左翼的表現の自由展・今後

1.総括

あいちトリエンナーレ2019は8月1日開幕し、10月14日閉幕しました。
とりわけ話題になったのは企画展の「表現の不自由展・その後」です。朝鮮人慰安婦美化像や昭和天皇の肖像を焼いた「作品」などが展示されました。
そのため、8月1日にスタートするや、たちまち抗議の電話やメールが殺到し、同月3日早くも中止になりました。その後、スッタモンダの挙句、入場者数を大幅に制限することによって、10月8日再開され、14日の閉幕に無事こぎ着けました。

このたびの「表現の不自由展・その後」を総括するなら、最初は左翼的表現の自由展で始まり、途中の大部分は左翼的表現の不自由展を余儀なくされ、最後は入場の不自由展で締め括ったと言えるでしょう。

左翼偏向全開の「表現の不自由展・その後」は、本来なら開催されるべきではありませんでした。しかし一方、開催されたら開催されたで、数多くの人たちがそれを見ることによって、その政治的偏向と異様さに気づくのも、日本にとって有意義なことだったでしょう。

ところが、再開後入場者の制限が行われたため、市井の人がその異常さに気づくことができないまま終了してしまいました。残念でした。
多くの抗議の電話やメールにも拘らず、曲がりなりにも閉幕までこぎ着けたことは、左翼の成功体験の一つになったに違いありません。

2.表現の自由の問題ではない

表現の不自由展は、東京でも大阪でもその他どこの都市でも、しかるべき場所を借りて、有志が自己資金で開催することはできます。また、それを国家権力なり右翼なりが中止させたわけでもありません。
なので、このたびの問題は、表現の自由の侵害にも、検閲にも当たりません。

むしろ、表現の不自由展の出し物の政治的偏りから判断するなら、主催者は右派の表現の自由を阻み、あるいは右派的作品を「検閲」によってパージしたと考えるのが自然でしょう。

3.公立の部門に、左翼的表現の自由を

今回の表現の不自由展の性格を最も的確に示しているのは、芸術監督津田大介氏の次の発言です。曰く、

「物議を醸す企画を公立の部門でやることに意味があると考えた」(8月4日付朝日新聞)

右派が「物議を醸す企画を公立の部門でやること」は許されてはならないが、左派の場合は許されるべきだ、ということでしょう。要するに、「公立の部門」において、左翼的表現の自由を特権的に認めよ!と要求しているのです。

4.今後

今回の表現の不自由展を契機として、芸術祭や美術館の左翼偏向的展示に対する、良識ある市民のチェック機能が働くようになるでしょうか。それとも、再び入場制限という措置をとることによって、左翼はごり押しを続けるのでしょうか。

不十分とはいえ、検定制度があるので、さすがに歴史教科書の口絵に、たとえば、朝鮮人慰安婦美化像の写真が採用されることはないでしょう。が、今後何らかの検定基準なり、検定制度なりを作り、左右にかかわらず政治的に偏向した作品を公的な芸術祭や美術館から排除するようにすべきではないでしょうか。

【津田大介氏はかく語りき】
トリエンナーレ閉幕後の記者会見で、津田大介氏は語ったそうです。

「大きくマイナスになっていたものをプラスマイナスゼロに戻すことを目指していた」(注)

左翼偏向の芸術祭を批判し、正道に戻そうと考えた右派こそ、「大きくマイナスになっていたものをプラスマイナスゼロに戻すことを目指してい」ましたが、残念ながらそれは叶いませんでした。
泣く子と左翼のズルさにはなかなか勝てません。

(注)
https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/20727