雑誌『WiLL』2022年6月号の、作家井沢元彦氏との対談で、イスラム思想研究者の飯山陽氏は述べています。
「自由民主主義国家の日本は国際法を遵守しなければなりませんから、ロシアの正義はどうでもよく、ロシアが国際法を違反した事実だけをもってロシアを非難しなければならない」(129頁)
第二次大戦後の、国際連合憲章が誕生して以来に限っても良いですが、国際法違反の行動をとったのは、今回のロシアだけでしょうか。もしロシアだけでないのだとしたら、これまで日本はX国が「国際法を違反した事実だけをもって」、その国を非難してきたでしょうか。していないのだとしたら、なぜでしょうか。あるいは、この度のロシアだけ、なぜ非難すべきなのでしょうか。
雑誌『Hanada』2022年6月号で、ジャーナリストの櫻井よしこ氏と、ミハイル・ガルージン駐日ロシア大使が対談をしています。その中で、ガルージン氏は発言しています。
「一つ訊いてもよろしいでしょうか。なぜアメリカが二十世紀末に一回、二十一世紀に三回、主権国家に対して非人道的な軍事侵攻を行った際に、日本はアメリカに対して制裁を発動しなっかったのでしょうか」(53頁)
それに対して、櫻井氏は答えています。
「あの時のアメリカは、アメリカなりにきちんとした理由を我々に示したと思っています」(同前)
櫻井氏の返答には、説得力がありません。その後、ガルージン氏は、「残念ながら二重の規範を感じざるを得ません」(同前)と語っています。ガルージン氏の発言の方が、説得力があります。
ロシアによるウクライナ侵攻で明確になったのは、といっても、同侵攻に関してだけではありませんが、世界にも日本にも、二重基準をものともしない人々がいるということです。
どうしてアメリカ(あるいは、イスラエル)が国際法に違反するのは構わなくて、ロシアのそれは非難しなければならないのでしょうか。それに対してきちんと説明しないまま、あるいは、そのような二重基準さえ気が付かないまま、多くの人たちは、ロシア非難に熱中しています。
ところで、飯山氏との対談の、井沢氏の、次のような発言も気になりました。
「ロシアに降伏すれば、待ち受けているのは『死』であることをウクライナ人は知っている。だからこそ、命をかけて必死の抵抗を続けているわけです」(131頁)
その主張の「変奏」例を挙げましょう。
A、戦前の降伏前の日本について
アメリカに降伏すれば、待ち受けているのは『死』であることを日本人は知っている。だからこそ、命をかけて必死の抵抗を続けているわけです。
B、戦前の支那(中華民国)について
日本に降伏すれば、待ち受けているのは『死』であることを支那人は知っている。だからこそ、命をかけて必死の抵抗を続けているわけです。
井沢氏の論を敷衍すれば、AもBも正しいということになります。両者とも、正しかったでしょうか?
歴史が示すのは、勝者は敗者の一部の指導者層を排除した上で、後者を自国に吸収合併するなり(モンゴル帝国他)、独立を認めたまま自国の勢力圏に引き入れるなり(アメリカによる戦後の対日政策)しました。
ロシアにとってウクライナは兄弟国なのですから、国民の殺害が目的ではないのは、明らかです。だから、ウクライナの政治指導者にとって、「ロシアに降伏すれば、待ち受けているのは『死』」かもしれませんが、一般国民にとっては、必ずしもそうではありません。
ロシアに降伏しなければ、待ち受けているのは死である、一方、ロシアに降伏すれば、待ち受けているのは生である、だけれども、前者を選ぶ、というのが、現在のウクライナ国民の公式の見解(勿論、それに反対の国民も少なくないでしょうが)ではないでしょうか。
【追記】
雑文と言いながら、またウクライナ侵攻ネタになってしまいました。
というか、雑文なので、何でもありです。