1.右翼と保守の違いが分からない
テレビ朝日の番組「朝まで生テレビ」は、1987年4月26日にスタートしたそうで、現在も続いています。
今から三十一年前、1990年2月24日放送分のタイトルは、「激論! 日本の右翼」でした。それは本になり、同年6月に出版されています(1)。
出演者たちは楕円の形で着席し、向かって正面中央に司会の田原総一郎氏が、左側に番組の常連出演者が、右側に右翼の論客たちが坐り、右翼というものを巡って討論が行われました。
討論の後半に、会場の男性から、「右翼と保守の区別をどういうふうに考えていらっしゃるのか」との質問があり、それに答える形で議論が進められました。
「田原(総一郎) 鈴木(邦男)さん、どうかな。
鈴木 保守は戦後の日本を守っていこうとしている。右翼は、戦後日本はだめなんだと、日本を改革していこうという、反体制の運動だと思います。
田原 そうすると、西部(邁)さんは右翼になるのか、保守かな
西部 そういうふうな保守もありますが、私が思うほんとうの保守は、伝統を守るということ。問題は、じゃ伝統とは何かということになりますが、そこでぼくは右翼と違うんですが、言葉というのは非常に危険なもので、左端に飛んでいったり、右端へ飛んでいったり、きわめて緊張、亀裂にとんだものである。ぜひともそこで、右翼と左翼、飛行機でいえば、両翼がなければ飛ばないのが飛行機であって、それゆえ保守、つまり伝統の神髄というものは人間のバランス感覚にあると思う。そういう意味でぼくは保守と右翼というのは、伝統理解において違うと思う。
小田(実) わかったようなわからん話だ(笑)。
鈴木 右翼というのは非常に穏和なことをひかえ目に言っているにすぎない。かえって、文化人の西部さんとかの方が過激だ。
田原 西部さんのほうが右翼っぽいね(笑)。
鈴木 昔は清水幾太郎とかは、日本は核武装すべきだとか言っていたでしょう。
田原 そんなことは右翼は言わないね
鈴木 誰も言わないですよ。外国の右翼とも違いますね。もう一度アメリカと戦争をすべきだとか、過去の栄光を取り戻すべきだとか、他の外国人労働者を蹴散らせとか、そういうことは誰も言ってないですよ。
田原 西部さんと鈴木さんのどこがちがうの?」
「朝まで生テレビ」などを見ていると、いつも肝心なところで、話題を別の方向に逸らす出演者がいますが、最後の田原氏の発言の後、高野孟氏(2)が、「というより、ぼくは今日は一つのことしか言ってないんですが、右翼は反体制なんですよ、本質的に」と発言して、せっかくの議論を別の方向へ持って行っています。
西部氏の後の小田氏の発言、「わかったようなわからん話だ(笑)」は正しい。
それにしても無残です。
第三節でも述べますが、鈴木氏は一応右翼と保守の違いを理解していますが、保守の大家であるらしい西部氏が、両者の違いを理解していないとは!
右翼と保守の違いを説明する場合、右翼のA氏、B氏、C氏・・・・に共通した特徴と、保守のa氏、b氏、c氏・・・・に共通した特徴を抽出し、両者の違いを端的に述べる必要があるのですが、西部氏が保守を論じる場合は、一般的なそれではなく、特殊的な、西部氏流のそれ(「私が思うほんとうの保守」)を語るから、つまり、一般的な右翼論と特殊的な保守論を対置するから、議論に混乱ないし齟齬が生じるのです。
それでは、極右、保守、左翼との違いを中心に、右翼とは何かを論じようと思います。
2.右翼と極右
マスメディアやネットでは、右翼以外に極右という言葉が使われています。が、右翼と極右はどう違うのでしょうか。
たとえば、「本と雑誌のニュースサイト/リテラ」は、国政選挙の前にウヨミシュランと題して、右派候補の危険度を格付けで示していますが、2017年10月の衆議院議員選挙の前の記事はこうです。
「総選挙・自民党の極右候補者リスト『ウヨミシュラン』発表! 日本を戦前に引き戻そうとしているのはこいつらだ!」(3)
「日本を戦前に引き戻そうとしているのはこいつらだ!」の文言は秀逸です(笑)。筆者の社会認識のズレが、良く表われています。
さて、そこには自民党の「トンデモない極右候補」が「30人ピックアップ」されています。挙げられているのは、今津寛、小野寺五典、石川明政、簗和生、新藤義孝、松村博一、菅義偉、義家弘介、平将明、菅原一秀、下村博文、大西英男、土屋正忠、荻生田光一、斎藤洋明、稲田朋美、古屋圭司、城内実、長尾敬、山田賢司、高市早苗、二階俊博、加藤勝信、安倍晋三、平井卓也、井上貴博、原田義昭、麻生太郎、木下稔、杉田水脈の各氏です。その総選挙で、今津氏と土屋氏は落選しましたが、その他の人たちは当選して、現在衆議院議員です。
その30名は「極右候補者」とされていますが、菅義偉首相や安倍前首相を初め、彼らは極右なのでしょうか。1993年10月朝日新聞東京本社で拳銃自決した野村秋介氏は右翼だとされていますが、彼らは野村氏よりも政治的に右寄りなのでしょうか?
そんなはずはないでしょう。
右翼や極右という言葉が雑駁に用いられているのです。
昨今、アメリカばかりではなく日本でも、左派と右派の分極化=左派と右派の言葉と話が通じなくなっていることが指摘されますが、その原因の一つは、論者が言葉を恣意的に、自派に都合の良いように用いていることにあるでしょう。
右翼や極右という言葉を正確に使うには、一旦理念型というか、その原型に立ち返ってみる必要があるでしょう。
そもそも右翼、左翼という言葉は、フランス革命期の議会において、議長席から見て右側に保守派が、左側に進歩派が席を占めたことに由来します。それ以来、保守派を右翼(右派)と呼び、進歩派を左翼(左派)と呼ぶようになりました。
「席を占めたことに由来」するというように、右翼、左翼という言葉は議会政治の実施を前提とします。もし議会政治が行われていなければ、これらの言葉は生まれていないでしょう。
もっとも、最初は議会内における勢力の政治的色分けに使われていたのが、現在では左翼メディアとか右派言論人とかの呼称が示すように、議会外の、個人または組織に対する政治的色分けにも、右翼・左翼の言葉が使われています。
では、極右・極左とは何でしょうか。
極右とは、右翼全体の中の極端な人たち、あるいは普通の右翼と違って、彼らよりもさらに極端な立場の人たちのことであり、極左とは、同様に左翼全体の中の極端な人たち、もしくは穏健な左翼と違って、彼らよりもさらに極端な立場の人たち、だと言えます。
けれども、極端とは何が極端なのでしょうか。
主張内容の極端でしょうか。そうだとしましょう。
しかし、主張内容が極端であるかどうかは、誰が判定するのでしょうか。極右から見れば、穏健な左翼だって極端に思えるかもしれませんし、極左から見れば、穏健な右翼だって極端に思えるかもしれません。
主張内容が極端であるか否かだと、政治的立場が異なる人にとって、穏健派と極端派の判定がバラバラになります。穏健な右翼と極右の、穏健な左翼と極左の区別が恣意的かつ不明になって、ますます話が通じなくなります。
恣意的になるのを避けるためには、客観的な基準が必要です。何か客観的な基準になる指標はないでしょうか。
二十世紀型左翼=社会・共産主義者の場合、暴力革命によって共産主義社会を実現しようと考えたのが極左であり、民主政治の下、選挙に勝ち、議会で多数派を占め、政権を握ることによって、平和的に社会・共産主義社会を実現しようとしたのが(極端ではない)左翼です。要するに、暴力革命論者が極左であり、平和革命論者が左翼です。
それと同様、暴力を用いてでも自己の政治的目的を達成しようと考えるのが極右であり、言論や出版を通じて、あるいは議会で多数を制し、政権を担うことによって、政治目的を実現しようと考えるのが穏健な右翼でしょう。
右翼と極右、左翼と極左を分かつ客観的な基準を設けるとしたら、暴力否定か肯定かという観点以外にありえません。
すなわち、暴力を否定するのが穏健な右翼と左翼であり、肯定するのが極右と極左です。
欧米日の議会内と、議会外の個人または組織の政治的色分けを、飛行機の機体のたとえを用いて論じましょう。
欧州には多党制の国が多い。そして、多党制の国には中道政党というのがあります。右翼・左翼という言葉が生まれたフランス革命期にも、両者の間には中間派がいました。
飛行機の胴体部分に当たるのが中道政党です。胴体部分を、操縦席から尾翼にかけ、真ん中で線を引き、機体を左右二つに分けます。胴体の右側に相当するのが中道右派であり、左側に相当するのが中道左派です。右の翼に当たる勢力が右翼政党であり、左の翼に当たる勢力が左翼政党です。そして、翼の左右先端部分に相当するのが極左と極右です。
一方、米英のような二大政党制の国はどうでしょうか。
フランス革命期には、議長席から見て、右側に保守派が、左側に進歩派が席を占めたと書きましたが、「議長席から見て」は、真ん中から見てと同義です。
真ん中を基準に、右側は保守的勢力、左側に進歩的勢力とおおよそ二派に分かれているのが、二大政党制の国です。飛行機の胴体右側と右の翼の部分に相当するのが右派(右翼)であり、胴体左側と左の翼に相当するのが左派(左翼)です。二大政党制の国では、議会内のみならず議会外でも、右派と左派とを支持する人たちに分かれています。
アメリカは二大政党制の国であり、言うまでもなく右翼政党が共和党であり、左翼政党が民主党です。
そして、暴力を否定する両党の外に、少数ながら暴力を用いる勢力がいます。翼の左右の先端部分に相当するのが極左と極右です。
では、日本の場合はどうでしょうか。日本は欧米の両者ともズレがあります。
図書館や書店に行き、「右翼」に分類された棚を眺めれば分かりますが、欧米で極右とされる勢力は、日本ではただ単に右翼とされています。そして、極右ではない、穏健な右翼は保守です。
わが国では、飛行機の右の翼の先端部分のみが右翼であり、それ以外の右の翼及び胴体部分の右側は全部保守です。ちなみに、日本は自民党のみ強く、他の政党は弱小なので、一強多弱だと言われますが、同党は先端部分を除いた右の翼と胴体右側と胴体左側(リベラル)部分の勢力の相乗り政党です。
因みに、現在自民党と連立政権を組んでいる公明党はどうでしょうか。右派政党なのでしょうか、左派政党なのでしょうか。右派からすれば、胴体左側(中道左派)の立場に見えますし、左派からすれば、胴体右側(中道右派)に位置するように見える鵺的政党だと言えるでしょう。
右翼とは、欧州では右の翼の、先端部分以外に当たる勢力であり、米英では胴体右側と右の翼の、同じく先端以外の部分を合わせた勢力であり、日本では右の翼の先端部分に当たる勢力のことなのです。日米欧、同じ「右翼」という言葉でも、その言葉に該当する勢力は異なっているのです。
ところが、欧米の政治を研究する学者やそれを報道するジャーナリストは、現地で用いられている言葉をそのまま直訳して説明するために、日本の読者は頭が混乱するのです。それらの国の政治を論じる際は、同じ言葉でも、現地語と日本語の指し示す対象がズレていることを説明してから、論じる(報じる)べきなのです。
すなわち、欧米では、右派=右翼・保守+極右ですが、日本では、右派=保守+右翼なのです。
わが国では最右派は右翼なので、日本にはいわゆる極右はいません。
この節の最初に取り上げたウヨミシュランは、保守政治家に極右のレッテルを貼っています。これは明らかに事実誤認です。もし筆者が保守と右翼と極右の違いが分からなくて書いているのなら、無知だと言わざるをえませんし、もし知っていて、しかも右翼とか極右とかの悪のイメージを利用して、保守政治家に負のレッテルを貼ろうとしたのだとしたら、悪質です。「極左から見れば穏健な右翼だって、極端に思えるかもしれません」と書きましたが、筆者は極左なのかもしれません(笑)。
なぜ大切に扱うべき言葉を正確に用いないのでしょうか。そのような言葉の濫用は、正攻法では勝てない左翼の焦りを表しているのかもしれません。
3.右翼と保守
日本においては、右派=右翼+保守です。そして、右翼とは何か、を明らかにするには、保守と比較して、その相違を明確にするのが近道でしょう。
では、右翼と保守はどこが違うのでしょうか。両者の相違点はどこにあるのでしょうか。前節で大雑把に述べましたが、詳述しましょう。
第一節でも登場した、以前は右翼だった鈴木邦男氏は書いています。
「では一体、右翼とは何か。オーソドックスな理解としては、こういうのがある。日本が好きだ。愛国心がある。そういう人々の中で比較的穏和なのが保守派、反共派、伝統派だ。ひとまとめに『右翼的な人々』と言っていい。(中略)その右翼的な人々の中で『過激で暴力的』な人を右翼と呼んでいる。(中略)ただ『過激だ』というのは思想ではない。行動面のことだ。思想の過激さならば、右翼より過激な『保守派の学者』や『宗教家』はたくさんいる。かつて清水幾太郎は、日本は核武装すべきだと言っていたが、こんなことを言う右翼は誰もいない。大学の教授だからといって安心して過激なことを言っている人もいる。だが、その人を右翼だとは言わない」(4)
今日、「日本は核武装すべきだと言う右翼は誰もいない」かどうかはともかく、鈴木氏の言う「右翼的な人々」(=右派)の中で、過激な人が右翼であり、穏健な人が保守であること、しかし、過激と穏健は「思想」によってではなく、「行動面」によって区別されること、が指摘されています。
そして、それは正しい。
別にこれは鈴木氏の発見ではありません。現実に存在する(した)右翼と保守を観察すれば、そう判断せざるをえません。むしろ、右翼や保守をそのような意味で使わない人たちが、言葉の混乱に拍車をかけているのです。
右翼が絶対君主制で、保守が立憲君主制を、右翼が日米安保廃棄、単独防衛で、保守が日米安保堅持を、右翼が核武装で、保守が非核武装を、右翼が戦前肯定で、保守が戦後肯定を・・・・を主張しているわけではありません。ある政治問題に関して、右翼はAを、保守がBを主張する、という風に分かれているわけではありません。
右翼と保守は思想によってではなく、行動によって区別すべきなのです。言い換えるなら、前者と後者の違いは、主張内容にあるのではなく、主張形式にあります。
肉体言語(5)=暴力を用いてでも、自らの政治的主張を表現、もしくは実現しようとするのが右翼であり、非肉体言語=言論=非暴力的に主張を行おうとするのが保守です。
1932年5月15日、海軍の青年将校らが、内閣総理大臣犬養毅を殺害しました。五・一五事件です。
襲撃したグループの一人、山岸宏海軍中尉の回想によれば、犬養首相と青年将校たちとの間で、次のような会話がなされたそうです(6)。
「『まあ待て。まあ待て。話せばわかる。話せばわかるじゃないか』と犬養首相は何度も言いましたよ。若い私たちは興奮状態です。『問答はいらぬ。撃て。撃て』と言ったんです」
簡単に言うなら、右派の中の「話せば分かる」派が保守であり、「問答無用」派が右翼です。
ペンは剣よりも強し、という格言があります。その真偽はともかく、剣(肉体)で戦うのが右翼であり、ペン(言葉)で戦うのが保守です。
もっとも、いかなる状況下でも、右翼は剣で戦い、保守はペンで戦うというわけではありません。内乱が発生すれば、右翼のみならず保守だって武器を手に取るでしょう。
また、剣で戦うといっても、右翼は常に暴力に訴えるわけではありません。通常は言論活動や街頭宣伝を行っています。しかし、ある時、これは絶対に許せないと感じた時(ある個人の右翼人がそう判断した時)、剣に訴えます。
1987年1月、当時の住友不動産会長安藤太郎氏宅を襲撃した蜷川正大氏は、2017年11月に行われたインタビュー記事で述べています。
「嫌な言葉ですがテロを担保し留保しつつ運動することが民族派の原点だと思っています。暴力がいけないというのは、三つ子だって分かる」(7)
野村秋介氏も書いています。
「ときと場合によったら、暴力を是認し、人をも殺す可能性を秘めた、いうならば野をゆく飄々たる虎ではないのか。(中略)
中には、何も非合法ばかりが運動じゃない、合法的にやっても運動に変りはないと反論したい人もいるかも知らん。もしいたら、新自由クラブか自民党の青嵐会にでも入った方がいい。民族派など、早々にやめた方がよい。(中略)『非合法だけが運動じゃない』などと、ネボケたことを言う青年がいたら、右翼民族派の看板を降ろしてもらいたい」(8)
近現代の、自由で民主的な体制の国において、つまり、思想や言論の自由が保証されている限り、ペンで戦うのが保守であり、たとえ自由が保証されているにしても、場合によっては暴力的に、あるいは非合法な行為の使用も辞さず、政治目的を達成しようとするのが右翼です。
言論は非力である。だから、時に暴力に訴えるのも致し方ないと考えるのが右翼です。一方、言論は非力である。しかし、自分が為しうる言論及びそれが影響を与えることができる以上のものを政治や社会に要求してはならないと考えるのが保守です。
蜷川氏は、先に引用した発言の後、こう語っています。
「しかし、今の日本の平和と繁栄があるのは幕末期におびただしい血が流れ、明治維新を成し遂げられたから。時代の変革期にはどうしてもそういうことが必要だったりする」
近代民主主義より前の時代には、洋の東西を問わず、剣でもって政権交代が行われていました。その点わが国の明治維新も例外ではありません。だからと言って、自由や民主主義が導入された後も、政治問題を剣によって解決することは正当化できません。
要するに、右翼とは、思想や言論、表現や出版の自由が保証されていても、自分の気に入らない政治的主張・事柄に対しては、暴力を用いてでも、自己の意思を通す、そしてそれは正当だと考える直情径行の人たち、だと定義して良いでしょう。
最後に、右翼と保守を体現した典型的な人物の例を挙げましょう。
両者とも有名な作家です。三島由紀夫氏と石原慎太郎氏です。前者は右翼であり、後者は保守です。
三島由紀夫氏は、1970年11月25日、楯の会隊員四名と共に、自衛隊市ヶ谷駐屯地を訪問、東部方面総監を監禁しました。解放しようと総監室に突入しようとした幕僚たちに怪我を負わせ、その後バルコニーからクー・デターを促す演説をした後、割腹自殺を遂げました。
氏は、既存の右翼勢力に対しては批判的だったそうですが、非合法的かつ暴力的に政治的主張を訴えようとした点、やはり右翼の範疇に入ります。
ウィキペディアによれば、三島事件について、中曽根康弘防衛庁長官(当時)は、「民主的秩序を破壊するもの」と批判したそうですし、佐藤栄作首相も、当時の日記に「立派な死に方だが、場所と方法は許されぬ」と書いているそうです。保守政治家として、当然の評価でしょう。
一方、石原慎太郎氏はその言説から、かなり右寄りだと思われ、左派からは右翼だとかファシストだとか評されることもあります。しかし、主張は言論、出版の枠内で行っていますし、国会議員や東京都知事を務めました。つまり、合法的かつ非暴力の範囲内で活動を行っています。なので、石原氏は保守です。
4.右翼と左翼
第二節では右翼と極右との、主に言葉の違いを明らかにし、第三節では保守との比較によって、右翼というものを浮かび上がらせました。
この節では、右翼と左翼の違いについて論じようと思います。
もっとも、わが国では、右派=右翼+保守、左派=極左+(穏健な)左翼であり、その意味での右翼と左翼、つまり非対称的な右派の極端派と左派の穏健派を比較しても意味がないので、右派と左派の違いを論じるのが適切でしょう。
では、右派と左派とは、どこが違っているのでしょうか。
既に、書きました。そもそも右翼、左翼という言葉は、フランス革命期の議会において、議長席から見て右側に保守派が、左側に進歩派が席を占めたことに由来します。それ以来、保守派を右翼(右派)と呼び、進歩派を左翼(左派)と呼ぶようになりました。
Aという時代には、aという進歩思想を提起する人たちが出現します。彼らが進歩派です。それに反対する人たちが反a派=保守派になります。また、Bという時代には、左派はbという進歩思想を社会に投げかけます。それに対して、反対意見を奉じる人たちが、新たに反b派=右派を形成します。進歩派はその時々によって理念を掲げ、そのイデオロギーに基づいて、現存の政治経済社会的秩序に対して先制攻撃を行います。一方、保守派はその時々に応じて、防戦する。
時代によって進歩思想は変化をするので、それに応じて政治勢力としての進歩派と保守派も変動します。フランス革命期の左派=ジャコバン派と冷戦時代の左派=社会・共産主義者の主張内容が同一ではないのは言うまでもありません。また、将来どのような進歩思想が生まれるかは予想しえません。だから、主張内容によって左派・右派というものを一義的に規定することはできません。ただ、進歩的イデオロギーを掲げる勢力が左派で、彼らに対抗する勢力が右派だと呼びうるだけです。
さて、右派と左派の違いを見ていると、保守的か進歩的かとは別に、両者に特徴の違いがあるのが分かります。愛国的か反愛国的かという点です。一般的に保守派は愛国的であり、進歩派は反愛国(日本で言えば、反日的)です。勿論、左派はそれを否定しますが。
保守的・進歩的と愛国的・反愛国的とは、何か関連があるのでしょうか。右派が愛国的であり、左派が反愛国的なのは、論理必然性のためなのでしょうか。あるいは、何らかの関連があるのでしょうか、それとも両者は無関係なのでしょうか。
論理必然的な関連があるのだとしたら、どちらかが一義的で、どちらかが二義的なのでしょうか。あるいは、どちらが根源的で、どちらが派生的なのでしょうか。
以下は、私の仮説です。
進歩思想は先進国で生まれます。ある先進国で生まれたそれは、他の国々へ波及します。進歩思想が誕生した国は、進歩思想の輸出国となり、その他の国々はその輸入国となります。数で言えば、当然後者の方が、圧倒的に多い。そして、輸入国にとって、進歩思想はいつも外国産です。そのため、外国産の基準に従って、自国の政治経済社会制度や文化生活様式が考量され、結果的に否定されることになります。
他方の、進歩思想が生まれた当の先進国はどうでしょうか。進歩思想は、やはり自国で行われている政治経済社会制度や文化生活様式を否定し、新たな様式が行われることを要求します。
要するに、進歩思想は、その発生国においても、その波及国においても自国流を否定します。それに対して、保守派は基本的に現行の様式の、自国流のそれの肯定の立場です。
これが、保守派=愛国的、進歩派=反愛国的の根本因だろうと思います。
それに加えて、左派には反愛国を増幅する理由があります。
一般的に政治では、思想を同じくする者は味方であり、異にする者は敵だと判断されます。今述べましたが、左派は自国流を否定する。あるいは、外国流を肯定します。その結果、左派にとって自国流を否定する者、外国流を肯定する者は味方であり、自国流を肯定する者は敵だということになります。進歩思想は輸出国から輸入国へ拡散しますが、少し時間が経てば先進国流を肯定する者は、輸入国でも生まれています。そこで、左派は外国の味方と時に協力し、時にその力を借りて、自国の敵と戦おうとします。言い換えるなら、国内の右派と戦うために、外国の勢力と協力する。
「万国のプロレタリア団結せよ!」
マルクス主義では、労働者(プロレタリア)階級は、国境を越えて手を結び、資本家(ブルジョア)階級及び彼らが支配するブルジョア政府・国家を倒すべきだとされました。
歴史問題では、わが国の左翼は、支韓からの圧力を利用して、政府もしくは右派の歴史認識を改めさせようとしました。
一方、右派は基本的に自国流肯定の立場です。だから、それを改めるために、外国の勢力と結びつく必要はありません。外国と結びつく必要があるのは、安全保障の分野に関してのみです。右派は国内分裂を嫌うのに対して、左派は国内分裂を誘い、それを利用して国内改造を謀ります。
故に、左派は必然的に反愛国的なのです。
前に戻ります。保守的・進歩的と、愛国的・反愛国的とは何らかの関係があるのでしょうか。
以上に述べた理由から、右派は保守的であるがゆえに愛国的であり、左派は進歩的であるがゆえに反愛国的なのです。
愛国的か反愛国的かは、保守的か進歩的か、から派生します。だから、前者よりも、後者の方が根源的です。
左派は、自分たちの側こそが真の愛国的な立場だと言い張りますが、残念ながら、それは正しくありません。
5.最終的に守るのは何か
わが国の右派(右翼と保守)は幸福でした。日本が一民族一国家一天皇制の国だったから。
もっとも、それを否定する論者は沢山います。その殆んどが左派でしょう。彼らは、国家や社会の分裂を望んでいます。そのため、日本が単一民族国家であることが、都合が悪いのです。彼らは一生懸命に、日本が多民族国家であることを証明しようとしています。
わが国が、単一民族国家であるか否かは、日本国籍の所持者で、かつ日本民族以外の民族がいるかどうかによって判断できるでしょう。
民族は、人種とは違います。それは、同じ言語、文化、生活様式を有する者の集団、だと定義できるでしょう。
ではわが国には、日本民族とは別の民族はいるでしょうか。
大勢の外国人旅行者が訪日しているからといって、わが国が多民族国家であることの証拠にはなりませんし、在日韓国・朝鮮人を含めて、多数の外国人が居住しているからといって、やはり多民族国家であることの証明にはなりません。彼らは日本国籍を持っているわけではないからです。
アイヌはどうでしょうか。日本国籍を現有している彼らは、少数民族なのでしょうか。
彼らは日常生活において、アイヌ語を話し、アイヌ文化を享受し、アイヌ的生活様式を実践しているでしょうか。そのようなアイヌはいるのでしょうか。いないでしょう。
和人の言葉を喋り、和人のテレビを見て笑い、和人の新聞を読んで政治や社会に怒り、大晦日には紅白歌合戦を見て、正月には初詣に行っているのなら、彼らは日本民族です。アイヌは、少数民族ではなく、アイヌ系日本民族に過ぎません。
要するに、日本は単一民族国家です。
繰り返しますが、日本が一民族一国家一天皇制の国だったから、わが国の右派は幸福でした。
しかしその分、「最終的に守るのは何か」の問いに対しては、無自覚でした。それを曖昧にしたまま、右派は愛国的言動を行ってきました。
ナチス・ドイツは「一民族一国家」をスローガンに掲げました。今日それは頗る評判が悪い。けれども、それは彼らが最終的に守るものは何か、あるいは何を実現しようとしていたかを自覚していたことを示しています。
では、わが国の右派が、というよりも、日本自身が最終的に守るべきものは、何なのでしょうか。
民族なのでしょうか、国家なのでしょうか、天皇制なのでしょうか。あるいは、わが国の歴史、文化、伝統なのでしょうか、あるいは国家の三要素とされる主権または領土または国民なのでしょうか。
野村秋介氏は書いています。
「じゃあ右翼の本質とは何か。『国を守ることだ』といった人がいたよ。しかし、国を守るには自衛隊がいる。『天皇を守ることだ』という人もいたが、皇居には皇宮警察がある。『天皇制国家を確立することだ』といった人もいたが、それもウソだ。戦前の天皇制国家に戻すっていうが、それを倒すために昭和維新運動はあったんだよ。
ではギリギリ何を守るかだ。僕は歴史の中でつくられてきた天皇の理念だと思う。これが最終的にわれわれが守るものだと思う。天皇制という制度ではない」(9)
しかし、「天皇の理念」というのは曖昧です。Aという人物はaが天皇の理念だと言い、Bという人物はbこそが天皇の理念だと言った場合、どちらの主張が正しいのでしょうか、客観的に判定できるのでしょうか。
蜷川正大氏は、発言しています。
「われわれ民族派が何を保守しようとしているのか。それは日本の伝統文化であり、その原点である御皇室の存在です。これらを守ることこそが、真の保守だと思う」(10)
問題は、「御皇室」が、「日本の伝統文化」から外れた場合です。
たとえば、女系天皇が誕生した場合、男系の女性天皇が外国人男性と結婚し、その子が次の天皇になると決まった場合、そのような天皇制は守るに値するでしょうか。
日本の右派にとって、天皇制が最終目的なのでしょうか。
起こって欲しくないからと言って、起こらないとは限りません。将来何らかの政治変動が発生し、天皇制が廃されるような事態に直面するかもしれません。その時右派は、もう日本には守るべきものはないと言って絶望するのでしょうか。彼らは、右派を止めてしまうのでしょうか。
フランスはかつて王政であったり、帝政であったりしましたし、ロシアでは君主が、大公とかツァーリとか皇帝とか呼ばれた時代がありました。両国ともかつては君主制の国でしたが、今では共和制の国です。では、現在のフランスやロシアには守るべきものはないのでしょうか。両国に右派はいないでしょうか。勿論いますし、守るべきものはあります。
たとえ、天皇制が廃止されたとしても、日本には守るべきものはありますし、右派はいなくならないでしょう。
逆転の発想で、日本のあらゆる価値が失われた場合というものを想定してみるのも無意味ではないかもしれません。
わが国の反日派=左派の努力の甲斐もあって、尖閣が、沖縄が、そして日本の本土も支那に吸収合併されたと仮定しましょう。
主権も領土も奪われ、支那の一つの省になり、日本語も天皇制も廃され、日本が支那語と支那文化の地となった場合です。その時、旧日本人には日本人として守るべきものは何もなく、全てを諦め、支那人として生きて行くしかないのでしょうか。
それでも、旧日本人に守るべきものがあるとすれば、次のようなものではないでしょうか。
<他のあらゆる価値が失われても、それさえあれば再び日本が蘇生しうるもの>
それが、日本が最終的に守るべきものではないでしょうか。
イスラエルの建国が、そのヒントになるかもしれません。
ユダヤ人は、紀元一世紀と二世紀に自民族の国家を失い、多くの人たちがパレスチナを離れました(ディアスポラ)。それ以降、パレスチナを初め、世界中に散らばって暮らしていました。
その彼らが、1948年イスラエル建国を果たしました。再びユダヤ人の国家が地上に姿を現したのは、約千八百年ぶりでした。
建国以前には、ユダヤ人国家の候補地としてアルゼンチンやウガンダも挙がっていたいたそうですが、それらは拒否されました。ユダヤ人にとって、それらの土地は縁もゆかりもないからでしょう。シオン(エルサレム)の地に、かつて自分たちの民族国家があったという<記憶>こそが、彼らをしてイスラエル建国に駆り立てた動機ではないでしょうか。
もっとも、ユダヤ人がパレスチナに戻ったのは、千八百年代のロシアや東欧での迫害や虐殺(ポグロム)や第二次世界大戦中のナチス・ドイツによるホロコーストなどがあったからでもありますが。
とするなら、日本列島に相当する地域に、かつて日本民族が住む日本という国があったという記憶=歴史こそが、他のあらゆる価値が失われても、それさえあれば再び日本が蘇生しうるものではないでしょうか。そして、それがあれば日本国が、日本語が、天皇制が復活しうる。
ある人は言うかもしれません。吸収合併後、旧日本の歴史を支那に抹殺されたらどうするのかと。しかし、いまやデジタル情報の時代です。旧日本の情報は外国にもあり、それらの全てを抹消することは不可能でしょう。
ユダヤ人のように世界中へ離散したわけではなく、自民族古来の地で、自分たちの民族国家が再び蘇るのを目指して侵略者と戦っている人たちが現にいます。チベットやウイグルです。
一旦独立を失えば、その後何世紀にも亘って征服者と戦わなければならなくなります。日本は彼らの二の舞にならないようにしなければなりません。
あらゆる価値が失われた状態を招かないために、あるいは、国家の独立が失われるような状況をもたらさないために、右派は何をすべきでしょうか。
第一、そのような状態を誘う左翼とのイデオロギー闘争を、半永久的に戦う必要があるでしょう。
第二、国の軍事力の整備を怠らないよう、これもまた半永久的に社会に働きかける必要があるでしょう。
これまで幸運だったからといって、これからもそうであるとは限りません。日本が守るべき価値のいくつかが失われる日が来るかもしれませんし、いくつかの価値の内の、何れか一つを選ばなければならない日が、将来やって来ないとは限りません。
その時になってあたふたしないためにも、最終的に何を守るのか、について考えておいた方が良いように思います。
6.味方の要件、あるいは理性敵としての右翼
政治思想家のカール・シュミット(1888-1985)は「政治の概念」で、道徳の標識は善悪であり、審美のそれは美醜であり、経済のそれは・・・・と述べつつ、政治の標識は敵味方の区別であると書いています(11)。
シュミットは、一時期ナチスの協力者でありましたし、敵味方思考というのは、政治的な綺麗事主義者の人たちからは、眉を顰められます。けれども、その主張は、ある種の真理を衝いているように思います。
そして、私も敵味方思考をします。
私は異端の保守を自認しています。
これまでずっと、誰(どのような勢力)が味方であり、誰(どのような勢力)が敵であるのかを考えてきました。いまだ確定的な解答は得られていませんが、現在は次のように考えています。
味方の要件は二つです。
第一、愛国的であること。
これは、味方であることの最低限の要件です。
第四節で述べましたが、愛国的か否かは、保守的か否かから派生します。が、だからといって保守的である人間が必ずしも愛国的であるわけではないので、第一の要件を「愛国的であること」にしました。
第二、自由や民主主義を守る立場であること、です。
自由を守るとは、暴力否定の立場であることです。
第一と第二の要件の他に、というよりもそれらよりも前に、「知的に正直であること」を挙げたいと思いましたが、それはいささか曖昧でありますし、政治的立場によって相違がありそうなので省きました。
これまで述べてきましたが、政治的な右派・左派と、暴力肯定か否定かの二つの観点から、政治勢力を分けるなら、右翼、保守、左翼、極左の四種類になります。この四つの政治勢力を、上記の二つの要件に適用するなら、下記のようになります。
第一。愛国的であること。
この観点からすると、
愛国派=右翼、保守
反愛国派=極左、左翼
となります。
第二。自由や民主主義を守る立場であること。
この観点からすると、
暴力肯定の立場=右翼、極左
暴力否定の立場=保守、左翼
となります。
両方を総合すれば、保守にとって、自派のみが味方で、右翼も、左翼も、極左も敵だということになります。
右翼、左翼、極左は敵であるにしても、保守からそれら三派への政治的距離はどうなるのでしょうか。等距離なのでしょうか、それとも各々との距離は違っているのでしょうか。保守にとって、敵の優先順位はどう考えるべきなのでしょうか。
まず第一の要件で、極左と左翼が敵で、第二の要件で右翼が敵だとしましたから、敵の優先順位は①極左、②左翼、③右翼とすべきでしょうか。
理念上の敵味方と現実政治上のそれは分けて考える必要があるでしょう。現実政治では、暴力主義者は拒否ないし排除しなければなりません。
保守は、議会で左翼と席を並べることはできますが、右翼とは席を並べることはできません。なぜならば、右翼の職場は、議会の外なのですから。
保守にとって、主張内容が近い右翼と、主張内容は遠いけれども、主張形式が同じな(暴力否定の)左翼とどちらがより敵なのでしょうか。現実政治では、後者よりも前者の方が敵なのです。
保守にとって、右翼は心情的には味方ですが、理性的には敵です。
理性の立場から、保守にとって敵の優先順位は、①極左、②右翼、③左翼、ということになります。
【注】
(1)『朝まで生テレビ! 激論! 日本の右翼』、テレビ朝日
(2)個人的な感想ですが、私はこの高野孟という人が、その主張も人相も大嫌いでした。
(3) https://lite-ra.com/2017/10/post-3531.html
(4)鈴木邦男著、『これが新しい日本の右翼だ』、日新報道、21頁
(5)「社会的不条理や権力の腐敗・横暴に対して自らの肉体をかけた直接行動によってマスコミに事件を取り上げさせ、広く民衆の覚醒を訴えること」(衛藤豊久、野村秋介、飯野健治著、『行動右翼入門』、二十一世紀書院、29頁)
(6)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E3%83%BB%E4%B8%80%E4%BA%94%E4%BA%8B%E4%BB%B6
(7)(10)「『ネトウヨは男のすることじゃない!』右翼民族派の主張」
(8)『獄中十八年 右翼武闘派の回想』、二十一世紀書院、102-104頁
(9)『いま君に牙はあるか』、二十一世紀書院、267頁
(11)カール・シュミット著、菅野喜八郎訳、『清水幾太郎責任編集 現代思想1 危機の政治理論』所収、ダイヤモンド社
【折々の名言】
「しかし、こういう仕事を世に贈った人が、あとからどういう気持ちになるかといえば、それはあまりにしばしば花火師の心境に似かようのである。すはわち、長いあいだ辛苦して用意した自分の作品がついに興奮のうちに燃えつきて、さて感じることは、自分はなにか場違いのところにやってきたのではないか、観衆のすべてが盲学校の生徒であったのではないかと思う、あの花火師のあとあじに変わらないことがしょっちゅうありうるのだ」(ショーペンハウアー著、秋山英夫訳、『随感録』、白水社、17頁)(2021・8・27)