立派な朝鮮人売春婦・立派でない朝鮮人売春婦

戦前日本の植民地下の朝鮮で、同じ朝鮮人男性に身を任せても、日本人その他には身を任せないのを貫いた娼婦がいたとしたら、彼女は立派な売春婦です。

一方、金のためなら、朝鮮人であろうが日本人であろうが支那人であろうが満州人であろうが、枕を交わしたのは、立派ではない売春婦です。

売春婦になったぐらいだから、経済的に困窮していて、職業あるいは人生の自主的な選択などできなかったのかもしれません。しかし、中には、荒稼ぎできるから、「相手は誰でも構わない」を選んだ女性も少なくなかったでしょう。そして、日本軍の慰安婦になった人たちは、そのような人たちでしょう。

1991年8月14日、金学順さんが慰安婦であったことを明らかにした日を記念して、韓国では日本軍慰安婦をたたえる日が制定され、一昨年施行されました。
けれども、たたえられるべきは、たとえ売春婦であったとしても、朝鮮人男性にしか身を任せなかった女性たちではないのでしょうか。

金のためなら、誰であろうと身を売った人たちは、「たたえ」られるに相応しいでしょうか。
それとも、当時の朝鮮には志操ある娼婦など全くいなかったのでしょうか。

【追記】
私は、慰安婦問題の被害者は日本国および日本国民だと考えるので、「日本軍慰安婦被害者をたたえる日」の、「被害者」の語は、敢えて省きました。