「小英雄」としてのグレタ・トゥンベリさん

1.小英雄

ジョージ・オーウェルは『1984年』(新庄哲夫訳、ハヤカワ文庫NV)に書いています。

「あのような子供たちを抱えていたのでは、あのみじめな婦人も恐怖の一生を送らなければなるまいと彼は思った。あと一年か二年、子供たちは昼夜の別なく母親に異端の徴候がないものかどうか監視を続けるに違いない。(中略)三十歳以上の人たちにとって、自分の子供たちにおびえるのはほとんど日常茶飯事になっていた。それもその筈でザ・タイムス紙が毎週ほとんど欠かさず、盗み聞きする小さな密告者が一一般的に”小英雄”という言葉で呼ばれていたわけだが一何か危険な話を立ち聞きして両親を思想警察に告発したという記事を掲載していたからである」(35頁)

オーウェルのは小説ですが、彼が偉大なのは、その後共産主義社会で起こったたことを的中させたからです。

全体主義社会では、政府を陰で批判する親を、その子供が告発するようなことが起こります。そして、そのような子供が社会で「小英雄」だとして賞賛されたりします。

2.16歳の環境活動家

自身の親は告発しないものの、親や祖父母世代に対する告発をしている、9月23日ニューヨークの国連本部で行われた気候行動サミットでのグレタ・トゥンベリさんの演説する姿を見れば(私はテレビを見ない主義者なので、新聞でしか見ていませんが)、小英雄という言葉が頭をよぎるのは自然でしょう。
若干16歳にして「環境活動家」だという(笑)。

3.あやつり人形

地球温暖化の問題は、大人の科学者でさえ見解が割れていると思います。彼女は16歳にして、この問題に通暁しているのでしょうか。

本来なら、この問題についてろくに知らない子供よりも、十分な知識を持った大人が静かに語るべきです。しかし、大人が語ってもインパクトがありませんし、この問題が注目されません。そこで、急進主義者の策士が子供をダシに、話題性を狙ったのでしょう。

4.二種類の人たち

トゥンベリさんの演説を見た人たちの反応は、二種類に分かれると思います。

第一の人たちは、いかなる思想的・政治的立場であろうと、あのように子供が演説する姿を見て、おぞましいと考える人たち。はっきり言えば、正気を保っている人たちです。
先に、「若干16歳にして『環境活動家』だという(笑)」と書きましたが、笑うべき、というよりも嗤うべきことだと考える人たちです。

第二の人たちは、自分とは違った思想的立場の場合であればおぞましいと考えるけれども、同じ立場なら素晴らしいと、拍手と喝采を送る人たちです。
彼らは、左右の全体主義者の素質がある人たちです。

戦前は戦意高揚記事を、戦後は一転社会主義寄りの記事を読者に強いた、全体主義に親和的な朝日新聞は、9月25日付の社説「気候サミット 若者の怒りを受け止めよ」に書いています。

「今回のサミットでスウェーデンの環境活動家グレタ・トゥンベリさん(16歳)は『若者はあなたたちの裏切りに気づき始めている。もし私たちを見捨てる道を選ぶなら、絶対に許さない』と各国代表に訴えた。
グレタさんら12カ国の少年少女16人は『気候危機は子どもたちの権利の危機だ』と、国連子どもの権利委員会に救済を申し立てた。サミット直前には160カ国以上で400万人を超す若者の一斉デモがあった。こうした若者たちの怒りを重く受け止めねばならない」

朝日新聞的な人たちは、ある時代にはヒトラー・ユーゲントたちの「怒りを重く受け止め」、別の時代には紅衛兵たちの「怒りを重く受け止め」てきた人たちです。

5.いつか来た道

とりわけ二十世紀は、小英雄に拍手・喝采を送るような人たちに、引き摺られた時代でした。

彼らを信用しない第一の人たちが社会の多数派なら心配ないのですが、第二のタイプの人たちは、マスメディアを中心に意外に影響力のあるところにいるので侮れません。

小英雄に拍手・喝采を送る第二の人たちの言うことを信じていると、山本夏彦氏ではありませんが、とんでもない所に案内されて、驚くことになります。