今年の1月15日付朝日新聞(夕刊)に、「いま聞く interview」という記事が掲載されました。
インタビューをしているのは、同紙編集委員田村建二氏で、受けているのは、京都大准教授児玉聡氏です。
「新型コロナウイルスのオミクロン株が拡大している。昨年の『第5波』のように、重い症状でも入院できないような事態が続出したとき、どんな選択をすべきなのか。『公衆衛生倫理』を専門とする児玉聡さん(47)に聞いた」
との前置きの後、続けています。
「重い肺炎の人が2人。だが、人工呼吸器は一つしかない。そんな場面に出くわしたら、どちらの人に呼吸器を使うのか」
後段のような問題意識は、住吉雅美氏の『あぶない法哲学』(講談社現代新書)第六章と共通しています。ただ、児玉氏は、次のように述べています。
「ベンタム(ベンサム)といえば『最大多数の最大幸福』が有名で、全体のためには少数が犠牲になっても仕方ない、という考えだと誤解されがち。実際は、これまで考慮されてこなかった弱者の幸福にも配慮しようというのが本来の思想です」
『あぶない法哲学』の第六章を読めば分かりますが、功利主義は、「全体のためには少数が犠牲になっても仕方ない、という考えだと誤解」しているのが、住吉雅美氏です(「住吉雅美氏と功利主義」)。
功利主義に関する書物は、気が付いたときはなるべく購入するようにしています。ただ、これまで功利主義や倫理学について、真剣に考えてきた訳ではないので、知りませんでしたが、児玉氏の発言から、二つのことが分かりました。
第一。功利主義が、全体のためには少数が犠牲になっても仕方ないと考える思想だと思っているのは、住吉氏だけではないこと。
第二。功利主義に対する、そのような誤解が世間に流布しているらしいこと、です。
どうしてそのようなことが起こるのでしょうか。
外国の偉い学者先生が、どこかでそのような説を唱えているのでしょうか。わが国の学者がそれを鵜吞みにして、そのような主張を拡大再生産しているのかもしれません。
児玉聡氏には『功利主義入門』(ちくま新書)という著書があるらしい。倉庫の本棚を見たら、既に購入していました。何れ読んで、読後感を当ブログに書いてみたいと思います。