なぜ日本のリベラルは社会主義国の人権侵害を批判しないのか

1.EUと米英加による対中制裁

中共が同国内のウイグル族の人権を侵害している(宗教の自由に対する厳しい制限、強制労働の断行、収容所での大量拘禁、強制不妊手術、ウイグル人の遺産に対する破壊他)として、3月22日にEU及び米英加が一斉に対中制裁を発動しました。

アメリカは1月20日、共和党のトランプ氏に代わって、民主党のバイデン氏が大統領に就任しました。共和党は保守であるのに対して、民主党はリベラルです。トランプ政権は1月19日に、中共のウイグル族らに対する迫害に対して、ジェノサイドの認定を行いましたが、この度の対中制裁の発動は、リベラル派の大統領によってなされました。

一方わが国では、EUや米英加による制裁に同調すべきだとの意見が、保守派から発せられましたが(たとえば、「対中人権制裁 日本の不在は恥ずかしい」)、リベラルからはそのような声は上がりません。

アメリカではリベラルの大統領が制裁を呼び掛けているのに、なぜわが国のリベラルからは中共の人権侵害に対する抗議が表明されないのでしょうか。

ジャーナリストの江川紹子氏は、ツイッターで次のように書いています。

「人権問題で中国を批判する人の中には、自国等の人権問題には冷淡で、中国を非難する問題だけに熱心という人がいる。関心があるのは中国批判であって、人権ではないんだろうなあ・・・」(注)

これは、わが国のリベラル派らしい発言です。

2.日本リベラルの「出自」

アメリカは、日本や欧州とは違って、冷戦時代も有力な社会主義政党、共産主義政党はありませんでした。当時から共和党は保守で、民主党はリベラルでした。すなわち、アメリカのリベラルは、冷戦中もリベラルでした。

一方、日本は冷戦時代、社会・共産主義政党(日本社会党、日本共産党)が国会で少なからぬ勢力を有していましたし、1955年以来社会党は野党第一党でした。当時は政界のみならず、一般社会でも社会・共産主義者は多かった。

ところが、冷戦終了後、多くの社会・共産主義者たちは、徐々にリベラルへ転向して行きました。日本社会党の消滅が、それを良く表しています。そして、冷戦中からリベラルだった人たち(旧リベラル)と、冷戦後リベラルへ転向した元社会・共産主義者たち(新リベラル)が合流して、リベラル政権が誕生しました。それが、民主党政権(2009-2012)です。

現在、左派の主流派にして多数派は、社会・共産主義者ではなくリベラルです(「左翼としてのリベラル」)。けれども、アメリカとは違って、日本は過去に社会・共産主義者だった履歴を持つリベラルが多い。

今日のリベラルに、あなたは社会・共産主義を信じているかと問えば、殆んどの人たちは否定するでしょう。しかし、彼らの頭の片隅には、どうも社会・共産主義的残滓がへばり付いているように思えてなりません。

なぜそう言えるのでしょうか。
彼らは、社会主義国を批判しないからです。もし彼らが、真っ当なリベラルなら、自由や民主主義や人権や法の支配を実施していない点で、中共や北朝鮮を批判しているはずです。しかし、日本のリベラルは、社会主義国を批判しません。なぜでしょうか。冷戦時代に社会・共産主義者だった、あるいはそのシンパだったという彼らの思想的「出自」がそのような言動を取らせるのだと思います。

3.社会主義者は社会主義国を批判しない

新左翼同士とか、講座派と労農派との、その後の日本共産党と日本社会党・社会主義協会との論争とか、各国の共産党と路線を巡っての相互批判とかはあったでしょうが、日本の社会・共産主義者は社会主義国の内政に関しては、殆んど批判していないと思います。
たとえば、冷戦時代に、ソ連や中共において、人権が蹂躙されていると非難したわが国の社会・共産主義者は、どれほどいたでしょうか。

では、なぜ彼らは社会主義国を批判しなかったのでしょうか。社会・共産主義者には、次のような共通認識があったからではないでしょうか。

第一。資本主義よりも社会・共産主義は勝れた体制である。

第二。社会主義国は誕生して間もないし、いまだ発展途上にある。しかし、遠からず発達した共産主義社会が実現するに違いない。だから、今は彼らを外部から安易に批判してはならない。

第三。むしろ批判すべきは、何れ没落する運命にある資本主義社会である。だから、同体制批判に集中せよ。

もし資本主義よりも社会主義体制の方が優れていれば、第一から第三の原則も間違っていなかったでしょう。しかし、現実は違っていました。というよりも、正反対でした。
戦後、西側自由主義国は政治的にも、経済的にも発展したのに対して、社会主義国は政治的にも経済的にも停滞して、自由、民主主義、人権、法の支配の点で、あるいは国民の豊かさの点で、資本主義国にはるかに及びませんでした。

ところが、社会・共産主義者たちには、資本主義よりも社会主義社会の方が勝れているはずだとの思い込みがありました。その結果、社会主義国よりもずっと増しなのに、資本主義国は散々批判する一方、資本主義国よりもはるかに酷いのに社会主義国は批判しないという滑稽かつグロテスクな言動を行うことになってしまったのです。
人民は、東から西へ、北から南へ逃げているのに、西や南の体制よりも、東や北の体制の方が優れているに違いない!と考えたのです。

4.日本のリベラルはソーシャリベラルである

日本のリベラルが社会主義国を批判しないのは、社会・共産主義の尻尾を引きずっているからです。あるいは、元社会・共産主義者が主導権を握っている、リベラル派の言論空間の中にあって、かつて社・共主義者であったことのない人たちも、そのような空気に圧されて、社会主義国を批判するのが禁忌となっているからでしょう。

日本のリベラルは、ソーシャリストではありません。かと言って、純粋なリベラルでもない。社会・共産主義が抜け切れていないがゆえに、社会主義国を批判しない、言わばソーシャリベラル(socialiberal=socialist+liberal)なのだと思います。

5.ソーシャリベラルも社会主義国を批判しない

ソーシャリズムを引きずっているリベラルは、社会主義国を批判しません。
社会主義国が、国内で人権侵害を行っても、日本人を拉致しても、核兵器を開発しても、日本に向けてミサイルを発射しても、東シナ海で領海や領空を侵犯しても、非難しません。沈黙=黙認です。

6月2日付朝日新聞に、「ミャンマーを支援 声を上げる作家ら」という記事が掲載されました。

「ミャンマーのクーデターで国軍が権力を掌握して4カ月となった1日、作家やミュージシャン、映画監督ら67人が共同声明を発表した。日本政府に、ミャンマー軍関係者などへの制裁を求めている。この日、東京都内で記者会見を開き、ミャンマーで1カ月近く拘束され、先月帰国したフリージャーナリストの北角祐樹さんや作家の落合恵子さん、音楽評論家の湯川れい子さんらが参加した。
声明では、日本政府に制裁を求めた上で、『民主主義への道を再び回復できるような支援策をただちに講じてください』などと訴えた。声明にはミュージシャンの坂本龍一さんや、作家の瀬戸内寂聴さん、作家・クリエーターのいとうせいこうさんらが名を連ねた」

この声明に参加した文化人たちは、ウイグルでの人権侵害に対しても、同様な共同声明を発表したでしょうか。していないでしょう。なぜしないのでしょうか。
ミャンマーは軍事政権の国であるのに対して、中共は社会主義国だからでしょう。あるいは、この度の制裁を求める声明は、中共の人権侵害から世間の目を逸らせるための、あるいはそれを相対化するための援護射撃なのかもしれません。
この共同声明に参加した人たちは、ソーシャリベラルな人たちなのだと思います。

先の、江川紹子氏の発言は、次のように言い換えることができます。

「人権問題で社会主義国を批判しない人たちの中には、自国等(=資本主義国・軍事政権の国)の人権問題には熱心で、社会主義国を非難する問題だけに冷淡だという人がいる。関心があるのは、資本主義国批判=社会主義国擁護であって、人権ではないんだろうなあ・・・」

自由も、民主主義も、法の支配も実現していないし、人権も保障していない社会主義国を批判しないソーシャリベラルな人たちは、自らの思考の異様さに、どうしていつまでたっても気がつかないんでしょうか?

(注)https://twitter.com/amneris84/status/1375091119013441537