左派は必然的にポピュリストである

1.先攻と後攻

たとえ非合理であり、不平等であろうとも、一国あるいは社会の成員全員が、その政治的経済的社会的法的諸制度に、そして文化や生活様式の現状に満足しているのなら、進歩派(左派)と保守派(右派)の対立も、社会の分断も起こりません。
ところが、それらに対して、異議申し立てを行う人が、あるいはそれらに代わる制度を求める人たちが現れてから、左派と右派の対立が、そして社会の分断が発生します。

社会の分断の原因」に書きました。

「夫婦同姓が当たり前だった時代、この問題に関する限り、社会に分断はありませんでした。
ところが、同姓に不都合なり、疑問に感じたある人物が、別姓を唱え、それに同調する人たちの数がある程度に達し、彼らがその権利を公然と主張するようになってから、分断が始まりました。

外国人参政権、外国人労働者・移民の受け入れ、同性婚、男女平等原理主義その他もそうです。
国籍を有する者が参政権を有するのが当たり前だと考えられていた時代・・・・
移民の受け入れがわずかだった時代・・・・
異性婚が当たり前だった時代・・・・
男女に性差があるのは当たり前だと考えられていた時代(女性差別もあったでしょうが)・・・・
同じパターンです。

進歩派が新しい思想を提起することによって、社会の分断が発生します」

初めに戦いの狼煙を上げるのは進歩派です。彼らからの攻撃を受けてようやく防戦に取りかかるのが保守派です。
いつも先攻は進歩派で、後攻は保守派です。
言い換えるなら、進歩派は先制攻撃派で、保守派は専守防衛派だと言えるでしょう(笑)。

2.ポピュリズムの発生

新しい思想的立場を提起する進歩派は、自分たちの主張の正しさを世に訴え、あるいはより多くの人たちの賛同を得る必要があります。そこで、彼らは口当たりの良い、人気取りの言葉を発します。
経済的に平等な社会、搾取なき社会、階級のない社会、差別なき社会、少数派が尊重される社会、外国人・移民との共生社会・・・・を実現しようではありませんか、それはきっとできるはずです、Yes,we can。

ポピュリズム(注)は、進歩派の登場とともに始まります。ポピュリズムを必要とする進歩派は、必然的にポピュリストです。

現状が非合理であることを、そして目指すべき社会が合理的であり、幸福に充ちていることををアピールしなければならないが故に、進歩派はポピュリズムを必要とします。一方、大筋は現状維持ですし、改革するにしても漸進主義ですし、一っ飛びの、ばら色の未来を語る必要はないので、保守派は原則的にポピュリズムを必要としません。
要するに、本来的に進歩派はポピュリズムを必要とするのに対し、保守派は必ずしもそれを必要としません。

(注)
ウィキペディアによれば、ポピュリズムとは、「一般大衆の利益や権利を守り、大衆の支持のもとに、既存のエリート主義である体制側や知識人などに批判的な政治思想、または政治姿勢のことである」そうですが、本稿では「複雑な政治的争点を単純化して、いたずらに民衆の人気取りに終始」する大衆迎合主義の意味で使用しています。

3.なぜ右派のポピュリズムだけが注目されるのか

そのように言えば、左派の人たちから異論がでそうです。
一歩譲って、左右の両派ともポピュリズムと無縁ではないことを認めましょう。しかし、左派がポピュリズムをあおるから、右派もそれをもって対抗するのです。ポピュリズムの活用も先攻は進歩派で、保守派は後攻なのです。

それなのに、マスメディアを見ていると、ポピュリズムのゆえに批判されているのは、もっぱら右派の政治家や党派なのです。
たとえば、トランプ大統領、イギリスのEU離脱、フランスのマリーヌ・ル・ペン氏、ドイツのための選択肢(AfD)その他の欧州の右派政党などです。

「コトバンク」の「ポピュリズム」の項の、知恵蔵の解説も下記の通りです。
「なお、日本では石原慎太郎や橋下徹(はしもととおる)(1969-)、小池百合子(こいけゆりこ)(1952-)など、大都市の知事を務める改革志向の政治家がポピュリストとされることが多い」

なぜなのでしょうか。
マスメディアを掌握しているのが左派だからです。
先に移民の受け入れを推進したのは左派なのに、それに反発する右派のみが批判される。進歩派が美しいイメージで語ったから(=ポピュリズム)、文化摩擦や犯罪やテロや暴動が発生しているのにです。

左派の論理は、次のようなものでしょう。
良いポピュリズムはいわゆるポピュリズムではない、悪いポピュリズムがポピュリズムである。だから、我々はポピュリズムを批判するのだ。あるいは、

すべてのポピュリズムは悪い。
しかし、右派のそれは、左派のものよりももっと悪質である、
が左派のモットーでしょう。
ここでも左派の得意技、ダブル・スタンダード(二重基準)が発揮されます。

右派のポピュリズムばかりを非難しているメディアがあるとすれば、そのメディアは左派である証拠です。