日韓和解のためには何が必要か

韓国併合について、わが国の反日派と韓国は、相変わらず反省せよ、謝罪せよと言い募っています。

2010年5月10日に行われたという「『韓国併合』100年日韓知識人共同声明」には、次のような文言があります。

「私たちは、韓国併合の過程がいかなるものであったか、『韓国併合条約』をどのように考えるべきかについて、日韓両国の政府と国民が共同の認識を確認することが重要であると考える。この問題こそが両民族の間の歴史問題の核心であり、われわれの和解と協力のための基本である」

上の記述で分かりますが、この共同声明に署名した知識人、のみならずわが国の反日派も、韓国もある前提に立っています。

第一。一つの正しい歴史認識というものがあると信じていること。
第二。その歴史認識を、日韓両国民に、とりわけ日本国民に強制するのは、日韓の「和解と協力のため」に必要であると信じていること、です。
彼らは、両国の歴史認識の共有は可能であるし、共有を実現しなければならないと考えています。

第一、「一つの正しい歴史認識」というものは、あるのでしょうか。
終戦直後にわが国で首相を務めた吉田茂にしろ、六十年安保の時に首相だった岸信介にしろ、在任中の評判は散々でした。が、その後評価は引っ繰り返りました。現在の安倍晋三首相だって、将来は不世出の総理大臣と評されることになるでしょう。

一方の韓国ではどうでしょうか。
ウィキペディアの「大統領(大韓民国)」の項には、次のような記述があります。

「韓国の歴代大統領は、在任中に糾弾を受けて亡命を余儀なくされるか暗殺されたり、退任後に自身や身内が刑事手続きによって逮捕・収監・起訴の上で有罪判決を受けたり、不正追及を苦に自殺をしたりして、不幸な末路を迎える例が極めて多い」

韓国で大統領制が始まったのは戦後です。もう古代や中世のような野蛮な時代ではないはずなのに、歴代大統領に関する評価が、在任初期と退任後で一変しています。現在の文在寅大統領より前の、向こう三代の大統領朴槿恵、李明博、盧武鉉の各氏でさえ、そうです。
このような国とわが国との間に、固定的な、歴史上の「共同の認識」を求めることができるのでしょうか。

甲申政変を主導した金玉均や韓国併合条約の時に韓国側総理大臣だった李完用に対する評価は、現在の韓国では一般的に芳しくないようですが、中には彼らを評価する人もありますし、伊藤博文を暗殺した安重根だって今後の評価は分かりません。

すなわち、日本のみならず韓国においても、ある人物なり事件なりの歴史認識及び評価は時代によって変動しえます。
一つの正しい歴史認識というものはありません。

第二、「一つの正しい歴史認識」という仮構を日本国民に強要するのは合理的な行為でしょうか。
「共同の認識」は、今現在の反日派等が正しいと信じている「事実」にすぎません。将来、新たな事実が発見されたり、新しい見方が生まれたりする可能性はあります。そうすると、それは「かつて正しいとされた歴史認識」ということになるでしょう。

ある時代に日韓両国が「共同の認識を確認」したとしましょう。すると次のようなことが起こりえます。
Aという時代にはaという歴史が正しいとされ、両国の間でそれに基づいて「共同の認識を確認」することが行われ、Bという時代にはbという歴史が正しいとされ、両国の間でそれに基づいて「共同の認識を確認」することが行われ、Cという時代にはcという・・・・。
正しい歴史認識というものを強制される日本国民からすれば、どれが本当に正しい歴史なのかと反問したくなるのは当然です。

この声明では「共通の歴史認識」という表現も使われていますが、そもそも、それを追求しようとするから、両国の認識の相違が明確になって、それが原因となって、両者の対立が発生、あるいは拡大するのです。最初からそれを求めなければ、つまり、所詮歴史の共有など無理だと悟れば、両者の間に対立は生じません。
日本にしろ韓国にしろ、自国内の歴史学者や国民の間でさえ歴史認識の共有ができないのです。だから、両国間でそれを行おうとすること自体が無理なのです。勿論日本にも韓国にも歴史教科書はありますが、それは現在正しいとされている学説に基づいて記述されているだけの、「一つの正しい、かのような歴史認識」にすぎません。

「一つの正しい宗教(宗派、神)」というものがあり、それを他者に強制するのは正当であると考えるから、宗教戦争が起こるのです。
「一つの正しい○」という観念を卒業することによって、他者の宗教に寛容になることによって、十七世紀のヨーロッパに平和がおとずれたのです。

日韓の間に、「一つの正しい歴史認識」というものがあり、それを、とりわけわが国民に強要するのは正しいと考える人たちは、ウェストファリア条約(1648年)以前の思考の中にあるのだと思います。

高坂正堯氏は『国際政治』(中公新書)の中で、「国際社会にはいくつもの正義がある」(19頁)と書きましたが、各々の国における歴史認識及び評価は時代によって変わりうるし、歴史にはいくつもの真実がある、と理解すべきです。それが平和への道です。

日本と韓国の和解のためには何が必要でしょうか。
第一。歴史の共有など求めないこと。

日韓基本条約及び同請求権協定が結ばれたのは戦後二十年が経過した1965年です。当然韓国は独立国でした。だから、
第二。独立国同士で結ばれた条約は遵守すべきこと。

この二つを守ることによってのみ、両国は友好関係を築きえます。この二つを認めない限り、日本と韓国の間の不仲は永遠に続くでしょう。