1.大国の行動原理
先日、日下公人、伊藤貫著、『自主防衛を急げ!』(発行 李白社 販売 フォレスト出版、2011年刊)を読んでいたら、下記のような記述がありました。
同著は、両氏の対談本で、引用部分は伊藤氏の発言です。
「過去の国際政治史を振り返ってみると、リアリストの重視するバランス・オブ・パワーの力学が世界を動かしてきました。なぜそうなるのかといえば、過去二千四百年間、国家間でいくら友好条約や不可侵条約を結んだり、国際法を強化したり、国連のような機関をつくっても、いったん強い国が暴れだすとすべては吹っ飛んでしまうからです。
国際関係も国際法も、経済の相互依存関係の強化も、いざとなると戦争を阻止する機能を持たないのです」(23-24頁)
「思うに、人類というのは、世界政府とか世界立法院、あるいは世界裁判所とか世界警察軍、そういうものをつくることができない体質なのです。もちろん、いかさまな国際裁判所はありますけれど、『本当の正義』を実現する力など持っていません。ルワンダやセルビアやカンボジアといった弱小国が“見せしめ”としてお仕置きを加えられるだけです。世界の強国であるアメリカやロシアや中国は、けっしてお裁きの場に引きずり出されることはありません。結局、みんなで寄ってたかっていじめてもかまわないような国だけが、国際裁判にかけられるのです」(24頁)
「アメリカのイラク戦争だって、ロシアがグルジアに攻め込んだのだって、国際法違反の侵略戦争です。しかし力の強い大国に対しては、どこの国も処罰できない。米中露イスラエルのように利己的・独善的で軍事力と国際政治力の強い国は、何をやってもいい。これらの諸国が侵略戦争をしようが凶悪な戦争犯罪を繰り返して民間人を無差別虐殺しようが、いっさいお咎めなしです。
『いったん強国が一方的に軍事力を行使すると、どうしようもなくなってしまう』というのが、過去三千年間続いてきた国際政治の現実なのです。残念ながらこの現実は、二十一世紀になっても変わっていないのです」(25頁)
5月10日に「主権国家は平等ではない」を、同31日に「現実は法に優先する」を公開しました。私は、いわゆるリアリストではありませんが、伊藤氏の認識に近づいているのが分かって驚きました。と同時に、同著が出版されたのが、11年前なのに感心しました。
ボールペンの記載によれば、8年前に読んでいますが、引用個所に関しては時に記憶に残っていなくて、素通りしています。
ロシアによるウクライナ侵攻で、漸くにして私に分かったことですが、国際政治を虚心に眺めれば、たとえ国連や国連憲章ができた第二次大戦後でも、「国家間でいくら友好条約や不可侵条約を結んだり、国際法を強化したり、国連のような機関をつくっても、いったん強い国が暴れだすとすべては吹っ飛んでしまう」というのが、「国際政治の現実」であり、それが今日でも「変わっていない」ということです。
ところが、第二次世界大戦後、「この現実」は変わったと信じる人たちがいます。彼らは、「あること」よりも、「あるべきこと」を優先して、世界を見ているのだと思います。言い換えるなら、「あること」を直視せずに、「あるべきこと」という眼鏡によって、世界を眺めています。
だから、国際法は厳守すべきとか、主権国家は平等であるべきとか、力による一方的な現状変更の試みは許されるべきではないとか、大国が守ってもいない準則を、金科玉条のように唱えるのでしょう。
フランス革命の前に『第三身分とは何か』を書いて、革命を鼓舞したシェイエス(1748ー1836)について、歴史書には下記のような記述があります。因みに、『第三身分とは何か』は、「『フランスにおける第三身分(平民)こそが、国民全体の代表に値する存在である』と訴え、この言葉がフランス革命の後押しとなった」(ウィキペディア「シェイエス」)とされます。
「つぎにオランダとの平和ー同年(1795年)五月、ハーグで調印された条約によって、フランスはフランドルなど一部領土の割譲、賠償金、オランダとの攻守同盟という成果を得た。そのさい、フランス側の過酷な条件をおしつけて、二四時間以内の回答を強要した代表は、ほかならぬシエースであった。オランダ代表が『人権宣言』の作者が弱国をこんなにいじめるのはどうしたことかと嘆いたのに対して、シエースは平然として、『原理は学校のためにある。権益は国家のためにある』と答えたという」(桑原武夫責任編集、『世界の歴史 10 フランス革命とナポレオン』、中央公論社、311頁)(シエースとは、シェイエスのことです いけまこ)
国際法を厳守すべし以下は、「学校のため」の「原理」なのでしょう。あるいは、中小国家のみ遵守すべき原理なのだと思います。大国は別の原理、すなわち、国家の権益のためには、それらは必ずしも厳守する必要はない、というのを実践していて、それが、国際政治の「現実」です。
伊藤氏は、同著で、「日本にはモーゲンソー、ケナン、ハンティントン、ミアシャイマーのような深い思考を持つオーソドックスな外交論を展開する人はほとんどいません」(27頁)と発言していますが、国際政治学者には、「あること」を直視する人たちと、「あるべきこと」に執心するあまり、「あること」が直視できない人たちがいて、日本は後者のような学者ばかりだから、国際的に通用する学者がいないのだろうと思います。
2.二重基準の放置
私が気になるのは、ウクライナ侵攻に関する人々の二重基準です。第二次大戦後に限っても良いですが、国際法に違反したのは今回の、ウクライナへ侵攻したロシアだけなのでしょうか。勿論、違うでしょう。
では、ロシア以外の国、アメリカや中共やイスラエルが国際法に違反する行動をとった時、国際社会は加害国には経済制裁を、被害国には軍事支援を行ってきたでしょうか。もし行っていないのだとしたら、それはどうしてなのでしょうか。
それに答えられない人たちが、ウクライナ問題で正義派ぶっています。ロシアだけを過剰に非難する人たちは、まず自らの二重基準を是正すべきです。