窮鼠猫を噛むということわざがあります。
その意味は、「追い詰められた鼠が猫にも食いつくように、絶体絶命の窮地に追いつめられて必死になれば、弱者も強者を破ることがある」(『広辞苑』第六版)です。
ウクライナ問題に関して、このことわざが適用できそうです。もっとも、二通りの解釈が可能でしょう。
このところ、ウクライナ軍はロシア軍を押し返していますが、窮鼠=ウクライナ、猫=ロシアでしょうか。
それとも、NATOの東方拡大に反発してロシアは軍事的行動を起こしましたから、窮鼠=ロシア、猫=NATO(実質的には、アメリカ)なのでしょうか。
窮鼠としてのウクライナは現在「強者を破」っています。もっとも、時に「弱者も強者を破ることがある」かもしれませんが、継続して前者が後者を破ることができるのでしょうか。一方、窮鼠としてのロシアが猫を噛むのは、これからかもしれません。
窮鼠といっても、小さな鼠と大きな鼠とは、「噛む力」が違います。猫としては、相手の鼠の噛む力によって、戦術を変える必要があると思います。
小さな鼠に対しては、北風政策オンリーでも良いかもしれませんが、大きな鼠=核兵器大国に対しては、北風政策オンリーでは、大きな戦争を引き起こすことになるかもしれません。なので、感情的には割り切れないかもしれませんが、大鼠に対しては、追い詰めず、何らかの太陽政策を講じる必要があるのではないでしょうか。
北風政策一本やりでは、戦争のエスカレーションを招くだけです。そして、愚かな政治指導者のために、現実はそのように推移しています。
戦争がエスカレートし、大惨事になれば、バイデン政権の歴史的評価も、惨憺たるものになるでしょう。
一将功成りて万骨枯る
「一将功成りて万骨枯る」ということわざがあります。
その意味は、「一人の将軍が功名を立て得たのは、幾万の兵が屍(しかばね)を戦場にさらした結果である。功績が上層の幹部のみに帰せられ、その下で犠牲になって働いた多くの人々が顧みられないことを嘆く語」(同前)とあります。
ゼレンスキー大統領にしろ、プーチン大統領にしろ、この先どのようなみじめな死に方をしても、歴史にその名を留めることになるでしょう。しかし、ウクライナやロシアの、犠牲になる兵士や市民はそうではありません。
戦争の初期、ウクライナから多くの民衆は(中には、男性が女装して)逃げましたし、部分動員発令の後ロシアから多くの市民は逃れましたが、ゼレンスキー氏やプーチン氏のために死ぬのは真っ平御免だと考える人たちを、非難することはできないと思います。