1.総評
石橋政嗣著、『非武装中立論』(社会新書、1980年刊)を再読しました。
著者の石橋氏(1924ー2019)は、日本社会党の書記長、委員長を務めた政治家です。
まずは、総評から。
総評といっても、本書中に出てくる「社会党・総評ブロック」のそれ(日本労働組合総評議会)ではなく、「全体にわたっての批評」(広辞苑第五版)のことです。
本書の題名は、『非武装中立論』ですが、それをどのように実現するかに関する記述は極くわずかで、殆んどは憲法改正や国防力の整備または強化を阻止しなければならないということを、述べているだけです。
以下、所々引用しながら、論評しましょう。
2.安全保障に絶対はない
・「安全保障に絶対はない、あくまでも相対的なものにすぎない、われわれは、非武装中立の方が、武装同盟よりもベターだと考えるのだ」(64頁)
・「安全保障に絶対ということはないのです。こうしたら、日本は絶対に安全などというものはないのです」(76頁)
・「安全保障に絶対はないということであります」(192頁)
「安全保障に絶対はない」との記述が、いくつも出てきます。
書いた内容に、あるいは非武装中立論の正しさに自信がないのでしょうか。
それにしても、「安全保障に絶対はない」のだとしたら、非武装中立は絶対に正しいとは言えないということになりますし、武装同盟も絶対に間違っているとは言えないということになります。
非武装中立は絶対に正しいとは限らないという認識で、彼ら流の、平和への戦いを進めることができるのでしょうか。
それにしても、非武装中立論者や憲法九条教信者は、石橋氏のこのような文言に同意できるのでしょうか。
3.嘘その一
・「なぜ非武装中立なのか。(中略)まず第一の理由として、周囲を海に囲まれた日本は、自らが紛争の原因をつくらない限り、他国から侵略されるおそれはないという点を指摘したいと思います。これは歴史的にも明らかなことであり、日本の場合はほとんどすべてがこちら側の侵略によって、戦争がはじまっているのです。現在においても、わが国には、社会主義国を敵視し、米軍に基地を提供している安保条約の存在を除けば、他国の侵略を招くような要因はなにもないのであります」(64-65頁)
「日本の場合はほとんどすべてがこちら側の侵略によって、戦争がはじまっているのです」と言いますが、ほとんど=すべて、ではありません。
実際に、「自らが紛争の原因をつくらな」くても、「他国から侵略される」ことがあったのは、元寇を挙げれば良いでしょう。「これは歴史的にも明らかなことで」す。
また、「現在においても」、「自らが紛争の原因をつくらな」くても、「他国から侵略されるおそれ」があるのは、尖閣諸島における中共公船の動きを見れば、「明らかなことで」す。
その他、ロシアとの北方領土問題や韓国との竹島問題は、わが国が「自らが紛争の原因をつく」ったから起こったのでしょうか?
現在の東シナ海や南シナ海での中共の振舞いを見れば、「米軍に基地を提供している安保条約の存在を除」くことは、かえって「他国の侵略を招くような要因」となるのは明らかでしょう。
4.嘘その二
・「この三十五年間、少なくとも日本が戦争の当事国となることなくやってこれたのはいったい誰のお蔭なのか。(中略)日本社会党を中心とする護憲勢力の存在に負うところ大なのであります」(41頁)
日本社会党は、1996年1月に解散しました。しかし、それ以降も、「少なくとも日本が戦争の当事国になることなくやってこれ」ています。
とするならば、「日本が戦争の当事国になることなくやってこれたのは」、「護憲勢力の存在」はともかく、少なくとも、日本社会党とは何ら関係がなかったということになります。
それなら、「護憲勢力の存在」があれば、「日本が戦争の当事国となること」はないのでしょうか。
朝鮮戦争前韓国に、平和憲法と「護憲勢力の存在」があったなら、北朝鮮による南侵はなかったでしょうか。あるいは、イラク戦争前、同国に平和憲法と「護憲勢力の存在」があったなら、アメリカはイラクを攻撃しなかったでしょうか?
5.嘘その三
・「日本国憲法は決して一時的な感情の産物ではなかったはずです。長い、苦しい体験を経て、ようやく掴んだ日本国民の英知が生んだもの」(15頁)
・「憲法草案が誰の手によって書かれたものであろうと、生まれた憲法が、日本国民のものであることに一点の疑いもありません」(同前)
・「日本国憲法は、最初から国会で審議をし、圧倒的な多数の賛成を得て制定されているのですから」(16頁)
「憲法草案が誰の手によって書かれたものであろうと」とありますが、それが他国によって書かれたものであれば、「日本国民の英知が生んだもの」とは言えません。
「日本国憲法は、最初から国会で審議をし(以下略)」は、もし憲法制定時に日本に主権があったのなら、この文言は正しいでしょう。しかし、わが国(民)に主権がなかった時に制定された憲法です。なので、「生まれた憲法が、日本国民のもので」ない「ことには一点の疑いもありません」。
・「われわれは、(中略)この日本国憲法を、非武装・絶対平和の憲法を、世界の憲法たらしめんと野心に燃えているわけです」(77頁)
まったく夜郎自大な言説ですが、こういう発言を聞くと、戦後のいわゆる平和主義者こそ、戦前八紘一宇(全世界を一つの家にすること)を叫んだ人たちの正嫡だと思わざるをえません。
6.嘘その四
・「現実に社会主義国は増えることはあってもまだ減ったことはないのです。これからもますます増えていくことでしょう」(184頁)
・「中国が資本主義に戻るという道であります。(中略)果たしてそういうことが実際にあり得るかというと、私は絶対にないと思います」(184-185頁)
・「いつの日にか必ず中ソが手をとり合う時期が来るということになります。(中略)中ソが和解するということは、世界中の社会主義国が一つになるということです」(185頁)
これらの主張は、何れも現実によって、反証されました。
「世界中の社会主義国が一つになるということ」はありませんでしたし、わが国でも日本中の社会主義者が一つになるということもありませんでした。中ソならぬ、石橋氏が所属した社会党と共産党が、一つになるということもありませんでした。
いまや、世界に社会主義国は数か国です。この先、社会主義国は減ることはあっても、増えることはないでしょう。
三つ目の引用文の後は、次のように続きます。
「これが日本にとってどんな大きな意味をもっているか、何の説明もいらないのではないでしょうか。日本の支配階級がいちばん恐れているのはその時じゃないかと思います。できればそんな時が来ないようにしたい。来るとしても、できるだけ先に遠のかせるようにしたい、そう念じながら、手を変え品を変え手を尽くしているのじゃないかと私には思えます。また、そうなったときには、何としても権力を失わないですむように、ファッショ化の道を選ぼうとしているのではないかとも思えてならないのです」(185-186頁)
わが国の、いわゆる「支配階級」は、自らが支配階級に属しているとの自覚があるのでしょうか。中には、そのような自覚がある人もいるかもしれませんが、彼らだって世の中が自分たちの思い通りにならないと慷慨していることでしょう。そして、そのような支配階級が「ファッショ化の道を選ぼうとしている」! そのような兆候がありましたか?
全く社会認識がズレています。このような認識の人たちの集まりだったから、日本社会党は消滅せざるをえなかったのだと思います。
7.征服者に対する抵抗
・「もちろん、われわれとても、軍事力による抵抗をしないからといって、何をされても、すべてを国連に委ねて無抵抗でいるといっているわけではありません。相手の出方に応じ、軍事力によらない、種々の抵抗を試みるでろうことは必然であります。それは、デモ、ハンストから、種々のボイコット、非協力、ゼネストに至る広範なものとなるでありましょう」(70頁)
非武装中立政策を実施した結果、日本が征服国に併合された場合、「軍事力によらない、種々の抵抗」は、できるのでしょうか。「デモ、ハンストから、種々のボイコット、非協力、ゼネストに至る広範なもの」は起こるでしょうか。
それらは、できないし、起こらないでしょう。
国民の中には、侵略者に協力し、阿り、彼らの支配の下で出世しようとする者が必ず現れます。そして、協力者は非協力者の「種々の抵抗」を妨害しますし、非協力者を職場から追放し、彼らの糧道を断ちます。そのようにして、心情的に非協力者に惹かれる者も、次第に口を噤んで行きます。
なので、「デモ、ハンストから、種々のボイコット、非協力、ゼネストに至る広範なもの」は、殆んど起こりません。実際、大東亜戦争後の米占領下で、そのようなことが起こったでしょうか?起こりませんでした。
というよりも、同占領下、征服者に最も抵抗しなかった人たち、征服者に最も迎合した人たち、そして、その末裔こそ、占領憲法や東京裁判史観の信者たちでしょう。そのような者が、「相手の出方に応じ、軍事力によらない、種々の抵抗を試みるであろうことは必然であります」などと言う。笑止です。
8.「非武装中立」へのプロセス
同書「第二章 非武装中立と自衛隊」の中に、「『非武装中立』へのプロセス」との小見出しがあります。そこで、石橋氏は言っています。
「われわれの政権が、引き継いだ自衛隊と安保条約を、どのような<過程>を経て解消し、非武装と中立を実現しようとするのか、それを明らかにすることが、当面の問題としてはいちばん重要であるということを率直に認め、その道筋を明らかにしたいと思います」(80-81頁)
と述べつつ、
「自衛隊についていうならば、われわれは、最低つぎの四つの条件を勘案しながら、これを漸減したいと考えています」(81頁)
と。
その「四つの条件」とは、第一、「政権の安定度」、第二、「隊員の掌握度」、第三、「平和中立外交の進展度」、第四は、「国民世論の支持」であるという。
そして、
「縮小される自衛隊の規模や装備は、どのような段階を経るのか、最終目的としての非武装に達するのには、どの程度の期間を必要とするのかという問題ですが、それはいずれも明確ではありません。
四つの条件を勘案しながら縮減に努めるという以上、何年後にはどの程度、何年後にはゼロというように、機械的に進める案をつくるということは、明らかに矛盾することであるばかりか、それこそ現実的ではないのではないでしょうか。
重要なことは、どんなに困難であろうと、非武装を現実のものとする目標を見失うことなく、確実に前進を続ける努力だということです」(84頁)
しかし、四つの条件は、いつ整うのでしょうか。もし、それらが百年後、千年後、万年後も整わなければ、自衛隊の縮減はできないということです。
石橋氏は、ぬけぬけと書いています。「最終目的としての非武装に達するのには、どの程度の期間を必要とするのかという問題ですが、それはいずれも明確ではありません」!
いつ非武装が実現できるか不明だと言っている!
核兵器廃絶論者同様、非武装中立論者も、それがいつ実現できるのか示しえません。何れできるに違いないと言い張っているだけです。オレオレ詐欺ならぬイズレイズレ詐欺でしょう。
そして、四つの条件が整わない内に、非武装中立を掲げた日本社会党の方が、先に消滅してしまいました(笑)。
やっぱり、詐欺だったんですね。
9.専守防衛
専守防衛とは、「第二次世界大戦後の日本の防衛戦略の基本姿勢であり、防衛上の必要があっても相手国に先制攻撃を行わず、侵攻してきた敵を自国の領域において軍事力を以って撃退する方針のこと」であるらしい。
その専守防衛について、石橋氏は書いています。
「日本が本当に専守防衛に徹するというのであれば、これからの戦争は一〇〇パーセント、われわれの国土のなかで行われるのであり、(中略)だからこそ、私たちは軍事力を否定しているのです」(70-71頁)
専守防衛について、石橋氏と同じ認識に立ちながら、全く反対の結論を導き出すことは可能です。
「日本が本当に専守防衛に徹するというのであれば、これからの戦争は一〇〇パーセント、われわれの国土のなかで行われるのであ」るから、それを避けるために、専守防衛は放棄されなければならない。だからこそ、私たちは軍事力を肯定しているです、と。
石橋氏の言論の中には、このように、逆立ちさせると正論になるような主張が散見されます。
10.逆立ちさせたら正論
・「軍事力を必要だと認めれば、有事立法を認めるのは当然だということになるからです。軍隊を持ち、軍事力で対処するといいながら、有事立法の必要はないなどというのはおよそ馬鹿げた話です。有事に際して、軍隊が最も効果的に活動できるようにするために、法体系を整備すること、あるいは軍の活動を支える全国家的総動員態勢をとるために、法律を作ったり改正したりする必要があるというのは、軍備を認める限り当たり前のことなのです」(189頁)
・「軍事同盟は本来双務的なものですから、アメリカの来援を確実なものにするためには、日本もアメリカの戦争には参加するという態度を明確にしなければならないのではないかという問題」(61頁)
・「日本の軍事力だけでは国を守ることはできない。したがって、いざというときにはアメリカの来援に期待するという。それならば、日本もアメリカの戦争にたいして、日本は関係ないなどということを言うのは、絶対に許されないのだということを知らなければならないのです」(197頁)
最後の引用文の「絶対に許されない」かどうかはともかく、これらは正論でしょう。
もっとも、石橋氏は、だから軍事力の保持も、日米安保にも反対の立場なのですが。
石橋氏の、逆立ちさせたら正論な議論を読んでいると、この人は本音は武装同盟派だけれども、日本の軍事大国化?を抑制するために、自らは信じていない非武装中立論者を演じていたのではないかと、ふと思えたりするのですが。
11.暴挙?
・「一九八〇年八月一八日の、『わが国領空の警察行動を行っている航空自衛隊の迎撃戦闘機に、同日以降、空対空誘導ミサイルの実弾を装備することにした』という防衛庁の発表です。そして翌一九日には、引き続き矢田海上幕僚長も『有事即応態勢を強化するため、来月ごろから、海上自衛隊の艦艇や対潜哨戒機に実弾魚雷の積み込みを始める』と述べているのです。(中略)いままで何の不都合もなかったにも拘らず、なぜ急に実弾を装備しなければならないのでありましょう。(中略)実弾魚雷を常時搭載するという暴挙を敢て行なおうとしているということであります」(21-23頁)
普通のまともな国の軍隊なら、実弾を装備しているのは当然です。むしろ、していない方が「暴挙」ならぬ愚挙です。
日本の軍隊が実弾を装備していなかったということは、そして、「いままで何の不都合がなかった」ということは、それまではアメリカが日本を守っていたということです。つまり、実質的に、米占領下にあったということです。
非武装中立論及びその法的表現としての憲法九条は、米占領下という特殊的かつ期間限定的に、わが国で咲いた徒花です。
その支持者たちは、それを全く理解していません。
12.終わりに
・「軍事力によらず、いかなる国とも軍事同盟を締結せず、あらゆる国々と友好的な関係を確立するなかで、攻めるとか攻められるとかいうような心配のない環境をつくり出し、国の安全を確保しようという憲法の考え方を実践することこそ、まさに時代の先端を行くものであります」(40頁)
いわゆる、お花畑な主張です。
良い年をした大人の男が、真顔でこんなことを言ってるのが、信じられません。