池澤夏樹氏と慰安婦問題

作家の池澤夏樹氏は朝日新聞で「終わりと始まり」と題する連載を行っています。7月3日付の「映画『主戦場』 慰安婦語る口調 言葉より雄弁」で書いています。

「すべての試合の観戦はおもしろい。映画『主戦場』の場合はサッカーや囲碁ではなく、論戦。
従軍慰安婦というテーマを巡って、右軍と左軍双方の論客が登場、それぞれ自説を展開する。
第二次世界大戦の時、朝鮮から多くの女性がアジア各地の戦場に送り出された。あるいは自ら渡った。日本兵たちを相手に性行為をするのが彼女たちの職務だった。これが強制であったか否か、実態はいかなるものだったか、これが議論の軸だ」

池澤氏は「朝鮮から」と書いていますが、第一、慰安婦は朝鮮人よりも日本人の方が多かった。第二、当時の朝鮮は日本であり、朝鮮人慰安婦の募集方法は日本人と同じ、業者が集めた。要するに、日本人慰安婦同様朝鮮人慰安婦も、強制ではなく任意でした。
引用した文章だけで、氏がこの二つの事実を知らない(事実だと認めたくない?)ことがおおよそ分かります。

また、池澤氏は書いています。

「スタッフはアメリカ西海岸まで取材に行っている。カリフォルニア州のグレンデールという町に慰安婦の像が作られた時のこと。あちらにもちゃんと右軍と左軍がいて論戦を展開していた。
グレンデールの元市長が言ったことに蒙を啓かれる思いがした一
『慰安婦問題というのは、若いアジアの少女たちに起こった人権侵害です』
そう、あれを作るのは世界中すべての地域で戦争による性被害がなくなるのを祈ってのことなのだ」

「慰安婦問題というのは、若いアジアの」、とりわけ一番数が多かった日本人「少女たちに起こったこと」です。もしそれが「人権侵害」に当たるなら、なぜ日本人慰安婦の人権を問題にしないのでしょうか?
日本人慰安婦の人権は侵害しても良いけれども、朝鮮人慰安婦のそれは侵害してはならないということなのでしょうか。それは民族差別ではありませんか。
池澤氏ら左派には、日本人慰安婦は任意、朝鮮人慰安婦は強制との思い込みがあるのでしょう。

「そう、あれを作るのは世界中すべての地域で戦争による性被害がなくなることを祈ってのことなのだ」
千羽鶴をいくら沢山折っても、戦争も核兵器もなくなりはしません。同様に、「慰安婦の像」をいくら作っても、「世界中すべての地域で戦争による性被害がなくなる」わけではありません。
良い年をした大人なのに、どうしてそのくらいのことが分からないのでしょうか。

「当面の課題は日本の若い人たちの無知と無関心である」
根本的な「課題」は、池澤氏のような若くない人たちの「無知」です。

「(映画『主戦場』を)見終わった方にぼくは朴裕河著『帝国の慰安婦』を読むことをお勧めする」
この回の「終わりと始まり」を読んで、「その通りだ」と思った方に、私は秦郁彦著『慰安婦と戦場の性』を読むことを「お勧め」したいと思います。