ロシアだけに責任があるか ウクライナ侵攻

1.振り込め詐欺の責任は誰にあるか

ウィキペディアの「特殊詐欺」には、次のような記述があります。

「振り込め詐欺(ふりこめさぎ)とは、電話やはがきなどの文書などで相手をだまし、金銭の振り込みを要求する犯罪行為。(中略)
2004年11月まではオレオレ詐欺と呼ばれていたが、手口の多様性で名称と実態が合わなくなったため、特殊詐欺の4つの型(なりすまし詐欺、架空請求詐欺、融資保証金詐欺、還付金等詐欺)を総称して、2004年12月9日に警視庁により統一名称として『振り込め詐欺』と呼ぶことが決定された。(中略)
1999年8月頃から2002年12月頃までの間に電話で『オレオレ』と身内を装って11人に銀行口座に振り込ませた事件があり、2003年2月に犯人を検挙した鳥取県警米子署がこの手口を『オレオレ詐欺』と称したのが初出とされている」

振り込め詐欺でも、オレオレ詐欺でも良いですが、加害者、被害者の責任に関しては、二つの立場がありえます。
第一、すべての責任は加害者の側にある、被害者には一切責任はない。
第二、大部分の責任は加害者にあるけれども、騙された被害者の側にも、一部責任はある。
第一と第二は、どちらが正しいでしょうか。

なぜこんなことを問うのかと言えば、この度のロシアによるウクライナへの侵攻を考える上で、どのような立場を採るのかは、この二つの考え方と無縁ではないと思われるからです。

2月24日ウクライナ侵攻が発生しましたが、それに対して、バイデン米大統領は声明を出しました。

「プーチン大統領は、破壊的な人命の損失と人的苦痛をもたらす計画的な戦争を選択した。この攻撃がもたらす死と破壊はロシアだけに責任がある」(太字 いけまこ)

引用文を見れば明らかですが、バイデン氏はウクライナ侵攻に関して、第一の、「すべての責任は加害者の側にある、被害者には一切責任はない」の立場です。振り込め詐欺のような一般犯罪ならともかく、国際政治上の戦争のような事例において、一方だけに責任があるというような認識は適切なのでしょうか。

2.国際社会にはいくつものの正義がある

国際政治学者の高坂正堯氏(1934-1996)は、『国際政治』(中公新書)に書いています。

「国際社会にはいくつもの正義がある。だからそこで語られる正義は特定の正義でしかない。ある国が正しいと思うことは、他の国から見れば誤っているということは、けっしてまれではないにである」(19頁)

高坂氏はいわゆるリアリストであり、私はリアリストではないので、氏のこの主張には全面的には同意しかねますが、戦争当事国の指導者たちだって狂人ではないのですから、それなりに言い分があると考えるべきではないでしょうか。

ロシアの言い分については、プーチン大統領が侵攻当日のテレビ演説で述べています。

「親愛なるロシア国民の皆さん、親愛なる友人の皆さん

きょうは、ドンバス(=ウクライナ東部のドネツク州とルガンスク州)で起きている悲劇的な事態、そしてロシアの重要な安全保障問題に、改めて立ち返る必要があると思う。(中略)

NATOは、私たちのあらゆる抗議や懸念にもかかわらず、絶えず拡大している。軍事機構は動いている。
繰り返すが、それはロシアの国境のすぐ近くまで迫っている。(中略)

私たちの国境に隣接する地域での軍事開発を許すならば、それは何年も先まで、もしかしたら永遠に続くことになるかもしれないし、ロシアにとって増大し続ける、絶対に受け入れられない脅威を作り出すことになるだろう。(中略)

すでに今、NATOが東に拡大するにつれ、我が国にとって状況は年を追うごとにどんどん悪化し、危険になってきている。(中略)

起きていることをただ傍観し続けることは、私たちにはもはやできない。(中略)

NATOが軍備をさらに拡大し、ウクライナの領土を軍事的に開発し始めることは、私たちにとって受け入れがたいことだ。(中略)

問題なのは、私たちと隣接する土地に、言っておくが、それは私たちの歴史的領土だ。そこに、私たちに敵対的な『反ロシア』が作られようとしていることだ。(中略)

アメリカとその同盟国にとって、これはいわゆるロシア封じ込め政策であり、明らかな地政学的配当だ。
一方、我が国にとっては、それは結局のところ、生死を分ける問題であり、民族としての歴史的な未来に関わる問題である。(中略)

それこそ、何度も言ってきた、レッドラインなのだ。
彼らはそれを超えた。

そんな中、ドンバス情勢がある」

3.ウクライナはロシアの生命線?

冷戦後のNATOの東方拡大によって、隣の兄弟国ウクライナまでNATOに加盟し、その地に米国の軍隊と核を含めた兵器が配備されるかもしれない。そうなったら、ロシアの安全保障にとって大変な脅威である、という理屈でしょう。

プーチン氏が、演説の冒頭で語っていることを、大東亜戦争との比較で言うなら、日本の主目的は自存自衛であり、副次的な目的は東亜解放でしたが、ロシアの主目的も「ロシアの重要な安全保障問題」であり、副次的な目的は、演説の最後に引用した、「そんな中、ドンバス情勢がある」でも分かるように、ドンバスの「解放」だと判断できます。

ロシアにとって、ウクライナがNATOに加盟するとは、どのような感じなのでしょうか。
元寇では、元軍は朝鮮半島からわが国に攻めてきました(弘安の役では、江南軍は支那本土から出発しましたが)。
近代においても、日本の心臓を狙う匕首だと言われた朝鮮半島へ、清国やロシア帝国が侵入することは、日本にとっては脅威でした。わが国が日清日露戦争を戦わざるをえなかったのは、そのような脅威をなくすためでしょう。朝鮮半島は、いわば日本の生命線でした。
もし当時の韓国が、清国軍にもロシア軍にも侵入を許さないような強固な国だったなら、日本はそれらの戦争をしなくて済んだでしょう。

実は今日だって、朝鮮半島は日本の生命線です。
ただ、現在の朝鮮半島は、良くも悪くも、北朝鮮、韓国というそれなりに軍事的に強力な国があり、支那やロシアの半島への進出を防いでくれていますし、わが国は日米安保条約を結んでいて、韓国にも日本にも米軍が駐留していますし、日本列島の近くの海には米原潜がひそんでいて、万が一の場合、核ミサイルを支露へ打ち込む能力があると私たちは信じているために、半島からの脅威に鈍感になっているのでしょう。

この点は欧州諸国も同じです。実質的に対露同盟であるNATOの主軸はアメリカですが、それが東方へ拡大し、ロシアとNATOの勢力圏を分かつ線が、東方へ移動して行き、フランスやドイツといった欧州の中心的な諸国は、ロシアの脅威に対する危機感が薄れているのだと思います。逆に言うなら、ロシアが受ける脅威に対して、日本も欧州も鈍感になっているということです。

一方、ロシアには強力な同盟国はありませんし、自分の国は自分で守らなければなりません。この点、戦前のわが国も同じです。日英同盟の締結前と解消以後、頼りになる同盟国がなくて、孤独でした。

ロシアにとってウクライナは、日本にとっての近代の朝鮮半島のようなものではないでしょうか。そして、日露支にとって、韓国は民族的にも文化的にも歴史的にもまるっきり別の国ですし、いわゆる兄弟国ではありませんが、ロシアにとってウクライナはそれらの点で近しい兄弟国ですし、ウクライナはロシア帝国、ソ連、ロシア連邦を通じて、ずっとその勢力圏にありました。
すなわち、ロシアの言い分にも一理あるのではないでしょうか。

しかし、欧米も日本も、ロシアの言い分は理解しませんし、それに耳を貸しません。そして侵攻後、ただ一方的に非難するだけです。
現在の世界の論調から言って、たとえロシアが戦争に勝ったとしても、戦後はウクライナ・NATO連合=絶対善、ロシア=絶対悪として語られることになりそうです。

4.日本は絶対悪だったのか

<絶対善対絶対悪の戦い>だと認識されているのが、第二次世界大戦です。前者に相当するのが、連合国であり、後者に相当するのが同盟国です。そして、同盟国であったわが国は、絶対悪との認識が、国際社会では今でも定着しています。

ウクライナのゼレンスキー大統領が、3月16日アメリカ連邦議会での、オンライン形式の演説で、真珠湾攻撃に言及したのは、氏がユダヤ人であり、第二次大戦に関して、連合国=絶対善、同盟国=絶対悪との認識の保持者だからでしょう。

わが国の東京裁判史観肯定派の主張も、前大戦のすべての責任は日本にあるとの立場です。
一方、その否定派は、大戦の原因あるいは犯人を、日本の中だけで探すのは無意味で、戦争は相手があることだから、相手との関係で、それを追究すべきだという風に言っていました。

ところが、この度のロシアによるウクライナ侵攻に関しては、どうでしょうか。戦争は相手があるというように、論じられているでしょうか。どうも、左派のみならず、右派もロシアを一方的に非難するのが大勢になっているように思われます。

戦前の日本と、この度のロシアの軍事行動と、どちらがより正当性があるでしょうか。
戦前日本の言い分にはそれなりに正当性はあったけれども、ロシアの言い分には一理もないのでしょうか。日本にはそういう人も少なくないでしょう。
しかし、第二次大戦の戦勝国であるロシアに言わせれば、戦前の日本には一理もないけれども、この度のロシアの行動には正当性があるという人たちが多くいそうです。
大東亜戦争の日本と、ウクライナ侵攻のロシアと比較して、その主張はどちらがより道理があるのでしょうか。それとも、戦勝国やわが国の左派が言ってきたように、日露とも絶対悪なのでしょうか。

ウクライナ侵攻に対する米欧日での、一方的なロシアへの非難を見て、戦前日本が連合国にしてやられたのは、国際社会におけるこのような<連合国=絶対善、日本=絶対悪>というレッテル貼りだったのかと、憤慨する人がいても良さそうなものです。
ロシアに対する一方的な非難を見ると、戦前から欧米は独善的だったのだと思えます。
そして、戦後八十年近く経っても、相変わらず戦前日本は全否定すべき絶対悪です。

5.ロシアは絶対悪なのか

戦争は外交の失敗だと言われますが、外交で解決できないことは、力で解決せざるをえません。勝った方がより多くを獲得し、負けた方がより多く譲歩するしかありません。お互いに言い分があるのを認めた上で、なされるのが文明的な戦争だと思います。わが国の戦後平和主義者たちは、文明的な戦争などないと言うでしょうが。
それはともかく、戦争になったということは、双方の外交が失敗したということではありませんか?ロシアのみならず、米欧宇の指導者たちの外交も、失敗したということでしょう。

第二次世界大戦から?アメリカは戦争に、絶対的な正義不正義の観念を持ち込みました。米国にとって、戦争は絶対的な善と絶対的な悪の戦いです。戦前の絶対悪は日本で、現在の絶対悪はロシアです。敵を悪魔だと見做さないと戦えない(経済制裁も含めて)ということもあるかもしれませんが、お互いに言い分のある戦争を、絶対善対絶対悪との戦いだとするのは、やはり野蛮な戦争観です。アメリカは十字軍的戦争観から抜けきれないようです。

戦争には、双方に言い分があるのを否定すべきではありません。
そして、米欧宇の指導者たちは、戦争が始まる原因となった自らの過失を反省すべきです。
ウクライナはNATO加盟を拙速に運ぼうとしました。欧米はロシアの出方も考えずに安易にそれを支持しました。ロシアの侵攻を防ぐだけの軍事的な準備をしていませんでした。非加盟国はNATO防衛の対象外だとロシアに誤ったメッセージを与えました。
彼らは、自らの過失を糊塗するために、なおさら絶対善対絶対悪の戦争観を煽っているように見えます。

ロシアによるウクライナへの侵攻について、三点ばかり確認しておきたいと思います。
第一、戦争の善悪と勝敗は無関係であること(勝った側が、自分たちは正しかったのだと言い出しかねないので)、
第二、ロシアの言い分にも一理あること、
第三、米欧宇の指導者たちにも、一部責任があること。

勿論、ウクライナに侵攻したロシアは非難されてしかるべきですが、<絶対善対絶対悪>という戦争観には、うんざりです。そんな戦争観には、ニエットと言わざるをえません。

【追記】
時宜を得た事件が発生しました。
3月27日に開催されたアカデミー賞授賞式で、妻を侮辱されたとして、俳優のウィル・スミス氏がプレゼンターに平手打ちをくらわせました。
さて、手を上げたスミス氏にすべての責任があるのでしょうか、それとも、大部分の責任は彼にあるにしても、侮辱した発言を行ったプレゼンターにも一部責任があるのでしょうか。

【追記2】
大東亜戦争後の、この小林秀雄氏の発言は、ウクライナ侵攻に関しても、有効であるように思われます。
「この大戦争は一部の人達の無知と野心とから起ったか。それさえなければ、起らなかったか。どうも僕にはそんなお目出たい歴史観は持てないよ」