清水幾太郎氏と功利主義

清水幾太郎氏は書いています。

「元来、私にとって、経済学など、どうでもよいことであった。大切なのは、幸福であった。幸福は、人間が遠い昔から求め続けて来たものであり、それゆえに、古代以来、倫理学の中心には、いつも幸福の観念が据えられていた。この伝統が二十世紀の倫理学に生きていたら、私が経済学に関心を寄せるチャンスはなかったであろう。(中略)
以上に述べたことは、次のように言い換えることが出来る。功利主義のどこが悪いのか、どうしても、私には納得することが出来ないのである。多くの人々が、功利主義というのは、昔の滑稽な失敗であるかのように、もう片付いてしまった愚行であるかのように振舞っている理由が判らないのである。(中略)正直のところ、多くの研究者が功利主義に向かって侮蔑の表情を示せば示すほど、私には、功利主義の魅力が抗し難く増して行った」(清水幾太郎著、『倫理学ノート』、岩波書店、105-107頁)

道徳的善から、幸福の観念が離れれば離れるほど、倫理が机上の、非実践的なものになります。

これまで多くの人たちが功利主義を批判してきましたが、その息の根を止めることはできませんでした。というよりも、それらの批判は、当を得ていたのでしょうか。
逆転の発想で、一度功利主義が正しいと仮定して、その証明に打ち込んでみてはどうでしょうか。正解はミル(J・S)の思想の延長線上にはなく、ベンサムのそれの延長線上にしかないでしょう。

私は、大枠において、功利主義は正しいと考えます。