《戦争当事国・諸国相互の戦力の差が大きければ短期戦になり、小さければ長期戦になる。勢力均衡という考え方があるけれども、対峙する勢力の力が均衡している方が、戦争になりにくいけれども、一旦戦争になったら、長期戦になる》
1.大国と小国
おおよそ次のように言えるのではないでしょうか。
大国と小国が戦争をするよりも、大国同士、小国同士が戦争をする方が、戦争は長期化するだろうということです。
大国と小国の戦争の場合、前者が後者の力を圧倒しているので、大国の勝利、小国の敗北で戦争は終わります。ところが、大国同士、小国同士の場合は、双方の力の差が小さいために、どちらの大国が、どちらの小国が勝利するのか、明白ではありません。
すなわち、双方の力が不均衡の方が、短期戦になり、双方の力が均衡しているほど、長期戦になります。A国とB国、C同盟とD同盟が戦争になった場合、各々前者と後者の力が不均衡な方が短期戦で終わり、両者のそれが均衡しているほど、長期戦になると考えられます。
2.勢力均衡
コトバンクの中の、ブリタニカ国際百科事典の解説が、一番分かりやすいので、そこから引用します。
勢力均衡(balance of power)とは、「国際社会において、ある国家または国家群が強大になりすぎないように力の均衡をはかり、国際社会の平和を維持しようという原理または政策」のことです。第一次世界大戦以前の近代ヨーロッパにおいて、平和維持の方策として、それは、認められていました。
但し、「勢力均衡は、ある程度平和を維持するのに効果はあるが、その平和はきわめて不安定なものである。国家の力は量的に測定しうるという前提のうえに立っているが、いわゆる国力には国民性、国民の士気、愛国心、指導者の政治力などの質的な要素が含まれているので、自国あるいは他国の国力の厳密な計算は不可能である」と。
そのように、「自国あるいは他国の国力の厳密な計算は不可能である」から、危うい、あるいは無謀な戦争に突入する国が現れるのだ、とも言えそうです。
第一次世界大戦の前までは、この原理は認められていましたし、戦争当事者の協商国(連合国)と同盟国はそのような政策を実行していました。が、結局、戦争は止められませんでした。
ただ、今日でも、勢力均衡の考え方が、捨てられた訳ではありません。
「第1次世界大戦後、新しい安全保障の方策として集団安全保障が登場したが、その後も勢力均衡に基づく政策をとろうとする傾向は依然として強い。第2次大戦後、各国間で締結された相互援助条約は、いずれも本質においては、勢力均衡の考え方によるものである」
次のように言えそうです。
対峙する両国または両諸国相互の、力が均衡している状態は戦争になりにくいけれども、逆に、一旦戦争になった場合は、双方の力の差が少ないために、かえって長期戦になるだろうと。
3.力が不均衡な場合
戦争当事国または諸国の、双方の力の差が大きい場合は、戦争は短期戦になるでしょう。
もっとも、前節の引用文にもあるように、「国力の厳密な計算は不可能」です。なので、交戦勢力のメンバーと各々の国の力から、大雑把に、双方の力の差を推量するしかありません。
以下、専らウィキペディアの記事に依り、【交戦勢力】、【交戦勢力の力の差】、【期間】に分けて論じます。
1)湾岸戦争
1990年8月2日、イラクはクウェートに侵攻し、同国を併合しました。それに対して、アメリカを中心とする多国籍軍は、クウェートを解放するため、1991年1月17日イラクへの攻撃を開始しました。
【交戦勢力】
イラク側:イラクのみ
多国籍軍側:クウェート、アメリカ、イギリス、フランス、サウジアラビア、エジプト他計34か国。
【交戦勢力の力の差】
アメリカは言うまでもなく、第二次大戦以後、世界一の軍事大国であり続けています。英仏は核兵器保有国であり、イラクにとって不都合なことに、サウジやエジプト他アラブ諸国も多国籍軍に加わっています。
「国際連合安全保障理事会は、(中略)(1990年)11月29日に武力行使容認決議である決議678を米ソが一致して可決し」とあるように、世界第二位の軍事大国であったソ連も、イラク側ではありませんでした。
なので、双方の力の差は、多国籍軍>イラク (多国籍軍の方がイラクよりも力が強い)なのは、明白です。
結果、多国籍軍が勝利しました。
【期間】
1991年1月17日~同年2月28日(約1か月半)
2)イラク戦争
2001年9月11日、旅客機をハイジャックしたイスラム過激派により、ニューヨークのツイン・タワーやペンタゴン(国防総省)が攻撃されました。テロに、過敏になったアメリカが、大量破壊兵器を所有している(廃棄を証明していない)との理由で、有志連合を募り、イラクへ侵攻しました(イスラム過激派のメンバー同様、イラクがアラブであり、イスラムの国であるので、より疑われたのでしょうか?)。
【交戦勢力】
イラク側:イラクのみ。
有志連合側:アメリカ、イギリス、オーストラリア、ポーランド、ペシュメルガ他多数。
「イラク攻撃にはフランス、ドイツ、ロシア、中国、ベトナムが強硬に反対を表明し、国連の武器査察団による査察を継続すべきとする声が強かったが、それを押し切った形での開戦となった」。
故に、その軍事行動が、国連安保理決議に基づかないため、有志連合です。
【交戦勢力の力の差】
有志連合>イラク。
有志連合が勝利しました。
【期間】
2003年3月20日~同年5月1日(約1か月半)。
正式な戦争の終結は2011年12月15日ですが(オバマ大統領が戦争の終結を宣言)、米軍は2003年4月4日にバグダッドに突入、フセイン政権は倒され、同年5月1日にブッシュ大統領が、「大規模戦闘終結宣言」を出したので、戦闘=戦争と解釈しました。
4.力が均衡している場合
1)第一次世界大戦
【交戦勢力】
協商国側:イギリス、フランス、ロシア、セルビア、ベルギー、イタリア、ルーマニア、アメリカ他。
同盟国側:ドイツ、オーストリア=ハンガリー、トルコ、ブルガリア他。
※ウィキペディアの「第一次世界大戦」の、「損害(戦死者・犠牲者)」では、ロシア軍の戦死者は17万人となっていますが、実際は一桁違っていて、170万人とするのが正しいでしょう。
【交戦勢力の力の差】
経済力や工業生産力=国力なら、協商国>同盟国となりますが、そして、これは、次の第二次大戦も同様ですが、「国力の厳密な計算は不可能」な訳ですから、協商国≒同盟国、でしょうか。
1917年3月に革命が起こったため、ロシアは戦争から離脱、一方、同年4月にアメリカが参戦、以後、交戦国の力の差は、協商国>同盟国になったと思われます。
協商国側が、勝利しました。
【期間】
1914年7月28日~1918年11月11日。(4年3か月以上)。
2)第二次世界大戦
【交戦勢力】
連合国:イギリス、アメリカ、ソ連、中華民国、フランス、ポーランド、ユーゴスラビア他。
枢軸国(同盟国):ドイツ、日本、イタリア他。
【交戦勢力の力の差】
連合国≒枢軸国でしょうか。
ただ、日本とアメリカの単独の戦いだったなら、アメリカ>日本でしょう。
連合国側が、勝ちました。
【期間】
1939年9月1日~1945年8月15日(6年弱)。
但し、日本の参戦(真珠湾攻撃)は、1941年12月8日であり、ドイツの降伏は1945年5月です。
3)朝鮮戦争
第二次世界大戦後、アメリカとソ連により、南北に分割占領された朝鮮半島に、1948年大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国が成立。
そして、南北統一=共産化を目指した北朝鮮が、韓国へ侵攻しました。
【交戦勢力】
北朝鮮側:北朝鮮、中共、ソ連。
韓国側:韓国、国連軍、アメリカ、イギリス他。
ウィキペディアでは、北朝鮮側の交戦勢力は、北朝鮮と中共だけになっています。しかし、本文には以下のような記述があるので、ソ連を含めました。
「ソ連空軍の本格参戦は長い間極秘事項となっていたが、グラスノスチによって詳細が明らかとなっており、ソ連空軍は朝鮮戦争に延べ12個航空師団72,000人、最大時で約25,000人の兵士を投入し、合計63,000回の出撃を行っている[156]」
【交戦勢力の力の差】
北朝鮮側≒韓国側でしょうか。
朝鮮戦争は、決着がつかないまま、休戦になり、38度線で向き合ったまま、現在に至ってます。
【期間】
1950年6月25日~1953年7月27日(3年1か月)。
4)ベトナム戦争
冷戦時代、朝鮮半島同様、ベトナムも南北に分かれていました。北はベトナム民主共和国、南はベトナム共和国でした。
北ベトナムは、ベトナムの統一と共産化を目指しました。彼らは、ベトコンという傀儡組織を使って、南へ侵攻しました。
当時は、体制選択において、自由主義体制よりも社会主義体制の方が優れているとの幻想があり、朝鮮戦争も含めて、そのような幻想が引き起こした戦争でもあるといえるでしょう。
【交戦勢力】
北ベトナム(ベトナム民主共和国)側:北ベトナム、ベトコン、クメール・ルージュ、ソ連、北朝鮮、中共。
南ベトナム(ベトナム共和国)側:南ベトナム、アメリカ。
中共もソ連も北朝鮮も、ベトナムに派兵しています(1)(2)。
軍事小国ベトナムが、軍事大国アメリカに勝ったというのは、迷信でしょう。
※戦争の性格を、ベトナムvs.アメリカだと考えるのは、社会・共産主義者またはそのシンパの戦争観です。保守の論客にこのような戦争観を示す者がありますが、それは彼が冷戦時代には左翼であり、冷戦後右派に転向したというのが分かります。
【交戦勢力の力の差】
上記のメンバーを見るなら、なんとなく、北ベトナム側が強そうな気がしますが、力の計算は、一応不明ということで。
北ベトナム側≒南ベトナム側。
アメリカは、1973年3月に撤退しました。それで、力のバランスが北ベトナム側>南ベトナム側に傾きました。
北ベトナム側が勝利しました。
【期間】
1964年8月2日~1975年4月30日(11年弱)。
5.ウクライナ侵攻の場合
では、ウクライナ侵攻の場合は、どうでしょうか。
【交戦勢力】
ウクライナ側:ウクライナ、(アメリカを中心とするNATO諸国)(間接参戦なので、括弧付きです)。
ロシア側:ロシアのみ。
【交戦勢力の力の差】
ウクライナとロシアが単独であれば、ロシア>ウクライナでしょう。
しかし、NATO諸国他が間接参戦しているために、ウクライナ(+NATO)≒ロシアになっています。
けれども、この先ウクライナは、四州の占領地とクリミアを取り戻す力があるとは思えないので、総体的には、ロシア≧ウクライナ(+NATO)でしょうか。
【期間】
2022年2月24日~?
ウクライナかロシアの何れか一方が、完全勝利で終わる可能性は、殆んど無さそうです。
戦争が膠着状態に陥った時点での勢力範囲で、あるいは、その時点での休戦交渉で決まるであろう範囲で、朝鮮戦争型で終わるのか、それとも、第一次世界大戦で四つの帝国(ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国、ロシア帝国)が崩壊したように、戦争の長期化によって、ウクライナかロシアの政権が崩壊して終わるのでしょうか。
(1)https://www.jstage.jst.go.jp/article/asianstudies/46/3.4/46_111/_pdf/-char/ja
(2)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E6%B0%91%E4%B8%BB%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E4%BA%BA%E6%B0%91%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD%E3%81%AE%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0%E6%88%A6%E4%BA%89%E5%8F%82%E6%88%A6