雑誌『正論』2023年3月号で、筑波大学教授東野篤子氏と、国際政治学者のグレンコ・アンドリー氏が、ウクライナ侵攻について、対談を行っています。それについて、少し論評します。ちなみに、グレンコ氏は、ウクライナ人です。
1.ロシアの行為は全く正当化できない?
東野氏は発言しています。
「それ(ロシアによるウクライナの侵攻の勃発)から一年近くが過ぎて、これがロシアによる侵略戦争だということが、日本でも多くの人に伝わったと思います。(中略)ロシアの行為は全く正当化できないという認識は比べものにならないほどしっかりと共有されています」(156頁)
そうでしょうか?
「それから一年が過ぎて」、たとえば、シカゴ大学政治学部教授のジョン・ミアシャイマー氏や、フランスの歴史人口学者のエマニュエル・トッド氏、その他の日本の言論人、評論家の論説によって、あるいは、西側の偏向(希望的観測)報道、ドイツの前首相メルケル氏による「ミンスク合意はウクライナ軍を強化するための時間稼ぎだった」発言、アメリカによるノルドストリーム破壊疑惑などによって、戦争の初期よりも、現在の方が、「ロシアの行為は全く正当化できないという認識」に疑義を抱く人が、勿論絶対数としては少数派ですが、むしろ増えているのではないでしょうか。
2.ロシアの核兵器使用について
東野氏曰く、
「私はウクライナやバルト諸国やポーランドといった諸国の研究者との付き合いが多く、彼らは、『ロシアはやる気だ』と一昨年末くらいから絶望視していました」(155頁)
ウクライナへの侵攻を、「一昨年末」から予想していた人たちは、学者にもいたんですね。
「追い詰められたら(ロシアは)本当に核を使うのかどうかは誰にも分からない。(中略)ロシアが核を使うかもしれないという憶測でウクライナに強引に抵抗を諦めさせることだけはやってはいけないということです。おそらく日本で核の脅威を強く言う人たちは、ロシアの核の恫喝も戦術の一つだということをあまり理解していない」(157-158頁)
「核の恫喝も戦術の一つ」ということぐらいは理解しています。しかし、たとえば、要衝クリミアが危うくなるようなことがあれば、恫喝の域を超えて、たぶん、ロシアは戦術核を本当に使用するだろうと思います。
ロシアが実際に核兵器を使用した場合、全面的にロシアに非があるのでしょうか。「ロシアの核の恫喝も戦術の一つ」だと考えて、同国を「追い詰め」るような振舞いをした側には、一切責任はないのでしょうか。
3.ウクライナの厭戦気分について
ウクライナの士気について、グレンコ氏は、発言しています。
「決して厭戦気分は起こりえない。ウクライナ人の大多数が領土奪還、全土解放まで戦うべきだと考えています。少なくともウクライナの方から、そろそろ適当なところで戦争をやめようと言い出すことは絶対にありません。(中略)それ(西側から譲歩の要求と支援の停止)がない限り、士気が低くなることは100%ないと断言してもいい」(155頁)
西側から、譲歩の要求はなく、かつ支援があれば、長期戦になっても、士気が下がることはないでしょうか。Never say never。
大東亜戦争の初期には、日本人もやる気満々でしたが、戦争が長期にわたると、厭戦気分も生じたでしょう。それは人間として当たり前ではないでしょうか。それとも、ウクライナ人は超人なのでしょうか。
私は、このような、あまりにも非人間的な言説は、信じられません。
4.ロシアの戦争目的
グレンコ氏曰く、
「そもそもロシアの目的は四州併合ではなく、ウクライナ全土の併合とウクライナ民族を追放してのウクライナ国土の完全なロシア化が目的です。彼らはそれを達成するまで終わるつもりはない。そのためにはどれだけの犠牲を払ってもいいというのがロシアの考え方です」(164頁)
ロシアの戦争目的が、「ウクライナの全土の併合」と「ウクライナ民族を追放」だとは初耳です。ロシア(の首脳)は、どこでそう言っているのでしょうか。
プーチン氏は、昨年2月24日侵攻前のテレビ演説で、「私たちの計画にウクライナ領土の占領は入っていない」と述べています。これは、「私たちの計画にウクライナ全土の占領は入っていない」と解するべきでしょう。
テレビ演説でのプーチン氏の発言は信用できないと云うのなら、なおさら、グレンコ氏は、自らの主張が真実であることを、示す必要があるでしょう。氏が学者なら、ロシアの戦争目的が上記であることを、資料をもって示すべきだと思います。
5.民主主義国家と独裁主義国家との対立の一局面?
また、グレンコ氏は語っています。
「ロシアとウクライナの戦争は、民主主義諸国と独裁主義諸国の対立の一局面です」(165頁)
ロシアが民主主義国で、ウクライナが独裁主義国?
揚げ足取りはこれだけにして、ウクライナ戦争が、民主主義対独裁(権威)主義とのたたかいとの主張を、私はまったく信用していません。それは、第二次世界大戦を、民主主義対全体主義の戦いだとした(連合国側のソ連も中華民国も民主主義国ではありませんでした)アメリカ特有の、戦争正当化のためのイデオロギー利用だからです。
それはともかく、氏は言っています。
「あまりにもでたらめな情報は規制するなり、発信媒体としてのSNSもある程度の自浄作用を持つべきだということが、ウクライナ戦争を発端に見えてきたのではないでしょうか」(167頁)
「ウクライナ戦争を発端に見えてきた」のは、「あまりにもでたらめな情報」と、でたらめではない情報の区別が非常に難しいということでしょう。だから、安易にある種の、あるいは、一方の側の情報を規制することは危険です。このグレンコ氏の主張は、民主主義的というよりも、独裁主義的に見えます。
さて、「あまりにもでたらめな情報は規制」すべきとの、グレンコ氏の主張に従うなら、ロシアの戦争目的が、「ウクライナ全土の併合」と「ウクライナ民族を追放」であることを、証拠をもって示しえなければ、氏の言説も、「あまりにもでたらめな情報」だとして、「規制」すべきということになりませんか?
6.グレンコ氏の差別的発言
本投稿文の締めとして、グレンコ氏の差別的発言を二つ引用します。
「ロシア人の価値観は基本的に、どんな経済的利益よりも覇権主義や大国主義の方が上にきます」(162頁)
「ロシアは放っておけば必ず暴走する国民性です」(163頁)
【折々の名言】
「こんなコメント欄の小さな世界でさえ、お互いの意見が食い違い、時に言い争いになるのだから、戦争が世の中からなくならないのは当たり前だよなと、しみじみ思う」
(ウクライナ侵攻に関する、あるヤフー記事のコメント欄から)
この「意見」のところを、「認識」(第一節の引用個所!)と置き換えても、そのまま通用しそうです。