ロシアによるウクライナ侵攻後、次のような主張が為されました。
ウクライナは主権国家であるから、どの軍事同盟に参加しようと自由である。同国のNATO加盟に反対だからといって、ウクライナに侵攻して良いわけではない。
西側のウクライナ支持理由の一つには、これがあるでしょう。
では、国際社会の現実はどうでしょうか。
台湾は、国家の三要素である主権、領土、国民を充たしている、実質的な主権国家です。その領土に、他国の主権は及んでいません。それなら、同国はどこの国と軍事同盟を結ぶのも自由でしょうか。台湾にはそのような自由があるでしょうか。勿論、ありません。
昨年5月頃までのアメリカ政府の公式見解は、「台湾の独立は支持しない」でしたし(注)、つまり、主権国家なのに、いまだに独立は認められていませんし、台湾は国際機関である国際連合にも、世界保健機構(WHO)にも、加入が認められていません。
なぜかと言えば、台湾は支那の一部だと考える中共が、それらへの参加を妨害しているし、国際社会がそれを黙認しているからです。
主権国家台湾が、国連にも、世界保健機構にも加盟できないのを承知していながら、一方では、ウクライナは主権国家だから、どの軍事同盟に参加するのも自由である、などと言う。嗤うべきです。
もし主権国家が、どこの国と軍事同盟を結ぶのも自由であるのなら、1962年ソ連と軍事協定を結んだキューバが、同国内にソ連のミサイルを配備したのだって自由だったでしょうし、アメリカもそれに対して、激怒する筋合いはないはずです。
しかし、現実の国際社会を見れば分かりますが、主権国家だからといって、どの国と軍事同盟を結ぶのも、国際機関に加盟するのも、核兵器開発を進めるのも、自由ではありません。それは、なぜでしょうか。
岡崎久彦氏の著書から引用します。
「原敬の政治思想を知ることは容易ではない。
一つには原は、醒め切った現実主義者であり、思想や哲学に興奮したり振りまわされる性格の人間ではなかったからである。
外務次官、朝鮮公使を務め、大阪毎日新聞社社長となってから一九00年、立憲政友会創設に参加したころに発表した評論『外交思想』から引用してみる。
『外交思想なるものがなくてはならないというが、シナ保全論とか分割論とか、漠然たることをいってもしかたがない。外交思想とは常識のことである。
たとえば、条約は相手があるものであり日本の意思だけでは決められないとか、独立国の権利は平等といっても実際上は強弱の別はどうしようもないとか、戦争は相手が一国でもみだりにすべきものではないが、まして二国、三国を相手にすることなどいかなる国でもできないとか、そういう単純なことがわかる国民こそ、外交思想のわかる国民である』」(『幣原喜重郎とその時代』、PHP文庫、128-129頁)
「戦争は相手が一国でもみだりにすべきものではないが、まして二国、三国を相手にすることなどいかなる国でもできない」との件は、現在のロシアに対する教訓として有意義でしょう。一応はウクライナ一国と戦っていることになっていますが、実質的にはその背後のNATO諸国とも戦っています。
それはさておき、この投稿文で言いたいのは、その前の件です。
「条約は相手があるものであり日本の意思だけでは決められないとか、独立国の権利は平等といっても実際上は強弱の別はどうしようもないとか、(中略)そういう単純なことがわかる国民こそ、外交思想のわかる国民である」
条約等は相手があるものであり、台湾やウクライナの意思だけでは決められません。また、「独立国の権利は平等といっても実際上は強弱の別はどうしようも」ありません。現実の国際社会では、国家の力の強弱は如何ともしがたい。
そういうことを考えるなら、主権国家はどの国と軍事同盟を結ぶのも自由であるとの主張は、「そういう単純なことがわから」ない者が振り回している筋論でしかないと思います。
国際社会では、弱国には強国と同様の、行動の自由があるわけではありません。
(注)
6月19日、中共の外交部門トップ王毅氏との会談後の会見で、ブリンケン米国務長官は、「『米国は台湾独立を支持していない』と述べた」そうです(6月20日付朝日新聞)