1.平手打ち事件の場合
周知の通り、3月27日に開催されたアカデミー賞授賞式で、プレゼンターのクリス・ロック氏がウィル・スミス氏の妻を侮辱する発言を行い、怒ったスミス氏がロック氏に平手打ちを食らわすという事件が発生しました。
この事件に関しては、賛否両論がありましたが、両者の評価に関しては、五つの立場がありうるでしょう。
第一、ウィル・スミス氏が全面的に悪い。
第二、クリス・ロック氏が全面的に悪い。
第三、両者の非は、50対50である。
第四、大部分の責任はスミス氏にあるけれども、ロック氏にも一部責任がある。
第五、大部分の責任はロック氏にあるけれども、スミス氏にも一部責任がある。
スミス氏は、事後同賞主催者や来席者に謝罪の言葉を述べましたし、翌日ロック氏にも謝罪しました。また、スミス氏は4月1日に映画芸術科学アカデミーから退会し、同8日同会は今後十年間、アカデミーのイベントへの出席を認めないと発表し、スミス氏はそれを受け入れると表明しました。
スミス氏の謝罪と処分から見て、第二、第五の立場を主張する人は全くと言っていいほどいないことが分かりますし、両者を同等に処分せよという意見がないことを見ても、第三の主張者も殆んどいないと思われます。わが国の芸能人の中には、自分が同じ立場にあったら、スミス氏と同様な行動を取ったという意見もネットで見た記憶がありますが、そう言う人たちだって、そのような行動が正しいとは考えていないでしょう。正しくはないけれど、感情的に許せないというものでしょう。
結局、事件に対する人々の評価は、第一と第四の二つに割れているのだと思います。
2.ウクライナ侵攻の場合
ロシアによるウクライナ侵攻も、平手打ち事件と似た構図だと思います。同侵攻に対する評価も、五つの立場がありえます。
第一、ロシアが全面的に悪い。
第二、ウクライナと米欧が全面的に悪い。
第三、両者の非は五分五分である。
第四、大部分はロシアが悪いけれども、宇米欧にも一部責任がある。
第五、大部分は宇米欧が悪いけれども、一部ロシアにも責任がある。
しかし、平手打ち事件と同様、第二、第五を主張している人は、見たことがありません。
第三の立場らしきことを言ったのは、4月12日東大の入学式の祝辞で、「例えば『ロシア』という国を悪者にすることは簡単である。けれどもその国の正義がウクライナの正義とぶつかり合っているのだとしたら、それを止めるにはどうすればいいのか。なぜこのようなことが起こってしまっているのか。一方的な側からの意見に左右されてものの本質を見誤っていないだろうか?」と述べた映画監督の河瀬直美氏くらいでしょうか。しかし、彼女だって両者が五分五分だと考えているのかどうか・・・・。
ロシア寄りの発言をしているとか、宇米欧にも責任があると言って、批判されている人たちがいますが、彼らはたいてい第四の立場ではないでしょうか。
ウクライナ侵攻に関する評価も、実際には、第一の立場と第四の立場とに分かれているだけだと思います。冷戦時代に、左(派)から見たら真ん中も右(派)に見える、という言い方がありましたが、それと同じで、第一の立場から見たら、第四の立場も、第三の立場、両者の非は五分五分=「どっちもどっち」論に見えるのだと思います。
スミス氏はロック氏に謝罪をしたのに対し、ロシアはウクライナに謝罪をしていないと反論する人もあるかもしれませんが、戦争の途上にあり、しかも今のところ攻勢の側にある国家が謝罪するとは思えませんし、事件に一部責任がある(と私が考える)ロック氏にしろ、宇米露の政治指導者にしろ、反省を表明していないのですから、ロシアだけに謝罪を求めるのは無理でしょう。
3.統一協会による同調圧力
この度のウクライナ侵攻で気が付くのは、従来の政治問題とは違って、意見の対立する二派が、左派対右派、ハト派対タカ派という風に分かれていないことです。各々の思想的立場の人たちが各々に分裂しています。
言えるのは、第一に立脚する人たちが多数派であり、第四に立脚する人たちが少数派だということです。しかし、前者は多数派なのですから、鷹揚に構えていれば良いと思うのですが、後者の人たちの発言が癇に障るらしい。多数派の人たちは、自分と違った意見の持ち主の存在自体が許せないようです。彼らは、ウクライナ侵攻に関する日本国民の意見を統一したいのでしょうか。
戦前のわが国のスローガンは、「鬼畜米英、一億一心火の玉だ」でしたが、現在は「鬼畜ロシア、一億一心火の玉だ」です。日本人は、八十年前から少しは進歩したのでしょうか。
ただ、少数派であり、不人気な意見である分、一般的に、第一の立場の人たちよりも、第四の立場の人たちの方が、自分の頭で考えているし、勇気もあるとは言えるでしょう。
4.正確な教訓と認識
自民党の政調会長高市早苗氏は、4月19日テレビ番組に出演しました。
「高市氏は、『ロシアによるウクライナ侵攻が始まった当初は、ロシアに対して経済制裁を行うのか、同盟を結んでいないウクライナに対して武器供与するのか、装備品供与するのか、各国で温度差があった』と指摘。しかし、ウクライナ軍が必死に戦っている状況が世界に報道され始めてから、周りの国々の態度に変化があり、特にアメリカについては、『同盟関係がないにもかかわらず、経済制裁を主導し、先進的な武器の供与を始めた。やはり自分の国を自分で守るという意思を明確にした国に対しては、同盟関係がなくても周りが助けてくれる。これは日本人にとってとっても教訓だと思う』と述べた」(注)
これまでも、「〇〇軍が必死で戦っている状況が」あったにも拘らず、「世界に報道され」ないがために、「周りが助けてくれ」ないという事例も、あったでしょう。その点、ウクライナは幸福ですが、一方、見捨てられた諸国とのダブル・スタンダードは気になります。
それはともかく、教訓はいく通りもありえます。
たとえば、日本は中共に対して抑止力を備えなくても、侵略された後に「自分の国を自分で守るという意思を明確にし」さえすれば「同盟関係がなくても周りが助けてくれる」という教訓だって導き出せます。
そのような誤った教訓を導き出さないためにも、抑止力を備えずに安易にウクライナのNATO加盟を認め、ロシアによる侵攻を招いてしまった宇米欧の政治指導者たちの過失は、問われてしかるべきでしょう。
正確な教訓を得るためには、正確な認識は不可欠です。不正確な認識からは、正確な教訓は得られません。
5.私のスタンス
これまでも書いてきましたが、ウクライナ侵攻に関する私の主張の根幹は、次の二つです。
第一、ロシアの言い分にも一理ある。
ウクライナがNATOに加盟すれば、同国にアメリカの軍隊なり、とりわけ核兵器が配備されるかもしれず、それはロシアにとって脅威である。
第二、この度の侵攻が発生したのは、宇米欧の政治指導者たちにも一部責任がある。
戦争は宇米欧対露になっていて、大局的にはロシアは敗北するだろうと思います。けれども、上記の第一と第二が真実なのは否定できません。
この二つの地点に錨を下ろしているので、私の小舟が波間を漂う(主張がブレる)ことは、今後も余りないだろうと思います。