初等・中等教育の国語はどうあるべきか

初等・中等教育の科目ですが、数学や物理などの理科系のそれは論理的であるのに対し、国語は曖昧で、非論理的であるという通念があるように思います。なぜそのような通念が生じたのでしょうか。

言語は、数字も数式も用いませんが、論理的です。
だから、論理学は成立します。
もし言語が非論理的なら、論理学は成立しません。

英語やフランス語は論理的であり、日本語は非論理的などという説はナンセンスです。
英語もフランス語も日本語も、それ自体は論理的です。
英語であろうとフランス語であろうと日本語であろうと、頭が良い人が書けば、論理的な文章になり、頭が悪い人が書けば、非論理的なそれになるだけです。

初等中等教育における国語は、曖昧な情緒や人情の機微ではなく、事実の正確な記述や論理を中心に教えられるべきです。子供が、情緒や人情の機微を理解できなくても無理はありません。彼らは、知能ではなく、年齢や経験が足りないだけなのですから。

わが国の初等中等における国語教育の間違いは、情緒や人情の機微を表現するのが、国語教育の最高の目的だという誤った思想の持ち主たちが、国語政策を企画・推進し、情緒や人情の機微などを専門とする文学畑の人たちが、中等教育を主に担っているからではないでしょうか。