ー米露他大国の行動原理を理解するためにー
1.疑問
ロシアによるウクライナ侵攻では、奇妙な主張がなされています。
一般的には、それは正しいとされていますし、それを主張する当人たちも、その正しさを疑っていません。その奇妙な主張とは、
A 主権国家たるウクライナに侵攻したロシアの行動は、国際法に違反しており、侵略である(注1)。
ウクライナ侵攻を単独で眺めれば、全然奇異ではないのですが、2003年アメリカが行ったイラク侵攻と対比したら、やはり珍妙だと言わざるをえません。
イラクは主権国家でしたし、アメリカはそのようなイラクを攻撃し、フセイン政権を倒しました。もしウクライナ侵攻が侵略なら、イラク侵攻だって侵略でしょう(注2)。
ウクライナ侵攻は国際法違反であり、侵略であると言ってロシアを非難している人たちが、2003年当時もアメリカを非難し、同国に対しては経済制裁を、イラクに対しては軍事支援を行うことに賛成していたのなら、不思議ではありません。
しかし、イラク侵攻の時は、今日のロシアに対するようなアメリカ非難は沸き起こりませんでしたし、日本政府にしてからが、ウクライナ侵攻ではロシア非難で、イラク侵攻ではアメリカ支持です。
両者に対する主張が矛盾しています。
ウクライナ侵攻は侵略であり、イラク侵攻は侵略ではないと言う人たちは、
B 主権国家イラクに侵攻したアメリカの行動は、国際法に違反していないし、侵略ではない
との主張なのでしょうか、それとも、
b 主権国家イラクに侵攻したアメリカの行動は、国際法に違反しているけれども、侵略ではない
との主張なのでしょうか。しかし、Bは無理筋でしょう。ということは、Aとbから、彼らは、
C たとえ国際法に違反していても、他国の主権を侵しても良い国家または場合もある
と言っているのと同じです。
奇妙な主張の二つ目は、次のようなものです。
D 主権国家はどこの国と同盟を結ぼうが自由である。故に、ウクライナがNATOに加盟するのは自由である
主権国家には、行動の自由があり、どこの国と軍事同盟または軍事協定を結ぶのも、同盟国の軍隊を駐留させ、核を含む兵器を配備するのも自由であるのだとしたら、1962年にキューバがソ連の核ミサイルを配備するのを、アメリカは反対すべきではなかったということになります。
では、ウクライナがNATOに加盟するのは自由であると言う人たちは、当時キューバがソ連のミサイルを配備するのも自由だったとの立場なのでしょうか。
また、主権国家には行動の自由があるなら、台湾に対して、独立は支持しないとのアメリカの言明だって、主権国家台湾(同国は主権、領土、国民という国家の三要素を有する独立国であり、領域に他国の主権が及んでいない点で、明らかに主権国家です)の行動の自由を妨げていることになります。云うまでもなく、アメリカが台湾の独立を支持しないと言うのは、中共を刺激して、最悪の場合、戦争になるかもしれないからでしょう。
ウクライナがNATOに加盟するのは自由であると言っている人たちは、アメリカの台湾に対する干渉を、これまで批判してきたでしょうか、彼らは台湾が即時に独立宣言するのも賛成なのでしょうか。
Dの主張者は、ウクライナのNATO加盟同様、キューバへのソ連のミサイル配備や台湾の即時独立を是とするのでしょうか、それとも、非とするのでしょうか。是とするのなら、論理的一貫性がありますが、非とするのだとしたら、一貫性がないと言わざるをえません。
そして、Dの主張者は、恐らく殆んどが後者の立場でしょう。とするなら、彼らは実際には、
E 主権国家はどこの国と同盟を結ぼうが(即時独立を宣言しようが)自由である訳ではないし、その行動の自由が制限されても良い場合もある。しかし、ウクライナがNATOに加盟するのは自由である
と言っていることになります。
ところで、欧米が、台湾に対するように、ウクライナのNATO加盟は支持しないと表明していたなら、この度の戦争は起こらなかったでしょう。
2.仮説
AとbCは矛盾していますし、DとEも矛盾しています。
両者が矛盾している場合、何れかの立場が間違っているのを認め、意見を変えるか、つまり、一方の立場を選択し、他方の立場を放棄するか、それとも、両者が矛盾しない、論理的整合性がある新たな仮説を考案するかの何れかです。
後者の線で考えてみましょう。
【仮説1】
同盟国または友好国が行った、主権国家に対する侵攻は、侵略ではないけれども、敵対国または非友好国が行った主権国家に対する侵攻は、侵略である。同じことをしても、味方と敵、友好国と非友好国に対しては、違った評価が下される。同盟国等に対してなら非難しないことでも、敵対国等に対しては非難する場合がある。なので、友好国が多いほど、国際社会では有利である。
日本にとってアメリカは同盟国であるし、有事の際には来援を求めなければならないので、イラク侵攻は侵略ではない。一方、日本にとってロシアは同盟国ではないし、今日も海空からの脅威を受けているので、同国によるウクライナ侵攻は侵略である。
これは酷い主張ですし、明らかにご都合主義的です。しかし、国際社会の現実を眺めると、あながち否定はできません。次に浮かんだ仮説です。
【仮説2】
主権国家は平等ではない。
ある種の主権国家には、他国の主権を侵す権利があるが、ある種の主権国家には、その権利はない。ある種の主権国家は、自国の安全保障のためなら、他国の主権を侵す権利があると考えているし、必要とあらばそのように行動する。
すべての主権国家が平等なら、どの国も他国を侵す権利はないとするのが当然ですが、すべての主権国家が必ずしも平等ではないのだとしたら、ある種の国家は他国を侵す権利はあるという結論だって導き出せます。
これも酷い仮説ですが、国際社会の現実はどうなのでしょうか。
一言断っておかなければならないのは、ここでは、それが善いか悪いかではなく、事実か事実でないかを問題にしています。
では、改めて問います。すべての主権国家は平等でしょうか。
確かに国際連合憲章の第二条には、「1.この機構は、そのすべての加盟国の主権平等の原則に基礎をおいている」との文言はあります。しかし、一方で、国連安保理の常任理事国には、拒否権があります。
この度のウクライナ侵攻で、常任理事国が、とりわけロシアが拒否権を持っていることの不当が問題になりましたが、拒否権そのものを廃止するには至りませんでした。
拒否権を廃止すれば、国連は上手く運営できるのでしょうか。拒否権を持つ大国が、国連を離脱したら、その運営に支障をきたさないでしょうか。きたすでしょう。とするなら、国際社会が選択すべきは、常任理事国が拒否権を持つ実効性のある国連か、彼らが拒否権を持たない実効性のない国連かのどちらかになります。そして、国連加盟国は、前者を取らざるをえません。
国連安保理の常任理事国は拒否権を有する。これは、現実の国際社会では、主権国家は平等ではないことの証拠ではないでしょうか。また、核拡散防止条約では、一部の国にのみ核兵器保有が認められていますが、それも主権国家は平等ではないことの証拠でしょう。
3.上位の主権国家と下位の主権国家
プーチン大統領は2008年に、「核を持たない国は、主権国家の名に値しない」と言ったそうです。また、ロシア研究家・軍事アナリストの小泉悠氏は、2019年12月10日公開の「日本を主権国家だと認めていない!? ロシアの強気な言動の根拠」という記事で、プーチン氏の発言を引用しています。
「軍事・政治同盟の枠内においては、それ(主権)は公式に制限されています。何をしてよくて何がいけないか、そこに書いてあるんですよ。実際はもっと厳しい。許可なくしては何もしてはいけないのです。許可を出すのは誰か?上位の存在です。主権を持つ国はそう多くありません。ロシアはそれ(主権)を持つことを非常に重んじます。おもちゃのように扱うわけではありません。それ(主権)は利益を守り、自らを発展させるために必要なものです」
小泉氏の同記事には、下記のような記述もあります。
「ロシア国際法思想の専門家であるメルクソーが指摘するように、ロシアの国際法理解における主権とは、すべての国家に適用される抽象的な概念ではなく、大国のそれを特に指すものであり、大国の周辺に存在する中小国の主権に対しては懐疑的な態度が見られる。
オーストラリア外務省出身のロシア専門家として知られるローもまた、ロシアの言う主権とはごく少数の大国だけを対象とした極めて狭義なものであって、中小国は基本的に主権国家とはみなされていないとしている」
プーチン氏、あるいはロシアはすべての国連加盟国を主権国家だと見做していないようです。主権国家にはそれなりに条件が必要との主張らしい。プ氏は、「自らの運命を自由に決」することができるのが、主権国家であると語ったらしい。そして、そのような見地から、「『ドイツは主権国家ではない』と述べ」る一方、インドや中共は「主権を持つ国として挙げた」そうです。ということは、アメリカの「許可なくしては何もしてはいけない」ことから、当然日本もプーチン氏の言う主権国家ではないということになります。
プーチン氏の言ではありませんが、おおよそ核兵器を保有するか否かによって、主権国家は二種類に分けることができそうです。それを保有するのが「上位の存在」としての主権国家であり、それを保有しないのが、いわば下位の存在の主権国家です。そして、プーチン氏の言う主権国家とは前者のことであり、国連憲章第二条で云われる国家とは、前者と後者を含めた諸国のことになるでしょう。
主権国家は平等ではない。そして、主権国家には、上位の主権国家と下位の主権国家の二種類があり、国際社会において上位の主権国家には行動の自由があるけれども、下位の主権国家にはそれはない。
現実には、下位の主権国家とされる諸国は、大枠として上位の主権国家の意思には逆らえませんし、下位の国家の行動は、上位の国家に制限されています。台湾の独立は支持しないというアメリカの姿勢は、そして、それに反対しえない日台の態度は、その表現です。
これは、プーチン氏、あるいはロシアだけが信奉している原則でしょうか。違うと思います。それは、アメリカを含めた上位の主権国家が共有する不文律ではないでしょうか。国際社会においては、上位の主権国家にのみ行動の自由がある。だから、アメリカはイラクが主権国家(下位の)であるのを承知の上で、侵攻したのでしょう。
ジョージ・オーウェル流に言うなら、上位の主権国家の本音は、こうなります。
すべての主権国家は平等である。
しかし、ある主権国家は、ほかのものよりも
もっと平等である。
それが分かっているから、米露英仏支以外にも、いくつかの国は上位の主権国家を目指して核保有国になったし、いくつかの国はそれを目指しているのでしょう。一方、主権平等の原則を本気で信じているのは、下位の主権国家だけではないでしょうか。
上位の主権国家の準則は、次のようなものでしょう。
上位の国家は、自国の、場合によっては同盟国の安全保障のためなら、他国の(殆どは下位国家のそれですが)主権を侵すことも許される。
そして、アメリカも、ロシアも、中共も、イスラエルもそのように振舞っていますし、英仏印パだって、有事の際はそのように振舞うでしょう。
そのように考えれば、アメリカによるイラク侵攻も、ロシアによるウクライナ侵攻も、矛盾なく説明できます。
因みに、第二次大戦以前には、世界には核兵器はありませんでしたが、当時日本は上位の主権国家でした。だから、他国の、たとえば韓国の主権よりも、自国の安全保障を優先しました。
では、上位の主権国家にとって、主権平等の原則とは何なのでしょうか。
国連自体と同様、自国の都合の良い時には利用し、都合が悪い時には反故にする、便利な道具であると言えそうです。そして今、アメリカとNATOは、ロシア非難のために主権平等の原則を振り回しています。そして、下位の存在であるわが国他は、それに追随している。
<すべての主権国家は平等である>
これは、幻想でしょう。それが幻想であるのを知っているのは、上位国家のエリートたちだけであり、その国の大衆、下位国家のエリートも大衆も、その幻想の中に棲んでいるのではないでしょうか。
4.二つの仮説の適用
仮説1と仮説2を、ウクライナ侵攻に適用したら、以下のようになります。
たとえ国際法に違反しているにしても、上位の主権国家は自国の安全保障のためなら、他国の主権を侵す権利がある。
下位の主権国家イラクに侵攻したアメリカの行動は、国際法に違反しているけれども、侵略ではない。下位の主権国家ウクライナへ侵攻したロシアの行動も、国際法に違反しているけれども侵略ではない、はずだった。
同盟国及び友好国が多いアメリカのイラク侵攻は、国際社会は必ずしも侵略だとは判断しなかった。一方、同盟国や友好国が少ないロシアのウクライナ侵攻は、国際社会で力を誇るアメリカとその同盟国が支持しないから、侵略だと判断される。
上位の主権国家はどこの国と同盟を結ぼうが自由である。しかし、下位の主権国家はどこの国と同盟を結ぼうが(即時に独立を宣言しようが)自由である訳ではないし、その行動が制限されて良い場合がある。
たとえ下位国家であるにしても、アメリカが支持するから、ウクライナがNATOに加盟するのは自由である。一方、同じ下位国家であるけれども、アメリカが支持しないから、台湾の独立は自由ではない。
こんな感じでしょうか。
ウクライナとロシア、下位国家と上位国家の二国間だけで済めば、ロシアの思い通りになったでしょうが、ウクライナの側にはNATOが付いてしまった。その中には、米英仏といった上位の主権国家がいる。それが、もう一方の側の上位国家ロシアの誤算だろうと思います。
半ば本気、半ば冗談のような論説になりました。
(注1)
国際法に違反しているとは、国際連合憲章第二条4項「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない」に違反しているとされています。
(注2)
「侵攻」(invasion)は、「敵地に侵入して攻めること。攻めて相手の領地にはいりこむこと」の意味で、「自衛の対義語である国際法用語としての侵略(aggression)とは異なり、必ずしも相手の主権や政治的独立を一方的に侵す目的とは限らない、価値中立的な概念である」。
一方、「侵略」は、「『略』は『かすめるとる』『攻めとる』『奪う』の意味で」、「武力攻撃によって他国領土を剥奪すること」、「土地や財物を奪い取ること」を意味するとされます。
(コトバンク「侵攻」、ウィキペディア「侵攻」「侵略」、コトバンク「侵略」より)