ウクライナの教訓 侵略された側も悪い

《詐欺事件では、騙した側に100%の責任があり、騙された側の責任は0%でしょうか?騙された側にもいくばくかの責任はあります。それと同様、国際関係においても、侵略された側の責任は0%ではありません》

1.「ある」教訓

昨年2月に、ウクライナはロシアに侵略されました。
ウクライナ侵攻に関しては、様々な教訓が可能でしょう。侵略された国の姿から、どのような教訓を得ることができるでしょうか。

たとえば、この戦争で、ウクライナが勝利した場合、次のような教訓も可能です。
第一。たとえ某国に侵略されたとしても、その他の諸国が侵略国に対して経済制裁を行ってくれるし、一方、侵略された国に対して軍事支援をしてくれるので、平時において、国防力の整備はさほどしなくても良い。
第二。いざとなったら他の諸国が助けてくれるので、同盟国も不要である。

しかし、はたしてこのようなことを教訓として良いのでしょうか。

ウクライナ侵攻が始まった時点で、アメリカも欧州も、他の地域の問題に手を取られていなかったので、たまたまウクライナに対して軍事支援ができましたが、もし彼らがどこかの地域の問題に手を取られていたなら、支援を行うことはできなかったでしょう。
とするなら、他の国々の多大な支援を前提とすることは、国家の安全保障上の教訓として適切ではありません。

2.騙された側も悪い

詐欺事件でも、男女関係でも良いですが、騙した側が100%悪くて、騙された側には全く過失はないでしょうか。すべての責任は騙した側にあるのだったら、何度騙されても騙された側には責任はないということになります。そのような判断は、正しいでしょうか。

言うまでもありませんが、騙された側にも責任はあります。騙された方にも幾らか責任があると考えないと、その後彼は(彼女は)騙されないよう注意しませんし、人生上の教訓にもなりません。

詐欺事件など、加害者だけでなく、被害者にも一部責任があります。この点、国際社会における侵略も同じです。
先史時代以来、侵略する国もあれば、侵略される国もありました。勿論侵略した国は悪いのですが、自らの共同体もしくは国家の防衛をおろそかにしたということで、侵略された側にも何がしかの責任はあると考えるべきです。
麗澤大学特別教授・元空将の織田邦男氏は書いています。

「安全保障の要諦は、最悪の事態に備えることである。『もしかして』と捉えて準備する。仮にそれが空振りに終われば、『狼少年』と非難するのではなく、むしろ『良かった』と喜ぶべきである。これは安全保障の宿命である。
『危機を未然に防止する者は決して英雄になれない』という。我々に『英雄』はいらない。現在、ゼレンスキー氏が英雄になっている。だが、開戦前、彼は米国の警告を『誇張だ』『不適切だ』といって無視し、結果的に戦争の未然防止に失敗した」(月刊『Hanada』2022年6月号、81頁)

「危機を未然に防止する者は決して英雄になれない」というのは、戦争あるいは国家間関係において、戦って勝つは中策であり、戦わずして勝つが上策である、というのと同じような意味でしょう。織田氏が言うように、ロシアによる侵攻では、ウクライナにも一部責任はあります。
もし政治における責任が、結果責任であるとするなら、侵略された国の政治リーダーにも、侵略を防ぎえなかった責任があるはずです。
たとえば、将来尖閣諸島が中共に奪われたとしましょう。その場合、勿論中共は悪いわけですが、奪われたわが国の政治リーダーにも、責任はあると考えるべきです。

とするなら、ウクライナの場合だって、ロシアから、ドンバス地方なり、ザポリージャやヘルソンなりを奪われたなら、奪われた政治リーダーにも責任があるとするのが当然ではないでしょうか。
ロシアが100%悪、ウクライナは100%善ではありません。

3.「あるべき教訓」

わが国は民主主義国家ですから、他国から領土の一部を奪われたり、国土全体が侵略されたりした場合、すべての責任を政治家に押し付ける訳にはいきません。私たち国民が政治家を選んでいるわけですから。
国民も平時から、領土を奪われない、侵略されない方策を考える必要があるでしょう。ウクライナのケースは、そのための参考事例です。

第一節では、「ある教訓」を述べましたが、「あるべき教訓」を挙げるなら、次のようになるでしょう。
第一。某国から侵略されないように、平時から国防力を整備すべきこと。
第二。某国の脅威を共有する他の国と同盟関係を結び、それを維持するために、常日頃から汗をかくこと。

わが国の戦後平和主義、憲法九条信仰というものは、侵略した側が100%悪いという思考で染め上げられています。だから、日本は絶対に侵略する国家になってはならないとされます。要するに、日本だけの「戦争の放棄」が推奨される。
けれども、憲法九条は、日本が侵略される国になるかもしれないということが、全く想定されていません。
この度のウクライナ侵攻で、さすがにそのことに、多くの人々は気づいたようです。この事件によって、現行憲法が欠陥品であるのが、明白になりました。