軍事・国際政治の専門家の敗北

1.専門家の不作為の責任

ロシアがウクライナへ侵攻してから、一年以上が経過しました。ウクライナとロシア。どちらが勝利し、どちらが敗北するのか、いまだ明確ではありません。が、明確になったのは、わが国の軍事や国際政治の専門家たちの「敗北」ではないでしょうか。

たとえば、ヤフー記事のコメント欄を見ると、ウクライナの方が勝つと考える勝ち組と、負けると考える負け組との争いが続いています。そして、前者の方が多数派です。
もっとも、勝ち組の方が、減少化傾向にあるようですが。

多様な主張があり、各々の立場の人たちが、意見を闘わせるのは良いのですが、中には明らかに実現不可能なことを主張する意見もあり、それが少なくないように思えることです。なぜそのようなことが起こるのでしょうか。専門家による適切な解説、あるいは、「交通整理」がないからではないでしょうか。

専門家たちが、戦争の帰趨の予想可能な範囲を示せば、素人たちの言論も、その範囲内に収まると思うのですが、専門家たちがそれを示さないから(示しえないから)、素人たちの論も(私のもその一つですが)、何でもありの状態です。

2.専門家が語らないこと

軍事や国際政治の専門家たちが語らないない事柄があります。たとえば、西側の軍事支援がなければ、既にウクライナはロシアに敗北しているだろうというのが、専門家、素人を問わず、共通した認識でしょう。

では、以下の問題についてはどうでしょうか
因みに、ウクライナにとっての目標の達成とは、昨年の2月24日以降に奪われた占領地とクリミアの奪回です。

第一。今年1月に、NATO諸国の、いわゆる戦車連合による戦車の供与の決定が為されましたが、もし戦車が供与されなかったとしたら、ウクライナは戦争目的を達成できたのでしょうか。

第二。戦車が供与されたら、ウクライナは目的を達成できるのでしょうか。

第三。さらに、戦闘機や長距離ミサイルの供与を、ウクライナは求めていますが、それが実現すれば、同国は目的を達成できるのでしょうか。

第四。そもそも、どのような武器を、どれだけ供与したら、ウクライナは目的を達成できるのでしょうか。

第一から第四までの、どのレベルの供与が行われれば、ウクライナは勝利できるのか、あるいは、どのレベルの供与では、目的は達成できないのか、軍事や国際政治の専門家たちは、発言しているでしょうか。私が知る限り、発言しているようには見えません。なぜ彼らは、それについて発言をしないのでしょうか。

軍事にしろ、国際政治にしろ、専門分野は多岐にわたり、とてもその全てに通暁することはできないし、専門家と言っても、それらの内の小さな部分しか知識がないからでしょうか。それとも、そんなことを発言して、予想を外したら、恥をかくことになるからでしょうか。それとも、勝敗は時の運で、専門家にも戦争の帰趨は予想しえないからでしょうか。

しかし、一方では、マスメディアでも、ネット記事でも、一部の専門家たちは、あれこれ大胆に語っていますし、予想を外していますし、外してもまた平然とメディアに登場したりています。

ウクライナでは、同国の兵士や市民、ロシアの兵士たちが、毎日死傷しています。
それなら、少しでも死傷者を減らすために、西側は、もしくは、日本は何をなすべきなのかを、軍事や国際政治の専門家たちは、世の中に向かって、適切なアドバイスをしたら良いと思うのですが。

3.無能な専門家の避難所

私たちが専門家に期待するのは、彼(彼女)の専門的知識に基づく、ウクライナ戦争に関する正確な認識です。正確な認識とは、ウクライナとロシアはどちらが勝つのか、ウクライナが勝つには、西側からどのくらいの支援が必要なのかということです。もしそのような認識が得られれば、プロパガンダを避けることができるでしょうし、ヤフコメ欄なんかで、いい加減な主張が氾濫しなくて済むでしょう。

ところが、専門家たちは、正確な認識よりも、むしろ戦争の善悪や希望的観測を語っている!彼らは、善悪論に対して、もっと禁欲的であるべきではないでしょうか。

イギリスの文学者サミュエル・ジョンソン(1709ー1784)の有名な言葉に、愛国心はならずものたちの最後の避難所である、というのがありますが、ウクライナ問題における善悪論は、無能な専門家の避難所のようです。

【折々の名言】
「報道はともかく、記事というものは、見る人にとって気持ちがいいものが好まれる。
ロシアが勝っている記事など読みたくない人が多い以上、ロシアに不利な記事が増える。
マスコミの本質はサービス業です」
(ウクライナ侵攻に関する、あるヤフー記事のコメント欄から)

このコメントを読んで、笑ってしまいました。
道理で、ロシア寄り?の、私のブログが読まれないはずです?