雑文事始

2018年3月に当ブログを始めました。しかし、四年半経っても、相変わらず、読み人居らずの、過疎ブログです(涙)。リピーターも、殆んどいません(ごく少数の、時々読んで下さっている方ー方々と書けないところが悲しいーには、大変感謝しております)。

友人知人の二、三人から、面白くないとか、何を言っているのか分からないとか、云われました。何を言っているのか分からないという人は、私が論じている分野に全然興味がないからでしょう。一方、面白くないという人は・・・・たぶん、その評は、当たっています。

今年の3月からずっとウクライナ侵攻のことばかりを書いていて、その問題に関心のない人は、ウンザリしているでしょうし、しかも、私の論調がロシア寄り?のため、不興を買っているという面もあるだろうと思います。

元々、私がブログを始めた理由は、妄想かもしれませんが、十幾つかの小さな発見があると思われたからです。その内のおおよそ三分の一は、既に公開していますが、殆んど読まれていません。一番読まれているのは、「それでも核兵器は廃絶できない」でしょうか。

十幾つかのブログを公開するだけなら、更新が一年か二年か三年かに一度だけになってしまいます。なので、ブログを、長文と短文に分け、前者は小さな発見を、後者はもっと小さな、ミクロな発見?を、書くことにし、後者で投稿の公開の頻度を上げ、サイトが休眠していないことを示すことにしました。因みに、最後の長文は、2021年2月22日に公開した「右翼って何」です。

ブログを始めて以来、短文の公開は、原則として週に一本としていました。しかし、それは、私にはハイペース過ぎて、時にノルマを果たすためだけの文章を公開することになってしまいました。
週一原則はキツくて、やむなく今年から十日に一本原則に変えました。そうすると、ペース的にちょうど良いようにに感じられます。

けれども、十日に一本は、更新頻度として少ないですし、そのペースだと、世の中で起こっていて、しかも、書きたいと思うテーマを、見送ってしまうことになります。
最近の事例であれば、安倍晋三元総理のこと、ペロシ米下院議長の訪台のことなど。

それで、長文、短文とは別に、雑文=雑多なテーマというのを設けることにしました。短文も雑文も、週一公開というペースは無理なので、両方とも、十日に一本というペースにします。
十日に一本といっても、短文は、たとえば一日から十日まで、雑文は六日から十五日までという具合にして、執筆と公開の日をズラせば、できそうですし、そのようにすると、公開は五日に一本のペースになります。
もっとも、更新頻度を上げても、「読み人」が増えるとは限りませんが、作文の練習にはなるでしょう。

本当に実行できるかどうか分かりませんが、当面はそれでやってみようと思います。