対米同盟強化のすすめ

下記は、よもぎねこさんのブログ記事「子供部屋オジサンの『自主独立』 護憲派」への、私のコメントです。
今年最後のブログ記事を、他者のブログへのコメント文で代用するのは心苦しいのですが。
〔〕内は、いけまこの補足です。

〔一つ目〕
>今こそアメリカともめずに、憲法を改正し、独立国として相応しい軍事力を持つ大チャンスなのです。〔よもぎねこさん〕

その通りですね。
ところが、左翼は、そして反米保守という人たちも、それを理解しないんですね。

後者の人たちは(たとえば、西部邁氏)、アメリカとの軍事同盟の強化は、対米従属にあたる。それよりも自主防衛を目指すべきだ、と言うんですが、ママ(アメリカ)と一緒におつかい(軍事行動)にいけない子が、一人で始めて〔初めて〕のおつかいに行けるわけがありません。

アメリカと軍事行動を共にし、練習をして、「戦える国」になることが、ひいては戦争や他国による侵略を抑止することになり、結果平和がもたらされる、が王道だと思うのですが。

〔二つ目〕
>日本が勝手に武装を増強できる、と勘違いされると困りますので、念のため書いておきます。〔中略〕
>つまり、アメリカに雁字搦めにされているといったほうが早い。〔書き人知らず〕

アメリカは、最初はインドの核武装に対して否定的でした。が、その後追認に変わりました。
同様に、米国の対日軍事意識も変動しえます。

>シナ自体が、野望を隠さなくなり、太平洋をハワイを基点としてアメリカ・シナで分割統治を持ちかけてしまった。〔書き人知らず〕
そのように、いまや中共は、アメリカに追いつき、そして追い落としを狙っているのは明らかです。
しかし、米国の力は相対的に落ちている。
そこで、アメリカはどこかの国に頼らざるをえません。だから
>今こそアメリカともめずに、憲法を改正し、独立国として相応しい軍事力を持つ大チャンスなのです。〔よもぎねこさん〕

過去、アメリカが軍事力増強を要求してきた時に、日本の側が拒否してきたことが問題だと思います。
少しでも、自国にとって都合の良い増強を考えれば良かった。

アメリカの対日軍事意識を、固定的に考えるべきではないと思います。

ミス・コンテストの政治主義

1.有名ミスコン 黒人が独占

12月17日付朝日新聞(夕刊)に次のような記事が掲載されました。見出しと本文は下記の通りです。

「有名ミスコン 黒人が独占  美の評価基準に変化か」

「世界的に有名な五つのミスコンテストで昨年から今年にかけ、いずれも黒人の女性がトップに輝いた。米メディアによると、全員が黒人女性となるのは史上初めて。女性の魅力を評価する基準が変わりつつあると指摘する声もある。
8月に米アトランタで開催された『ミス・ユニバース』に南アフリカ代表が選出されたのに続き、14日にロンドンで開かれた『ミス・ワールド』にジャマイカ代表が選ばれた。昨年9月の『ミス・アメリカ』、4月の『ミス・ティーンUSA』、5月の『ミス・USA』でも黒人女性が選出された。
CNNによると、こうしたミスコンは1920年代に開始。黒人女性は当初、参加することすら許されていなかった。
米紙ニューヨーク・タイムズではミスコンを『数十年にわたり、人種差別や人種的隔離、ジェンダー的ステレオタイプに悩まされてきた』と指摘。立て続けに黒人女性が選ばれた今年を『分水嶺』と評した。
コーネル大のノリウェ・ルックス教授(アフリカ研究)は朝日新聞の取材に『黒人であることが美しさの基準から外れていた業界に、広く影響を与えるかもしれない』と語った。
ミス・ワールドに輝いたトニーアン・シンさん(23)はインスタグラムに『世界中の少女たちへ。あなたには夢を成し遂げるだけの価値も能力もあると知って欲しい』と投稿した」

2.リベラル・イデオロギーのミスコンへの波及

テレビを見ない主義者ですし、最近はDVDとかで映画も見ないので疎いのですが、黒人の美人女優さんというのを、私は知りません。男優は、デンゼル・ワシントン氏のようなハンサムな人もいるので、美人の女優さんがいても不思議ではありません。
しかし、「世界的に有名な五つのミスコンテストで昨年から今年にかけ、いずれも黒人の女性がトップに輝いた」というのは、尋常ではありません。どうしたことでしょうか。新聞が言うように、「美の評価基準」が「変化」してしまったのでしょうか。

この記事が示すのは、ミスコンの世界に少数派尊重の、というよりも優先の、リベラル・イデオロギーが蔓延しているということ(黒人に偏見を持たない=黒人の美を認めることができるのが、進歩的人士の証である)、あるいは審査員たちに同調圧力がかかり、彼らがそれに抗しえなくなっているということでしょう。

3.美的評価の政治主義

真善美の内の、美の世界に政治主義が持ち込まれているのです。この点、今年8月1日に開幕し、9月14日に閉幕したあいちトリエンナーレ2019の「表現の不自由展・その後」と同じです。
私は、黒人がミスコンのトップを独占したこともですが、と同時に報道が黄色人種について、何らの言及がないのも気になります。政治主義者たちは、一つのことに囚われるとその他のことが目に入らなくなりますが、彼らは白人と黒人の他に黄色人種がいることさえ忘れてしまっているようです。あるいは、黄色人種は少数派だけれども、弱者ではないから無視しても良いということなのでしょうか。
それとも、純粋に美的評価をすると、白人や黄色人種よりも、黒人の方が美しいということなのでしょうか?

典型的な政治主義とは、次のようなものです。
スターリンとヒトラーの全盛時代、A氏がスターリンの、B氏がヒトラーの肖像画を描いたとしましょう。同じ美術展にその両方が出品されました。
二つの絵画としての、純粋な美的評価とは違って、左派の政治主義者はスターリンの肖像画を、右派はヒトラーの肖像画を絶賛します。

4.言論と表現の政治主義

現在の私たちの時代にも、そのような政治主義が公然と行われています。
あいちトリエンナーレ2019の「表現の不自由展・その後」とあいちトリカエナハーレ2019「表現の自由展」、「在日コリアンは半島へ帰れ」と「ヤンキーゴーホーム」、マルクスとエンゲルスの青年時代をテーマにした映画と、ヒトラーとヘスの親密な時代を扱った映画(そのような映画は一般劇場での公開はおろか、製作すらされるはずがありませんが)・・・・
一方は認められて良いけれども、他方は認められてはならないとするのが、政治主義です。

欧米日を問わず、現実政治の場は保守派が握っているにしても、言論や表現の空間は左派が牛耳っていて、彼らがそこをリード(ミスリードですが)しています。そして、

すべての言論・表現は自由である。
しかし、左派のそれは、右派のものよりももっと自由である、が左派のモットーです。

なので、左派的言論や表現は社会で認められているのに、右派的なそれは封じられるといったアンバランスが現出しています。

5.リベラルの美の評価基準

事情は、ミスコンにおいても同じです。

すべての女性は美しい。
しかし、少数派(欧米での)であり、なおかつ弱者の女性は、その他の女性よりももっと美しい、がリベラル派の「美の評価基準」です。

それは、リベラル的ステレオタイプであり、私たちは今それに悩まされているところです。

マスメディアは二度間違えた

1.戦前と戦後

戦前、政府・軍は判断を誤りました。
ドイツ、イタリアと軍事同盟を結び、アメリカを中心とする連合国との戦争を決断しました。その結果、多くの兵士たちは、各地で戦死することになりましたし、銃後の国民は空襲で逃げ惑い、あるいは焼夷弾や原爆で焼かれることになりました。大東亜戦争における戦没者は、三百万人余りに上ります。
新聞は政府と協調し、戦意高揚を煽り、国民を戦争に駆り立てました。戦前、政府のみならず、マスメディアも間違えました。

政府と歩調を合わせて失敗したマスメディアは、それに懲りて、戦後は反権力とか権力監視を標榜するようになりました。当時自由・資本主義体制は何れ社会・共産主義体制に取って代わられるという予想が通用していました。
そういう中で、政府は自由主義体制を選択したのに対し、マスメディアは社会主義体制寄りの報道や言論を行いました。

しかし、マスメディアや知識人たちの予想に反して、その後資本主義国は経済的に発展する一方、社会主義国は政治的経済的に停滞し、あるいは行き詰まりました。結局、ベルリンの壁崩壊とソ連邦の解体により、体制選択における社会主義の敗北が明確になりました。

細かいことを言えば、何れも間違いは沢山おかしていますが、大局的に見れば、戦前戦後を通じて、政府・軍は一度しか間違えていないのに、マスメディアは二度間違えました。
前者は一勝一敗ですが、後者は0勝二敗です。

2.マスメディアは三度目の間違いをおかしている

そして今、マスメディアは三度目の間違いをおかそうと、いいえ、現におかしています。
冷戦時代、社会・共産主義寄りの言説を行っていた多くのマスメディアや知識人たちは、冷戦後徐々にリベラルへ転向して行きました。そして、現在彼らはリベラル派に宗旨替えし、その旗を振っています。
リベラル・イデオロギーは現在流行の進歩主義思想であり、冷戦時代のマルクス主義同様、その矛盾が徐々に膨れ上がり、何れ破綻するでしょう。もっとも、それが何十年後になるかは分かりませんが。
彼らは、三度目の間違いを驀進中です。

3.マスメディアと大衆

マスメディアと大衆が各々、支持するか支持しないかという観点から分類した場合、政府は四つに分けられるでしょう。
マスメディアも大衆も共に支持する政府、マスメディアは支持するけれども、大衆は支持しない政府、マスメディアは支持しないけれども、大衆は支持する政府、マスメディアも大衆も共に支持しない政府です。
何れの政府が国民にとって望ましく、何れの政府が望ましくないでしょうか。

第一。マスメディアも大衆も共に支持する政府は、とりわけ両者が熱狂する政府は危険です。ドイツのヒトラー政権や先の大戦開戦前のわが国はそのようなものだったでしょう。
宗教団体の信者はその新聞を、共産主義党派の支持者はその機関紙・誌に書かれてあることを信じて疑いませんが、マスメディアも大衆も支持する政府とは、それら宗教や政治団体と信者や支持者が丸ごと国家を形成しているようなものでしょう。

第二。マスメディアは支持するけれども、大衆は支持しない政府も余り好ましくありません。
「悪夢のような」民主党政権成立前とその政権初期はそのようなものでした。
マスメディアは、民主党を贔屓にするような、一方、自民党を政権から追い落とすような報道や言論を行いました。
大衆の支持がなければ、民主党政権はありえなかったと反論する人もあるかもしれません。しかし、多数派メディアが過度に民主党寄りの報道をしたから、有権者も惑わされて、同党に投票したと考えるべきでしょう。

ところで、共産主義国のメディアは国営ですが、そこでのメディアと大衆と政府の関係をどう考えるべきでしょうか。共産国の政府は、マスメディアも大衆も共に支持する政府なのでしょうか、それともマスメディアは支持するけれども、大衆は支持しない政府なのでしょうか。
共産国では、大衆はメディアの報道や論評の正しさを信じていたのでしょうか、それともそれに異議を申し立てれば、強制収容所送りになる等の恐怖のために、報道や論評を信じている振りをしていたのでしょうか。
革命初期には前者だったのが、次第に幻想から覚めて、後者になっていったのではないでしょうか。

第三。マスメディアは支持しないけれども、大衆は支持する政府です。
現在私たちが目にしているのは、そのような政府です。日本の安倍晋三首相もアメリカのトランプ大統領も、多数派の進歩的メディアから毛嫌いされています。しかし、大衆の支持は意外に根強い。国民にとって、マスメディアは支持しないけれども、大衆は支持するという政府の下での生活が、一番幸福なのではないでしょうか。

第四。マスメディアも大衆も共に支持しない政府です。
そのような政府は民主主義国では長続きしません。なので、そのような政府のことは余り心配する必要はないでしょう。
もっとも、そのような政府は第一の政府よりも国民にとっては良い政府であり、ひょっとすると、第二の政府よりも増しかもしれません。

結論を述べるなら、マスメディアからでも知識人からでもなく、大衆から支持される政府が、最も良い政府です。

「死の商人」という言葉があります。
『広辞苑』(第二版)によれば、「軍需品を製造・販売して巨利を得る大資本をさしていう語」とあります。
もう一つの死の商人=マスメディアは、間違った報道や言論を「製造・販売して」、国民を酷い目に遭わせる「大資本さしていう語」、と定義できるでしょう。

二度あることは三度あります。
戦前、冷戦時代、冷戦後、マスメディアは、間違えてばかりです。いまや、0勝三敗です。
大衆は自らの判断を信じ、マスメディアや知識人の言うことは、話四!半分に聞いていた方がいい。
彼らの指し示す方向へ突っ走ったら、ろくな事にはなりません。

カノン

1980年頃、東京・池袋の下宿にいた時、隣のアパートからある音楽がたびたび聴こえてきました。当時はまだCDもありませんでしたし、レコード盤をかけていたのでしょう。何度も同じ曲がかかっていました。聴いているうちに、最初は音だったのが、次第に旋律に変わって行きました。
後に分かったのは、それがヨハン・パッヘルベルのカノンという楽曲だということです。

ヨハン・パッヘルベル(1653-1706)は、「トッカータとフーガ ニ短調」、「G線上のアリア」、「主よ、人の望みの喜びよ」などで有名な、音楽の父と称されるヨハン・クリスチャン・バッハ(1685-1750)よりも少し前の時代の作曲家です。

神保璟一郎氏の『クラッシック音楽鑑賞事典』(講談社学術文庫)には、J・S・バッハ以前の作曲家としては、ブクステフーデ、コレリ(コレッリ)、パーセル、クープラン、ヴィヴァルディ、テレマン、ラモー、スカルラッティ、タルティーニの項目はありますが、パッヘルベルのはありません。

音楽の専門家はいわゆる玄人好みの曲を、たとえば演奏家は弾くのが難しい曲を評価するのかもしれません。が、私たち素人にとって重要なのは、聴いて心地よいかどうかです。

11月4日公開の投稿で引用しましたが、新聞でインタビュアーの「『良い曲』とは?」との問いに、ミュージシャンの小田和正氏は「『シンプルで飽きない』っていう一言かもしれない」と答えています。
童謡「ぞうさん」を作曲したのは団伊玖磨氏ですが、そのような単純な名曲を作れるのは才能がある証拠でしょう。

音楽史は、パッヘルベルのカノンを超えようとして、ついに超えられない歴史ではないでしょうか。

【いけまこ・かたえくぼ】
朝日新聞には、悪名高き社説や読者投稿「声」欄がありますが、それらと同じ「オピニオン&フォーラム」の頁に「かたえくぼ」というコーナーがあります。12月3日付は次のようなものでした。

かたえくぼ

『面接』

黒を白と言えますか?
一国家公務員採用試験

(練馬・邦ちゃん)

それに応じて、私も一つ

『面接』

白を黒と言えますか?
一左派メディア採用試験

(いけまこ)

(同じことを、誰かが言っているかもしれませんけど)

一流の野党・二流の野党・三流の野党

1.野党三種

与党は、複数政党制の民主主義国において、政権を担当している(政権に与っている、あるいは政府の側に与している)政党のことです。一方、野党とは政権を担当していない(野にある)政党のことです。
さて、野党は三種類に分けることができるでしょう。一流の野党と二流の野党と三流の野党です。

第一。一流の野党とは、時々与党に取って代わって政権を担うことができる責任政党のことです。イギリスではそのような野党が野にある時にも、政権を担った場合を想定して「影の内閣」が設けられているそうです。
与党とは別の理念によって結成された野党は、自らの理念に基づいた政策を立案し、有権者にそれを提示及び説得し、選挙に勝つことによって、政権を獲得、自らの政策を実施して行きます。

第二。二流の野党とは、与党とは別の政策を提示するものの、それが非現実的だったり、不人気だったりして、なかなか政権に就くことができず、万年野党化した政党です。
但し、政権は担えないものの、比較的図体が大きいために、与党がへまをすれば取って代わるかもしれないとか、図体は小さくても独自の理念を有するため、一定の固定支持層があり、政府に対して厳しい追及ができるとかで、与党に緊張感をあたえることができる野党のことです。

第三。三流の野党とは、政権を担う意思も能力も可能性もない、創立から数年で消滅してしまうような泡沫野党のことです。

2.現在の野党

現在のわが国の野党は、以上の何れに相当するでしょうか。

時事通信社の11月の政党支持率によると、与党の自民党30.1%、公明党3.7%に対し、野党は立憲民主党3.1%、共産党2.0%、日本維新の会1.3%、社民党とれいわ新選組が各々0.6%、国民民主党とNHKから国民を守る会が各々0.2%、そして、支持政党なしが55.5%です。

どの野党も、万年野党と半ば嘲られた旧日本社会党には及びませんし、自民党のコバンザメ公明党よりも支持率が低い。
いつの時代でも、大小に拘らず政治が解決すべき問題は山積しています。国民はそれらが解決されることを切望しています。
ところが、現在の野党がやっているのは、政府の政策批判でも、自らの政策提示でもありません。総理大臣や国務大臣の失言や不祥事を攻撃することばかりです。いわゆるモリ・カケから桜を見る会の問題まで。

確かに野党ですから、総理大臣他の失言や不祥事を問題にすることがあって当然です。けれども、国会においては政策に関する議論が主で、不祥事等は従であるべきです。
ところが、現在の野党の政治家たちには、主従が逆転しているという自覚さえないように見えます。それなのに、自分たちは政府・与党と英雄的に戦っていると自己陶酔しているのではないでしょうか。

主従逆転では困ります。野党に投票した有権者たちは、刺身定食を注文したのに、刺身のないツマだけの定食が出されたように感じていることでしょう。
もう国民は、うんざりしています。だから、野党の支持率が低いのです。
現在の野党は、二流半と三流ばかりです。

3.一流の野党を作るには

1990年代のいわゆる政治改革によって、政治家たちは政権交代可能な、自民党とは別のもう一つの有力な政党を作ろうと考えました。が、それはいまだに実現していません。

理念の同じ政党による二大政党制などありえません。それが可能だと考えて失敗したのが、希望の党です。
もし政権交代可能な、自民党とは別の政党を作ろうと思うのなら、自民党よりももっと右寄りな政党か、それとも左寄りの政党を作るしかありません。そして、現在のわが国の国民意識から考えるなら、後者の政党を作るのが現実的です。

2017年に希望の党と民進党が、一部の政治家を排除して丸ごと合流しようとしましたが、その騒動が明らかにしたのは、野党の政治家たちは、国会議員になるのが人生の目的で、理念や政策は後からついてくると考えているということです。

野党の政治家たちは選択すべきです。
国民のためを思うのなら、社会・共産主義やいわゆる戦後平和主義という古着を脱ぎ捨て、私情を抑え、大同団結して、自民党よりも少し左寄りの、愛国的な<陛下の反対党>を結成すべきです。
自分自身の栄達のためにしか関心がないのなら、今直ぐにでも辞職した方が良い。その方がお国のためです。