戦前の右翼は、国家社会主義を掲げていました(注)。
二・二六事件は国家社会主義者北一輝の影響を受けていますし、ナチスは正式名称が国家社会主義ドイツ労働者党です。
因みに、コトバンクの国家社会主義の項目によれば、
「資本主義社会の矛盾を国家の手によって解決しようとする思想と運動。階級闘争によって社会問題を解決するという思想を否定し、国家の干渉によって社会主義的要求の一部を実現しようとするもの・・・・」【百科事典マイペディアの解説】
「国家の手によって社会主義(厳密には社会政策)の実現を図ろうとする思想ならびに運動を意味する」【日本大百科全書(ニッポニカ)の解説】
とあります。
では、現在の右翼は国家社会主義を標榜しているでしょうか。
中には、そういうズレた右翼もいるかもしれませんが、殆んどはそれを否定するでしょう。
なぜ戦前は肯定で、戦後は否定なのでしょうか。
元々右翼は固定的な経済思想を持っていません。たまたま国家あるいは国際(国家=右翼、国際=左翼)社会主義が当時の流行思想であり、それを用いればより良き社会が実現できると考えたからでしょう。
右翼はその時々によって、最も適当だと考える経済思想をプラグマティック(実利的)に選択しているだけです。右翼的経済学というようなものはありません。
実は、この点保守派も同じです。保守にだって、固定的な経済思想、保守主義的経済学などというものはありません。彼らもまた、その時代に即した経済思想をプラグマティックに選択するだけです。
ということは、同じ右翼、同じ保守派だからといって、経済思想に関する立場が同じだとは限らないということです。
では、左派はどうでしょうか。左翼的経済学というものはあるでしょうか。あるとも言えるし、ないとも言えます。
冷戦時代の左派の多数派にして主流派は、マルクス主義者でした。そして、周知の通り、マルクス主義経済学、社会主義経済学というものはあります。
しかし、冷戦後、時間が経過するにつれて、左派の多数派にして主流派は、社会・共産主義者からリベラル派へ移行しました。それでは、後者には、リベラル流経済学というものはあるでしょうか。ありません。
リベラルも、右翼や保守と同様、その時代に適切だと考えられる経済思想をプラグマティックに選択するだけです。
マルクス派には固定的な社会主義経済学というものはありますが(もっとも、解釈の違いによって様々な流派があるでしょうが)、右翼にしろ保守にしろリベラルにしろ、特定の経済思想はありませんし、ということは政治的立場が同じだからと言って、それに対する意見が一致するとは限らないということです。
新自由主義だとか、グローバリズムだとかの言葉を時々見かけます。そもそも各々の概念が多義的かつ曖昧ですが、それはともかく、新自由主義に賛成か反対か、グローバリズムに賛成か反対かということと、政治的立場の左右とは無関係です。
もし関係があるという人物がいるとすれば、彼の論法は次のようなものでしょう。
私は保守(リベラル)である。
私は、新自由主義(グローバリズム)に反対(賛成)である。
故に、新自由主義(グローバリズム)に賛成(反対)する者は、左派(右派)である。
福田恒存氏はあらゆることを論じたけれども、経済は語らなかったと誰かが書いていたのを読んだ記憶がありますが、経済思想には最新しかありません。ということは、時代が変われば古くなるということです。
次の時代になれば反故になってしまうようなことを論じなかった福田氏は、賢明だったと思います。
(注)
国家社会主義者は社会主義=統制経済を主張しているから、左翼だと言う人もあります。私が尊敬する渡部昇一氏もそのように主張しています。しかし、それは誤解です。右翼が、その時代にたまたまそのような経済思想的立場を選択しただけです。なので、国家社会主義は左右のどちらなのかと言えば、やはり右翼です。