郷富佐子氏の8月7日付「日曜に想う」を読んで

8月7日付朝日新聞の「日曜に想う」に、論説委員の郷富佐子氏は、「イタリアの同胞」について、書いています。

「最新の世論調査では、ジョルジャ・メローニ党首が率いる極右政党『イタリアの同胞』の支持率が24%で一番高い。別の極右政党『同盟』も、中道右派の『フォルツァ・イタリア』と組めば5割近くになる。このままいけば、戦後初めて極右の首相が就任するかもしれない。(中略)
『脱悪魔化』をはかったフランスのマリーヌ・ルペン氏のように、メローニ氏も、『私はファシストではない』と主張している。だが、今年6月にスペインの極右政党の集会で行った演説は衝撃的だ。
『大勢の移民にノー!』『LGBT活動家にノー!』『我々の文明にイエス!』などと叫び、熱狂する聴衆をあおった」

人によって意見は違いますし、だから、「大勢の移民にノー!」「LGBT活動家にノー!」「我々の文明にイエス!」だって、逆に、「大勢の移民にイエス!」「LGBTの活動家にイエス!」「我々の文明にノー!」だって、別に「衝撃的」ではありません。それに、「大勢の移民にノー!」以下の主張をする者は、ファシストなのでしょうか。

むしろ、そのような意見に対して、「衝撃的」だとレッテルを貼り、反対意見の生存権を認めないような主張を、特定のイデオロギー団体の機関紙ならともかくも、全国紙で、特定のイデオロギーに基づいた主張を「あおっ」ている論説委員がいることこそ、衝撃的です。

朝日新聞は、戦前は戦意高揚の報道や言論を行い、戦後の冷戦期は社会主義寄りの報道や言論を行い、現在はリベラル寄りの姿勢を示しています。要するに、いつも時代に迎合するような、しかし、次の時代には反故になるような、思潮の側に与しています。

一体、本心からそのような思想を信じているのでしょうか、あるいは、進歩的だと思われたいがために、そのような思想を信じている振りをしているのでしょうか、それとも、商売のため、そのような主張の拡販に勤めているのでしょうか。

また、郷氏は、「ジョルジャ・メローニ党首が率いる極右政党『イタリアの同胞』」と書いていますが、なぜイタリアの同胞は右翼政党ではなく、極右政党なのでしょうか。彼らは、わが国の右翼よりも、政治的にもっと「右」に位置するのでしょうか。
日本の右翼団体は、国会に議席を持っていません。それは、自らの活動が、合法的な枠内に限定されないことを自覚しているからでしょう。では、イタリアの同胞は、非合法な活動を行っているのでしょうか。そのような活動がメインなのでしょうか。ウィキペディアで見る限り、彼らが暴力に訴えているようには思われません。もしそうなら、なぜ彼らは極右政党なのでしょうか。

そんな質問をしても、郷氏は答えられないでしょう。たぶん、あちらのメディアやジャーナリストや学者(その主流は左派でしょう)が、極右だと書いているから、そのまま写しているだけでしょう。横のもの(イタリア語)を、縦(日本語)にしているだけです。

右翼や極右、左翼や極左など、かの国とわが国では、異なった事象を同じ言葉で表現していたり、あるいは、同じ事象を異なった言葉で表現していたりする、ということを認識しないまま、言葉を適当に用いて、日本国民に向かって論評を行っている。

政治的であるがために意味に振幅のあるような言葉を使用する場合は、まずその意味を明確にしてから、物事を論じるべきです。全国紙の論説委員なのですから、言葉のいい加減な使用が、日本人の思考の混乱に拍車をかけているということに、もう少し注意を払うべきではないでしょうか。

松田邦紀・駐ウクライナ大使の発言

8月23日に「ロシアによる侵略から半年『戦争は一つのヤマ場を迎えている』 松田邦紀・駐ウクライナ大使インタビュー」という記事が配信されました(注)。

「福井県福井市出身の松田邦紀・駐ウクライナ大使が22日までに福井新聞の書面インタビューに応じた」とのことで、そこで、「『ロシアの戦争の目的は既に失敗したというのが大方の評価』と国際的な見解を紹介。ただ、今後を明確に見通すことは『容易ではない』と指摘し、『ウクライナ軍の攻勢の帰趨(きすう)を見極める必要がある』と慎重な姿勢を示した」とあります。

「ロシアの戦争の目的は既に失敗した」でしょうか。
「ロシアの戦争の目的」の主目的は、ウクライナのNATO加盟阻止=中立化であり、副目的はドンバスの「解放」でしょう。

ウクライナのNATO加盟阻止は一応果たしていますし、ドンバスの「解放」のうち、ルガンスク州は征服しましたし、ドネツク州もかなりの部分を征服しています。その他ヘルソン州の「解放」も実現していますし、「ロシアの戦争の目的」は、おおよそ達成できています。
松田氏は、「ロシアの戦争の目的は既に失敗したというのが大方の評価」といいますが、「大方」とは、どこの国の、あるいは、誰のことを言っているのでしょうか。

「松田大使は現在、ウクライナとの国境から約80キロ離れたポーランドのジェシュフの臨時事務所で在留邦人の安全確保や避難民の渡航支援などに当たっている」とのことですが、現役の外交官であれば、日本政府の公式見解と合わせるために、ここまで現実と乖離したことを述べなければならないのでしょうか。

(注)
https://news.yahoo.co.jp/articles/a5afd664f5ef873021b03f5e4867a5687d226f80

ウクライナ問題における最大の思考ミス

1.存在と当為を分けて考えない

ロシアによるウクライナ侵攻において、それを論じる人たちの発言を見て、多くの人たちは、ある共通の思考パターンに陥っているのが分かります。

少しでも物を考える人なら、存在と当為、事実と価値、「あること」と「あるべきこと」を区別しなければならないというのが常識なはずです。ところが、ウクライナ問題になると、国際政治学者でさえ、途端にそれを忘れてしまうようです。

小国ウクライナは大国ロシアに侵略されました。
ウクライナは多くの軍人が戦死し、一般市民は、ある者は砲や銃弾の犠牲になり、ある者はロシア軍に虐殺され、あるいは、家や畑を焼かれ、あるいは、難民となって国外へ逃れました。ウクライナは主権を侵され、領土も奪われました。

それを見て、日本国民も心を痛め、憤りました。がぜん勧善懲悪の気持ちが沸き上がりました。弱きを助け、強きを挫くではありませんが、ウクライナを助け、ロシアを挫かなければならない。前者が被占領地を奪還するまで、対露制裁と対宇支援を続けなければならない。そして、戦争でウクライナは勝って欲しい、いや、勝つはずだ。

けれども、「あるべきこと」「あって欲しいこと」と、「あること」は、往々にして相違します。現実には、「あって欲しくないこと」も起こりえます。
戦争の勝敗は、道徳的な善悪によって決まるのではなく、力の強弱によって決まります。なので、ウクライナが、ロシアに負ける可能性もあります。

ところが、多くの人たちは、それをなかなか理解しません。ウクライナは勝ってほしい→勝てるはずである→勝つに違いない、という思考に陥っています。
8月16日公開の投稿でも引用しましたが、佐藤優氏は書いています(注)

「ウクライナ戦争に関する日本の報道は、『政治的、道義的に正しいウクライナが勝利しなければならない』という価値観に基づいてなされている。
このことが、総合的分析の障害になっている」

一言でいうなら、善悪の観点しかなくて、力の強弱という視点が抜け落ちています。

国際法に関する議論もそうです。
A、全ての国は国際法を遵守しなければならない。
B、ロシアによるウクライナ侵攻は国際法に違反している。
AとBから、
C、故に、ロシアも当然国際法を遵守しなければならないし、遵守しない場合は、国際社会は懲罰を加えるべきである。

多くの人たちは、そのように考えていますが、現実はそう簡単ではありません。現実は、

D、ロシアを含めた大国は、場合によっては(とりわけ、自国の安全保障や権益に関わる場合は)、国際法違反の行動をとることがある。しかし、国際社会は、そのような大国に懲罰を加える能力はない。

です。現在中小国がロシアに対して経済制裁を、ウクライナに対して軍事支援を行っていますが、それは、別の大国(アメリカ)の威を借りているから、あるいは、同国から要求されているから、できているだけです。

ウクライナに勝って欲しいと願うことと、実際にウクライナが勝つか否か、勝てるか否かは、区別しなければなりません。また、全ての国は国際法を遵守しなければならないという原則と、大国は国際法を守らない場合もあるという事実を、区別して考えなければなりません。

「あって欲しいこと」=「あること」ではありません。「あるべきこと」「あって欲しいこと」と、「あること」は分けて考えなければならないのに、それができない。
ウクライナ問題における、多くの人たちの、最大の錯誤は、そこにあって、彼らは、「あって欲しいこと」しか考えようとしないから、「あること」が見えないのだと思います。

2.欲する情報に飛びつく

「あって欲しいこと」に固執すると、それに都合の良い情報しか目に入らなくなります。
ロシアによる侵攻以降、ウクライナは勝たなければならない=勝つに違いない派が、喜びそうな情報が断続的に流布しました。

ウクライナ軍優勢説(にも拘らず、ロシア軍は占領地をじりじりと拡大しています)、ウクライナ軍は士気が高く、ロシア軍のそれは低い説、プーチン大統領重病説、ロシアで政変が起こり、プーチン氏が失脚する説、ブチャ他でロシア軍は市民を理由もなく虐殺した(ウクライナは便衣兵による攻撃ー民間人によるロシア軍への銃撃ーを行っていないでしょうか?)説、もしくは、殆んどの戦争犯罪はロシアがおかしている(ウクライナはおかしていない?)説、ロシアは原発を攻撃した(本当に攻撃する気があるなら、とっくに破壊され、大惨事が起こっているでしょう)説、西側が供与する先端的な兵器によって、戦争の流れが変わるだろう説など。

ウクライナ側にとって都合の良い、一方、ロシア側にとって都合の悪い情報が、入れ代わり立ち代わり、流されています。そして、ウクライナ贔屓の多くの人たちは、それを信じます。しかし、それらの情報の内、どれが真実なのでしょうか。その後、それらに対する検証記事がないのは、どうしてなのでしょうか。

多くの人たちは、存在と当為を区別しませんし、当為である「あって欲しいこと」しか見ないから、真偽曖昧な情報に、直ぐ飛びつくのだろうと思います。

(注)https://www.tokyo-sports.co.jp/social/4296977/

【折々の名言】
以前引用したことがありますが、何度でも引用する価値があると思います。

「人は見たいものしか見ない・人は自分の望むものを信じたがる」(ユリウス・カエサル)

【追記】
昨日(8月20日)付朝日新聞に、エジプトの元外務次官フセイン・ハリディ氏に対するインタビュー記事が掲載されました。氏は、ウクライナ問題について、語っています。

「この戦争は悲劇で、まったく不要な戦いだ。ただ、私たちは欧米が言うようにウクライナの独立や民主主義を守るための戦いだとは見ていない。2003年のイラク戦争もそうだった。米国が自由や民主主義を掲げた始めた戦争は結局、イラクの破壊だった。
同じことが今、ウクライナで繰り返されている。ウクライナを助けると言って武器をどんどん送り込み、国土がどんどん破壊されていく。欧米はウクライナを犠牲にして、ロシアを倒したいのだろう」

欧米の実際の意図はともかく、傍(ロシアにもウクライナにも与しない国)からは、結果的に「ウクライナを犠牲にして、ロシアを倒したい」と考えているように見えるのは確かでしょう。

中村逸郎教授の「大胆予想」

ロシア政治を専門とする中村逸郎筑波大学名誉教授は、5月13日にテレビに出演し、そこで、「『ロシア軍はあと2、3カ月しかもたない』と大胆予想した」そうです(1)。

5月13日から三カ月経ちました。しかし、ウクライナ情勢は相変わらず、ロシア優勢で推移しています。中村氏の「大胆予想」は、大外れでした。

作家で、元外務省主任分析官の佐藤優氏は、書いています(2)。

「ウクライナ戦争に関する日本の報道は、『政治的、道義的に正しいウクライナが勝利しなければならない』という価値観に基づいてなされている。
このことが総合的分析の障害になっている」

佐藤氏が言うように、「『政治的、道義的に正しいウクライナが勝利しなければならない』という価値観に基づいてなされている」から、中村氏は判断を誤ったのだと思います。

(1)https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2022/05/13/kiji/20220513s00041000427000c.html
(2)https://www.tokyo-sports.co.jp/social/4296977/

出口戦略と結末 ウクライナ侵攻

1.戦争は強い側が勝つ

今回は、「出口戦略と結末 ウクライナ侵攻」という題名にしましたが、戦争の出口戦略を考えるには、戦争当事国双方の力の強弱を無視することはできません。なぜならば、戦争は強い側が勝ち、弱い側が負けますし、その力の差によって、双方がとりうる出口戦略の範囲が決まるからです。

今後、攻撃の限界点を迎え、ウクライナ側が巻き返すかもしれませんが、今のところ戦局は、ロシア≧ウクライナ(ロシアはウクライナよりも優勢もしくは同等である)で推移しています。

2.ロシアの出口戦略

ロシア・ウクライナ戦争は、ロシアが優位な情勢なので、まず、ロシアの出口戦略を考えましょう。
一体、同国の首脳陣は、この戦いの出口について、どう考えているのでしょうか。
元々ロシアの戦争の主目的は、ウクライナのNATOへの加盟の阻止=同国の中立化であり、副目的はドンバス地方の「解放」でした(1)。

ウクライナのNATO加盟は阻止しえましたし、ドンバスの「解放」もおおよそ実現できそうです。さらに、ドンバスからクリミア半島に至る回廊を確保すれば、戦争目的は達成したと言えるでしょう。
私がロシアの指導者なら、それが実現した時点で、一方的に停戦を表明します。

たとえ、その後奪われた土地を奪還しようとして、ウクライナ側が攻撃を仕掛けてきたとしても、防御のための敵基地攻撃はするものの、新たな占領地を増やそうとはしません。むしろ、ウクライナ側の攻撃による被害を、国際的にアピールします。
要するに、ウクライナの東部及び南部の併合を既成事実化します。

ウクライナの東部と南部を併合したことを、国際社会は許さないでしょうか。国際社会は、意外に健忘症です。
ロシアは、エネルギーと食料の輸出大国ですし、特にそれらに依存する諸国は、いつまでも同国の行動にこだわらないでしょう。
また、ウクライナのブチャなどで市民が虐殺された疑いがあるため、4月7日ロシアの国連人権理事会の理事としての資格を停止するよう求める決議案が国連総会に提出されました。採決の結果は、93か国が賛成、反対が24か国、58か国が棄権しました。
西側以外は、国際的に反露で結束している訳でもなさそうです。

日本は戦後、北方領土はロシアに、竹島は韓国に奪われました。もし現在の日本が、それらを軍事的に奪還するとしたら、どうでしょうか。それは、軍事的に可能でしょうか。あるいは、国内外の世論は、それを認めるでしょうか。
認めるわけがありません。

ウクライナの場合も、数年後か数十年後、NATOに加盟し、力を付けた同国が、ロシアに奪われた東部南部を、武力を用いて取り戻そうとした場合、国際社会はそれを認めるでしょうか。認めないでしょう。
たぶん、NATO諸国が真っ先に反対するでしょう。既成事実化は強し、です。

3.アメリカの出口戦略

ロシアの出口戦略の次は、本来ならウクライナのそれを問題にすべきですが、同国は自力でロシアと戦っていません。他者依存で戦争をしています。他国からの支援なくして、戦いを継続できません。なので、独自の出口戦略を描くことはできません。

また、ウクライナ侵攻に対して、ある日突然アメリカが対宇支援から手を引いたとしたなら、どうでしょうか。その他のNATO諸国や日本は、その後、対露経済制裁や対宇軍事支援を行いうるのでしょうか。アメリカが手を引けば、制裁も支援も雲散霧消するでしょう(わが国では、ロシアに対して勇ましいことを言っている人たちが多いですが、そんな主張ができるのは、日本が対米依存しているからだということさえ、彼らは自覚していません)。

欧州や日本のような、アメリカの金魚のフン諸国も出口戦略を描くことはできません。
出口戦略を描きうるのは、アメリカだけです。

問題は、当のアメリカです。
アメリカは、何のためにウクライナを支援しているのでしょうか。バイデン大統領は、「ウクライナが停戦交渉で有利な立場を確保するまで武器供与などの援助を続けると明言」(2)したそうですし、ゼレンスキー大統領は、「失地回復まで停戦はあり得ないと断言」(2)したそうです。

ですが、そのためには、戦争当事国の力が、ウクライナ(+NATO)>ロシアでなければなりませんし、その上で、ロシア軍を押し返さなければなりません。
それには、それを実現するだけの大量のウクライナ支援か、アメリカが実際に参戦するかが不可欠です。では、アメリカにその意思があるでしょうか。
周知のとおり、バイデン大統領は昨年12月に、米軍をウクライナに派遣することは検討していないと表明していますし、軍事支援の逐次投入をしていて、大量支援の意思もありそうにありません。

ということは、双方の力の差は、どうしてもロシア≧ウクライナ(+NATO)で固定したままになります。なので、現状のままでは、ウクライナによる占領地の奪還は不可能でしょう。

アメリカは、昨年アフガニスタンから撤退しましたが、今年になってたちまち、勝つ意思のない戦争に介入して、新たにウクライナという泥沼に足を踏み入れたのではないでしょうか。
自国軍を投入していない点で、深い泥沼ではありませんが、しかし、長期化は避けられそうにありませんし、浅いにしても泥沼は泥沼です。

4.無益な戦争

歴史的にウクライナはロシアの勢力圏でした。しかし、西側はそこに手を突っこみました。一方、ウクライナもNATO加盟を求めました。
ウクライナはロシアの勢力圏である、少なくとも、ロシアがそう見做しているということを、ウクライナもNATO諸国も見誤ったのだと思います。

共産主義体制が永遠ではなかったのと同様、権威主義体制も永遠ではありえません。プーチン氏だって、不死ではありません。
西側もウクライナも性急さを求めず、いまだ、ウクライナはロシアの勢力圏であることを認めるべきでした。敢えて言いますが、西側はウクライナを「見捨てる」べきでした。そうしていれば、ウクライナは多くの死者も難民も出さず、領土の保全もできていたでしょう。

5.その結末

戦争が始まった2月24日から5か月以上が経過して、現状を予想しえた人は殆んどいないでしょう。まして、この戦争がどのような形で終結するのかは、誰にも分りません。

ただ、おおよそ言えそうなことは、ウクライナ、ロシア、アメリカ他NATOの指導者の誰も予想しなかった結果で、戦争は終わりそうだということ、何れの首脳も楽しくない結果で終わりそうだということです。

(1)https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220304/k10013513641000.html
(2)https://news.yahoo.co.jp/articles/b0152ae9213088b9867094d60b9d40613df75d7b?page=1

『自主防衛を急げ!』を読んで

1.大国の行動原理

先日、日下公人、伊藤貫著、『自主防衛を急げ!』(発行 李白社 販売 フォレスト出版、2011年刊)を読んでいたら、下記のような記述がありました。
同著は、両氏の対談本で、引用部分は伊藤氏の発言です。

「過去の国際政治史を振り返ってみると、リアリストの重視するバランス・オブ・パワーの力学が世界を動かしてきました。なぜそうなるのかといえば、過去二千四百年間、国家間でいくら友好条約や不可侵条約を結んだり、国際法を強化したり、国連のような機関をつくっても、いったん強い国が暴れだすとすべては吹っ飛んでしまうからです。
国際関係も国際法も、経済の相互依存関係の強化も、いざとなると戦争を阻止する機能を持たないのです」(23-24頁)

「思うに、人類というのは、世界政府とか世界立法院、あるいは世界裁判所とか世界警察軍、そういうものをつくることができない体質なのです。もちろん、いかさまな国際裁判所はありますけれど、『本当の正義』を実現する力など持っていません。ルワンダやセルビアやカンボジアといった弱小国が“見せしめ”としてお仕置きを加えられるだけです。世界の強国であるアメリカやロシアや中国は、けっしてお裁きの場に引きずり出されることはありません。結局、みんなで寄ってたかっていじめてもかまわないような国だけが、国際裁判にかけられるのです」(24頁)

「アメリカのイラク戦争だって、ロシアがグルジアに攻め込んだのだって、国際法違反の侵略戦争です。しかし力の強い大国に対しては、どこの国も処罰できない。米中露イスラエルのように利己的・独善的で軍事力と国際政治力の強い国は、何をやってもいい。これらの諸国が侵略戦争をしようが凶悪な戦争犯罪を繰り返して民間人を無差別虐殺しようが、いっさいお咎めなしです。
『いったん強国が一方的に軍事力を行使すると、どうしようもなくなってしまう』というのが、過去三千年間続いてきた国際政治の現実なのです。残念ながらこの現実は、二十一世紀になっても変わっていないのです」(25頁)

5月10日に「主権国家は平等ではない」を、同31日に「現実は法に優先する」を公開しました。私は、いわゆるリアリストではありませんが、伊藤氏の認識に近づいているのが分かって驚きました。と同時に、同著が出版されたのが、11年前なのに感心しました。
ボールペンの記載によれば、8年前に読んでいますが、引用個所に関しては時に記憶に残っていなくて、素通りしています。

ロシアによるウクライナ侵攻で、漸くにして私に分かったことですが、国際政治を虚心に眺めれば、たとえ国連や国連憲章ができた第二次大戦後でも、「国家間でいくら友好条約や不可侵条約を結んだり、国際法を強化したり、国連のような機関をつくっても、いったん強い国が暴れだすとすべては吹っ飛んでしまう」というのが、「国際政治の現実」であり、それが今日でも「変わっていない」ということです。

ところが、第二次世界大戦後、「この現実」は変わったと信じる人たちがいます。彼らは、「あること」よりも、「あるべきこと」を優先して、世界を見ているのだと思います。言い換えるなら、「あること」を直視せずに、「あるべきこと」という眼鏡によって、世界を眺めています。

だから、国際法は厳守すべきとか、主権国家は平等であるべきとか、力による一方的な現状変更の試みは許されるべきではないとか、大国が守ってもいない準則を、金科玉条のように唱えるのでしょう。

フランス革命の前に『第三身分とは何か』を書いて、革命を鼓舞したシェイエス(1748ー1836)について、歴史書には下記のような記述があります。因みに、『第三身分とは何か』は、「『フランスにおける第三身分(平民)こそが、国民全体の代表に値する存在である』と訴え、この言葉がフランス革命の後押しとなった」(ウィキペディア「シェイエス」)とされます。

「つぎにオランダとの平和ー同年(1795年)五月、ハーグで調印された条約によって、フランスはフランドルなど一部領土の割譲、賠償金、オランダとの攻守同盟という成果を得た。そのさい、フランス側の過酷な条件をおしつけて、二四時間以内の回答を強要した代表は、ほかならぬシエースであった。オランダ代表が『人権宣言』の作者が弱国をこんなにいじめるのはどうしたことかと嘆いたのに対して、シエースは平然として、『原理は学校のためにある。権益は国家のためにある』と答えたという」(桑原武夫責任編集、『世界の歴史 10 フランス革命とナポレオン』、中央公論社、311頁)(シエースとは、シェイエスのことです いけまこ)

国際法を厳守すべし以下は、「学校のため」の「原理」なのでしょう。あるいは、中小国家のみ遵守すべき原理なのだと思います。大国は別の原理、すなわち、国家の権益のためには、それらは必ずしも厳守する必要はない、というのを実践していて、それが、国際政治の「現実」です。

伊藤氏は、同著で、「日本にはモーゲンソー、ケナン、ハンティントン、ミアシャイマーのような深い思考を持つオーソドックスな外交論を展開する人はほとんどいません」(27頁)と発言していますが、国際政治学者には、「あること」を直視する人たちと、「あるべきこと」に執心するあまり、「あること」が直視できない人たちがいて、日本は後者のような学者ばかりだから、国際的に通用する学者がいないのだろうと思います。

2.二重基準の放置

私が気になるのは、ウクライナ侵攻に関する人々の二重基準です。第二次大戦後に限っても良いですが、国際法に違反したのは今回の、ウクライナへ侵攻したロシアだけなのでしょうか。勿論、違うでしょう。

では、ロシア以外の国、アメリカや中共やイスラエルが国際法に違反する行動をとった時、国際社会は加害国には経済制裁を、被害国には軍事支援を行ってきたでしょうか。もし行っていないのだとしたら、それはどうしてなのでしょうか。

それに答えられない人たちが、ウクライナ問題で正義派ぶっています。ロシアだけを過剰に非難する人たちは、まず自らの二重基準を是正すべきです。