て、現代日本の多数派の人たちは「その通りだ!!」と叫ぶのでしょうが、少数派の私は、やれやれ、と呟くしかありません。
2.人類の歴史は
先史時代から、アレクサンドロス大王による東方遠征やモンゴル帝国によるユーラシアの大きな部分の制覇を経て、今日まで。人類の歴史は取った者勝ちのそれです。チンギス・ハンに一ミリの領土を渡してはならない、と言ったところで、戦争に負ければ、渡さざるをえませんでした。
取った者勝ちは、いわば人類普遍の真理です(注)。
ロシアの行動を批判するアメリカにしてからが、インディアンの土地を奪い、いまだにそこに居座ったままの国です。オーストラリアその他、米国と同じような諸国もあります。支那は、民族的にも文化的にも異なるチベットやウイグルを併合しています。
また、アメリカはポリネシア人の土地であったハワイを侵略して、そこに軍事基地を設置する一方、観光地としました。この点、クリミアと同じです!クリミア併合が悪なら、ハワイの併合だって悪でしょう。両者の内、一方だけを非難するのは、ダブル・スタンダードです(ダブル・スタンダードではないと言う人は、クリミア併合は侵略であるが、ハワイ併合は侵略ではないことを論証する必要があるでしょう)。ロシアによるクリミア併合を非難する人たちは、まさか観光旅行で、ハワイへ行ったりなんかはしていないですよね?
3.戦後の国際社会は
第二次世界大戦以前の国際社会は、弱肉強食だったけれども、同大戦後は国際連合もできて、世界は取った者勝ちが許されないようになったと言う人もあるかもしれません。それが、いわゆる戦後の国際秩序とやらでしょうか。
では、わが国の竹島は?中共は南沙諸島を自国領に囲い込みましたし、何れ尖閣諸島も、中共の取った者勝ちになるかもしれません。イスラエルは、ヨルダン川西岸に入植地を広げましたし。
戦後の国際社会だって、基本的には、取った者勝ちでしょう。戦後の国際秩序というのは、いわば化粧を施した顔のようなもので、素顔が分かりにくくなっているだけではないでしょうか。
国際社会の建前は、「取った者勝ちは許されない」ですが、しかし、現実は「許される場合もある」です。
それなのに、ロシアの取った者勝ちだけが、なぜこんなに非難されるのか、不思議ではあります。これも、ダブル・スタンダードと言わざるをえません。
「主権と領土の一体性の維持」とか、「力による一方的な現状変更は許されない」とか麗しいい原則が謳われますが、それらは、弱小国がこれから先、大国または強国に自国領土を奪われるのを阻止するため、国際社会にその保証を求める原則だと解釈できます。と同時に、かつて取った(奪った)者たちが、現状の領土の固定化を正当化するための論理だとも解釈できます。何れにせよ、それらの原則は努力目標のようなものでしょう。
4.いかにすれば取った者勝ちではない国際社会が実現するか
第一節で引用したように、他国の領土の取った者勝ちを非難する人たちがいます。彼らは取った者勝ちではない国際社会を望ましいと考えています。それならば、そのような世界は、どのようにすれば実現するのでしょうか。
もし国際社会に、軍事的には他のすべての諸国を圧倒するような強大な軍事力を持ち、かつ、道徳的にも高潔な、そのような唯一の超大国が出現し、自らは取った者勝ち的な行動をとらないと同時に、某国がそのような行動をとった場合には、単独でも軍事的な行動を起こし、奪われた国の領土を取り戻してやるような、そのような力を持つ国が、国際社会で活躍するようになれば、取った者勝ちの世界ではなくなるかもしれません。
しかし、国際社会の現実、そして趨勢を眺めれば、アメリカと言う国は決して常に道徳的に正しい判断と行動をするとは言えませんし、その一極支配も揺らいでいますし、今後世界はいくつかの大国が並立する多極化へ進んで行くと考えられます。
とするなら、国際社会は、大筋としては取った者勝ちの時代が続くと考えるのが自然です。
さて、本稿の主題ですが、ウクライナにおいて、ロシアの取った者勝ちで良いのでしょうか?
良いも悪いも、ロシアをウクライナから叩き出す力があれば、叩き出せば良いですが、その力がなければ、ロシアの取った者勝ちを追認するしかありません。
(注)
ただ、大国にも勃興期、隆盛期、衰退期があり、衰退期の最後の段階で、国家が分裂なり、崩壊なりしてしまうと、かつて取った者もその領土を手放さなければなりませんでした。