国際政治学者藤原帰一氏は朝日新聞に「時事小言」というコラムを連載しています。
9月18日付の「待ったなしの核軍縮」に書いています。
「いま世界の核兵器をどのように考えるべきだろうか。一方には、核兵器は廃絶すべきだという議論があり、他方には安全保障のためには抑止力としての核が必要だという主張がある。核兵器に関する議論の多くは、この正反対の立場の間で行われてきた」
どちらかと言えば、私は後者の側ですが、正確に言うなら、そもそも核兵器は廃絶できないという第三の立場です(それでも核兵器は廃絶できない)。
「だが、差し迫った危険として核兵器を見ていない点において、この二つの主張には共通点がある」
「抑止力」派はともかく、「廃絶」派は「差し迫った危険として核兵器を見て」いると、一応考えて良いのではないでしょうか。
それはさておき、「差し迫った危険」があろうがなかろうが、核兵器の廃絶は無理だと私は考えます。
「核戦争は決して遠い将来の危険ではない。日本政府は、緊急の政策課題として核軍縮を実現しなければ現在の平和が失われるという緊張感のなかで核兵器の削減に努めなければならない」
藤原氏自身、「緊急の政策課題として核軍縮を実現しなければ現在の平和が失われるという緊張感のなか」にあるのでしょうか。
それはともかく、「日本政府は、(中略)核兵器の削減に努めなければならない」。
ん?
日本が核兵器を所有しているのであれば、政府の考えで自国の「核兵器の削減に努め」ることができるでしょう。しかし、わが国は核を保有していません。
それに、日本政府が核兵器の削減を呼びかけたところで、朝米露支印パがそれを実行するとはとても思えません。
思えませんが、米露が核軍縮を行ったと仮定しましょう。
両国が大幅な核軍縮を行えば、支那が保有する核兵器の相対的な存在感が増します。そうなった場合、核戦争が起こる可能性は減るのでしょうか。あるいは、とりわけ、私たちの東アジアはより平和になるのでしょうか。
藤原氏は、本気で「核軍縮」は、「待ったなし」だと考えているのでしょうか?
蛇足ながら、指摘します。
「核廃絶を求める者は廃絶が難しいことを自覚し、核抑止を求める者も現実の戦争で核兵器が使われる懸念には目を向けない」
これは、「核廃絶を求める者は廃絶が難しいことを自覚しないし、」とすべきではないでしょうか。