1.「表現の不自由展・その後」
今月1日に開幕した国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」は、3日に企画展「表現の不自由展・その後」を中止したそうです。
慰安婦少女像などに対して、抗議の電話やメールが殺到して、平和裏に展示会を続けられなくなったためらしい。
2.表現の自由に反する?
それに対して、左派は、表現の自由を守れとの訴えています。
8月6日付朝日新聞は、社説「あいち企画展 中止招いた社会の病理」に書いています。
「人々が意見をぶつけ合い、社会をより良いものにしていく、その営みを根底で支える『表現の自由』が大きく傷つけられた。深刻な事態である」
3.表現の自由の問題か
東京の銀座であれ、大阪の御堂筋であれ、その他の都市の人通りの多い商業地であれ、しかるべき場所を借りて、「表現の不自由展」を開催する自由はあります。
もしそれが妨げられたのなら一大事で、表現の自由が危殆に瀕している、あるいは「深刻な事態」であると言えるでしょう。しかし、今回の事例は違います。
4.津田大介氏の意図
芸術監督津田大介氏は記者会見で、次のように述べたとのことです。
「物議を醸す企画を公立の部門でやることに意味があると考えた」(1)
津田氏だって分かっているのです。この度の騒動は表現の自由の問題ではないこと。「表現の不自由展・その後」は一種のゴリ押しであることを。
朝日新聞の編集委員大西若人氏は書いています。
「作品選択の基準は『過去の展示不許可』であって、トリエンナーレが『いい作品』と推したわけではない」(2)
この文言でも分かるように、「表現の不自由展」は、政治(イデオロギー)を芸術に持ち込んだ典型例です。
5.右派による「表現の不自由展」を認めるか
この度の表現の不自由展の出し物は、左派が喜びそうな展示品でした。
ではもし、左派が激怒するような作品を目玉に、右派が「表現の不自由展」を「公立の部門でや」ったのだとしたらどうだったでしょうか。
左派は、それでも表現の自由を守れと叫んだでしょうか。
左派の「前科」を見れば、反対したであろうことは疑いえません。
6.左翼的表現の自由を!
結局のところ、左派が求めているのは、<公立の部門における、左翼的表現の自由を特権的に認めよ!>ということです。
そして彼らは、実質的には左翼的表現の自由を求めていながら、一般的な表現の自由の問題にすり替えて論じているのです。
これは、左翼の常套戦術です。
「ああ、またこの手か」
この度の騒動を見ての感想です。
7.左翼的表現の自由の後退
「表現の不自由展」を3日で断念せざるをえなくなって、津田氏は次のように語ったとのことです。
「表現の自由が後退する悪しき事例を作ってしまったことに対する責任は重く受け止めている」(3)
これは次のように読み替えるべきででしょう。
「左翼的表現の自由が後退する悪しき事例を作ってしまったことに対する責任は重く受け止めています。(左翼)同志の皆様、ゴメンナサイ」
(1)朝日新聞2019年8月4日
(2)同上2019年8月6日
(3)https://www2.ctv.co.jp/news/2019/08/04/60290/