昨年2月24日、ロシアがウクライナへ侵攻するよりも前、ロシア軍はウクライナ国境付近に集結しました。実際に侵攻したロシア軍は、17~19万人だそうですが、それらの軍勢が迫っていました。
それなのに、なぜゼレンスキー大統領は、プーチン大統領と電話会談するなり、モスクワへ飛んで、直談判するなりしなかったのでしょうか(1)。不思議ではあります。
それについて、二つの仮説が考えられます。
仮説1. ゼレンスキー大統領は、本当に侵攻があるとは思わなかった。
昨年6月10日、ロサンゼルスで開かれた政治資金パーティで、バイデン大統領は、「(プーチン氏が)ウクライナに侵攻するのはあきらかだった」、だから、警告した。けれども、「ゼレンスキー氏は聞く耳を持たなかった」と述べました(2)。
なぜゼレンスキー大統領は、「聞く耳を持たなかった」のでしょうか。
ロシアの行動は、単なる脅しだと考えたのかもしれません。しかし、脅すのは、相手に対して何がしかの要求があり、それを呑ませるためでしょう。
ウクライナが要求を呑まないのに、ロシアはすんなり兵を引くでしょうか。
また、東野篤子筑波大学教授は、『正論』2023年3月号の対談で、述べています。
「私はウクライナやバルト諸国やポーランドといった諸国の研究者との付き合いが多く、彼らは『ロシアはやる気だ』と一昨年(2021年)末ぐらいから絶望視していました」(155頁)
東野氏の発言が本当なら、研究者たちが「ロシアはやる気だ」と「絶望視」しているのに、ゼレンスキー氏は、ロシアの侵攻を予想しえなかったのでしょうか?
予想できた、だからモスクワに飛ばなかった、とするのが、仮説2です。
仮説2 ゼレンスキー大統領は、勝てると思った。
2014年、マイダン革命とクリミア併合の後、米英によってウクライナ軍は軍事強化されたため(メルケル前独首相の「ミンスク合意はウクライナ軍を強化するための時間稼ぎだった」発言)、また、背後に米英を中心としたNATO諸国が付いていて、経済的・軍事的な支援が期待できるため、たとえロシア軍が攻めてきても、跳ね返すことができると思った。
ウクライナ軍部は、米英軍はロシア軍よりも近代化されていて強いし、ウクライナ軍は米英によって軍事強化されたから、ロシア軍よりも強いはずだと慢心したのではないか。
ロシアは若干17~19万の軍勢で、ゼレンスキー政権を倒せる(亡命させる)ことができると信じ、アメリカ他西側は対露制裁によって、ロシアの侵攻を息切れさせることができると信じ、ウクライナはロシア軍を跳ね返すことができると信じたのではないでしょうか。
そのような、三者三様の誤算が重なって、今日の事態が出来しているのではないでしょうか。
仮説1、2の何れにせよ、ゼレンスキー大統領は政治的な判断を誤ったのであり、政治指導者としての能力が欠けていると言わざるをえません。
(1) 小泉悠氏の『ウクライナ戦争』(ちくま新書)を読むと(42-53頁)、ロシア軍の国境への集結の前から、ゼレンスキー氏は、プーチン氏と何度かか交渉しようと試みていますが、それは成功しませんでした。
交渉には、妥協と譲歩が必要です。強い側と弱い側の交渉では、後者がより多く譲歩するしかありません。
小泉氏の著書には、交渉でのゼレンスキー氏の要求が、適切だったのか、過大だったのか、の評価がありません。
(2) https://www.afpbb.com/articles/-/3409333