今年1月19日付朝日新聞の「日曜に想(おも)う」という記事の中で、編集委員の福島申二氏は書いています。
「港湾労働をしながら思索を深めた米国の哲人エリック・ホッファーが言っている。『人類を全体として愛することのほうが、隣人を愛するよりも容易である』
『人類』という抽象に対して、一人ひとりの人間は具体的な現実である。人類は美しいが人間は往々にして厄介だ」
その通りでしょう。
このホッファーの文句を言い換えるなら、人類を全体として愛することよりも、隣人を愛するほうが困難である、となるでしょう。
今では田舎でも外国人を見かけるようになりましたが、それでも私たちの隣人は、外国人よりも日本人の方が圧倒的に多い。
だから、日本人(国民)を全体として愛することよりも、個々の隣の日本人を愛するほうが困難である、と解釈すれば、ホッファーの言の正しさが分かります。
この原理を、さらに敷衍するとどうなるでしょうか。次のようになります。
移民を全体として愛することよりも、隣の移民を愛することのほうが困難である。
また、〇〇人(△△教徒)を全体として愛することよりも、隣の〇〇人(△△教徒)を愛するほうが困難である、という具合になります。
以上の感情は、人間にとって不都合ではありますが、また真実でもあります。
普通の、常識のある人たちはそれを理解しますが、一部に、それを認めない人たちがいます。リベラル派です。彼らは、〇〇人一般と同じように、隣の〇〇人をも愛せると信じています。
彼らの規範は、〇〇人を全体として愛することと同じように、隣の〇〇人を愛することはできるし、愛さなければならない、というものです。
彼らは、彼らでその規範を拡大します。次のように。
〇〇人を全体として愛することと同じように、隣の〇〇人を愛することはできるはずである。だから、同じように愛さない者たち、あるいは愛せないと言う者たちの言論は封殺して良いし、そのような主張を行う者は、吊し上げてでも考えを改めさせなければならない。
左翼=リベラルの批判の強さに圧されて、人間性の不都合な真実を認める人たちも口を噤んで行きます。そのうち、〇〇人を全体として愛することのほうが、隣の〇〇人を愛するよりも容易である、という発言さえできなくなるかもしれません。
将来、左翼の理想とする社会はでき上がるでしょうか。できるわけありません。人間の不都合な真実=人間性は変わらないからです。
〇〇人を全体として愛することと同じように、隣の〇〇人を愛することはできるし、愛さなければならない、という彼らのイデオロギーが間違っているのです。
【追記】
2020年7月18日付の朝日新聞「ひもとく」欄に、同志社大学教授西崎文子氏は書いています。
「そして今日。白人警官によるジョージ・フロイド氏殺害をきっかけに再燃した『黒人の命は大切だ(ブラックライブズマター)』という叫びを前に、対立する人々は『すべての命は大切だ』(太字、原文は傍点)と嘯く。しかし、これが差別の実態を隠蔽する偽りの言葉であることは一目瞭然だ。(中略)そう、『黒人の命は大切だ』は、黒人だけでなく、身体と人間性を収奪された難民や移民を含むすべての人々のために響き渡っているのである。」
この人は、自分にも差別意識があることを理解しない(内心を見ない)人なのでしょう。
だから、こんな大言壮語ができるのです。