もう一つの歴史修正主義

1.名称の変更

1937年7月7日盧溝橋事件から始まった中華民国と日本との事変は、当初北支事変と名付けられ、同年9月2日の閣議決定により、支那事変に改められました。
この事変は、事変にも拘らず、現在は日中戦争と呼ばれています。

1941年12月7日、ハワイの真珠湾を日本が攻撃をして始まった戦争は、大本営政府連絡会議によって、支那事変をも含めて大東亜戦争と呼称されることになりました。
ところが、戦後GHQがそれを禁じ、太平洋戦争に変えさせ、今日もそれが先の大戦の名称の標準になっています。一方、左翼は近年アジア・太平洋戦争という呼称(ウィキペディアによれば、1980年代に提唱されたとのことですが)を使用しています。

2.なぜ名称を変えるのか

左翼、あるいは反日派は、どうして戦争及びそれに関する事象の名称の変更に熱心なのでしょうか。
それは、変更前の呼称自体やそれが表現する戦争観に同意できないからでしょう。また、戦時中の人たちとは違って、自分たちはその結果(勝敗や推移)を知っているし、当時の人たちよりも、戦争の実相が良く分かっているとの慢心があるためでしょう。
だから、彼らは平気で戦争等の名称を変更しようとするのです。

3.終わりなき変更

ところで、先の大戦について、現在の学者がもっとも良く知っているでしょうか。
将来新しい資料や視点が発見されたりするかもしれません。とするなら、現在の歴史学者よりも百年後の、百年後よりも二百年後の、二百年後よりも三百年後の学者の方が、事変や戦争の実相をより理解しているかもしれません。三百年後の左翼学者が、現在の左翼学者の呼称を否定することだってありえます。そして、さらに三百年後の学者の説を五百年後の学者が否定・・・・。そんなことをやっていれば、半永久的に歴史的名称を変更していかなければならなくなります。あるいは、千年後やはり数百年前の呼称の方が正しかったということになるかもしれません(笑)。

それに、将来新しい歴史的事件が発生しえます。
現在中共は、アメリカに追いつき、追い抜こうとしています。一方、アメリカはそのような中共の覇権国化を阻止しようとしています。数十年後、その米支間で戦争が始まり、両国軍がアジアで、あるいは太平洋で戦い、戦後国際社会でその戦争がアジア・太平洋戦争と呼ばれることになるかもしれません。そうなったら、現在のわが国の左翼学者のアジア・太平洋戦争なる呼称はどうなるのでしょうか。

4.当時の名称を優先

 

余りにも古い時代、たとえば縄文時代や弥生時代の人たちは、自分たちの時代をそのように呼んでいません。というよりも、自分たちの時代をどのような言葉で表現するかという発想自体なかったでしょう。だから、そのような時代の名称は後世の人が決めるしかありません。
しかし、支那事変や大東亜戦争の時代の人たちは、自ら呼称を決め、それを使用しました。またそれは当時の人たちが出来事をどのように見て、どのように考えたかが表現されています。
私たちは原則として、当時使用されていた名称を使うようにすべきです。後世の者たちは、歴史的事件・事実の名称を、捏造すべきではありません(捏造例:アジア・太平洋戦争、日中戦争、従軍慰安婦)。

5.もう一つの歴史修正主義

名称の変更は、一種の歴史修正主義です。
歴史教条主義者(前大戦は、連合国=善、日本=悪と信じる戦勝国史観・東京裁判史観論者)たちは、それを変更することによって、自ら歴史修正主義を体現しています。自分たちの史的教条を守るために、新しい語を造っているのです。
歴史教条主義者は、別種の歴史修正主義者です。
彼らは、お前たちは歴史修正主義者だと右派を非難しながら、自らは歴史修正主義を実践しています。

6.歴史教条主義否定論

戦後七十年以上も経つのに、いまだに世界は、第二次大戦は連合国=善、同盟国=悪との歴史観が大手を振るっています。旧連合諸国の数が圧倒的に多いからでしょう。

第二次大戦は民主主義対独裁主義の戦いだったとされています。しかし、連合国側のソ連も中華民国も民主主義国ではありませんでした。その戦争観自体が嘘です。
同大戦は、帝国主義国同士が偶然二手に分かれて、権益をかけてたたかった戦争にすぎません。どちら側が善で、どちら側が悪というようなことはありません。
同盟国は、弱かったから負けただけです。

<戦争の善悪と勝敗は無関係>だと、賢人がいくら語っても聞く耳をもたない人が多い。

7.歴史教条主義の打破

戦勝国史観を疑っている右派の人たちは、<連合国=善、同盟国=悪>を逆転して(歴史修正して)、<連合国=悪、同盟国=善>としたい訳ではありません。
連合国と同盟国は、双方の言い分は五分五分です。一歩譲って、六分四分です。いくら譲っても七分三分で、同盟国にも三分の理はあると言いたいだけです。

連合国はドイツによるユダヤ民族虐殺を戦争の正当性に利用しています。しかし、ユダヤ民族の虐殺がなかったら、はたして同盟国に対する連合国の道徳的優位は証明しうるのでしょうか?アジア、アフリカを散々侵略していた連合諸国が、日独の侵略を非難できるのでしょうか。

戦勝国史観は絶対に正しい、とするには無理があります。
それは時間がかかろうとも、何れ打ち破るべきものだと考えます。

 

ドイツは和解できているか

戦後ドイツの反省」に書きました。

「第二次世界大戦以前の国家の行為に対し、ドイツは真摯に反省したから近隣諸国と和解できているのに比べて、日本は心から謝罪しないから、韓支との関係がいまだにギクシャクしていると非難されます。しかし、はたしてドイツは本当に反省しているのでしょうか」

戦後ドイツは、イスラエルと、あるいはフランスやポーランドと和解したとされています。後者とは、共通の歴史教科書を作成したそうです。
しかし、はたしてドイツは本当に近隣諸国と和解できているのでしょうか。

今年1月31日にイギリスは欧州連合(EU)から脱退しましたが、同国を含めたEUの人口ランキングによれば、1位ドイツ、2位イギリス、3位フランスです。また、同GDPランキングでは、やはり1位ドイツ、2位イギリス、3位フランスです。ドイツは明らかにEU第一の大国です。
ところが、英仏は共に核兵器保有国であるのに対して、ドイツは非保有国です。

ある人は言っています。

「東京裁判と同じく、ドイツにも連合国軍によるニュルンベルグ裁判はありました。しかしそれ以外に、ドイツ人は自ら国家が生み出した罪に向き合い、謝罪と補償を繰り返し、関係国との和解に最大限の努力をしてきました。そして、今、欧州の堂々たるリーダーとなっています」(過ちを認められない日本がドイツの謝罪に学ぶこと)

ドイツが「欧州の堂々たるリーダー」であるなら、核兵器保有国であってもおかしくありません。では、同国が核保有を求めたとして、欧州はそれを認めるでしょうか。認めるわけがありません。
なぜでしょうか。

欧州諸国は、ドイツを心の底から信用していないからです。いつかまた暴れるかもしれないとの懸念を抱いている。表面上、和解できている、ということになっているだけでしょう。だから、彼らはドイツの核保有を認めないのです。

欧州がドイツの核保有を認めた時、同国が近隣諸国と真に和解できた時だろうと思います。

イギリスが離脱することによって、EUでは核保有国はフランス一国になりました。もちろん、北大西洋条約機構(NATO)によって欧州諸国はアメリカ及びイギリスと軍事同盟を結んでいます。が、米国そして英国が余所の地域の問題に手を取られている時、EUはフランスの核だけで外敵からの脅威に対処できるでしょうか。

将来ロシアなり、かつてのオスマン帝国のような中東なりからの脅威に欧州がさらされ、それに対して、ドイツが中心となって、あるいはフランスその他と協力して外敵からの脅威を排除しえた時、ようやく近隣諸国はドイツを本当に信頼する=真の和解が成立することになるのだと思います。


日本に「極右」などいない

1.右翼と極右

現在のアメリカの二大政党は、共和党と民主党です。共和党=右派=保守、民主党=左派=リベラルとされています。

欧米では、右派は二種類に分けられるでしょう。保守・右翼と極右です。
米欧その他の、現代民主主義国においては、自由や民主主義が実施されています。それらが保障されている限り、その枠内で、つまり非暴力的に、言論や出版を通じて、自己の主張を実現しようとするのが保守・右翼です。
それに対して、自由が保障されているにも拘らず、暴力をもってしても自己の主張を成就しようとするのが極右です。

2.日本の極右?

ところで、今日の日本に極右はいるでしょうか。
日本は自由主義国であり、自由が保障されています。それにもかかわらず、少数ではありますが、暴力的に(肉体言語によって)自己の主張を達成しようとする勢力または個人がいます。右翼と呼ばれる人たちです。

図書館や書店に行けば分かりますが、欧米で「極右」に相当する勢力は、日本では「右翼」と呼ばれています。すなわち、欧米の極右=日本の右翼です。
日本の右派は、保守と右翼の二種類です。なのでわが国には、いわゆる極右はいません。

戦後の日本における保守と右翼を代表する人物を各々挙げましょう。
前者に相当するのが福田恒存氏であり、後者に相当するのが野村秋介氏です。
野村氏(1935-1993)は、1963年7月15日に河野一郎邸焼き討ち事件、1977年3月3日経団連襲撃事件を起こし、1993年10月20日朝日新聞東京本社で拳銃自殺をした正真正銘の右翼です。

別の、もっと有名な人物の例を挙げましょう。
いくら過激な発言をするといっても、言論によって自己の主張を行う石原慎太郎氏は保守です。一方、1970年11月25日陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地を訪問し、東部方面総監を人質に、自衛隊員に決起を促す演説を行い、駄目だと判断するや割腹自殺を遂げた三島由紀夫氏は右翼当たります。

3.安倍首相は極右か

たとえば、ネット上に「総選挙・自民党の極右候補者リスト『ウヨミシュラン』発表!日本を戦前に引き戻そうとしているのはこいつらだ!」という記事があります(注)。
2017年10月22日の総選挙前の記事ですが、そこで挙げられているのは、安倍晋三首相や菅義偉、荻生田光一、稲田朋美、古屋圭司、城内実、高市早苗、二階俊博、麻生太郎、杉田水脈氏など何れも自民党の衆議院議員です。
安倍氏等は、「自民党の極右候補者」だとされていますが、では彼らは右翼の野村秋介氏や三島由紀夫氏よりも、もっと政治的に右寄りなのでしょうか?
まさか。

国会議員は自由や民主主義の枠内で戦う人たちです。だから、彼らは極右ではありえません。先に、欧米の極右は日本では右翼に相当すると述べましたが、安倍氏等は右翼ですらなく、ただの保守政治家にすぎません。

4.なぜ保守政治家が「極右」だとされるのか

安倍首相たちは保守です。それなのに、なぜ極右のレッテルを貼られるのでしょうか。
極右のレッテルを貼る者たちが左翼だからです。そして、左派は右翼という言葉が喚起する負のイメージを利用して、保守政治家たちを実体よりも悪く印象付けるため、右翼に極をつけて極右と呼んでいるのです。

欧州でもメディアは左派が牛耳っているため、議会制民主主義の範囲内で戦う保守・右翼の中にも、極右のレッテルを貼られる政党が見受けられます。また、横文字を縦にするだけのジャーナリストが多いし、彼らが欧州で使用されている語を、そのまま日本でも使っている。だから、保守、右翼、極右の区別が混乱するのです。

「ウヨミシュラン」の記事の筆者は暴力肯定論者ではないだろうとは思いますが、言論で戦う保守政治家が極右なら、この筆者だって言論で戦っているのですから、極左だということになります。そんなことさえ考えずに、記事を書き飛ばしている!

それにしても、「日本を戦前に引き戻そうとしているのはこいつらだ!」とは。社会(政治)認識がズレ過ぎていないでしょうか。
自分の政治的立場に都合が良いように、言葉を恣意的に使う人は、知的な暴力主義者だと言ってさしつかえないと思います。

(注)https://lite-ra.com/2017/10/post-3531.html