原因が分からなくても勝ちは勝ち 対ウィルス戦争

1.サンデー・ジャポン

4月26日のテレビ番組「サンデー・ジャポン」で、元衆議院議員の杉村太蔵氏が、この度の武漢ウイルスに関して、死者の数が少ないのを根拠に、「日本は圧倒的に勝(まさ)っている」と主張したのに対し、元経産省官僚の岸博幸氏は「全体を考えると死亡者だけじゃなくて感染者数の増加を抑えられているかどうかとか、いろんな要因を考える必要がありますので(中略)死亡者数が少ない本当の原因が分からない中では、日本が勝っているというのは正直言って訳が分かんない」と反論したそうです(1)(2)。

「死亡者数が少ない本当の原因が分からな」ければ、「勝っている」ことにはならないのでしょうか。私には岸氏の主張の方が「訳が分かんない」。

2.勝敗の結果と原因

大東亜戦争で日本がアメリカに敗れた「本当の原因」は何だったのでしょうか。それは分かっているのでしょうか。あるいは、ベトナム戦争でアメリカが北(共産)ベトナムに敗れた原因は何だったのでしょうか。それは分かっているのでしょうか。
それらに関しては、今もって論者あるいは識者によって解釈の違いがあるでしょう。

しかし、大東亜戦争で日本が、ベトナム戦争でアメリカが敗北したのは明らかです。敗北の根本因が説明できないからと言って、前者で日本が、後者でアメリカが負けていないことにはなりません。

戦争は、負けた原因が分からないからと言って、負けていないことにはなりませんし、勝った原因が明確ではないからと言って、勝っていないことにはなりません。

3.原因・条件が不明でも勝ちは勝ち

この点、対ウィルス戦争でも同じです。
この戦争の勝敗の指標は死者数です。そして、死者が多い国は負けている国であり、少ない国は勝っている国です。他国と比較して、人口比で日本の死者数は少ないのです(3)。

日本の死者数が少ない理由については、衛生観念が高いとか、靴を脱いで家に上がるとかの要因が指摘されますが、死者が少ない原因、あるいはどのような条件が幸いしてわが国の死者が少ないのかが明確ではないからといって、この戦争に勝っていないことにはなりません。勝ちは勝ちです。

大東亜戦争で、日本が敗れた原因が明らかではないとか、わが国のある種の文化的な諸条件が不利だった、あるいは災いしたからということで、戦争指導者の情状を酌量するような言説を見たことがありますか?殆どが、負けは負けと斬り捨てるような議論ばかりでしょう。

4.なぜ難癖をつけるのか

人口比で日本の死者数が少ないのは明らかなのに、安倍首相を過剰に批判する人たちは、結局のところ、対ウィルス戦争における政府・専門家会議の功績を、認めたくないのだと思います。

安倍氏を批判する、とりわけ、政治家や元政治家、官僚たちには、次の評言があてはまるでしょう。
「功績に対する態度は二とおりある。自分がなにがしかの功績をもつか、あるいはどういう功績も認めないか、どちらかなのだ。あとのほうがずっと楽だから、たいがいこの態度がえらばれる」(4)

(1)https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200426-04260037-sph-soci
(2)https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2020/04/26/kiji/20200426s00041000142000c.html
(3)https://www.worldometers.info/coronavirus/
(4)A・ショーペンハウアー著、秋山英夫訳、『随感録』、白水社、21頁

【追記】
5月6日付朝日新聞に、「対コロナ 『戦争』の例えは適切か」と題する社説が掲載されました。
武漢ウイルスの対処について、朝日は戦争に例えるのは適切ではないと言いたいらしい。
同紙が「適切ではない」と言えば言うほどますます戦争に例えたくなります(笑)。

新型コロナウィルスという名称は適切か

1.新型コロナウィルス

現在世界を席捲している病気の原因を、世間では新型コロナウィルスと呼んでいます。しかし、その名称は適切でしょうか。
数年後あるいは数十年後、新たなコロナウィルスを原因とする感染症が発生した場合、その時もまたその病原体を新型コロナウィルスと呼ぶのでしょうか。

新型コロナウィルスという名称は、そう遠くない将来に、別のコロナウィルスが発生するかもしれないという想像力を欠いているように思います。
SARS(重症急性呼吸器症候群)が発生したのは2002年であり、MERS(中東呼吸器症候群)は2012年で、その間十年です。また、MERSから新型コロナウィルスの発生まで七年です。

2.中国ウィルス

トランプ米大統領はこの度の新型コロナウィルスを「中国ウィルス」と呼びました。しかし、それは適切だとは言えません。
というのは、SARSも中国で発生しましたし、将来発生するかもしれないコロナウィルスも同国が発生源かもしれないからです。

そうすると、SARSのウィルスも、今回の新型コロナウィルスも、次回のも全部中国ウィルスと呼ばなければならなくなります。
各々のウィルスを区別するのが困難です。

3.習近平ウィルス

感染の拡大を防ぐために避けなければならない密閉、密集、密接(他人と近い距離で会話や発声をする)の三密と現在の中華人民共和国主席習近平氏の名前を掛けた、集近閉ウィルスという秀逸な名称が生まれましたが、この度のコロナウィルスを習近平ウィルスと呼ぶのは、あながち間違っているとは言えません。

習近平氏が今後いつまで国家主席にして、共産党総書記の地位にとどまっているかは分かりませんが、次の新型コロナウィルスが発生する頃は、習氏は政権を離れている可能性が高いでしょう。
もしその時の中国のリーダーの名前が蔡英文だったとしましょう。だとしたら、その時発生したコロナウィルスは蔡英文ウィルスと呼べばいい。
そうすれば、今回と次回のウィルスの区別が容易にできます。

4.武漢ウィルス

しかし、やはり武漢ウィルスと呼ぶのが適当だと思います。
次回に発生したのが武漢市以外の、中国のどこかであったとしても、〇〇ウィルスと呼べば、今回のと区別できるからです。

当然、以下のような反論も予想されます。
次の新型コロナウィルス感染症も武漢市で発生した場合はどうするのかと。
その場合は、仕方がないので、今回のと次回のとを区別するために、前者は第一次武漢事変、いやウィルス、後者は第二次武漢ウィルスと呼ぶのが良いだろうと思います。

5.ポリティカル・コレクトネス

「ヒトの新興感染症の名称に地名は使えないというルールがあるからです。今回の新型コロナ流行で決めたのではなく、2015年には決まっていました。その一因は、中東呼吸器症候群(MERS)という病名によって中東地域に差別や経済的な悪影響が生じたからです」(注)

上記はポリティカル・コレクトネスの影響のためだろうと思います。一方、スペイン風邪という言葉は氾濫しているのに。
先に述べたように、新型コロナウィルスという名称はどうかと思います。それを良しとする人の見識を疑わざるをえません。
それに、勝手が悪いから、誰もSARS-CoV-2は使いませんし。

新しい合理的な名称案が生まれるまでは、私は武漢ウィルスで行こうと思っています。

(注)https://www.asahi.com/articles/ASN367HMKN36UBQU007.html

【追記】
「ルールの不遡及の原則」というものが厳しく守られているようです。
「ヒトの新興感染症の名称に地名は使えないというルール」の設定以前の感染症には、それは適用されていません。スペイン風邪にしろ、中東呼吸器症候群にしろ平気で使用されています。
ルールの不遡及の原則派の人たちは、法の不遡及の原則に反して行われた東京裁判に関しても、疑義を表明して欲しいと思います(2020・5・17)

道徳の不遡及の原則のすすめ

1.法の不遡及の原則とは

法の不遡及の原則というのがあります。
ウィキペディアから引用しましょう。

「法令は施行と同時にその効力を発揮するが、原則として将来に向かって適用され法令施行後の出来事に限り効力が及ぶのであり、過去の出来事には適用されない。これを法令不遡及の原則という」(1)

もっと分りやすい説明を引きます。

「新たに制定された法律(事後法)は、その制定以前にさかのぼって適用してはならない、という原則。法律不遡及(そきゅう)の原則ともいう」(2)

日本国憲法にも、当然その規定があります。

「第三九条 【刑罰法規の不遡及、二重刑罰の禁止】
何人も、実行の時に適法であった行為又は既に無罪とされた行為については、刑事上の責任は問われない、又、同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問われない」

この原則は、文明国であればあるほど厳格に実施され、非文明国であればあるほど、法的な規定がないか、あっても反故にされていることでしょう。

2.道徳の不遡及の原則とは

文明国では、法の不遡及の原則は確立されています。逆に言うなら、それが確立されていない国は文明国ではありません。
そして、文明国では、それに加えて、道徳(倫理)の不遡及の原則というものも確立される必要があるでしょう。

道徳の不遡及の原則とは、次のようなものです。
何人も、実行の時に倫理に反すると見做されなかった行為については、道義的な責任は問われない、言い換えるなら、社会通念上、その時代に非道徳的だとされていなかった行為または制度を、後の時代に生まれた価値観に基づいて道義的に非難してはならない、という原則です。
現在の価値観によって、過去を裁いてはなりません。

たとえば、それが不当だとは考えられていなかった時代の戦争や、大国の小国に対する侵略や吸収合併。それが当たり前だと考えられていた時代の奴隷制、大航海時代以来の西洋諸国による中南米、アフリカ、アジアに対する植民地支配。

たとえ今日から見て、過去に行われていたことが如何に非道徳的あるいは理不尽に思われるにしても、過去の問題はその時代の道徳観によってのみ評価すべきです。現代の私たちが、現在の倫理観に基づいて、過去を断罪してはなりません。

奴隷制が当然だった時代、ある偉大な思想家がそれを道徳的に非難する発言を行っていたとしても、それは彼に先見の明があったことを意味するだけで、世間の大勢は蒙昧主義の中にあった訳ですから、偉人の視点でもって、現在の私たちが過去の行為や制度を非難することはできません。

3.なぜ道徳の不遡及の原則が必要なのか

では、なぜ道徳の不遡及の原則が確立される必要があるのでしょうか。
この原則を無視することによって、国内的および国際的な紛争が、最悪の場合には流血の事態の発生が予想されるからです。

(1)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E3%81%AE%E4%B8%8D%E9%81%A1%E5%8F%8A
(2)https://kotobank.jp/word/%E4%BA%8B%E5%BE%8C%E6%B3%95%E3%81%AE%E7%A6%81%E6%AD%A2-73110