福田恒存氏は戦後十年目の昭和三十年、雑誌『文藝春秋』6月号に「戦争と平和と」と題する論文を寄せています。
世がいわゆる戦後平和主義の潮流にある中で、そして戦後七十五年経った今でも、そこに浸り続けている中で、福田氏はその風潮とは無縁でした。それは、以下の言説で明らかです。
ところどころ引用しましょう(『平和の理念』、新潮社、昭和四十年より)。
・「私が自分の人間觀、文化觀にもとづいて、戰爭と平和とをどう考へてゐるか、まづそのことを書いてみませう。
私はこの人間社會から戰争は永遠になくならないと信じてをります。ある雜誌のインターヴューで、さう答へましたら、あまりにショッキングであり、反動的だといふ理由で沒になりました。文字どほり、私は理解に苦しむ。私に關するかぎり、すでに言論の自由がおびやかされてゐるやうです」(75頁)
(笑)。
戦後平和主義に取り付かれた人たちは、このような主張を見るだけで、表情が強張ってしまうのでしょう。
・「進歩主義の歴史觀からいへば、シーザーだのアレクサンダーなどといふ英雄は、民衆の命など藁しべほどにもおもつてゐない、支配者は自分の野心のため、平氣で民衆を犧牲にするといふことになつてゐるらしい。そんなばかな話はないので、かれらも、またかれらに支配されてゐた民衆も、戰爭と平和との相關關係をよく呑みこんでゐたでせうし、平和の贈物を實らせるために戰爭をしたり、戰爭をしなかつたりしてきたのです」(76頁)
わが国の、天下統一を目指した過去の武将たちだって、泰平の世を実現するために戦争をしたのでしょう。
反権力を掲げる左派メディアや文化人たちは、「進歩主義的歴史觀」に囚われているから、安倍晋三前首相のように、戦後平和主義という迷信の埒外にある政治家に対して、病的なまでに嫌悪し、批判的な言辞を弄するのだと思います。
・「原水爆であらうと惡魔であらうと、生まれてしまつたら、もうどうにもならないのです。あと私たち人間のできることは、さらにそれをおさへる強力なものの發明あるのみです」(78-79頁)
これも、戦後平和主義者あるいは核兵器廃絶論者には認めがたい主張でしょう。でも、認めがたかろうが、真実は真実です。
・「力の政治は力によつてしかおさへられません」(79頁)
有史以来、国際社会で繰り広げられているのは、「力の政治」です。話し合いによる平和とか外交による平和とかは、補助的な役割しか担っていません。主従を見誤っているのが、戦後平和主義者の特徴です。
・「ここ十年の平和を顧みて、じつさいそれが維持できたのは、ソ聯のためとも、平和論のためともいへない、アメリカの力もその大きな役割をなしてゐることは否めません。ソ聯とアメリカの武力が、原水爆が、平和を維持してきたのです」(85頁)
ここ七十五年の、日本の平和を顧みて、実際にそれが維持できたのは、憲法のためとも、戦後平和主義のためとも言えません。中共公船の尖閣侵入をみても明らかですが、自衛隊とアメリカの武力が平和を維持してきたのです。
・「戰争はかならず起るといふのは、過去に示された人間性の現實を見て、さう判斷するだけのことです」(87頁)
進歩主義者=左翼は、とにかく「過去に示された人間性」を、あるいは自分の内心を見ない人たちです。
・「私は元來、日本人を平和的な國民だとおもひます。(中略)たしかに日本人は神經が細かくて、我と我との摩擦をきらふのです。が、それが戰爭をきらふ氣もちにはならない。逆説めきますが、それがかへつて人々を戰爭に驅りやるのです。かう考へられないでせうか。一家の仲間うちの爭ひを嫌ふ日本人は、仲間そとにたいして、その逆に出る。仲間うちと仲間そとを極端にわけて考へるのは、封建制の名ごりといへさうですが、そればかりではなく仲間うちの、すなはち、國内のごたごたにたへられなくて、その結果、外に向ふといふこともありえませう」(92頁)
戦前日本は、経済力においても、軍事力においても、アメリカと比較して格段の差があったのに、なぜ無謀な戦いを挑んだのでしょうか。
東条英機氏以下の指導層は、カルトの信者でもなく、鳩山由紀夫氏のようなルーピーでもなかったはずです。陸軍と海軍の葛藤のような、「国内のごたごたにたへられなくて」、対米戦に突き進んだのではないでしょうか。