朝日新聞には、「核といのちを考える 核禁条約 発効へ」というテーマの記事が連載されているようです。昨年12月30日付同紙には、「作家・元外務省主任分析官」佐藤優氏が登場しています。最後に、(編集委員・副島英樹)と署名がありますから、副島氏が佐藤氏にインタビューをして、まとめた記事なのでしょう。
そこで、佐藤氏は語っています。所々引用し、それに対して論評します。
・「核兵器は絶対悪と言っていいと思います。もちろん私も元外交官ですから、抑止という考えは分かります。しかし、それが必ずしも機能するかということは怪しい」
もし抑止が絶対に機能していないと断言できるのなら、「核兵器は絶対悪と言っていい」かもしれません。しかし、「それが必ずしも機能するかということは怪しい」というのは、ひょっとしたらそれは機能しているかもしれないということなのですから、絶対悪とは言えないということになるでしょう。
それと、「それが必ずしも機能するかということは怪しい」というのは、日本語としておかしくはないでしょうか。「それは必ずしも機能しない」か、「それが機能するか(どうか)は怪しい」とすべきではないでしょうか。
・「自公連立政権の中で、核廃絶は意外と大きなウェートがある。核廃絶は創価学会の絶対的な真理です」
核廃絶は創価学会の絶対的な「理想」であるかもしれませんが、「真理」ではありません。「絶対的な真理」という言葉は、次のように使用すべきです。
核兵器より優れた兵器が生まれるまでは、同兵器廃絶の可能性が0%なのは、「絶対的な真理です」。
創価学会では真理という言葉を、上記のように用いているのかもしれません。が、朝日新聞は聖教新聞ではないのですから、一般世間の語法に従うべきでしょう。
・「シニシズム(冷笑主義)に陥ってはいけない。それこそ、冷戦時代に米ソが中距離核戦力(INF)全廃条約を結んだ時も、できるはずないとみんな言っていたわけですから」
INFに関しては知りませんが、冷戦時代であろうと何時代であろうと、国家を守るために必須ではない兵器の廃絶は可能ですが、必要な兵器の場合は、廃絶は不可能です。
核兵器が国家を守るために不可欠な兵器である限り、あるいはそれが時代遅れの兵器にならない限り、同兵器の廃絶は無理です。
・「核禁条約の根っこにあるのはヒューマニズムです」
私も、自分はどちらかと言えば、ヒューマニストだと考えていますが、日本が核兵器禁止条約に参加するのは反対です。「核禁条約の根っこにあるのは」、敢えて言わせてもらうなら、人間性と政治に対する理解の低さです。
核兵器廃絶論者たちは、必勝の信念があれば戦争に勝てると信じた、戦前のある種の人たちと同型の人たちなのだろうと思います。
信じて行えば、必ず核兵器の廃絶はできるに違いない!
・「脅威というのは、『意思×能力』です。北朝鮮との関係では、能力より意思をなくす方が現実的でリスクが少ない」
どのようにすれば、北朝鮮の対外的威圧行動の意思をなくすことができるのでしょうか。
普通の民主主義国家でさえ、政府の意思は変動しえます。ましてや、独裁主義国家の場合はなおさらでしょう。独裁者及びその取り巻きの意思は刻々と変化しているかもしれません。いくら脅威の「意思をなくす」努力をしたところで、ある日それは突然ひっくり返るかもしれません。独裁者心と秋の空。
とするなら、これまでも多くの論者が語ってきたように、意思よりも能力を基準に、北朝鮮の脅威に対処すべきだろうと思います。
ところで、佐藤氏はキリスト教徒でありながら、仏教の信徒団体である創価学会のファンであるらしい。学会系の雑誌『潮』に連載もしているようです。
私はどうも、氏が学会を利用しているように思えてなりません。
何のために?集客か政治のために。
集客とは言うまでもなく、著書や文章の拡販のためです。では、政治のためとは何でしょうか。
「抑止という考えは分かります」と言っておきながら、なぜ「核兵器は絶対悪と言っていいと思います」などと述べるのでしょうか。「核廃絶」を「絶対的な真理」だと考える学会への迎合のためではないでしょうか。
自民党もしくは日本の更なる右傾化をくい止めたいと考える佐藤氏が、その歯止めの役割を期待して、外部から影響力を行使するため、創価学会・公明党に接近している、というのが私の仮説です。