東野篤子氏とグレンコ・アンドリー氏の対談を読んで

雑誌『正論』2023年3月号で、筑波大学教授東野篤子氏と、国際政治学者のグレンコ・アンドリー氏が、ウクライナ侵攻について、対談を行っています。それについて、少し論評します。ちなみに、グレンコ氏は、ウクライナ人です。

1.ロシアの行為は全く正当化できない?

東野氏は発言しています。

「それ(ロシアによるウクライナの侵攻の勃発)から一年近くが過ぎて、これがロシアによる侵略戦争だということが、日本でも多くの人に伝わったと思います。(中略)ロシアの行為は全く正当化できないという認識は比べものにならないほどしっかりと共有されています」(156頁)

そうでしょうか?
「それから一年が過ぎて」、たとえば、シカゴ大学政治学部教授のジョン・ミアシャイマー氏や、フランスの歴史人口学者のエマニュエル・トッド氏、その他の日本の言論人、評論家の論説によって、あるいは、西側の偏向(希望的観測)報道、ドイツの前首相メルケル氏による「ミンスク合意はウクライナ軍を強化するための時間稼ぎだった」発言、アメリカによるノルドストリーム破壊疑惑などによって、戦争の初期よりも、現在の方が、「ロシアの行為は全く正当化できないという認識」に疑義を抱く人が、勿論絶対数としては少数派ですが、むしろ増えているのではないでしょうか。

2.ロシアの核兵器使用について

東野氏曰く、

「私はウクライナやバルト諸国やポーランドといった諸国の研究者との付き合いが多く、彼らは、『ロシアはやる気だ』と一昨年末くらいから絶望視していました」(155頁)

ウクライナへの侵攻を、「一昨年末」から予想していた人たちは、学者にもいたんですね。

「追い詰められたら(ロシアは)本当に核を使うのかどうかは誰にも分からない。(中略)ロシアが核を使うかもしれないという憶測でウクライナに強引に抵抗を諦めさせることだけはやってはいけないということです。おそらく日本で核の脅威を強く言う人たちは、ロシアの核の恫喝も戦術の一つだということをあまり理解していない」(157-158頁)

「核の恫喝も戦術の一つ」ということぐらいは理解しています。しかし、たとえば、要衝クリミアが危うくなるようなことがあれば、恫喝の域を超えて、たぶん、ロシアは戦術核を本当に使用するだろうと思います。

ロシアが実際に核兵器を使用した場合、全面的にロシアに非があるのでしょうか。「ロシアの核の恫喝も戦術の一つ」だと考えて、同国を「追い詰め」るような振舞いをした側には、一切責任はないのでしょうか。

3.ウクライナの厭戦気分について

ウクライナの士気について、グレンコ氏は、発言しています。

「決して厭戦気分は起こりえない。ウクライナ人の大多数が領土奪還、全土解放まで戦うべきだと考えています。少なくともウクライナの方から、そろそろ適当なところで戦争をやめようと言い出すことは絶対にありません。(中略)それ(西側から譲歩の要求と支援の停止)がない限り、士気が低くなることは100%ないと断言してもいい」(155頁)

西側から、譲歩の要求はなく、かつ支援があれば、長期戦になっても、士気が下がることはないでしょうか。Never say never。
大東亜戦争の初期には、日本人もやる気満々でしたが、戦争が長期にわたると、厭戦気分も生じたでしょう。それは人間として当たり前ではないでしょうか。それとも、ウクライナ人は超人なのでしょうか。
私は、このような、あまりにも非人間的な言説は、信じられません。

4.ロシアの戦争目的

グレンコ氏曰く、

「そもそもロシアの目的は四州併合ではなく、ウクライナ全土の併合とウクライナ民族を追放してのウクライナ国土の完全なロシア化が目的です。彼らはそれを達成するまで終わるつもりはない。そのためにはどれだけの犠牲を払ってもいいというのがロシアの考え方です」(164頁)

ロシアの戦争目的が、「ウクライナの全土の併合」と「ウクライナ民族を追放」だとは初耳です。ロシア(の首脳)は、どこでそう言っているのでしょうか。
プーチン氏は、昨年2月24日侵攻前のテレビ演説で、「私たちの計画にウクライナ領土の占領は入っていない」と述べています。これは、「私たちの計画にウクライナ全土の占領は入っていない」と解するべきでしょう。

テレビ演説でのプーチン氏の発言は信用できないと云うのなら、なおさら、グレンコ氏は、自らの主張が真実であることを、示す必要があるでしょう。氏が学者なら、ロシアの戦争目的が上記であることを、資料をもって示すべきだと思います。

5.民主主義国家と独裁主義国家との対立の一局面?

また、グレンコ氏は語っています。

「ロシアとウクライナの戦争は、民主主義諸国と独裁主義諸国の対立の一局面です」(165頁)

ロシアが民主主義国で、ウクライナが独裁主義国? 
揚げ足取りはこれだけにして、ウクライナ戦争が、民主主義対独裁(権威)主義とのたたかいとの主張を、私はまったく信用していません。それは、第二次世界大戦を、民主主義対全体主義の戦いだとした(連合国側のソ連も中華民国も民主主義国ではありませんでした)アメリカ特有の、戦争正当化のためのイデオロギー利用だからです。

それはともかく、氏は言っています。

「あまりにもでたらめな情報は規制するなり、発信媒体としてのSNSもある程度の自浄作用を持つべきだということが、ウクライナ戦争を発端に見えてきたのではないでしょうか」(167頁)

「ウクライナ戦争を発端に見えてきた」のは、「あまりにもでたらめな情報」と、でたらめではない情報の区別が非常に難しいということでしょう。だから、安易にある種の、あるいは、一方の側の情報を規制することは危険です。このグレンコ氏の主張は、民主主義的というよりも、独裁主義的に見えます。

さて、「あまりにもでたらめな情報は規制」すべきとの、グレンコ氏の主張に従うなら、ロシアの戦争目的が、「ウクライナ全土の併合」と「ウクライナ民族を追放」であることを、証拠をもって示しえなければ、氏の言説も、「あまりにもでたらめな情報」だとして、「規制」すべきということになりませんか?

6.グレンコ氏の差別的発言

本投稿文の締めとして、グレンコ氏の差別的発言を二つ引用します。

「ロシア人の価値観は基本的に、どんな経済的利益よりも覇権主義や大国主義の方が上にきます」(162頁)

「ロシアは放っておけば必ず暴走する国民性です」(163頁)

【折々の名言】
「こんなコメント欄の小さな世界でさえ、お互いの意見が食い違い、時に言い争いになるのだから、戦争が世の中からなくならないのは当たり前だよなと、しみじみ思う」
(ウクライナ侵攻に関する、あるヤフー記事のコメント欄から)

この「意見」のところを、「認識」(第一節の引用個所!)と置き換えても、そのまま通用しそうです。

軍事支援の増大は戦争の早期終結につながるか

ウクライナのクレバ外相は、1月31日に、「ウクライナが強くなれば、この戦争は早く終結する」(1)と述べました。
また、2月に訪欧したゼレンスキー大統領は、8日、フランスのマクロン大統領とドイツのショルツ首相との会談で、「『長距離重火器や戦闘機を手に入れれば、ロシアの侵攻はすぐに終わる』と強調し、供与を求め」(2)ました。

1月25日、ドイツはレオパルト2戦車をウクライナに供与すると発表しましたが、同国内の議論について、国際政治学者の鶴岡路人氏は、「『戦争を早く終わらせるために戦車供与が必要だ』という議論が、『エスカレーションが心配だ』という議論を上回ってきた。それがここ数週間の注目点だったと思います」(3)と報告しています。

私が疑問に思うのは、なぜウクライナに兵器を供与することが、戦争の早期終結につながるのかということです。兵器を供与すればするほど、戦争が長期化するのではないでしょうか。

どうも、欧米でも日本でも、二つの考え方に分かれているようです。
第一の立場。ウクライナへの軍事支援を増やせば、戦争を早く終わらせることができる。
第二の立場。ウクライナへの軍事支援を増やせば、戦争を長引かせることになる。
どうして、人々の意見は、第一の立場と、第二の立場に割れているのでしょうか。

今年の1月11日に、「双方の力が均衡しているほど長期戦になる」という投稿を公開しましたが、いけまこ理論(?)によれば、戦争当事国または諸国双方の力が均衡しているほど長期戦になると考えられます。ということは、双方の力が不均衡なほど短期戦になるということです。

この戦争でウクライナが短期で勝利するには、ロシアとの力の差が、ウクライナ>ロシアでなければなりません(A>B:AはBよりも強い)。
周知のように、ウクライナ単独の力では、それは無理ですから、NATOの軍事支援によって、ウクライナ(+NATO)>ロシアにならなければなりません(NATOは間接参戦なので、括弧付き)。

一方、現状でのウクライナとロシアの力の差はどうなのでしょうか。東部や南部の戦場での一進一退を見れば、ウクライナ≒ロシアと解釈できないことはありませんが、ウクライナは総力戦(総動員令)を闘っているのに対し、ロシアは局地戦(部分動員令)を闘っていて、後者の方が、まだまだ余力があると考えられます。
とするなら、実際のウクライナとロシアの力の差は、ロシア≧もしくは>ウクライナだと考えて良いでしょう。それが分かっているから、ウクライナは西側へ、戦車を、次は戦闘機をと要求しているのでしょう。

はたして西側が、戦車や戦闘機、あるいは他の兵器を供与することで、両者の力の差が、ウクライナ>ロシア(短期終結)、ウクライナ≧ロシア(長期終結)に転化しうるのでしょうか。

最大、ウクライナが要求するすべての兵器を西側が供与したとして、同国は四州の占領地とクリミアを取り戻すことができるのでしょうか。勿論、その場合、ロシアによる核兵器使用も想定しなければなりません。
そのように考えると、ウクライナの力は、どうしてもロシア以上にはならないのではないでしょうか(ロシア≧ウクライナ)。

双方の力の差が、ウクライナ≧もしくは>ロシアになるには、NATOがウクライナの側で、直接参戦するしかありません。しかし、NATOは直接参戦しない。とすれば・・・・。

第一の立場にたつのは、NATOが参戦しなくても、軍事支援を行えば、ウクライナは勝てると信じる人たち。
第二の立場にたつのは、軍事支援をしたとしても、ウクライナは勝てないと考える人たち。
上記のような認識の相違によって、人々の意見は、二つの立場に割れているのだと思います。

蛇足ながら、その他戦争が早期に終結する可能性があるとすれば、プーチン政権またはゼレンスキー政権が瓦解する場合です。もっとも、その場合も、必ずしも戦争が終わるとは限りませんが。

(1) https://www.zakzak.co.jp/article/20230201-RF5SXHJASJLPTL42WK2I7ZIS6Y/
(2) https://news.1242.com/article/414889
(3) https://news.1242.com/article/414889

ロシアと西側(アメリカ)のチキン・ゲーム

1.ロシアと西側のチキン・ゲームになっている

昨年ロシアがウクライナへ侵攻して以来、両国は戦争を続けていますが、西側諸国は、ロシアに対しては経済制裁、ウクライナに対しては軍事支援を行っています。
戦争はウクライナ対ロシアだったはずが、西側による制裁、支援の継続によって、ますますウクライナ(+西側)対ロシアになっています(西側が括弧付きなのは、間接参戦のためです)。
ロシアの侵攻を良しとしない西側は、軍事支援を拡大し、戦争は、ロシア対西側のチキン・ゲームの様相を呈しています。

2.チキン・ゲームとは

チキン・ゲームとは、ウィキペディアによれば、「別々の車に乗った2人のプレイヤーが互いの車に一直線に走行するゲームである。日本ではチキンレースとも呼ばれる。
激突を避けるために先にハンドルを切ったプレイヤーはチキン(臆病者)と称され、屈辱を味わう結果になる。チキンゲームのような、どちらか一方のプレイヤーが引き下がるまで苦痛を強いられるゲームは、若者の間で行われる場面がほとんどである。
また、『チキンゲーム』という言葉は、ある交渉において、2人の当事者がともに強硬な態度をとり続けると、悲劇的な結末を迎えるにもかかわらず、プライドが邪魔をして双方ともに譲歩できない状況の比喩として使われる場合もある。(中略)
そして双方の少なくとも一方が譲歩しない限り、悲劇的な結末は避けられない」

「ゲームは、若者の間で行われる場面がほとんどである」とありますが、実質的に、西側を仕切っているのはアメリカです。同国のバイデン大統領は現在80歳であり、一方のロシアのプーチン大統領は70歳であり、両者とも若者ではありません。が、チキン・ゲームをやっています(笑)。

3.片方が引き下がるか、双方とも引き下がらないか

ロシアと西側は、何れ一方が引き下がるでしょうか、それとも、双方とも引き下がらないでしょうか。
「双方のプレイヤーの少なくとも一方が譲歩しない限り、悲劇的な結末は避けられない」。
だから、世界の多くの人たちが、憂慮しています。

では、ロシアはこのゲームで降りるでしょうか。いまや、戦争は、ウクライナ・西側連合対ロシアになっていて、後者は、国家の存亡をかけた戦いだとみなしているようなので、降りないでしょう。では、西側はどうでしょうか。

4.アメリカは降りないか

たとえば、フランスの歴史人口学者、家族人類学者のエマニュエル・トッド氏は西側を主導するアメリカは、降りないと判断しています。同国が降りなければ、「悲劇的な結末は避けられない」ので、だから氏の著書の題名は、『第三次世界大戦はもう始まっている』(文春新書)です。
トッド氏が、アメリカは降りないと考える理由は、この戦争がロシアのみならず、米国にとっても死活問題になりつつあるからだという。

「ロシアの勝利を阻止できなかったとしたら、(中略)アメリカの威信が傷つき、アメリカ主導の国際秩序自体が揺るがされることになる」(1)

言うまでもありませんが、アメリカ以外の西側諸国は、アメリカなしに、ウクライナを支援し、ロシアと対峙することはできませんから、引く引かないはアメリカ次第です。

では、アメリカが引くことはないでしょうか。同国にとって、本当にウクライナ問題は死活的なのでしょうか。
アメリカは、自国軍を投入したベトナム戦争では撤退しましたし、アフガンやイラクでも、民主化も治安の安定も実現しないまま撤収しました。同国は「威信が傷つ」いても、何度も退いています。

ウクライナに対して、ロシア本土を攻撃しないように要求したり、抑制された兵器しか供与しないことを見ても、どうも腰が引けています。
また、米中央情報局(CIA)のバーンズ長官は、今年1月にゼレンスキー大統領と会談して、「ある時点から(アメリカの)支援が今より難しくなるだろう、と認めたという」(2)。
何れ、米露のどちらかが、チキン・ゲームを降りなければ、世界大戦にエスカレートする可能性は大です。
アメリカは、世界大戦を覚悟してまで、ウクライナのために戦う意志があるのでしょうか。あるとは思えません。

とするなら、アメリカは、ある程度までチキン・ゲームに興ずるものの、いつか降りる可能性が高いのではないでしょうか。
私の希望的観測なのかもしれませんが、戦争のエスカレーションによって大惨事が起こる確率と、アメリカ他西側が降りる確率は、後者の方が高いのではないかと思います。

(1)エマニュエル・トッド著、大野舞訳、『第三次世界大戦はもう始まっている』、文春新書、26頁
引用した箇所の後、氏は、次のように書いています。
「アメリカは、軍事と金融の面で世界的な覇権を握るなかで、実物経済の面では、世界各地からの供給に全面的に依存していますが、このシステム全体が崩壊する恐れが出てくるのです。ウクライナ問題は、アメリカにとっても、それほどの『死活問題』になっています」
(2) https://www.asahi.com/articles/ASR1N2S9PR1NUHBI00S.html

ザポリージャ原発を攻撃したのはウクライナだった

昨年2月24日、ロシアはウクライナへ侵攻し、3月4日ロシア軍はウクライナのザポリージャ原発を占拠しました。それ以来、同原発はずっとロシア軍の支配下にあります。

3月4日の占有以来、メディアでは、ロシア軍がザポリージャ原発を攻撃しているとの報道が何度もなされましたし、同原発を相手側が攻撃していると、ウクライナとロシアの双方が主張しているとの報道もありました。

けれども、今年の1月31日、ネットにニュース記事が掲載され、そこには、次のような記述があります。
「ウクライナは、ロシア軍が(ザポリージャ原発の)敷地内に大型兵器を保管しており、ウクライナ軍が原子炉に直撃するリスクなしで反撃できないことを知りつつ攻撃を行うための隠れみのに原発を使っていると繰り返し非難している」(注)

ウクライナが、「繰り返し非難し」ているのは、いつからなのでしょうか。
これまでの報道では、ロシア軍がザポロージャ原発を攻撃しているとされていましたが、もし昨年のロシア軍による同原発の占拠以来なのだとしたら、西側の報道機関がずっと嘘をついていたことになります。
それとも、最近になって、ウクライナ側が主張を変えたのでしょうか。

何れにせよ、この記事から、昨年10月11日に公開した「誰が原発を攻撃したか ウクライナ侵攻」での予想が正しかったことが分かりました。

(注)
https://www.cnn.co.jp/world/35199355.html

【追記】
ザポリージャ原発に対する攻撃に関して、昨年9月6日に下のような好記事が公開されていました。
https://japan.hani.co.kr/arti/opinion/44488.html

「ロシアが負けることはまず考えられない」は暴言か

1月25日、日印協会の会合で、森喜朗元首相はウクライナ侵攻について、「ロシアが負けることはまず考えられない。そういう事態になればもっと大変なことが起きる」と語りました(1)。
また、翌26日、鈴木宗男参議院議員は、森氏の発言を前提に、ブログで、「私も国力から見てロシアが負けることはないと考える」書いています(2)。
森氏や鈴木氏の発言に対して、否定的な意見が、多数表明されました。

世間一般の主張は、
第一、ロシアはウクライナを侵略した。
第二、従って、ロシアは悪であり、ウクライナは善である。
第三、だから、ロシアに勝たせてはならない=ウクライナに勝たせなければならない。
でしょう。

これまで何度も書きましたが、古来戦争は正しい側、善の側が勝ったわけではありません。強い側が勝ちました。
ロシアに勝って欲しくない、ウクライナに勝って欲しいと願ったからといって、ロシアは負け、ウクライナは勝ち、となる訳ではありません。とにかく、世の中には、勝って欲しい側=勝つ側、ではないことを理解できない(したくない)人が多い。

しかし、ゼレンスキー大統領の現状認識も、森氏や鈴木氏に近いのではないでしょうか。
今のままでは、私も国力から見てロシアが負けることはないと考える」

だから、西側に対して、今回は戦車を、次は戦闘機を、供与して欲しいと訴えているのでしょう。ウクライナがロシアにすんなり勝てるのなら、ゼレンスキー大統領だって、そのような要求はしないでしょう。

森氏や鈴木氏の発言に反発する人たちは、これまでのようなToo littleな支援で、本当にウクライナが目的(ドネツクを含めた四州とクリミアの奪回)を達成できると考えているのでしょうか。もしそうなら、自分は西側の政府やメディアに騙されているのではないかと、一度疑ってみた方が良いと思います。

ウクライナは、西側の支援なしでは勝利できません。同国の勝敗は、今後の西側による軍事支援の質と量次第でしょう。だから、西側がどこまで支援するのか(できるのか)が不明な内は、「ロシアが負けることはまず考えられない」も、「ウクライナが負けることはまず考えられない」も、絶対に間違っているとは言えないでしょう。
森氏や鈴木氏の発言に激高する人たちは、自らの希望的観測と、将来の現実との区別ができないのだと思います。

もしウクライナを勝利させたいのなら、西側は同国の要求をすべて聞き入れるか(それでも勝利できるとは限らないでしょうが)、直接参戦するかしかないのではないでしょうか。プーチン失脚を望む人は多いですが、それは不確定要素ですし、その後、彼よりもハト派な指導者が誕生するとの保証はありません。
主戦論者(正義派)は、上記の二つの内、どちらかを訴えるべきでしょう。

もっとも、その訴えが功を奏した場合、どうなるでしょうか。
森氏が言うように、「そういう事態になればもっと大変なことが起きる」。
賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶという言葉がありますが、経験からしか学べそうにない主戦論者は、「大変な事態が起き」た時に、ようやく和平論者が言っていることの意味が理解できるのかもしれません。

ウクライナとロシアの勝ち負けは、その定義によりますが(「ウクライナ侵攻における勝ちと負け」)、何れにしろ、ロシアが負けることは考えられなくはありませんが、勝利のハードルを自ら引き上げたので、ウクライナが勝つことは、まず考えられないと思います。

(1)https://www.jiji.com/jc/article?k=2023012501020&g=pol
(2)https://ameblo.jp/muneo-suzuki/entry-12786193556.html

ウクライナの教訓 侵略された側も悪い

《詐欺事件では、騙した側に100%の責任があり、騙された側の責任は0%でしょうか?騙された側にもいくばくかの責任はあります。それと同様、国際関係においても、侵略された側の責任は0%ではありません》

1.「ある」教訓

昨年2月に、ウクライナはロシアに侵略されました。
ウクライナ侵攻に関しては、様々な教訓が可能でしょう。侵略された国の姿から、どのような教訓を得ることができるでしょうか。

たとえば、この戦争で、ウクライナが勝利した場合、次のような教訓も可能です。
第一。たとえ某国に侵略されたとしても、その他の諸国が侵略国に対して経済制裁を行ってくれるし、一方、侵略された国に対して軍事支援をしてくれるので、平時において、国防力の整備はさほどしなくても良い。
第二。いざとなったら他の諸国が助けてくれるので、同盟国も不要である。

しかし、はたしてこのようなことを教訓として良いのでしょうか。

ウクライナ侵攻が始まった時点で、アメリカも欧州も、他の地域の問題に手を取られていなかったので、たまたまウクライナに対して軍事支援ができましたが、もし彼らがどこかの地域の問題に手を取られていたなら、支援を行うことはできなかったでしょう。
とするなら、他の国々の多大な支援を前提とすることは、国家の安全保障上の教訓として適切ではありません。

2.騙された側も悪い

詐欺事件でも、男女関係でも良いですが、騙した側が100%悪くて、騙された側には全く過失はないでしょうか。すべての責任は騙した側にあるのだったら、何度騙されても騙された側には責任はないということになります。そのような判断は、正しいでしょうか。

言うまでもありませんが、騙された側にも責任はあります。騙された方にも幾らか責任があると考えないと、その後彼は(彼女は)騙されないよう注意しませんし、人生上の教訓にもなりません。

詐欺事件など、加害者だけでなく、被害者にも一部責任があります。この点、国際社会における侵略も同じです。
先史時代以来、侵略する国もあれば、侵略される国もありました。勿論侵略した国は悪いのですが、自らの共同体もしくは国家の防衛をおろそかにしたということで、侵略された側にも何がしかの責任はあると考えるべきです。
麗澤大学特別教授・元空将の織田邦男氏は書いています。

「安全保障の要諦は、最悪の事態に備えることである。『もしかして』と捉えて準備する。仮にそれが空振りに終われば、『狼少年』と非難するのではなく、むしろ『良かった』と喜ぶべきである。これは安全保障の宿命である。
『危機を未然に防止する者は決して英雄になれない』という。我々に『英雄』はいらない。現在、ゼレンスキー氏が英雄になっている。だが、開戦前、彼は米国の警告を『誇張だ』『不適切だ』といって無視し、結果的に戦争の未然防止に失敗した」(月刊『Hanada』2022年6月号、81頁)

「危機を未然に防止する者は決して英雄になれない」というのは、戦争あるいは国家間関係において、戦って勝つは中策であり、戦わずして勝つが上策である、というのと同じような意味でしょう。織田氏が言うように、ロシアによる侵攻では、ウクライナにも一部責任はあります。
もし政治における責任が、結果責任であるとするなら、侵略された国の政治リーダーにも、侵略を防ぎえなかった責任があるはずです。
たとえば、将来尖閣諸島が中共に奪われたとしましょう。その場合、勿論中共は悪いわけですが、奪われたわが国の政治リーダーにも、責任はあると考えるべきです。

とするなら、ウクライナの場合だって、ロシアから、ドンバス地方なり、ザポリージャやヘルソンなりを奪われたなら、奪われた政治リーダーにも責任があるとするのが当然ではないでしょうか。
ロシアが100%悪、ウクライナは100%善ではありません。

3.「あるべき教訓」

わが国は民主主義国家ですから、他国から領土の一部を奪われたり、国土全体が侵略されたりした場合、すべての責任を政治家に押し付ける訳にはいきません。私たち国民が政治家を選んでいるわけですから。
国民も平時から、領土を奪われない、侵略されない方策を考える必要があるでしょう。ウクライナのケースは、そのための参考事例です。

第一節では、「ある教訓」を述べましたが、「あるべき教訓」を挙げるなら、次のようになるでしょう。
第一。某国から侵略されないように、平時から国防力を整備すべきこと。
第二。某国の脅威を共有する他の国と同盟関係を結び、それを維持するために、常日頃から汗をかくこと。

わが国の戦後平和主義、憲法九条信仰というものは、侵略した側が100%悪いという思考で染め上げられています。だから、日本は絶対に侵略する国家になってはならないとされます。要するに、日本だけの「戦争の放棄」が推奨される。
けれども、憲法九条は、日本が侵略される国になるかもしれないということが、全く想定されていません。
この度のウクライナ侵攻で、さすがにそのことに、多くの人々は気づいたようです。この事件によって、現行憲法が欠陥品であるのが、明白になりました。