1.存在と当為を分けて考えない
ロシアによるウクライナ侵攻において、それを論じる人たちの発言を見て、多くの人たちは、ある共通の思考パターンに陥っているのが分かります。
少しでも物を考える人なら、存在と当為、事実と価値、「あること」と「あるべきこと」を区別しなければならないというのが常識なはずです。ところが、ウクライナ問題になると、国際政治学者でさえ、途端にそれを忘れてしまうようです。
小国ウクライナは大国ロシアに侵略されました。
ウクライナは多くの軍人が戦死し、一般市民は、ある者は砲や銃弾の犠牲になり、ある者はロシア軍に虐殺され、あるいは、家や畑を焼かれ、あるいは、難民となって国外へ逃れました。ウクライナは主権を侵され、領土も奪われました。
それを見て、日本国民も心を痛め、憤りました。がぜん勧善懲悪の気持ちが沸き上がりました。弱きを助け、強きを挫くではありませんが、ウクライナを助け、ロシアを挫かなければならない。前者が被占領地を奪還するまで、対露制裁と対宇支援を続けなければならない。そして、戦争でウクライナは勝って欲しい、いや、勝つはずだ。
けれども、「あるべきこと」「あって欲しいこと」と、「あること」は、往々にして相違します。現実には、「あって欲しくないこと」も起こりえます。
戦争の勝敗は、道徳的な善悪によって決まるのではなく、力の強弱によって決まります。なので、ウクライナが、ロシアに負ける可能性もあります。
ところが、多くの人たちは、それをなかなか理解しません。ウクライナは勝ってほしい→勝てるはずである→勝つに違いない、という思考に陥っています。
8月16日公開の投稿でも引用しましたが、佐藤優氏は書いています(注)
「ウクライナ戦争に関する日本の報道は、『政治的、道義的に正しいウクライナが勝利しなければならない』という価値観に基づいてなされている。
このことが、総合的分析の障害になっている」
一言でいうなら、善悪の観点しかなくて、力の強弱という視点が抜け落ちています。
国際法に関する議論もそうです。
A、全ての国は国際法を遵守しなければならない。
B、ロシアによるウクライナ侵攻は国際法に違反している。
AとBから、
C、故に、ロシアも当然国際法を遵守しなければならないし、遵守しない場合は、国際社会は懲罰を加えるべきである。
多くの人たちは、そのように考えていますが、現実はそう簡単ではありません。現実は、
D、ロシアを含めた大国は、場合によっては(とりわけ、自国の安全保障や権益に関わる場合は)、国際法違反の行動をとることがある。しかし、国際社会は、そのような大国に懲罰を加える能力はない。
です。現在中小国がロシアに対して経済制裁を、ウクライナに対して軍事支援を行っていますが、それは、別の大国(アメリカ)の威を借りているから、あるいは、同国から要求されているから、できているだけです。
ウクライナに勝って欲しいと願うことと、実際にウクライナが勝つか否か、勝てるか否かは、区別しなければなりません。また、全ての国は国際法を遵守しなければならないという原則と、大国は国際法を守らない場合もあるという事実を、区別して考えなければなりません。
「あって欲しいこと」=「あること」ではありません。「あるべきこと」「あって欲しいこと」と、「あること」は分けて考えなければならないのに、それができない。
ウクライナ問題における、多くの人たちの、最大の錯誤は、そこにあって、彼らは、「あって欲しいこと」しか考えようとしないから、「あること」が見えないのだと思います。
2.欲する情報に飛びつく
「あって欲しいこと」に固執すると、それに都合の良い情報しか目に入らなくなります。
ロシアによる侵攻以降、ウクライナは勝たなければならない=勝つに違いない派が、喜びそうな情報が断続的に流布しました。
ウクライナ軍優勢説(にも拘らず、ロシア軍は占領地をじりじりと拡大しています)、ウクライナ軍は士気が高く、ロシア軍のそれは低い説、プーチン大統領重病説、ロシアで政変が起こり、プーチン氏が失脚する説、ブチャ他でロシア軍は市民を理由もなく虐殺した(ウクライナは便衣兵による攻撃ー民間人によるロシア軍への銃撃ーを行っていないでしょうか?)説、もしくは、殆んどの戦争犯罪はロシアがおかしている(ウクライナはおかしていない?)説、ロシアは原発を攻撃した(本当に攻撃する気があるなら、とっくに破壊され、大惨事が起こっているでしょう)説、西側が供与する先端的な兵器によって、戦争の流れが変わるだろう説など。
ウクライナ側にとって都合の良い、一方、ロシア側にとって都合の悪い情報が、入れ代わり立ち代わり、流されています。そして、ウクライナ贔屓の多くの人たちは、それを信じます。しかし、それらの情報の内、どれが真実なのでしょうか。その後、それらに対する検証記事がないのは、どうしてなのでしょうか。
多くの人たちは、存在と当為を区別しませんし、当為である「あって欲しいこと」しか見ないから、真偽曖昧な情報に、直ぐ飛びつくのだろうと思います。
(注)https://www.tokyo-sports.co.jp/social/4296977/
【折々の名言】
以前引用したことがありますが、何度でも引用する価値があると思います。
「人は見たいものしか見ない・人は自分の望むものを信じたがる」(ユリウス・カエサル)
【追記】
昨日(8月20日)付朝日新聞に、エジプトの元外務次官フセイン・ハリディ氏に対するインタビュー記事が掲載されました。氏は、ウクライナ問題について、語っています。
「この戦争は悲劇で、まったく不要な戦いだ。ただ、私たちは欧米が言うようにウクライナの独立や民主主義を守るための戦いだとは見ていない。2003年のイラク戦争もそうだった。米国が自由や民主主義を掲げた始めた戦争は結局、イラクの破壊だった。
同じことが今、ウクライナで繰り返されている。ウクライナを助けると言って武器をどんどん送り込み、国土がどんどん破壊されていく。欧米はウクライナを犠牲にして、ロシアを倒したいのだろう」
欧米の実際の意図はともかく、傍(ロシアにもウクライナにも与しない国)からは、結果的に「ウクライナを犠牲にして、ロシアを倒したい」と考えているように見えるのは確かでしょう。