先攻の左派・後攻の右派

1.先に攻撃を開始するのは左派である

政治的関心のない人ならともかく、政治意識の高いはずの左派の人たちの殆んども、次のような政治の基本原理を理解していないようです。
福田恒存氏は書いています。

「普通、最初に保守主義といふものがあつて、それに對抗するものとして改革主義が生じたやうに思はれがちだが、それは間違つてゐる。(中略)最初の自己意識は、言ひかへれば自分を遮る障碍物の發見は、まづ現状不滿派に生じたのである。革新派の方が最初に仕来りや掟のうちに、そしてそれを守る人たちのうちに、自分の『敵』を發見した。
先に自己を意識し『敵』を發見した方が、自分と對象との關係を、世界や歴史の中で自分の果たす役割を、先んじて規定し説明しなければならない。社會から閉め出された自分を辯解し、眞理は自分の側にあることを證明して見せなければならない。かうして革新派の方が先にイデオロギーを必要とし、改革主義の發生を見るのである。保守派は眼前に改革主義の火の手があがるのを見て始めて自分が保守派であることに氣づく。『敵』に攻擊されて始めて自分を敵視する『敵』の存在を確認する。武器の仕入れにかかるのはそれからである。したがつて、保守主義はイデオロギーとして最初から遲れをとつてゐる。改革主義にたいしてつねに後手を引くやうに宿命づけられてゐる」(福田恒存著、「私の保守主義観觀」『福田恒存全集 第五巻』、文藝春秋、437頁)

先に攻撃を開始するのは、いつも左派です。左派の攻撃に対して防戦するのが右派なのです。
だから、以前「左派は先制攻撃派で、右派は専守防衛派だと言えるでしょう」と書きました。

2.誰が社会の秩序に石を投げているか

夫婦同姓、異性婚、国籍がある者だけに参政権がある、殆んどネイティブだけの移民がいない、性差がある・・・・のが当然の社会には少なからず不合理もあったでしょうが、それはそれなりに静かな社会でした。

ところが、そのような秩序ある社会に石を投げる人間が出現します。左派(進歩派)です。彼らは、社会に夫婦別姓、同性婚、外国人参政権、移民の受け入れ(アメリカなら、非合法移民の受け入れ)、性差の否定・・・・といった石を投げ入れます。
それによって、それまでは静かだった社会に波紋が生じます。

3.憲法は右派が先攻?

現在、憲法は右派が改憲を、左派が護憲を主張しています。だから、憲法に関しては、逆に右派が先に攻撃をしかけているように見えます。しかし、それは正しくありません。

もし大東亜戦争がなく、時代の変遷とともに帝国憲法が徐々に改正されていれば、今頃は右派が護憲を、左派が改憲を主張していることでしょう。

しかし、大戦とその結果としての敗戦があり、占領軍によって、しかもその中の進歩的な勢力主導による憲法(天皇=元首の否定や第九条=日本の生存権否定)が制定されました。

占領憲法の制定は、一種左派による先制攻撃です。そのゆえに、右派は後攻として憲法の改正を主張しているのです。

4.左派の解釈

もし社会の秩序に石を投げ、混乱を引き起こしているのが右派なら、左派が右派を嫌うのは当然だと言えるでしょう。しかし、石を投げているのは左派なのです。
彼らは、自分たちが、社会に混乱を引き起こしているという自覚がありません。
「先に攻撃を開始するのは左派である」という政治の基本原理を理解していないからです。

先に石を投げているのは左派なのに、なぜ左派は右派を毛嫌いするのでしょうか。
左派が指し示す方向に、右派が反対するからです。

左派によれば、旧い、間違った制度を否定することは、社会の秩序に対する攻撃ではない。進んだ、「正しい」制度に反対することこそが攻撃なのだということなのでしょう。
自分たちが正しいと訴える主張に、右派が反対するから社会が混乱するのだと考えている。本末が転倒しています。

5.左派は巨大な石を投げ込んだ

左派が目指さんとする社会は、本当に理想的な社会なのでしょうか。
左派は、前世紀、社会に巨大な石を投げ込みました。マルクス主義です。
彼らはそれによって、より良い社会ができると信じた。しかし、できたのは、政治敵の処刑、反革命分子の密告や粛清、思想や言論の統制、強制収容所や飢餓などが頻発する社会でした。

右派は、左派の言うより良き社会が信じられないのです。だから、どのようにすれば理想社会が実現するのか事前にかつ具体的に説明してくれたら良いのですが、左派にとってそんなことは自明らしく、説明もなく突然社会に石を投げ入れる。

自分たちの考えを疑わないのが、左派の最大の欠点です。

全体として愛することのほうが容易である

今年1月19日付朝日新聞の「日曜に想(おも)う」という記事の中で、編集委員の福島申二氏は書いています。

「港湾労働をしながら思索を深めた米国の哲人エリック・ホッファーが言っている。『人類を全体として愛することのほうが、隣人を愛するよりも容易である』
『人類』という抽象に対して、一人ひとりの人間は具体的な現実である。人類は美しいが人間は往々にして厄介だ」

その通りでしょう。

このホッファーの文句を言い換えるなら、人類を全体として愛することよりも、隣人を愛するほうが困難である、となるでしょう。

今では田舎でも外国人を見かけるようになりましたが、それでも私たちの隣人は、外国人よりも日本人の方が圧倒的に多い。
だから、日本人(国民)を全体として愛することよりも、個々の隣の日本人を愛するほうが困難である、と解釈すれば、ホッファーの言の正しさが分かります。

この原理を、さらに敷衍するとどうなるでしょうか。次のようになります。
移民を全体として愛することよりも、隣の移民を愛することのほうが困難である。
また、〇〇人(△△教徒)を全体として愛することよりも、隣の〇〇人(△△教徒)を愛するほうが困難である、という具合になります。

以上の感情は、人間にとって不都合ではありますが、また真実でもあります。
普通の、常識のある人たちはそれを理解しますが、一部に、それを認めない人たちがいます。リベラル派です。彼らは、〇〇人一般と同じように、隣の〇〇人をも愛せると信じています。
彼らの規範は、〇〇人を全体として愛することと同じように、隣の〇〇人を愛することはできるし、愛さなければならない、というものです。

彼らは、彼らでその規範を拡大します。次のように。
〇〇人を全体として愛することと同じように、隣の〇〇人を愛することはできるはずである。だから、同じように愛さない者たち、あるいは愛せないと言う者たちの言論は封殺して良いし、そのような主張を行う者は、吊し上げてでも考えを改めさせなければならない。

左翼=リベラルの批判の強さに圧されて、人間性の不都合な真実を認める人たちも口を噤んで行きます。そのうち、〇〇人を全体として愛することのほうが、隣の〇〇人を愛するよりも容易である、という発言さえできなくなるかもしれません。

将来、左翼の理想とする社会はでき上がるでしょうか。できるわけありません。人間の不都合な真実=人間性は変わらないからです。
〇〇人を全体として愛することと同じように、隣の〇〇人を愛することはできるし、愛さなければならない、という彼らのイデオロギーが間違っているのです。

【追記】
2020年7月18日付の朝日新聞「ひもとく」欄に、同志社大学教授西崎文子氏は書いています。

「そして今日。白人警官によるジョージ・フロイド氏殺害をきっかけに再燃した『黒人の命は大切だ(ブラックライブズマター)』という叫びを前に、対立する人々は『すべての命は大切だ』(太字、原文は傍点)と嘯く。しかし、これが差別の実態を隠蔽する偽りの言葉であることは一目瞭然だ。(中略)そう、『黒人の命は大切だ』は、黒人だけでなく、身体と人間性を収奪された難民や移民を含むすべての人々のために響き渡っているのである。」

この人は、自分にも差別意識があることを理解しない(内心を見ない)人なのでしょう。
だから、こんな大言壮語ができるのです。

右翼のモットー・保守のモットー

ペンは剣よりも強し、という格言があります。

その格言の真偽はともかく、剣で戦う右翼のモットーは、一に肉体言語、二に肉体言語、三四がなくて、五に言論または街宣(街頭宣伝)でしょうか。 
危機の時代の右翼は政治敵を殺害してでも目的を達成しようとし、平和な時代の右翼は、世に主張を訴えるべく自裁する(三島由紀夫、野村秋介)。
政治敵を殺害ないし殺害しようとした後、自害した右翼もありますが(山口二矢、来島恒喜)。

私は(異端の)保守派を自認していますが、ペンで戦う保守のモットーは何でしょうか。
一に文章、二に文章、三四がなくて、五に思想、だろうと思います。保守は文なりです。
こう言えば、保守であるはずのお前の文章はなんだと批判されそうですが、ごもっとも。
私も、眼高?手低なのです。

ところで、文体、人相共に左翼丸出しの男を、間違っても「希代の保守思想家」などと呼ばないで欲しいと思います。

右翼・保守の反米について

右翼であれ、保守であれ、反米を掲げる者は、左翼に吹き寄せられます。
アメリカは左翼国家だと非を鳴らしていた保守の大家が、左傾したのでも分かります。

アメリカに完璧を求めても仕方がありません。
夫が妻に、妻が夫に完璧を求めても仕方がないのと同じです。

お互いに完璧でないのを承知の上で、世の夫と妻は、夫婦の関係を続けています。

アメリカに欠点のあるのを承知した上で、同盟関係を続けるのが、賢者の選択でしょう。

反米右翼にしろ、反米保守にしろ、彼らはアメリカに期待しすぎて、裏切られたがゆえの反米なのでしょうか、それとも元々左翼気質のため反米なのでしょうか。

断言できるのは、反米の右派は、左翼と隣り合わせだということです。