「男性脳は問題解決型、女性脳は共感型」と真理の探究

1.妻のトリセツ

前回公開の記事で、自称婚活中であるとカミングアウトしましたが、最近女性の気持ち、あるいは思考を理解するために、ベストセラーの黒川伊保子編著、『妻のトリセツ』(講談社+α新書)を買って、読んでみました。
結婚している男性にとっては、膝を叩きたくなる箇所が満載なのかもしれませんが、独身の私には、書かれていることが本当のことなのかどうか、どうも実感が湧きませんでした。

ただ、「『夫にひどく厳しく、子どもやペットにはべた甘い』が母性の正体であって、男たちがロマンティックに憧れる『果てしない優しさ』が母性なんかじゃないのである。(中略)男にとって結婚の継続とは、女性の母性ゆえの攻撃から、いかに身を守るかの戦略に尽きる。(中略)家庭を、のんびりくつろぐ癒しの場所だと思ったら大間違い。それは、母親の翼の下にいた時代の家庭のことだ」(5-6頁)の箇所には、ゾッとさせられました。

なるべく、婚歴はあっても子供(孫)がいない、またペットを飼っていない女性を探した方が賢明だろうなあ。参考になりました。

2.女性は問題解決ではなく、共感を求めている

今日男女の違いを、何でもジェンダー(社会的・文化的な性差)によって説明する進歩思想が、世を風靡しています。が、それは現代の迷信でしょう。何れ、反動が来るのは必至だと思います。

それはさておき、男性脳は問題解決型で、女性脳は共感型、との主張は、男女の性差が、ジェンダーよりももっと根深い所に由来することが暗示されていますし、それゆえに、この説はジェンダー派にとっては、面白くない、否定すべき言説であることでしょう。
その原因が、社会的・文化的なのか、生物学的なのかはともかく、男性は問題解決を求め、女性は共感を求めるという仮説は、どうも真実であるように思います。

昨年発売された雑誌『月刊 Hanada』2020年11月号に掲載された、「人間だもの 村西とおるの人生相談」への質問は下記のようなものでした。

「『意見はいらない!ただ聞いてろ!』と嫁が毎日のように怒鳴ります。仕事から帰宅するなり、小一時間は嫁の愚痴を聞くことに。それなのに、なんたる言い種(ぐさ)か。九割九分は『うんうん』うなずいて、一分で『反抗期だからねえ』とつぶやいて何が悪いのか。息子が反抗期で毎日つらいのはわかるが、あんたの“地”のほうがよっぽどつらいよ。『意見はいらない!』なら地蔵に向かって話せ、と思う私は甲斐性のなしの旦那でしょうか」(172頁)

「意見はいらない!」
これを読んだ同じ頃、職場にお客様の奥方が来社されました。女性同僚に娘さんとの軋轢のことを長々話し、解決策を求めていない、ただ共感が欲しいと訴えたのを横で聞いていて、印象的でした。後で、同僚に、女性はそうなん?と聞いたら、そうだと言う。
女性は問題解決よりも、共感を求める。既婚の、賢い男性にとっては自明なことなのかもしれませんが、私には初耳でした。

男性脳は問題解決型、女性脳は共感型、というのがもし本当ならば、女性の学者や物書きだって例外ではないのかもしれません。少なくとも、男性と比べて、その傾向が強いのではないか。これまでエッセイやコラムやブログを読んできた女流について改めて考えてみると、思い当たる節がない訳ではありません。
彼女たちは、真実や真理よりも、自分の文章への共感の方が優先なのかもしれません。

3.男女と真理探究

男性は問題解決を求め、女性は共感を求める。
これは、全く当たっていないのでしょうか、それとも、当たっているけれども、学問やエッセイやブログに関しては女流も問題解決を優先するのでしょうか、それとも、それは当たっていて、学問その他の分野でも、女性にとって共感が第一で、問題解決は二の次なのでしょうか。

『妻のトリセツ』の著者は真理を追究して、男性脳は問題解決型、女性脳は共感型、との結論に達したのでしょうが、著者の意図はともかく、その説は女性よりも男性の方が真理探究に適していることを、図らずも示してしまったように思います。

ポリコレ旋風によって、当分の間、学問の世界は女性学者の数が増えるでしょうが、たいていの分野で、真理の探究を担うのは、これまで同様、今後も男性の学者だろうと思います。